空のお散歩と黒猫の講座
「飛ぶなら飛ぶって、教えて欲しかったです」
半分放心した状態の口から、心の声が漏れ出た。
バサリ、バサリとグラーレの大きな翼が動く。その度にグラーレに跨る私とロンルカストは、遊園地のアトラクション、フリーフォールのようにひたすら上へ上へと上昇していた。
安全ベルトも空への旅の心構えもなかった私は、ガクブルしながらグラーレの首に必死にしがみ付いている。
「申し訳ございません。お伝えするのを失念しておりました」
困ったようなロンルカストの声が背中の上の方から返ってきた。
貴族にとっては常識なのかもしれないが、突然馬に翼が生えてお庭の木に花咲爺さんした後お空へ舞い上がるなんて、私にとっては非常識甚だしい。
翼が生えた時点で飛ぶ可能性を察するべきだったのかもしれないけれど、頭が追いつかなかった。
パカパカと走り出すのかと思っていたグラーレは、グングンとオレンジ色に染まった空へと近づいている。
「ぐぅー、ちょっと苦しいよ。それにこれじゃ匂いが分からない」
「あっ! ごめんね」
胸元から呻き声が聞こえた。グラーレの首にガシッとしがみついていたせいで、コートの中の黒猫を押し潰していたようだ。プルプルしながらグラーレの首から体を離す。
「失礼します」
グラーレと私の間にできた隙間にサッと腕を入れたロンルカストが、自分の方へ引き寄せガッチリと私の体を支えてくれた。ふぅ、これで1人で落ちる心配はなくなった。
「グラーレは風の魔力を使い空を飛んでいるのです。その力で我々の体も支えるため、落ちる事はございません。心配ならさずとも大丈夫です」
私を安心させるように、後ろで支えてくれているロンルカストが説明してくれたが、そう言われても怖いものは怖い。こうして話している間にも、グラーレはグングンと上昇していく。
見ちゃダメと分かっていても、ついチラリと下を覗いてしまった。
私の足の遥か下で、我が家はもう豆粒みたいな大きさになっていた。大きなお城さえも拳大くらいだ。
眼下に広がるミニチュアの街並みに、なぜ見てしまったのかと自分の愚かな行動を後悔する。
グラーレは結構なお値段を支払って都会を見下ろす、なんとかタワーの展望台もビックリな高度にあっさりと到達していた。私の頭は恐怖でクラリとする。
上から見ても貴族の街は整っていて綺麗だなぁー、それに比べて向こうに見える平民の街は、道が曲がりくねって、ごちゃごちゃしてみえるなぁー、面白くて私は好きだけど。麻痺した頭は現実逃避をはじめた。
「北東で間違いないか!?」
もう一頭のグラーレに跨りながら隣で同じように空へと上昇するアルトレックスが、翼の音に負けない大声で黒猫に尋ねる。
私のコートの胸元からヒョッコリと顔を出している黒猫がコクンと頷くのを確認すると、右手を伸ばしグラーレの頭をサラリとひと撫でしてから背中をピッと伸ばす。
「北東へ!」
アルトレックスの声とともにピタリと上昇をやめた隣のグラーレは、バサリバサリと翼を羽ばたかせ、真っ直ぐ北東の空へ向かって飛び去っていく。
翼の先から揺らめいている赤いオーロラが、グラーレが颯爽と駆け抜けた軌道上に箒星のような真っ赤な尾を引いた。オレンジの夕空にピーッと真っ直ぐな赤線が走る。
「北東へ!」
続いてロンルカストの声が頭上から響いた。グラーレの上昇が止まる。
あ、私達もアルトレックスの後を追うんだ。アルトレックスが去っていったときのグラーレのスピードを思い出した私は、恐怖でギュッと目を瞑りながら、大きな風の抵抗で体を持っていかれないよう耐える準備をした。
「 うっ! ……あれ?」
耳元ではビュンビュンと風を切る音が聞こえている。でも、いつになっても身体にはなんの風も感じなかった。不思議に思い、そっと目を開ける。
グラーレは、凄い勢いでオレンジ色の空を駆け抜けていた。足元に見えていた城が遠くに見える。貴族の街の上をグングン移動していく。
「グラーレが守ってくれていますので、どんなに強風でも我々が不快に感じることはございません」
体にかかるはずの風の圧力を感じないことに首を傾げていると、後ろからロンルカストの声が降ってきた。原理は全く分からないが、グラーレのおかげ、ということで謎現象は解明される。
前を向くと、先に出発したアルトレックスがすぐ前を飛んでいた。
私達が追いついたのか、それともアルトレックスが速度を落として待っていてくれたのだろうか。
燃えるような翼から赤いオーロラを残しながら羽ばたくアルトレックスと彼のグラーレは、まるで真っ赤な彗星のようだ。前世でこの光景を下から見たら、隕石でも降ってきたのかと思うだろう。
少し余裕が出てきた私はチラリと後ろを振り返る。私達の通ってきた空には、黄緑と深緑と金色が混ざったオーロラができていた。
横でバサリバサリと揺らめく緑のグラデーションが美しいグラーレの翼にも、数秒に1度イルミネーションのように金色の波が走っている。とても綺麗だ。
やっと空のお散歩を楽しむことができるようになった私は、胸元で目を細めている黒猫に話しかける。
寝たフリをしても耳がピクピクと動いているので、起きていることは分かっているのだ。
「そういえば、朝言っていたレオルフェスティーノ様にもらった対価ってなんだったの?」
「それは、無粋な質問だね。僕、縛られるのは嫌いだけど、契約違反はもっと嫌い」
「契約?」
「そう。ねぇ、今から取りに行くけど、貴族はどうして杖を使うか知ってる?」
「うん、この前セルーニに教えてもらったから知ってるよ。杖は、魔力を扱いやすくするための補助具で、魔力をつかって開ける扉のドアノブの役割をしてくれるんでしょ? 杖なしだと、ドアノブが無いからその扉を蹴破ることになるって聞いたよ」
「乱暴な例えだけど、うん、間違ってはないかな。そして僕らはね、その扉をドアノブなしでも、直接手で押して開ける権利を持ってるんだよ。まぁ、君たちは忘れてるみたいだけど」
クルリと振り返り、私を金色のまん丸な目で見上げた黒猫は、コートからピョコンと出した右前脚をテチテチと舐めだした。
黒い前脚から覗くピンク色の肉球は柔らかそうだ。くっ、私も触ってプニプニしたい。
「そうなんだ。じゃぁ、黒猫ちゃんは扉を開け放題だね」
「そう簡単なことじゃない。か弱い僕らにその扉は重すぎるんだ。鍵はあいているのに、扉には触れているのに、いくら押しても向こうの部屋に行くことができない。ほんと、憎らしいくらい良くできてるよね?」
「うーん、確かにそれは、すごくもどかしいね。レオルフェスティーノ様は、その扉を一緒に押す手伝いをしてくれたってこと?」
「彼との共同作業だなんて、本当はごめんだよ。でも、あれの力を僕が借りれば簡単に扉が開く。まだ開けてないけど、扉の先の部屋は彼も見たい景色なんだろうね」
「やっぱり、黒猫ちゃんはレオルフェスティーノ様のこと、嫌いなんだ?」
「そりゃあそうさ、あんなの食べたら、お腹壊しちゃうよ。嫌だけど、今回は利害が一致しただけ、今日の杖結びで借りも返せるし」
前脚をコートの中に引っ込めると、ベーッと小さな赤い舌を突き出して黒猫は渋い顔をした。
むーん、なるほど。レオ様は黒猫と魔力の裏取引のようなことをして、お互いの望みを叶えようとしている。
レオ様の対価は魔力で、黒猫の対価は杖結びの協力、黒猫が魔力を使ってやりたいことは、レオ様にとってもメリットがあるって話だね。
貸し借りが嫌な黒猫を宥めるために、私の杖結びを利用したってことか、なんかいいように使われてる気がするなぁ。
あと、コソコソ裏取引なんかして、レオ様の悪徳代官感が凄い。扉を開いた先の部屋で一体何を企んでいるんだろう?
「そうだよね。あの人、怖いもんね」
「怖い? ……クスクス。やっぱり君は面白いね」
「え、だって、いつも怒ってて怖いでしょう? 私、何か変なこと言った?」
「ねぇ、自分の尻尾を追いかけてクルクル回るのと、尻尾がある事すら知らないのは、どっちが幸せだと思う?」
「 ……。それって、私は気が付いてさえいないことが、沢山あるって言いたいの?」
「クスクス……。これは分かるんだ。安全なそのカゴの中が気に入っているのなら、僕は置物に戻るよ」
「むぅー。意地悪しないで、答えを教えてよ」
「分からない事すら気がつかせてあげない彼らに比べたら、僕は本当に親切の塊だと思うな。まぁ、森の中の花が薬草園のそれに比べて幸せかどうかなんて、僕は知らないけどね。群がる蝶たちにしてみたら、どちらの蜜だって同じ味だろうし」
「うぅーー。急にそんなこと言われても、何を考えていいのかすら分からないよ」
「かなり来たが、方向はまだこのままでいいのか!?」
「鐘が鳴っちゃった、残念だったね。 うーん、もう少し。匂いはだいぶ近いよ」
アルトレックスの行き先を確認する大きな声で、黒猫講座は終わりを告げた。
黒猫はコートの中に頭を引っ込めてモゾモゾと動いている。これ以上教えてくれる気は無さそうだ。ぴょこぴょこと動く、耳の先だけが見えていている。
周りを見ると、いつのまにか街の明かりは遥か遠くに消え去り、私たちは鬱蒼とした森の上を飛んでいた。
空に残ったオレンジの色も、徐々に暗い闇夜に侵され始めてる。
私はタイミングの悪いアルトレックスをちょっとだけ恨みながら、難しい黒猫の言葉を思い出してうーんうーんと、頭を捻ったのだった。
お読みいただきありがとうございます。




