閑話9 ある出稼ぎ労働者の平穏(後)
ギシッ…… ギシッ……
「ん? ……なんだ?」
ベッドの揺れと、軋む音で目が覚める。
「母さんっ! 何してるんだ!! ノールから、手をっ! 離せっ!」
暗闇に慣れてきた目が捉えた光景に、寝起きであまり動いていなかった俺の頭は、突然鈍器で殴られたかのような衝撃を受ける。
寝ているノールの上に、覆いかぶさるように馬乗りになった母さんの両手は、ギリギリとノールの首を締めていた。
ビクンッ、ビクンッ、と、ノールの身体が痙攣する。その振動で、ギシッ、ギシッ、とベッドが揺れた。
「止めろっ! 母さんっ!!」
ノールの首から母さんの手を必死で引き離そうとするが、まるで固まっているかのように、母さんの手は動かない。
ノールが! ノールを助けないと!!
全身の血が冷え渡って動悸が高まる。パニックで押しつぶされた心とは反対に、頭だけは不思議なほど冷静になった俺は、昨夜腰につけたまま寝てしまっていた剣の鞘に手をかけた。
何をすればいいか、何をすべきかは分かっていた。
躊躇いもせずに右手で柄を握り、横に振り抜く。
ドサリッ
重さを感じさせる音をたてながら、母さんの首は、あっけなく動体と離れ、ベッドに落ちた。
続いて倒れてきた母であった体をどけると、ノールに手を伸ばす。
「ノール! ノール!! 返事をしてくれっ!! 」
腫れ上がり鬱血した顔、首元にくっきりと残る手の跡、苦悶に満ちた表情をしたノールは、何も答えなかった。
「そんな…… そんな…… おれはっ!!!」
堪えきれなくなった俺は、家を飛び出した。
走る……
走る……
……どこへ?
うるさいっ、 どこだっていい
とにかく、 とにかく遠くへ……
自分の家を飛び出した俺は、がむしゃらに走った。
村の反対側まで行くと、魔や害獣避けに作られた柵にもたれかかり、天を仰ぐ。
「はぁっ…… はぁっ…… 」
満月が目に入った。
……俺は、母親に手をかけてしまった。
月はギラギラと輝き、辺りは夜なのに明るい。
母親の返り血を浴びた俺の姿は、遠目からでも良く見えるだろう。
……俺は、目の前で殺される妹を、助けてやれなかった。
月明かりに照らされ、自分の罪が曝け出されているような気持ちになる。
まるで泥を飲み込んでいるようだ。
喉や腹に、気持ちの悪い感触が続いている。
「うっ…… おぇっ…… ぐっ…… 」
ビチャっと嫌な臭いのする酸っぱい液体を嘔吐く。 喉が焼けるようにヒリヒリと痛んだ。
不安な気持ちを隠すように、チッと小さく舌打ちをして口元を拭う。
村の外に行くか?
……いや、流石に夜1人で、隣村まで行くのは危ない。
それに着の身着のままで出てきてしまった。
武器や日銭すらも何も持っていないが、あの家に帰る根性もない。
「くそっ、なんでなんだよっ! 」
ムシャクシャする感情そのままに、寄りかかっていた柵を拳で殴った。
ボキリと、定期的に整備されることもなく、経年劣化した木の板は、鈍い音をたてて折れる。
「はぁっ…… はぁっ…… 」
古びた柵に八つ当たりをしたところで、気分が晴れることはなかった。
焦燥と苛立ちをぶつけるように、壊れた垣根をゲシゲシと蹴り、できたばかりの穴を広げる。
「はぁっ…… はぁっ… 」
2、3歩横にずれると、再び柵に背中を預け、そのままズリズリと座り込み、頭を抱えた。
ポツ…… ポツッ…… ポツッ……
どのくらいたっただろうか。肩に、冷たいものが当たり意識が浮上する。雨が降り出してきたようだ。
ポツッ……ポツッ……ポツッ……ポツッ……
雨粒の当たる間隔が、短くなってきた。本降りになる前に、屋根のあるところへ移動しなければ。そう思い、目をあげる。
目の前に立っていたのは、妹だった。
「 ……えっ? 」
さっき、死んだはずだ。俺の目の前で、たしかに殺されたはずだ。
じっと俺を見つめる、歳の離れた妹の亡霊。
地面に座り込んでいる俺を、ただただ静かに、見下ろしている。
「あ、 あ…… ノール…… なんで? 」
〝ノール〟と、名前を呼んだ瞬間、頭の中に、ある日の光景が蘇った。
俺の意識は、否が応もなく記憶の渦の中にズルズルと引き摺り込まれていく。
「うん、お兄ちゃん」
ノールの声が、頭に響く。傷だらけの体、栄養の行き届いていない妹の、細い手足。
いや、俺だって本当は、何も気づいていなかったわけじゃない。
出稼ぎから帰ってくるたびに増えるノールの生傷、痩せていく、体、時折奥の部屋に向ける怯えた瞳、そして母さんがノールに向ける感情。分かっていた。本当は、ずっと前から分かっていた。
「うん、お兄ちゃん」
再び、ノール声が響いた。
分かっていた。お前がその言葉をいう時は、何か隠し事をしている時だ。
でも…… 信じたくはなかった。
今だけだ。きっと母さんも、体調が良くなればこんな事、止めるはずだ。
きっと俺と同じようにノールのことも…… なんの根拠もないことを、俺は盲信した。
「うん、お兄ちゃん」
ノールの声が、響く。
やめてくれ! 分かっていたんだ!
ずっと前から、俺の目を盗んで母さんに暴力を受けていたことは!
分かっていた! 分かっていて俺は…… 見て見ぬ振りをしてきた。現実から、目を逸らしたかったんだ。
でも…… でも、しょうがないじゃないか。
俺は、俺はどうしようもなかったんだ! 親父がいなくなったこの家では、俺以外に稼げるやつがいるのか!? 危険な仕事場に、幼いノールを連れて行く訳にはいかないだろ!?
「うん、お兄ちゃん」
……分かっていていたんだ。 分かっていて、俺は…… 何もしなかった。
ノールが聞きたがったんじゃない。怪我の理由を聞くことを恐れ、わざと出稼ぎの話に、話題を摺り替えていたのは俺だ。
ただ甘えていたわけじゃない。異常なほど俺にくっついてきたり、行かないでと泣き叫び懇願する理由から、目を逸らし続けてきたのは俺だ。
母親からの攻撃に、拒否する術を持たないお前を守ることを、俺は選択できなかった。
母さんとお前の、どちらかを選ぶ決断を、俺はできなかった。
いつかきっと良くなる、こんな事、続くはずがない。そんな考えに、疑念を持つことをやめ、俺は見て見ぬ振りをし続けた。
「 ……お兄ちゃん。 ……ママは、どうして、ノールのことが、嫌い、なの? 」
ノールの言葉に、記憶の海を彷徨っていた俺の意識は、現実に引き戻された。顔を上げて、目の前のノールの亡霊を見る。
不自然なほど左に傾いた頭、半開きで涎を流すままにしている口元、縦に並んだ感情のない瞳。
体と頭を繋ぐ首にはガッチリと女性の手が巻きつき、その手は妹の後ろに立つ、首のない母さんの胴体へと繋がっている。
俺が見たノールの最後の姿、そのままだった。
「ノール……俺の、たった1人の、妹」
そうだ、俺は、結局、母さんと同じだった。
向き合うことを恐れて、ノールを守ってやれなかった。
苦痛に満ちた表情をしながら、頭のない母さんに首を締められ続けるノールは、その場からピクリともうごかなかった。
お前を殺してしまったのは、母さんじゃない。俺だ。
恐怖よりも早く、懺悔と後悔が溢れ出す。
「ごめん、ノール、馬鹿なお兄ちゃんでごめん…… お前を、ちゃんと愛してやれなくて、ごめんな…… 」
「◯◯◯⚪︎◯、◯◯◯◯◯」
ノールの口は動いていない。
だが、柵にもたれかかりへたり込む俺の頭には、その声がはっきりと聞こえた。
「……ノール?」
俺が手を伸ばすよりも先に、ノールの輪郭はぼやけ滲み、あっさりと雨の中に溶けていく。
また何もできなかった俺は、本降りになった雨に打たれながら、妹の居なくなった光景を、いつまでもぼんやりと見上げ続けることしか出来なかった。
できなかった後悔と、してしまった後悔は、どちらが辛いかなんて図れるものではないですが、どうしてあの時、、 と、悔やみ吐きそうになるこの気持ちは、何のために私たちに与えられたのでしょうか。
(急な哲学ヤメレ、と河野大臣より)
お読みいただきありがとうございます。
何度も何度も書き直したり、構成を変えてみたりと、わちゃわちゃしているうちに、シリアス展開に引っ張られて筆者もしっかりと鬱モードになっております。
少しでも続きが気になる、もしくは、自分で書いて自分で鬱とか、うけるんですけどー! と、流し目を送っていただけましたら、ブックマークや評価ポイントをいただきたく存じます。
次話は、セルーニに壁ドンです。
ほのぼのに戻ります。




