陽の精霊の奇跡
「イリスフォーシア様っ! どうかどうかそのお力をお貸しくださいっ! ここにいるみんなの命を助けるために、私の回復薬の力を高めていただきたいんですっ!」
輪郭を滲ませ始めたイリスフォーシアに向かってまさに神頼みの気持ちで叫ぶ。
彼女の力が薄れたことで、時間と共に止まっていた不安も動き出していた。人々の命が失われかけているという焦りや恐れが、一気に押し寄せる。
お願いします。みんなを助けてください。お願いします、お願いします、お願いします……後ろの光景が透けるほど薄くなったイリスフォーシアに必死で祈る。自然と両手を合わせていた。そんな私へ柔らかな声が響く。
「……そうね、貴方からは沢山受け取ったことだし、お礼をしなければいけないわね」
「たくさん受け取ったお礼、ですか?」
「えぇ。あの献上品にはあの子達もとても喜んでいたの。最近は彼女たちを呼べる人の子が減ってしまったから尚更ね。それに風の子や内の子との戯れも、楽しかったのではないかしら」
そう言ってイリスフォーシアはゆったりと空を見上げる。視線の先にいるのは蝶たちだ。ルディーが彼女たちを呼ぶ餌として空へ捧げたオレンジ色の花々の周りを楽しそうに飛び交っている。
私が沢山あげたもの? それに風の子や内の子って誰のことだろう?
一瞬、献上品ってこの花のことかなと思う私の頭に、蝶たちと遊んだ薬草園での一幕が浮かぶ。
そうか。沢山受け取ったとは、きっと蝶たちに餌やり感覚であげたあの焼き菓子のことだ。あれに含まれていた私の魔力が献上品扱いされたのだろう。
ロンルカストのお説教回避のために行ったことだったが、イリスフォーシアの言い方からすると彼女の眷属のピラフィティーリたちからは高評価だったようだ。
とすると風の子とは風魔法から生まれた使い魔であるフィンちゃんのことで、内の子とは普段は家の中にいるパピーのことだろう。
フィンちゃんは蝶たちのお菓子を横取りするし、パピーは初めてのお外に浮かれまくっていたので、どちらかと言えばご迷惑をおかけしましたと躾のなっていないうちの子たちの非礼に頭を下げたいが、交流を楽しんでもらえていたなら良かった。
「喜んでいただけて光栄です。私たちにとっても素晴らしい時間でした」
「ここへはあの子達が妙にはしゃいでいるから様子を見に来たの。けれどこれもまた、一つの縁なのね。きっとちょうど良かったんだわ」
「お力を貸していただけるのですか!?」
イリスフォーシアは肯定を示す微笑みを私へ向ける。
「えぇ、こんな小さな奇跡でよければ喜んで貸しましょう。私の小さな子どもたち、羽を広げなさい。受け取ったものへの対価を支払う時だわ」
そう言いながら両腕を広げた。その動きとともに光が空へ向かって立ち昇る。彼女の声と光を受けた蝶達の輝きが増した。
眩しいっ! 私は空からの光に耐えられず視線を逸らす。すると地表に戻した視線の先で、勝手に開いた馬車の扉から回復薬の瓶が次々と飛び出していく様が見えた。
蓋が開き空中で溢れた回復薬は、重力を無視してその場に留まる。そして周りを飛び交う蝶達の祝福を受け、その色を陽射しと同じ金色へと変化させた。
輝きを纏った回復薬は、私たちの頭上でその体積を何倍にも増やしていく。瞬く間に平民街の空を埋め尽くした。
「……海が、浮かんでる」
信じられない光景にポロリと言葉が落ちた。私はもちろん、止められていた時が動き出した人々が呆気にとられて空を見上げる中、眩しいほどに輝く海は表面に幾つかの波紋を作る。そしてその波紋の中心から地表へ向けて、黄金の雫を落とした。
その雫の一つが偶然に、昏睡状態だったとある重傷者に当たる。彼は左足が大腿骨の根本から欠損していた。落ちた雫は彼の皮膚に溶けるように染み込む。同時に彼の失われていたはずの左足が、最新CGの3D構築グラフィックでも見るかのように再生しだした。
「……ん? あれ? そんな顔してどうしたんだお前ら?」
5体満足と意識を取り戻し、寝起き宜しくひょっこりと体を起こした彼は自身を囲む家族の泣き腫らした顔に、状況把握が追いつかず素っ頓狂な声を出す。
「あっ、貴方っ!? こんなことが起きるなんてまるで奇跡だわっ!」
「うわぁーーんっ! お父さんっ! もうダメかと思ったんだからっ!」
欠損部位から流れていた大量の出血や、いくら呼びかけても返事をしなくなった彼の様子からその命が尽きる寸前であることを悟り、しかし受け入れることが出来ずにひたすらに涙を流していた彼の家族は、突如奇跡の回復を果たしまた意識も取り戻した彼の姿を目の当たりして感情を爆発させる。喜びの声が響いた。
それを皮切りにしたように、空に浮かぶ回復薬の海は緩くさざめく。そして波紋を大量発生させた。波紋の中心部から産み出された黄金の雫は、豪雨となり街一帯へと降り注ぐ。
伏していた重傷者たちは、空から落ちてくる黄金の雨を受け次々と意識を取り戻す。
彼らが受けていたはずの痛みや損傷は、傷跡もなく完全治癒していた。衣服にベッタリと残る血液が無ければ、先ほどまで命に関わる大怪我を負っていたとはまるで分からないだろう。
しかしそれすらも振り続ける黄金の雨が洗い流していく。また雨の量に比例して、自身を消費するが如く空に浮かぶ回復薬の海は小さくなっていった。
……良かった、本当に良かった。みんな助かったんだ。
雨でびしゃびしゃに濡れながらも喜びに抱き合う人々の隙間から、むくりと起き上がったミグライン店長の姿も見えた。自分を囲むスタッフたちの顔を見て眉間に皺を寄せるも、表情の乏しいエルフの感情マスターである私には、あれは店長の照れた時の表情だと分かった。心の中の大きな大きな重しが消える。
そしてやっと周りを見る余裕ができた私は、ロンルカストや他の騎士団員たちがある一方向を見つめていることから気がつく。
そうだ! イリスフォーシアはっ!?
バッと彼らと同じ方向へ振り向く。彼女の姿はかなり薄くなっていた。風が吹けば消えてしまいそうなほど微かとなった彼女へ向けて、慌てて口を開く。
「イリスフォーシア様っ! お力添えをいただき、本当にありがとうございます! あのっ! またお会いすることはできますかっ!?」
とても離れ難い。また会いたい。その暖かさにずっとずっと触れていたい。まるで適正量からほんの少しだけ過量投与してしまった麻薬のように、私達が自然とそう願い依存をこうてしまう何かをイリスフォーシアは持っていた。
薄らと残った彼女の残像は、長い髪を揺らし微笑む。彼女の声がとても遠くから響いた。
「残念なことにその道が照らされる未来は訪れないわ。次に会う時の貴方は、もう貴方ではないのですから」
「そ、それは、私はもうイリスフォーシア様にお会い出来ないということでしょうか?」
分かりやすく肩を落とす私に、空気と同化しほぼ姿の見えなくなった彼女の声だけが響く。
「悲しむ必要はないのよ、ミアーレア。私はいつだってそこに居るのですから。そうね、窓から差し込み朝を告げる眩しさも、見上げた木々の隙間から溢れる暖かさも、途切れた雨雲の向こうに透ける優しさも全ては私。エーダフィオンの手を離れた蕾は、須らく私の元で生きる定めであり、そして私もまた、蕾の向かう先を照らすことに助力を惜しまないの――」
その言葉を遺して最後の光を消したイリスフォーシア様がいた場所から、私はずっとずっと目を離すことができなかった。
辺りには歓喜と興奮の声が満ちている。それは愛するものとこの先の道も生を共にできる喜びであり、繋ぎ止められた命に対する感謝であり、神のあらたかな霊験に触れた昂りだった。
「もうイリスフォーシアには会えない。でもみんな助かった。良かった、本当に良かった……」
うわごとのようにそう呟いた私は、イリスフォーシアにはもう会えないという事実にどうしようもない切なさを感じながらも、喜びに溢れる人々や腕に抱えている大切な使い魔の暖かさが失われなかったことに大きな安堵を感じていた。
そしてプツンと意識が途切れる。
バランスを崩し後方に倒れる私が最後に見た景色には、主を受け止めるため慌てて駆け寄るロンルカストの姿、そして少し離れた場所で不機嫌に腕組みをするレオ様の姿があったのだった。
お読みいただき、ありがとうございます。




