閑話16 ある魔力残存の平穏(後)
「ディーフェニーラ様。本日は、お時間をいただきありがとう存じます」
「ミアーレア、歓迎するわ。今日この街へきたのかしら。転居の支度は、大変だったのではなくて?」
3回目にやってきた時の少女は、今までの粗末な服からまともな服になっていた。
もう小鳥には見えない。この子も鼠になってしまったのだろうか。
しかし、見た目は整えられたものの、やはり七柱を引用した挨拶はできないようだ。
君がぶら下げた餌にも釣られない。演技なのか、ますます判断しづらいな。
「恐れながら、ディーフェニーラ様。頭の痛みのお加減は、そのご如何でしょうか?」
「そうね。時々休憩を挟むようにしてから、随分と楽になった気がするわ」
「さようでございますか。今も少々お辛そうにお見受けしますが」
「時々、休みを入れるのを忘れ、長時間机に向かってしまうことがあるのです。長年の癖ね、仕方の無いことだわ」
「ディーフェニーラ様、僭越ながらもう一つ、献上したいものがございます」
「なにかしら?」
「はい。時間を知る道具にてございます。瓶の中にスライムオイルを詰めたもので、私が考案致しました。鐘一つを6等分にした時間を、知ることが出来ます。お仕事の合間に休憩を入れる、一つの目安になるかと存じます」
なんだって?
ピンと立っている、自分の耳を疑う。
この少女は、君の痛みを楽にする方法を、一度ならず二度も与えようとしているのか。
いったい、何が望みかと思えば、平民街に行きたいと言う。
こちらの不利益にはならないので、なんの問題もない。だが、訳が分からない。
折角貴族になれたというのに、また平民街へ足を向けるなんて、少女になんの利益があるのだろうか。
あぁ、この子からは、今日も不思議な匂いがする。
何もないはずの胸の中が、ザワザワした。掻き毟りたいのに動かないこの前脚がもどかしい。
今年も、冬呼び達の訪れが近づいてきた。
窓から見える外の木々たちが、寒々しく衣替えをしている。
「うっ、 今日は酷いわね」
今日の君の調子は、一段と悪い。
昨夜、南の塔の連中との会食があったからだ。
ここから一歩も動けない僕には、何があったのか分からない。だが、薬瓶に手を伸ばす君の負担になったことは確かだ。
ググッと体の力を強める。部屋の守りが強くなった。
ゴクリと瓶の中身を一口飲んだ君は、軽く肩を前後させ、新しい書類の束を手に取った。
僕は魔力を剥がし、君の美しい後髪にふわりと当てた。
君は羽ペンを動かし、書類に目を通す。
しかし、すぐにペンを置き、その右手を再び薬瓶に伸ばした。
君のその仕草に、僕の体に込めていた力が、ストンと抜ける。
冷たい金属でできたこの体からギシリと、軋むような音がした。
……僕が、オケアノードルの加護を持ち、君の苦しみを晴らすことができれば良かったのに。
押し込めていた本音が、呆気なく漏れた。
どんなに、部屋の守りを強くしても、剥がした魔力を君に当てても、何の意味もない。
面倒な貴族たちの対応だって、僕がいなくとも聡明な君は、簡単に自分であしらうことができるだろう。
悔しいけれど、君には有能なベルセだっている。
「私の全ては、君の為に」
彼の言葉が蘇る。そうだ、僕の全ては君の為に。
彼から託された、僕の使命を果たさなければ。
僕の役目を果たしたい。
でも、何もできない。
苦しむ君に、何もしてあげられない。
どうして、僕には守りの力しかないんだ?
もどかしさだけが、募っていく。
僕は、ここから、君の背中を見つめることしかできない。
ぐるぐると、思考は堂々巡りする。
窓の外のイリスフォーシアは、彼女の役目を終え、彼方に消えて行く。
セリノーフォスの時間になり、君は痛む頭に顔を顰めながら、無力な僕を残して執務室を後にした。
残っている君のいない椅子を見つめる。
ねぇ、僕はなんのために、ここにいるの?
中身がない空っぽのこの体に、虚しさが込み上げた。胸が痛む。そんなもの、あるはずもないのに。
そう思った時、窓の外から大きな力を感じた。
「はあっ、はぁっ……。すまない、精霊の雫へと囚われていたようだ。あぁ、これは珍しいな。導きが花から生まれるとは」
「!? アルトレックス様! これは、失敗ではないのですか!?」
「いや、失敗ではないだろう。かなり珍しいが、高貴な導きが現れるときは、こういった事が起こることがあると、聞いた事がある。星が落ちてきたなんて例も、文献で読んだ事があるな。嘘か誠かはわからぬが」
「そうですか! 良かった…… 」
「ミアーレア様! 花を咲かせるまでは、なにとぞお気を確かに!」
今夜は外の声がよく聞こえる。
かなり遠いが、これは、あの少女の声?
あの子の不思議な匂いを、思い出した。
胸の痛みが消え去り、代わりに不穏なざわめきに埋め尽くされる。
気がつくと、僕の魔力が、この器から勝手に離れようとしていた。まるで、彼らの声に引き寄せられるかのように。
ダメだっ! 無理やり引き戻し、自分を冷たい黒猫の体に押し込める。
そんなこと、認められない。僕は彼の代わりに、ここで約束を果たさなければ。僕はそのために、あるものなのだから。
「ミアーレア様、可能でしたら、魔術具に、直接お触れください! その方がご負担が少ないかと!」
「!? 分かりました!」
……あれを食べたら、僕もあの子のように、君の力になれるのかな?
胸のざわめきが、大きくなる。
ドクン、ドクン……
聞こえるはずのない心音が、耳に響いてうるさい。
あの子のそばにいけば、この空っぽの体に足りない中身を、埋めてくれる気がした。
少女の不思議な香りが、鼻腔を掠める。なんて、美味しそうな匂いなんだ。
僕は、僕はもう、我慢できない。
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