陽の精霊との対峙
「出てこいよ、ヒュールーン! いるのは分かってるんだ!」
人の攻撃を文字通り蹴散らしたルディーは、驚きの声を上げた私へ返事をすることもなく、何もない空へ向かって叫んだ。
ヒュールーン? この前セルーニの知識でイリスフォーシアの眷属と発覚したいつも薬草園で見ている蝶たちをここへ呼んでどうしようというのか。崩れた体勢をなんとか立て直した私は、ルディーの行動の意味が分からず立ちすくむ。
そんな私へチラリと視線を向けたレオ様は、攻撃されそうになったことを分かっている筈なのに一瞥するのみですぐに視線を外した。
それはルディーによる妨害がなくとも、私の攻撃など自力で簡単に躱せたのでなんの問題もないという余裕の現れであり、同時にそれを歯牙にもかける必要がないほど些細であると判断したことを意味していた。
勢いでバカなことをしてしまった愚かさと、一世一代の攻撃に失敗した悔しさ。そして覚悟を持って行った筈なのに、お咎めがなかったことへ安心感を感じてしまっている自分が見苦しくて、カッと顔が熱くなる。
これ以上、目の前で苦しんでいる人々を見ることにも耐えられず、自責から視線を地面へ落とした。するとレオ様の低く鋭い声が聞こえる。
「今すぐその口を塞げ。余計なまねをするな」
しかしその言葉を向けられたルディーは飄々と返す。
「その言い草は酷いんじゃないかな、レオ。優しい僕が君の代わりに、ここの後片付けをしてあげてるっていうのにさ」
「頼んだ覚えはない。それにこれ以上余計な真似をするのであれば、いくら祖父上といえども容赦はせぬぞ」
レオ様はルディーがしようとしている何かを止めようとしていた。しかしその脅しをサラリと聞き流したルディーは、ややイラつきながら独り言のように喋る。
「こっちも、したくてしてるんじゃ無いんだけどね。あー、もう。まだ出てこないのか。本当に横着な奴らだな」
「其方はっ!? やめろと言っているのが聞こえぬのかっ!?」
語気を強めたレオ様の静止と迫力にひぃっと体を強張らせる私とは対照的に、ルディーは聞こえないふりをする。そして顔を歪めると、渋々とした表情で再び空に向けて叫んだ。
「……チッ、ほらっ、これならいいだろう!? 僕のだけど持ってけよ! だから早く出てこいっ! お前らが羽を休めている花は誰が咲かせているんだっ!? 忘れたとは言わせないからな!?」
舌打ち混じりの叫びと同時に、ルディーの周りから沢山の花が出現する。花はふわりと空に舞い、その場でくるくると自転し始めた。
種類は様々だが、それら全てがオレンジ色の切り花であることから気がつく。あれは私の魔力に染まった花たちだ。いつか帰ってくるルディーのために毎朝とっておいていたもの。自宅の籠の中に詰め込まれていた花々を、ルディーが瞬間移動させたというのか。
すると次の瞬間、不思議な事が起こった。回転を続ける花よりもずっと上空で、何かがチカチカと光る。
それは太陽光がガラスに当たり、跳ね返されたことによる反射光のようでいて、しかし何もないはずの空でその現象は起こりようもなかった。しかし妙な屈折を描く光の反射はあちらこちらで煌めきはじめ、その数と光を強める。
次第に輪郭を持ちはじめた光は、やがて透明な羽根をもつ蝶となる。
突然現れた蝶の群れは光の反射により輝き、また分光により虹色に染められた羽を揺らしながら、ヒラヒラと降りてくる。そして宙に浮かぶオレンジ色の花々の周りを楽しそうに舞った。
人々は息を呑む。それは自分たちが置かれている悲劇的な状況を忘れるほどの美妙だった。
上空で起こった奇跡の光景、美しい蝶たちが空に浮かぶ花と戯れる幻想さに見惚れる。またこれは天から自分たちを迎えに来た使いではないかと勘違いするほどに、悲痛や苦悶の声をあげていたことすらも忘れ言葉を失っていた。
同じく私もポカンと空を見上げる。しかしその心は、彼らとは全く違うことを考えていた。
ヒュールーンが来た? いや、ルディーが呼んだ? 薬草園でしか見たことなかったのに、ここにもいたんだ。いや、違う。そんなことよりも、なんでルディーは蝶たちをここへ呼んだの?
状況についていけない私へ向かって、ルディーがせかせかと叫ぶ。
「ミア、すぐにフィンを呼ぶんだ。君の回復薬を彼らに降り注ぐよう指示をだして!」
「え!? ル、ルディー? 知ってると思うけどあの回復薬には出来損ないも混ざってて、それにあれじゃ彼らを助けることはできな――」
「いいから早くっ! あいつらは気まぐれなんだ! 気が変わって、いなくならないうちにやらなきゃ間に合わない!」
「ルディーこそ聞いてよっ! 間に合わないも何も、無理なんだってばっ!」
「悠長に説明してる暇はないんだよミアっ! 陽には他の属性の力を後押しする効果があるのを忘れたの!?」
「えっ!? あっ、そ、そうかっ! 陽の力で効果を高めれば、回復薬でも命を救えるかもしれない!?」
やっと理解した私にルディーは空へ向けている視線を忙しなく動かしながら、更に早口で捲し立てる。
「そういうこと! 僕の花を対価として払ったから、早く回復薬にあいつらの力を乗せるように……って、これはまずいな」
不自然に言葉をきったルディーは、動かしていた視線を空の一点に固定したかと思うと、目を見開く。立てていた尻尾がびくりと痙攣し、そして脱力のままパタリと地面に落ちた。
急に勢いを失ったルディーに驚き、彼の見ている空を見上げる。するとゆったりと、天から一際大きな蝶が降りてきた。あれは確か、一度だけ薬草園で見た事がある。
それは透明な羽根に光が反射した分光により、虹色に見えている他の蝶達と違い、その蝶自身が太陽のような輝きを宿していた。
重力を感じさせない動きでふわりと蝶の羽が揺らめく。弧を描いた羽の先から金色の鱗粉が舞い、その軌道上に天の川を作った。青空に輝く星達は暫くその場に留まった後、やっと自分たちの質量を思い出したかのようにスルスルと下降する。風に乗り静かに消えた。
昼の空にかかった星達が風にさらわれる雅な様を目で追っているうちに、太陽色の蝶は私の目の前まで来ていた。そして光を強める。
どんどんと体積を増やし、光源が増したことに比例して増大した眩しさに目を開けていられなくなった頃、スッとその光が消えた。
ギュッと閉じていた目蓋の裏の光が無くなったことを感じ、おそるおそる目を開く。そこには神々しいとしか言い表せない姿で顕現した1柱の天女がいた。それはまさしく太陽の権化だった。ポロリと言葉が落ちる。
「……イリスフォーシア?」
イリスフォーシアと言った筈なのに、何故か天照大御神という声が被さる。自分の声が二重に聞こえた。
アズールさんからテニグリード祭について聴いた時と同じ現象だ。
なぜまた副音声が聞こえるのか混乱する私を気にした様子もなく、天女がスススと正絹の振袖をあげる。その瞬間、世界から音が消えた。私以外の人が静止画のようにピタリと動かなくなったことで、時間が止まったことに気づく。
混乱に驚きが加わり軽いパニックになりかけている私へ向かって、あげた袖を下ろしその腕で口元を隠した天女が目を細める。
「まぁ、貴方は私をその名で呼ぶのね? ここでは珍しいことだわ」
「あ、もっ、申し訳ありませんイリスフォーシア様! あっ、あれ? なんでだろう? イリスフォーシア様って言ってるのに!?」
何度言い直しても副音声が天照大御神と被せてくる。焦る私に口元に当てていた腕を下ろした天女は柔らかな笑顔を向ける。
「ふふっ、いいのよ。どちらも私。数ある私を表す名の中の一雫なのですから」
その様子にどうしてだろか、心の奥の奥の奥底が暖かくなるような安心感を抱いた。
神と対峙し、更に時間が止まるという驚愕の体験をしているのにも関わらずとても落ち着く。その声からも目の前にいるのに、ずっと遠くから響いているような、でも頭の中に直接伝わってくるような微弱な痺れを感じていた。心地がいい。
ずっとこの声を聴いていたい。そしてずっとこのお方のそばにいたいとさえ思えた。緊張することもなく自然と質問をする。
「天照大御神様もイリスフォーシア様も、同じ貴方様なのですか?」
「そう。私たちは遍く存在しているの。貴方たちにとっては違う階層の世界に見えるのでしょう。全ては重なり合い連なっているというのに、その中の一つの階層しか認知できないなんて不思議なことね? ……あぁ、でも貴方は上の階層が混ざっているから私をその名で呼んだのよね」
「上の階層が少し混ざってる? その上の階層というは私が前にいた世界のことでしょうか?」
「見方によれば下の階層とも呼べるわ。それに混ざっている前の階層の貴方はほんの少しだけ。殆どは失っているみたいね?」
イリスフォーシア様は、柔らかな絹で織られたお着物をお召しになっていた。しかし袖と裾はウェディングドレスのロングトレーンのように長く、裾持ちがいないのにどうして汚れひとつないのか不思議なほどだった。更にその縁取りには細かなレースが装飾されている。
そして頭には結婚式の和装で用いられる角隠しの代わりに、ギリシャ神話の神、もしくは聖母マリアが付けていそうな冠をつけていた。ハロークラウンというのだろうか。放射線状に伸びる細い金線は、さながら神仏が背負う後光のようだ。
和装と洋装が入り混じったイリスフォーシアの姿。それは私がこの世界と前の世界が入り混じった半端者だからそう見えるのだろうか。
そんなことを思いながら、私は私がどうしてこの世界へ来たのか、ずっと知りたかった質問をした。
「イリスフォーシア様。お伺いしたいことがございます。私はどうしてここへ来たのでしょうか?」
コテリと首を傾げた彼女は、私がどうしてそんな質問をするのか皆目分からないような顔をするも、少しだけ鼻先をあげる。
「そうね。貴方に残るこの匂いは、エーダフィオンかしら?」
「エーダフィオン?」
また自分の声が二重に聞こえた。宇迦之御魂神? それって確か、稲荷神社が祀る神様のことだよね? ……ん? 稲荷神社? いつも通勤ルートにしていたあの稲荷神社が思い浮かぶ。
え? ええぇえっ!? 毎朝お参りしていたあの神社の神様のせいで、私はこの世界へ飛ばされたってことっ!?
なんてことだろうか。ご利益も何もあったもんじゃない。信心深い一小市民にこんな仕打ちをするなんて、神は非道だった。
ついに犯人を知り嘆くも、稲荷神社の神様なんて勿論見たことがない。気持ちのぶつけ先を見失った私の脳裏に、なぜか1人の人物が浮かぶ。いつも話しかけてくれた、人の良さそうな狸顔をした神職さんだ。
ただの神社職員であるあの人は関係ないと思うけれど、とりあえずこのやるせない気持ちを解消するために、脳内でローキックをかましておいた。
しかしイリスフォーシア、もとい天照大御神は自分で言ったのにも関わらず納得のいかなそうな表情で口を開いた。
「あの子はこんな事する子じゃないのだけれど、おかしなことだわ。それよりも、そこには彼女の蔓に戻るべき蕾がいるようね?」
そして表情を戻すと、サラサラと木漏れ日のように長い髪を揺らしながら私の足元を見る。視線を向けられた黒猫の耳がピクリと動いた。どうやらルディーは他の人たちのように時間が止まったフリをしていただけのようだ。
「……はぁー、疲れた」
ルディーは開き直ったように両前足をピンとさせて伸びをする。無理して一定のポーズを保っていた凝りをほぐすと、何かを諦めたような顔をして彼女を見上げたのだった。
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