記憶の持ち主と瞳の色
暗闇から、少しずつ意識が浮上する。
夢を見ていた。
ある男性の、生涯を閉じる間際の記憶。
とても生々しくて、まるで彼の追体験をしているかのようだった。
私の中へなだれ込んできた、彼の見ていた光景、感じていた想いを思い返す。
最初に感じたのは、酷い息苦しさ。息がうまく吸えなくて、水の中で溺れているのかと思った。
顔を歪ませ、喉を掻き毟りたくなるような苦痛を、彼は強い意志の力のみで押し込める。
そして、目の前の彼女に、その辛さのかけらも見せることなく、安らかに旅立つフリをした。
彼の心のうちは、様々な感情で酔いそうになるほどに、目まぐるしい。
愛おしさ、悔しさ、憂い、幸福感、後悔、惨痛。彼女と過ごせた日々への感謝と、大きな枷をつけたまま彼女を残していかなければならない懺悔をひたすらに繰り返す。
しかし、表面ではピロートークのような軽さで、彼女に言葉を送り続けていた。
彼女を悲しませなくないが為だけに、体の苦悶も張り裂けそうな心の自責も、全てを最後まで隠し通す。彼には死への恐れなど、微塵もなかった。
最後の瞬間まで、彼女を思い続けた彼のことを想う。彼らの会話が蘇った。
「お願いだ、私の愛しいシャトネット」
「ご無理を、なさらないでくださいませ」
「君を見るためならば、フォーティアーノの中さえも、飛び込む価値があるよ」
「テーレオ、わたくしは…… 」
執着とも呼べるほどの、重い感情。彼の気持ちを体験したことで、愛情とはかくいうものなのかを見ることができた。
人を愛するって、ああいうこと、なのかな?
彼の言葉に、偽りは一つもなかった。
でも、知ることはできても、理解することができない。どうすればああいった想いを抱くようになるのか、私には全く分からなかった。
あの人達、この前薬草園にいたカップルだったよね?
衰弱していた彼と同化していたため、聞こえてくる音にはノイズが走り、看取ってくれた彼女の声はもちろん、発する彼自身の声さえも、古いラジオから聞こえる音のように、不明瞭だった。
見える光景もぼやけていて、はっきりと見えたのは2つだけ。
彼女の茜色の瞳と、その瞳に映った彼自身の優しい金色の瞳だ。なんで最後だけ視界がクリアになったのかは、彼も不思議がっていた。
薬草園で見たカップルは、遠目だったので、声色や瞳の色で、彼らが同一人物かを判断することは難しい。
うーん。でも、会話の内容から考えると、やっぱりそうとしか思えないんだよね。
お互いに呼び合っていた名前は、あの時のカップルと同じだった気がする。テーレオと、シャトネット。あと、終始彼女に対して贈られる甘々なセリフとか、ベルセの名前を出していた点でも一致している。
それにあの走馬灯だ。
死の間際の彼は、かつてのプロポーズの時の思い出に包まれていた。
あの光景は、私が彼らに初めて会った日であり、はからずもお邪魔虫をしながら、こっそりとプロポーズに立ち会ってしまった日のものだ。
私が彼女の背中越しに見ていてたのに対して、彼が思い出していたのは、恥ずかしさから俯く彼女を、上から見つめる光景だった。ちょっと角度は違うけれど、あの日の夕日とポメラの光景に間違いはない。
羨ましすぎて、食い入るように見つめていたからしっかりと覚えている。
薬草園の中で、鮮やかな花々に囲まれながら、差し出したポメラを受け取り、美しい夕陽を浴びながら俯くシャトネットさん。彼女に一緒になると約束してもらえたあの一幕は、彼の人生のハイライトだったのだろう。
うん。絶対そう。完全に思い出した。この記憶は、あのロマンチックプロポーズをしたイケメン、テーレオの記憶だ。
でもまさか、婚約した後、こんなにすぐに逝ってしまうなんて。遠目からだけど、彼は20代に見えた。悲劇だ、若いのに本当にお気の毒に。
離れた位置で見守る彼らの側近達と共に、喜びに包まれる2人に、心からのエアー拍手を送ったのは、ついこの前のことだった。幸せの期間が短すぎるよ。
彼は病気だったのだろうか。そういえば、プロポーズの時に、自分と一緒になると苦労するって言っていた。死期が近いことを、自分で悟っていたのかな。
愛しい人に看取られながら、後悔と幸せの中で息を引き取った1人の男性、テーレオ。切ないな。
どうして私は、あの人の夢を見たんだろう?
意識が更に浮上する
目蓋の裏に明るい光を感じた。眩しい。朝? そろそろ起きなきゃ。
ゆっくりと目蓋を開く。私の目の前には、金色の瞳があった。ほんの少しだけ影がある、とても優しい色。
さっき見たばかりの彼の瞳の色に、とてもよく似ていた。
「 ……テーレオ?」
「おはよう、お寝坊さん。でもお行儀が悪いんじゃないかな。覗き見をするなんてさ」
上から見下ろしていた黒猫は、足をおって私の枕の端に座り直すと、胡乱げな顔をした。
「え、あれ?」
「全くあいつは、今度見つけたら噛み付いてやろうか」
黒猫は、パタパタと尻尾で私のベットを叩いている。
今度こそ自分のベッドで目を覚ましたみたいだ。
でも、寝起きで動きの鈍い私の頭は、この事態をうまく処理できない。
え、待って。ちょっと待って。この黒猫があの男性? だって、黒猫はテーレオであることを否定しなかった。
あのロマンチストイケメンが死んで、黒猫に生まれ変わったってこと?
貴族って、生まれ変わったら猫になるんだぁ、わー、不思議。
呆けそうになるも、新たな疑問が出てくる。なんで彼はここにいるの? あんなに彼女のことを、心配していたのに。
「ねぇ、あの人の元へ行かなくてもいいの?」
「それは、僕の役目じゃないよ」
役目じゃない? 彼女を一人残していくことが、彼の唯一の心残りだったはずなのに。
よく分からないけれど、とにかくこの黒猫がテーレオの生まれ変わりであることは、間違いなさそうだ。
目も冴え冴えした私は、起き上がる。
黒猫はモゾモゾと移動すると、私の頭が乗っていた枕のへこみに体を合わせ、再び丸くなった。
私はくるりと体の向きを変え、ベッドの上に正座して黒猫に向き直る。
「でも、シャトネットさんは、すごく大事な人だったんでしょ?」
「そうだね。でもあそこは、扉のない部屋になってしまったんだ」
「レオルフェスティーノ様とは、そこに扉を作る取引をしたってこと?」
「クスクス……。 ミアは、人の尻尾のことはよく見えるんだね」
「ねぇ、じゃぁ、これで黒猫ちゃ……テーレオさんは、彼女のもとへ行けるんだよね
「その呼び方は、手放してしまったんだ。彼は僕だけど、僕じゃない。今となれば、彼はほとんど僕だったものだよ。いや、僕がほとんど彼だっただけかな」
黒猫の言葉は相変わらず、絡みついて解けない糸みたいだ。でも、彼の記憶と同化していた私には、黒猫がわざと答えを誤魔化そうとしているように思えた。
今でも狂おしいほどの切なさと、彼女に対する後悔を胸の中に隠しながら、口ではとぼけたフリをしているのだろうか。
「黒猫ちゃん。わざとじゃないけど、記憶を覗いてしまって、本当にごめんなさい。でも、だから貴方がどんなに彼女のことを思っていたのか、分かるの。何か協力出来ることがあるのならしてあげたいし、難しいかもしれないけど、彼女の部屋へ入る手伝いもしたいって思ってる」
「ふぅ。僕が導いた君の木は失われたんだ。対価として十分と彼が判断できるかは、少し難しい状況かもね。ミアは本当に面白くて、ずるいよ。そうやって、また僕の尻尾を引っ張るんだからさ」
黒猫は座っていた枕から立ち上がると、スリスリと私の腕に体を擦り付けるようにして通り過ぎる。
ベッドの縁からジャンプしてしなやかに床に着地をすると、私に解けない糸を残したままテトテトと部屋を出ていったのだった。
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