黒猫の言葉
「るるーん、るるぅー 」
久しぶりに会った薬屋のみんなや常連さん達との会話を思い出し、鼻歌を歌いながら起床した。昨日は楽しかったなぁ。
ベッドに腰掛け、起床の合図のため花瓶に手を伸ばそうとすると、モゾモゾとシーツの膨らみが動き出す。
あ、今日は来てたんだ。疲れて熟睡してたから、気が付かなかった。夜中に蹴飛ばしたりしてないといいけど。
蛇行しながら移動する膨らみを見守り、辿り着いたシーツの端から、のそりと顔を出した黒猫に声をかける。
「おはよう、黒猫ちゃん。今日もお花いる?」
「くわぁーあ。うん」
「いつものやつでいいよね? るるるーん」
私が差し出した、猫じゃらしに似た赤い花をパクリと咥えた黒猫は、いつもならばサッサと部屋を出ていくのに、珍しくベッドの上から動かなかった。
一旦咥えた花を離してシーツの上に置き、フンフンと匂いを嗅いでいる。
「昨日は楽しかったみたいだね。ミアは、平民の街が好きなんだ」
「うん、あそこには私の大切な人たちがいるから」
「そっか。あっちへ戻りたいの? ここは嫌い?」
「それは…… 」
突然、芯を突くような質問をされて言葉に詰まる。
戻りたいけど、戻れないんだよ。言いかけた自分の言葉に、ずきんと心が痛んだ。
言葉が出てこない私の代わりに、黒猫が口を開く。
「本当はあっちに行きたいのに、嫌々ここにいるんだ?」
「うぅん、ここも嫌いじゃないよ。ロンルカストやセルーニだっていてくれるし」
「あぁ、ミアは彼らのためにここにいるんだね」
ジッと私を見つめる金色の瞳に、居心地が悪くてソワソワと足を動かした。なんだか心を見透かされているような気持ちになる。
「そういうわけじゃないけど……。でも、自分ではどうしようもないことだって、あるでしょ?」
「そうかな? 僕の足は僕の行きたいと思う方向へ歩くし、疲れた時に眠りたいと思う場所だって、ちゃんと分かってるよ」
「私だって……私だって、本当はそうしたいよ。けど、我慢しなきゃいけない時もあるっていうか」
「でもとかけどとか、ミアは、本当は自分がどこへ行きたいのか、分からないんだ? 」
質問にうまく答えられない私は、シーツの皺に目を落とす。
なんだか今日の黒猫は、いつもよりも意地悪だ。
流れに任せて、無意識に考えないようにしていたことが、黒猫に見つめられて顕になっていった。
ここに来てからずっと、私を形つくる核の部分がふわふわしている気がする。
私は、何処へ行きたいんだろう。何処へ、向かうべきなんだろう。怖い。この先を考えるのが、すごく怖いよ。
「ふわぁーあ。ミアは、ちゃんと自分の巣を決めなきゃいけないね」
「私の巣? そういう黒猫ちゃんにはあるの?」
「僕は僕のあり方に忠実なんだ。自分の歩く道も休む木陰も決めてるよ、ミアと違ってね」
苦しくなって質問返しをすると、黒猫は当たり前のように答えた。目を背け続けてきた問題を、否応もなく突きつけられる。
私は、私の居たい場所、進みたい方向について、考えなければならない。
今は、ディーフェニーラ様からポメラアロマ製作を受けているという大義名分があるから、何も考えずに毎日の作業に邁進できている。でも、それが終わったら? 春の社交界に必要な分のアロマを、作り終わってしまったら?
ディーフェニーラ様から用済みとなった私は、どうしたらいいのだろうか。レオ様から受けている書類仕事だって、いつなくなるか分からない。
貴族として、私がここにいる意味、ここにいていい理由が見つからない。
淡々と貴族としての教養を身につける毎日が続くのかもしれない。
その時私は、何を目標にどうモチベーションを保って生きていけばいいの? 分からない。けれども、ぐらついた足元のまま進めるほど、貴族社会は甘くはないだろう。
「クスクス…… 人間って不思議だね。やっぱり、足は4本ないと不便なのかな? 」
黙り込んだ私にそう言い残すと、黒猫は赤い花を咥えてテトテトと部屋を出て行った。
ぐるぐると回る答えの出ない思考に、嵌って抜け出せない。
梅雨の低気圧が続く6月のように、私の頭の奥では鈍い痛みが響き、霞がかかっていた。
朝の支度を手伝いに来たセルーニや、朝食を食べ終え1日の予定を伝えに来たロンルカストに心配をかけないように、なんとか笑顔を作る。
いつも通りにしようとすればするほど、心の奥では不安とモヤモヤの濃度が上がっていった。
貴族としての、私の存在意義って何? 平民の街へ戻りたい。でも、戻れるの?
それに、ロンルカストやセルーニを置いていくことなんて出来ない。でも、ここでこれからもずっと貴族としてやっていく自信なんて、もっとないかもしれない。
午前中の座学が終わり、ポメラ採取に向かう。薬草園に行くと聞き、ウキウキでついてきた黒猫とは対照的に私の心は重い。
外に出れば、少しは気分転換になると思ったのにな。
ちっとも晴れない気分のまま、クネクネと踊るように動いている黒猫の尻尾を見つめ、ため息を吐いた。
「まぁ、端ないこと。獣を連れているわ」
「クスクス…… トレナーセンでは、嗜みのひとつかもしれなくってよ?」
薬草園の手前で、貴族達とすれ違う。
わざとらしい中傷の声が聞こえた。はぁ、家から薬草園までの短い距離で、貴族と会うなんて、今日はついてないよ。
チラリと横のロンルカストを見ると、微かだが辛そうな顔をしていた。
いくら気にしていないと言っても、ロンルカストは私が誹謗を受けるたびに悔しそうな顔をする。
不甲斐ない主で、申し訳ないな。
私がもっと貴族としての気品や常識を持っていれさえすれば、嫌がらせを受けることはなかったし、ロンルカストもこんな思いをする必要がなかったはずだ。
あぁ、もしかしたらロンルカストも、嫌々私に仕えているのかもしれない。そうだよね。平民の主なんて、嫌に決まってる。
もっとちゃんとした、本当の貴族の元で仕えたいよね。
「ごめんなさい、ロンルカスト」
「何か仰いましたか?」
「いえ、なんでもないのです」
つい呟きが漏れてしまった。
いけない、いけない。ポッケの膨らみをそっと抑えながら、なんとか笑顔で誤魔化した。
「あぁー、いい香り」
黒猫は、薬草園に着くなりポメラの木の下で丸くなり、プスプスと満足そうな顔で寝息を立て始める。
薬草園に来たがっていたから、てっきり花を愛でるのかと思っていたが、即行でお昼寝をするとは、情緒があるのかないのか分からない。
そんな黒猫を見ながら、曇り空の心を抱えた私は無言で採取を行う。口を開くと、言ってはいけない言葉が出そうで怖かった。
考えごとをしていて上の空だったせいか、1日が終わるのが早い。気がつくと日が暮れ始めていた。
「答えは、出たの?」
オレンジ色の空さえも、そう私を責めているように感じた。
ここでプロポーズをしていたあのカップルは、この夕日がどれだけ美しく見えたのだろうか。
同じ場所から見る景色のはずなのに、私は憂鬱さに押し潰されそうになりなら、帰路についた。
夕食をとり、お風呂へ入る。
寝室に行く前に、廊下でロンルカストに呼び止められた。
「ミアーレア様、少々お時間をいただきたく存じます」
「あらたまってどうしたのですか?」
「今朝から、ご気分が優れないように見受けられます。ピラフィティーリのお相手で、まだお疲れが残っているのではないでしょうか? 明日の予定の調整が必要かと思いまして」
「あっ、いえ、心配かけてごめんなさい、ロンルカスト。……そういうわけではないのです」
「では、昨日の平民の街への外出が、お体にご負担でしたか?」
「それは違いますっ! 全然負担じゃなかったし、私は元気です。ちょっと、考えごとをしていただけですから」
「少々、お言葉が乱れていらっしゃいますね。では、工房で私がコートを取りに向かった際に受け取られた品が、原因でしょうか?」
「えっ、あ、どうしてそれを?」
「お答えいただきたく存じます」
そうだった。ロンルカストは、背中にも目がついているんだった。自分の浅はかな行動に後悔してももう遅い。どう、惚ければいい? どう言い逃れすればいい?
どうしよう、どうしようと、目を彷徨わせた末、ロンルカストの視線の先に気づきハッとした私は俯いた。
ロンルカストが見ている、自分の右ポッケの膨らみが目に入る。
今日一日、何度もこのポッケを気にして視線を向けてしまっていた。そのことにロンルカストが気付かないはずがなかったのだ。
もう逃げ切れないと悟る。もう、どうにでもなれ! 私は覚悟を決めて、ギュッと拳を握った。
スンッと息を吸い込み、固く握った右手をポッケに入れる。
カサリと手の甲に当たった小さな包みを掴み、ゆっくりと取り出した。
両手で持ち直し、おずおずとロンルカストに向かって差し出す。
「内緒にしてごめんなさい。工房で、こっそりロンルカストにプレゼントを作ってもらったのです」
「私に、ですか?」
カサリカサリと包みを開く、ロンルカストの手元が見える。
包みの中から、緑色のブローチが出てきた。
バレッタのようになっていて、パチンと何かを挟むことができる。ザリックさん、渾身の出来だ。
「えっと、このブローチの内側は服にペタッと貼りつくのです。でも、水につければ、簡単に剥がせて後も残らない不思議素材だそうです。名前は忘れましたが、何とかの木の樹液を加工したものだとか。ポッケのないロンルカストも、シャーラムを身につけられるようにと思って」
ロンルカストの反応を見るのが怖くて、下を向いたまま早口で説明をする。声が微かに震えた。
セルーニにシャーラムの花を渡してお揃いの鳥花コーデを楽しんだ日、ロンルカストにも渡そうとしたら、また今度と断られてしまった。
でも、それだとロンルカストだけ仲間外れみたいで嫌だったし、折角だから3人お揃いで身につけたいなと思ったのだ。
セルーニが喜んでいたから、お花を渡すことは変なことじゃないと分かった。
日頃の感謝を込めて、ロンルカストに何かを渡したいという思いがあったというのも嘘じゃない。
でもエプロンのセルーニと違い、側近服にはポッケがない。
髪につけるのはどうかと提案したら、当たり前だが嫌そうだった。
それで先週、スラ時計を工房で注文した時に、ロンルカストもシャーラムをつけれるようにと考えたこのブローチを、ザリックさんにスラ時計と一緒に発注して、お願いしたのだ。
「 ……。 」
「 ……。 」
一息で説明を終えたが、ロンルカストの反応を見る勇気がない。
ちょっとしたサプライズプレゼントのつもりで考え、昨日ザリックさんから受け取ったこのブローチ。
事の経緯を知っているザリックさんには、「喜んでもらえるといいな!」とニヤリとしながら背中をポンポンされ、私も昨夜はロンルカストにいつ渡そうかとウキウキしていた。
でも、今日1日ずっとポッケにいれて持っていたけれど、ついに自分からは渡せなかった。
だって、ロンルカストには、私よりも相応しい主がいるんじゃないかって、思ってしまったから。
私なんかから、こんな玩具みたいなものもらっても嬉しくないし、困らせるだけなんじゃないかって思ってしまったから。
私にこれを渡す権利なんかない気がした。
イベントでもらった風船の末路のように、私の心は萎んでいる。そんな状態で、ポッケからこのブローチを出すことなど、出来なかったのだ。
「 ……。」
「 ……。」
お互いに無言の時が続いた。やっぱり、困らせちゃったよね。
「あの、ロンルカスト。嫌だったら無理して…… 」
無理してつけなくてもいいよ、と言いかけた私の声は不自然に止まった。
ポトリと、ブローチの包み紙に落ちた一粒の滴が私の目に映ったからだ。驚いて、俯いていた顔を上げる。
ブローチを見つめるロンルカストの瞳から一粒、また一粒と静かに滴が溢れ、頬を伝って今度は廊下に落ちた。
「え!? あ、ロンルカスト! どうしたのですか!?」
「も、申し訳ございません。嬉しくてつい 」
呆気に取られる私に、ブローチを大切そうに胸の前で握りしめたロンルカストは言葉を続けた。
「私は、ミアーレア様にお仕えすることができて、幸せでございます」
「え? わ、私なんか、いつもロンルカストに迷惑をかけてばかりで――」
「いいえ。そのようなことはございません。これからも、心を尽くしてお仕えしたく存じます」
ふわりと笑うロンルカストからは、嘘偽りは全く感じられなかった。
「あぁ、ミアは彼らのためにここにいるんだね」
なぜか、今朝黒猫に言われた言葉が胸の奥で反芻した。
自分の心とロンルカストから受け取った気持ちの差に折り合いがつかなくなった私は、どうしたらいいのか分からない。チクリと、小さな灰色の痛みを覚えたのだった。
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1話に纏めたかったため、すこし長くなってしまいました。ご容赦頂ければと思います。
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