座学の講義
いやいや! 逆にいえば今日、明日と明後日の三日間は、冷徹貴族と会わなくていいんだ! うん、そうだよ! やったね!
無理やり思考をポジティブに切り替えた私は、カップの中に残った味のしない紅茶をグイッと飲み干した。
意気揚々と3杯目を継ぎ足そうとやってきたティーポットから、守るように手でカップを覆い隠し、おかわりを注ぎ足されないようにする。
ティーポットはカップの周りをフヨフヨと彷徨っていたが、暫くすると諦めてテーブルに降りた。
コンッコンッと小さく硬い音を立てながらジャンプして元の位置に戻ると、プイッと横を向く。
「ごめんね」
ツンツンつついてみたが、さらにクルリと回りお尻を向けられてしまった。完全に拗ねたようだ。
私はチャプチャプのお腹をさすりながら、ティーポットと遊んでいる私に苦笑気味のロンルカストに返事をする。
「分かりました。東の塔への謁見は3日後ですね」
「ご理解いただき、ありがとう存じます」
朝食を終えた私は、部屋と気持ちを切り替えて午前中の授業に精を出した。
初めてのお勉強は、曜日にまつわる7柱の精霊の名前と付随する意味。講師はご存知、ロンルカストだ。
「 ……続いて、陽の精霊の名は、イリスフォーシアでございます。日の出から日没までを司り我々を見守る精霊です。意味としては、基本的には挨拶や、物事が円滑に進んでいる様を表します」
説明を聞きながら、私は先日のロンルカストとの会話を思い出す。
私が、貴族になるのを嫌がって、このまま平民街に隠れ続けたらどうなるのか?と、聞いた時のことだ。
私からの問いにロンルカストは“イリスフォーシアの光は、平等に満ちております”と答えた。
あの時は、はっきりとした意味は分からないながらも、私はロンルカストの少し険しくなった表情や目つきなどの雰囲気から、その言葉を“逃げ切れると思うな”と、受け取った。
今の説明を聞くに、あながち間違いではなかったようだ。
今、勉強した事を踏まえて考えると、「お天道様は見てるよ。 悪いことは出来ない、絶対にバレるよ」という軽い脅しだったのだろう。
陽の精霊はイリスフォーシア。
基本的には穏便に挨拶などに使う、基本的ではない時は脅しや牽制に使う。
私はふむふむと唸りながら、羊皮紙に書きつけた。
7柱の精霊の名前と、意味、精霊の名前を用いた貴族的な挨拶や退出の仕方などを、なんとか頭に詰め込んだ。
だが、一旦は覚えたものの精霊の名前はどれも長く似通っている。
一晩寝て明日になれば、綺麗さっぱり抜けてしまいそうだ。
しかも、今日覚えたのは代表的な精霊の名前であり、彼らの眷族や一匹狼的なのを含めると、もっと沢山の精霊がいるて、全ての物事には、精霊達の力が影響しているらしい。
自然現象や森羅万象に神を感じる日本人の精神、神道に通じるものがあると思った。
膨大な数の精霊達の長々しい横文字の名前を、ゆくゆくは覚えなければならないというプレッシャーと、ついさっき覚えたはずの名前が混ざり合い、イリスフォーシアだかセリノーフォスだか、セリスフォーシアだか、私の頭がこんがらがって火を噴きそうになった頃、ようやく四の鐘がなる。
「今日のこの一度でご無理をなさる必要はございません。これから何度も反復して、ゆっくりと覚えていきましょう」
ロンルカストの締めの言葉と共に、座学の時間は終わった。
机に座ってメモをとっていただけなのに、ひどく消耗した気分だ。
再び大きなテーブルのある部屋に戻り、昼食を取る。
今度は、深めのお皿に入った、ショートパスタスープのようなものが出てきた。
スープには刻まれた野菜が入っていて、お皿をカラフルに彩っている。
大きなスプーンで掬って、スープごとパスタを口に含んだ。
シャキシャキとした野菜の歯応えと、柔らかいパスタとの食感の対比、そして甘みのあるスープが美味しくてあっという間に食べ終えてしまった。
食後に紅茶が欲しくなったが、さっき機嫌を損ねてしまったティーポットは、そっぽを向いたままで動く気配はない。
「さっきは、ごめんね。また美味しい紅茶が飲みたいな」
そう言いながらツンツンとつつき、そっとティーカップを近づけてみる。
ティーポットは、「全く、仕方がないなぁ」とでも言いたげに2度ほどフルフルと震えた後、フワリと浮き上がった。
良い香りの湯気をたてながら、トクトクとカップに紅茶を注ぐ。
上機嫌で元の位置に戻っていく様子を見るに、和解は成立したようだ。良かった良かった。
「はぁー、美味しかった。でも、こんなに美味しいものばかり食べていたら、太ってしまいそうですね」
コクリと紅茶を飲んで一息ついた後、劇的に改善した食事事情と、平民街ではありえないクオリティーに、贅沢しすぎな罪悪感を覚え、つい呟いてしまった。
別部屋で先に昼食を食べ終え、戻ってきたロンルカストが笑顔で答える。
「午後にはたっぷりと魔力を使いますので、ご心配なさらずとも大丈夫かと思いますよ」
「え、魔力? あっ、その事で聞きたかったのです! あの、私、魔力があるのでしょうか? さっきセルーニには、あると言われたのですが…… その、ほら、魔力は貴族しか持っていないのでしょう?」
最後の方はなんとなく小声になってしまった。
ロンルカストは一瞬キョトンとした後、近づいてきて屈むと、小声ながらも優しい声色で話す。
「はい、ミアーレア様は魔力をお持ちです。とても稀な事ですが、平民も魔力を持つことがあるのです」
「それは、本当ですか? 私、今まで自分が魔力を持ってると思ったことなどないのですが。ロンルカストのように水も出せませんし、セルーニのように物も浮かせませんよ?」
「ミアーレア様が魔力をお持ちなことは私が確認しております。ご安心ください。そうですね、座学が終わってからと思っておりましたが、近いうちに杖結びを行いましょう」
「杖結び?」
「さようでございます。杖結びとは、杖を作るための枝を探す儀式です。はっきりとご自身の魔力の形が見えるので、ミアーレア様も安心なされるかと存じます」
「えっと、私が、自分の杖を作るのですか?」
「はい。ミアーレア様も、いずれ貴族としての務めを行なっていただくことになります。その時に必要なものです。杖は魔力を扱いやすくするための触媒であり、同時に貴族としての証でもあるのです」
杖、そして貴族としての務め。
ロンルカストの言葉が頭の中で響いた。
さっき食べたパスタが、お腹の中で重量を増したように感じる。
ただより怖いものはない。
美味しいお料理も、この大きな家も、私へのサポートも、無償で提供されているわけではないのだ。
当たり前のことだ。当たり前のことなのだが、私は既に受け取ってしまっている、そしてこれからも受け取り続けるしかない私への待遇に対する、それなりの見返りを支払わなければならない。
貴族として、これから私がどのようにして対価としての負債を返していけばいいのかが見当もつかなくて、恐ろしく感じた。
無理やりこの社会に入ってきたせいで、人より背中に背負う負債の量は多いかもしれない。
だが私には、回避する術も、後ろ盾もツテもない。
覚悟して貴族社会に足を踏み入れたものの、知らず知らずのうちに貴族という未知の穴の深淵に足をかけてしまっていることを実感し、漠然とした不安の中、私は小さく身震いをしたのだった。
ロンルカストは子どもを嗜めるつもりで、イリスフォーシアの例えを用いましたが、ミアは脅しと捉えています。
同じ言葉でも、受け取り方によって感じるものは違うようです。
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