閑話10 ある東の離れ第一側近の平穏(前)
「はぁ。セルーニに嫉妬するなど、いったい私は何をしているのか……」
街名の暗記に悪戦苦闘しているミアーレア様に聞こえないように小さく呟き、溜息を吐く。先程は柄にもなく、感情的になってしまった。
ミアーレア様が胸に挿している花には、見覚えがある。
昨日、セルーニが「お願いがあります」と、意を決したような顔で頼みに来た。
何事かと思えば、シャーラムという花が摘みたいのだという。
私は、契約した家から自由に外へ出ることが出来ないセルーニが、門の近くに生えているシャーラムを摘めるように、手助けをしたのだ。
無事に取れたシャーラムを両手に抱えながら、セルーニは、明日の起床の合図用に使うのだと、嬉しそうに言って二階の寝室へと運んでいた。
昨夜ベッドの横に生けられたシャーラムは、一晩かけて近くで就寝されていたミアーレア様の魔力を、たっぷりと蓄えただろう。
その魔力を含んだ花弁で、音泣きの魔術具を鳴らし、契約により家と繋がっているセルーニに自身が起床したことを伝えるのだ。だがまさか、そのシャーラムをセルーニに渡すとは、はぁ。
「ミアーレア様は、シャーラムを渡す意味をご存じないのです。そんなことは、セルーニもわかっているはず。私も頭ではそう、理解しているのですが…… 」
家仕えは、仕える家と契約を結ぶ際に、多くの制約を課される。
これは、否が応でも深く関わってしまう家の秘密を、他の者に不用意に漏らさないようにする為と、立場的に迫害されることが多い、家仕えを逃げられなくするためだ。
彼女達はある意味、契約した家に縛られて生きているとも言える。
そして、主が側近に自分の魔力を渡すという事は、彼らを認めた、ということを意味する。滅多にない名誉なことだ。
ミアーレア様は、それを自身の魔力を宿したシャーラムを贈与するという形で、知らないとはいえ、事も無げに執り行った。
魔力贈与は、第一側近でさえ、ほとんど受けることのない誉れである。
ましてや、側近でもない家仕えが魔力を受けるなど、聞いた事がない。前代未聞だ。
最悪、交わした契約の縛りが緩み、家支えがその家から逃げ出してしまう可能性だってある。とても、危険な行為だ。
「むむぅー…… ロンルカスト。街の名前が覚えやすくなるような、なにか法則のようなものは、無いのですか?」
「そうですね。何度も反復して、覚えることをお勧めいたします」
「うっ。ロンルカストの笑顔が、なんだか黒く見えるのですが……?」
「本日は陰の日でございますから、スコダーティオの足音も、近いのかもしれませんね」
「貴族的な言い回しは、難しくてよく分からないのです…… 」
ぶつぶつ言いながら街名の暗記に努めるミアーレア様を見て反省する。
またやってしまった。
少し、頭を冷やさねばならないな。
ミアーレア様は、魔力を渡す意味を理解されていないのだ。
今朝も、ただ可愛いという理由でセルーニに花を渡しただけに違いない。気が向いただけ。そこに、深い意味などなにもないのだ。
「ロンルカストの服には、花を挿すポッケがないですね。うーん。頭につけますか?」
先ほど言われた言葉が、頭をよぎる。
胸の内側を、ジリジリと低温で焼かれるような痛みを覚えた。
ミアーレア様は、ほんのついでのように、サラッと私にも魔力を渡すと告げられた。
知らないとはいえ、名誉ある自身の魔力贈与を、会話の流れで軽く行おうとした意識の低さを、問題にしているのではない。
まさかの、家仕えに先を越されたという事実。
まるで、セルーニのおまけのような扱い。
側近としてのプライドが、傷つかないわけがなかった。
やり場のない哀情と、嫉妬心に駆られる。耐え難いその感情を晴らすために、ミアーレア様に苦手とされている、地理の勉強を押し付けてしまった。
いやいや、街名と貴族名の勉強は大事だ。
決して、報復などではない。
ただでさえ、トレナーセン出身というハンデを持っていらっしゃるのだ。
相手に付け入る隙を与えないためにも、この分野は、完璧にしておかなければならない。
私は、言い訳のように自分に言い聞かせ、静かに深呼吸をして、ざわめく心の内を落ち着かせた。そして、気持ちを切り替える。
「ミアーレア様、私は少々、席をはずして参ります」
「 ……。 そう言って、ロンルカストは時々外へ行きますが、何をしているのですか? 自分だけ、こっそりと休憩をしてるのではないですか?」
暗記するまで、机から離れられないミアーレア様は、頬を膨らませ、恨めしそうに青と紫色の混ざった瞳でこちらを見上げる。
「はい、今度の外出のための、手配などをおこなって参ります。ミアーレア様、もしや今度の月の日の外出準備は、不要でしたでしょうか?」
「ふっ、不要ではありません! 平民街への外出準備は、とても大事な用事です! ゆっくりと、いってらっしゃいませ!」
ふむ、私は今度の外出のための手配が、月の日のものだとは言っていない。平民街への外出準備は既に済ませてある。
ミアーレア様は、この練習も必要ですね。
私は座学の勉強リストの後半に、言葉の裏を読むという項目を付け加えた。
「ご理解いただき、ありがとう存じます。帰宅後は、そうですね。フィエスリント家から、ブロンキール家が治める区域分の確認を致しましょう」
「き、北の方は、まだ手が回ってないのですが…… 」
「トレナーセンのご出身のミアーレア様が、北の区域に疎いはずがございません。では、行って参ります。四の鐘までには、戻りますので」
「うぅーーー…… 」
ミアーレア様は、小さく唸り声をあげて、机に突っ伏した。太陽色の髪が、サラサラと机に流れる。
しかし、すぐにバッと顔を上げると、机にかじりつくようにして、勉強を再開しはじめた。
熱心に暗記に努める姿に満足した私は、そっと部屋を出て玄関に向かう。
途中で、廊下の掃除をしているセルーニとすれ違った。
彼女の杖に合わせ、モップやスポンジが踊るように床を磨いている。
エプロンのポケットから、チラリと覗くシャーラムが見えた。
チクリと痛んだ心に、気づかない振りをして、通り過ぎる。
「はぁ、 いつまでも気にしていたって仕方がないのに。セルーニは、魔力贈与を受けても、この家を出る素振りを見せなかった。ミアーレア様への忠誠心が分かり、良かったではないですか」
自分に言い聞かせるように、ゆっくりと呟く。
私は頭を左右にふり、気持ちを切り替えた。
それにしても、セルーニがこんなに優秀な家仕えだったとは意外だ。
オルドグリクの家に仕えたものは、使い潰されてしまうので期待していなかったのですが、嬉しい誤算ですね。
こちらに押し付けてきたベルセ様も、さぞ思惑違いのことでしょう。
ククっと漏れ出てしまう声を抑えつつ、私は演習場へと向かった。
騎士団用に作られた、演習場に着く。
いつもは屈強な騎士達の、掛け声と男臭さが満ちているが、今日は練習が休みの日なので、閑散としている。
ガランとした広い敷地の中、紫紺色の髪を揺らしながら、一身に剣を振るう人影を見つけ、声をかけた。
「アルトレックスではないですか。 休みの日も剣の鍛錬とは、頭が下がりますね」
「見えすいた事を言うな、ロンルカスト。私がこの時間ここにいると知っていて、来たのだろう?」
「貴方と会うために、陰の日にわざわざ私が出歩くと?」
練習の手を止めたアルトレックスは、右手で振っていた大剣を地面に突き刺すと、左手で額の汗を拭った。
赤い瞳を細めながら、訝しげな視線を私に投げかける。
狐疑の皺を眉間に浮かべる彼を、軽口でいなしながら、ここからが本番だと、私は気を引き締めたのだった。
どこかの真っ黒な側近と違い、ロンルカストは青いです。もちろん、髪色の話しです。
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