平民街での戦闘
「待ってロンルカスト! 私だけ助かるなんて、そんなの嫌っ! こんなの間違ってるよ!? お願い行かないで!」
声の限りをつくし馬車から叫び続ける私には目もくれず、歩き出したロンルカストはグラーレへ近づく。
「グラーレ、共をしなさい」
静かにそう言うと、二頭のうちの一頭が首を垂れた。
頷いたロンルカストは身体強化を使った脚力で、大きく跳躍しそのグラーレに飛び乗る。
同時にバサリと白翼を生やしたグラーレは天馬となり、真っ白な羽を徐々に緑に染めながら羽から溢れた黄緑と深緑の霞をオーロラのように辺りへ広げる。
馬車に閉じ込められ、このままでは彼の命と引き換えに自分だけ安全地帯へ向かわされる私は、ピクリとも動かない馬車のドアを懸命に押し引きしながら焦りの中にいた。
行ってしまう。ロンルカストが行ってしまう。私を残して1人で逝ってしまう。きっと死んじゃう。私のせいで死んじゃう。また私のせいで死んじゃう。また私だけが遺される。またってなに? いつのこと? 分かんない。思い出せない。でもそんなの嫌だ。あんな思いもう絶対に嫌だ! ……私は、私はそんなの全然望んでなんかないっ!
バチンと脳が思考の閾値を超えた。彼を止めようと体が勝手に動く。開かないドアと言葉の届かないロンルカストへ縋るのをやめ、この状況を自ら打開するために無理やり馬車の窓に体を詰め込む。グイグイと小さな窓枠を通り抜け、顔からベシャリと地面に落ちた。
衝撃と地面との摩擦で擦り切れた頬や体がジンジンと痛む。でもそんなことはどうでもいい。今まさに飛び立とうとするグラーレを力ずくで制するため、地べたに這いつくばったまま懸命に手を伸ばした。
しかしそれは空を切る。ロンルカストを乗せたグラーレは、軽々と私の牽制を回避し空へと飛び立った。彼らは囮としての自身をアピールし、決して私へ目を向けさせないために真っ直ぐ魔へと向かう。私は見上げることしかできない。
地面に落ちた手が砂を掴む。ザリザリとした感触は、まるで自分の心の中のようだ。
悔しくて辛くて何もできない自分が不甲斐なくて、私を遺すために行ってしまったロンルカストに胸が苦しくなって彼の勝手さもやりきれない。それに魔への恐怖や焦りでこのまま地面に突っ伏してしまいたい弱い自分が見えた。でもその思いを断ち切る。彼を失うわけにはいかない。
……まだ間に合う。何か手があるはず。
そう自分に言い聞かせ、無意識に杖を出し届かない彼らへ向かって構えるも、両手で事足りるほどしか呪文の知らない魔法素人が、この場で有効な手立てなど持ちえるはずもない。
しかし構えた杖につられて動かした視線の先に、鮮やかなピンク色がチラついた。顔を動かしそちらを見る。馬車の御者席にいる使い魔が目に入った。互いの視線が交差する。使い魔は何かを示唆するようにその小さな羽を広げた。瞬間、全力で声を振り絞る。
「フィンちゃんお願いっ! ロンルカストの乗ったあのグラーレを止めて!」
そこに明確な思惑があったわけではない。ただ杖を彼らへ向け、私にはどうしようもない事態の転換と精一杯の願いと想いを込めて使い魔を頼った。
対してフィンちゃんはその場からピクリとも動かなかった。そのかわり短く一鳴きし、私の声が聞き届いたことを示す。刹那。暴発に近い破裂音が響く。彼らへ向けて伸ばしていた杖先から、その爆音に相応しい勢いをもって光が飛び出した。
「うひゃぁーっ!?」
杖の反動で大きく後ろへ弾き飛ばされた私は受け身を取れるはずもなく、悲鳴とともに地面にバウンドしながら体の傷を増やす。その間にも光は風の渦となりロンルカストの乗るグラーレを猛追する。瞬く間に追いつくと彼らを取り囲んだ。竜巻となり絡め取る。
「えぇぇ!? な、なんか凄いことになってる!?」
上下逆さまになって止まった視界を正常な位置に戻して上空を見ると、哀れなグラーレが竜巻内部の多重渦構造や不規則な変動を繰り返す烈風に、なす術もなく煽られていた。
渦の中に取り込まれたグラーレには対処する間など無い。完全に制御を失ったところでその渦が消えた。墜落するグラーレへ新しい風が吹く。空中で攫うように彼らをキャッチした。その風は速度を落とすため柔らかく一回転すると、目を回しているグラーレと驚きで声も出ないロンルカストを易々と馬車の元まで連れ戻す。
呆然とする彼らと同じく、指示した本人である私もフィンちゃんのポテンシャルと有能さに口が開きっぱなしで、とはいえ驚きながらもロンルカストを取り戻せたことに心から安堵していた。しかし彼ら越しにある光景を目にしてヒュンと息を呑む。
……魔に気付かれた。
魔の体部にはめ込まれた数え切れないほどの眼球たち。ギョロギョロと視線を彷徨わせていたはずのそれらは動きを止め、明らかに私たちを凝視していた。
その巨体にとって人など、豆粒ほどの大きさでしかない。それにも関わらず上空で起こった一瞬の荒事に目敏く勘づいた魔は、それに伴いこの平民街では異端といえる魔力持ちの私たちの存在に気がついてしまっていた。
ピタリと動きを止めた歯列が、一斉に笑い出す。獲物を見据えた捕食者の悦が空から響き渡った。まだ距離があるとほんの僅か、米粒ほどに抱いていた余裕が、これから起きる災禍を予期し霧散する。
それぞれの口から発していたケタケタとした笑いは、次第に獣と人が入り混じったような咆哮となる。やがて天を衝いた。絶望が舞う。同時にグラーレから飛び降りたロンルカストが杖を構え叫んだ。
「ミアーレア様、私の後ろへ! オローディオ!」
彼の杖先から光が溢れるよりも早く、魔は異常な長さの両腕を後ろへ大きく振りかぶり、そして前へと放つ。
鞭の如くしなった手刀は、目視不可能なほどの速度で進行方向にある建物を容易く切り裂いていく。だが威力は微塵も落とさず、崩壊させた瓦礫片とともに初速を超える勢いで私達を両側から襲った。
平民街の一端を容易く吹き飛ばすほどの魔の先制攻撃。しかしそれは間一髪で形成されたロンルカストの障壁により弾かれた。雷鳴の轟きに似た衝撃音が辺りに響く。
守りを崩されることはなかったが、打撃としても十分な威力にロンルカストは顔を顰め堪える。弾き飛ばされた魔の腕が次の攻撃を仕掛けるまでの僅かな合間を逃さず、障壁魔法を消したロンルカストが呪文を唱える。
「ウィース インペラーティブ!」
杖先から強烈な光が魔へと放たれた。土塊となったそれは砲弾の如く魔の体部、ど真ん中へと直撃し大きな衝撃音を立てる。そして巨大ビルほどもある魔との体格差のハンデをものともせず、魔の体勢を後方へと崩した。抉り取られた肉片が、嫌な音を立てて平民街へ降り注ぐ。
自身の攻撃の影響を確認することもなく、すぐさま形成し直した障壁を再び魔の腕が襲う。
だがそれは先程の攻撃を受け大きくよろめいた体部の影響により高速で上空を通過する。障壁を掠ることもなかった。
照準がズレ制御を失った魔の腕が目標とは見当違いな近くの建物に突っ込む。爆風で吹き飛ばされた瓦礫の数々が、障壁に多大な衝撃を与えながら弾き返された。軌道を曲げられた瓦礫はまた別の建物に突っ込み、それを崩壊させる二次被害を生んでいく。
全てはほんの数秒。一瞬の攻防のうちに平民街には甚大な被害と新たな瓦礫の山々がもたらされた。
攻撃体勢が崩れた魔と瓦礫の山に埋もれたその腕を横目に、魔が次の攻撃を繰り出すまでに若干の猶予があることを瞬時に悟ったロンルカストは、私を抱きかかえグラーレに飛び乗る。全速力で空へと飛翔した。
更に杖を魔へ向ける。殺傷力よりもその体勢を更に崩し、立て直しまでの時間を伸ばすことを目的とした一点集中の砲撃を次々と体部の右側面へと打ち込む。その攻撃による反動さえも利用してグラーレを加速させた。
「このまま貴族街へと向かいます! 速度を優先しますのでおつかまりください!」
そう叫んだロンルカストは、一見すると戦いを有利に進めているように見えるが、その顔にはいつものポーカーフェイスを保てないほどの焦りが見えた。ギリギリの攻防。
あの場所に留まれば魔からの的となり続ける。先ほどの攻撃はその不利を捨て上空へ逃げるためへの布石であり、彼の渾身の一撃であったことに気づいた。
「分かりまーー」
分かりましたと返事をしようとした途中で驚愕に目を見開く。
ロンルカストと向かい会う形で抱きかかえられた私が見たものは、脅威である腕の攻撃範囲外へと逃れるため飛翔する私たちへ向かって、大きく一歩踏み出すことで容易くその距離を詰めていた魔の姿だった。
人であれば確実に背骨が折れているであろう不自然に後方へ崩れた体勢を戻そうともしていない。くの字になった上半身にぶら下がった頭部は背中で揺れるだけのお飾りとなっていた。
体勢など関係ないのだと突きつけられ、ロンルカストの行った時間稼ぎは意味のないものとなったことを知る。
魔は移動したことでロンルカストの放った攻撃の余波からなる煙幕を抜ける。一部は潰れ一部は抉られ、またどす黒い粘液を垂らしながら、辛うじてその形を保っている残りの眼球たちは私たちを未だ捉え続けている。
戦意の喪失という言葉をつゆほども知らない視線は、憎悪の全てを私たちへと向けていた。ゾワリと背中が泡立つ。
獲物を認識した魔が腕を後方へ振る。予備動作から、目障りな羽虫を叩き落とすが如くその腕を伸ばそうとしていることに気がついた私は、彼へ緊急事態を告げるべく叫んだ。
「ロンルカスト! 魔の攻撃がきます!」
「くっ、次手が早すぎる! 衝撃がきますが耐えてくださいっ!」
一転して急速に悪化した事態。グラーレの操縦に意識を回していたロンルカストは、振り返り障壁を作り出そうとするが、障壁で魔の直接攻撃は防げても、グラーレが魔からの圧に耐え切れるかは別だ。
血を吐きながらも障壁を張り続けていた、杖結びの時のロンルカストが脳裏を掠める。
このまま障壁ごと地面に叩きつけられたとしたら、魔力で受け止め切れなかった分の損傷はロンルカストへの身体的負担となる。しかし彼は私を守るため、また自身の生命を代償に障壁を絶やさないのだろう。それは確実に彼を内側から死へと至らしめる。
そんな未来が見えてしまった私の頬を、柔らかな何かが撫でた。いつの間にか肩に止まっていた使い魔に気が付く。無意識に杖を構えた。予備動作を終え高速で放たれた魔の腕は目前まで迫っている。考えるよりも早く、唯一ともいえる攻撃魔法を叫んだ。
「フィンちゃん補助してっ! レアースッ! アースオレイテュアー!」
杖から飛び出した2枚の風の刃。フィンちゃんの鳴き声を受けその威力と速度を明らかに増大させた斬撃は大気を切り裂きながら進む。
迫りくる魔と交差しその指先に食い込んだ。しかし勢いが足りず半ばで失速した初撃を、2枚目の刃が追撃し1枚目の刃を押し込むようにしてその指先を切断する。
それは攻撃力としてはほんの些細なものだった。しかし同属魔法を放ったことによる影響で更なる加速を得た風属性のグラーレと、僅かばかり勢いを削がれた魔の腕の速度は、私たちがこの窮地を脱するに充分なものだった。腕の伸展が途絶える。
魔の追尾からのがれ攻撃範囲外である高度へと到達したロンルカストは安堵からか、ややテンションを上げた声を出す。
「使い魔との連携をなさるとは素晴らしいご判断ですっ!」
グラーレの進行方向を貴族街への最短ルートへ変更した彼を見ながら、大きな魔力を使ったからか息も切れ切れの私は、2度も助けてくれたフィンちゃんにお礼を言う。
「はぁっ、はぁっ……た、助かった。ありがとうフィンちゃん」
そして眼下を見て、あり得ない光景に再び硬直した。魔の背中には蛾のそれに似た、禍々しい4枚の羽が広がっていたのだった。
お読みいただき、ありがとうございます。
少しでも続きが気になると思っていただけましたら、ブックマークや、下の⭐︎を押してくださると嬉しいです。




