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閑話29 ある冒険者と受付嬢の平穏(後)



「私……私、夜道で襲われて、抵抗したけどできなくて、それでこの子をっ!」



 その声からはまるで心の内に押し込んでいた後悔や恐怖が年月とともに膨張し、その圧に耐えきれず張り裂け飛び散った感情がロランを壊してしまうのではないかと思えた。


 床に膝をつきベッドに顔を埋めて懺悔(ざんげ)とも自責の念とも取れる悔悛(かいしゅん)を続ける彼女の心を守らなければと焦る。

 しかしどうすればいいのか分からなかった俺は、反射的に彼女を背中から抱きしめ、同じ言葉を重ねることしかできなかった。



「……絶対にお前のせいじゃない」

 


 そう言いながら何故ケドルの父親が、彼の最後の見送りの儀式さえも現れなかったのか。同時に数知れない食事の誘いを受けていた彼女が、何故全てを断っていたのか。その理由に気づく。


 ケドルの見送りの儀式を見届けた俺たちは、その理由を旦那は元冒険者で既に亡くなっていて、食事の誘いに乗らないのは家で待つ病弱な息子がいたからかと勝手に納得していた。

 だが違った。彼女は怖かったんだ。夜道も。おそらく彼女を襲ったクソ野郎と同じ男である俺たち冒険者も。


 その恐怖と辛さを心の奥底にひた隠し、誰にも明かさず今日までギルドの受付嬢として笑顔で俺たちの前に立ち続けていたのは、ケドルの命を引き伸ばすために不可欠な薬代のために他ならない。

 

 腕の中から、啜り泣きに混じった彼女の声が聞こえる。


 

「……私、きっと心のどこかでケドルのことを(うと)んでいたんだわ。この子を見るとあの夜の恐怖を思い出すから。私が、私がもっと普通の母親だったら良かったのに。そうすればこの子も健康な体になれたのかもしれない。ケドルのことを皆んなに言わなかったのも、襲われたって知られるのが怖かったからなの」



 ロランの体がしゃくりあげる声に伴い小さく上下する。意味はないと分かっているが少しでもその哀しみを抑えてやりたくて、感情のままに俺は抱きしめる腕の力を強める。



「受付嬢は人気商売だ。後ろ暗いことを隠してるのはお前だけじゃない」



 いやいやと頭を振ったロランは、否定の言葉を続ける。



「違うわ。私がダメな母親だったからケドルに触れないの。今だって何の返事もしてくれないのは私のことが憎いからで、こんな母親で恨んでるって言いたいのよ。ごめん、ごめんね、ケドル……」


「自分を責めるなロラン。彼が言いたいのはそんなことじゃなくてーー」



 そうだ。口に出した自分の言葉で気づく。

 彼は積怨(せきえん)の余情で現れているわけじゃない。恨み言を言うためにわざわざ母親の前に化けて出る子どもなんていないだろ。

 ロランは息子失った後悔から自分への呵責(かしゃく)(さいな)まれていて気づいていないが、彼の言いたいことなんて一つしかないと俺には分かった。


 ロランから目を離し前を向く。渦中にいるのに、全くの無関心を貫くケドルに向かって話しかけた。



「ケドル、お前なんでここにいる? ロランに言いたいことがあるんだろ?」


「…………。」



 まるで違う世界線にいるようだ。確かに目の前に存在しているはずなのに、彼には俺の言葉が届いた様子がない。もちろん俺の言葉に答えることもなかった。


 石のようにベッドに横たわり、天井と瞳のその間の空間を見つめ続ける彼や彼の口を動かすためにはどうすればいい?

 彼を見ながら考える。思えば俺がこの状況に冷静でいられるのも、こんな風に思えるのも、これが初めてじゃないからだ。

 あの夜会いにきてくれた元相棒を思い出す。彼女も最初は俺の言葉に答えず、彼のようにただ部屋の片隅に居るだけだった。


 手がかりを求めて記憶の蓋を開く。

 息絶える直前の姿。触れることの出来ない霧のような存在。自分を責めるばかりで気づかない相手の本心。夜空に輝く丸い月。あとはミアちゃんから渡された薬瓶もか? 全てあの時の状況と同じだ。

 

 彼は明らかに何かを伝えるためにここに来たんだと、そう確信する。あの夜のナラと同じように。


 でも何故か彼は何も言わない。このままロランのそばに居ても、彼女は自責の念に囚われ続けるだけだ。それは本望じゃないだろ?

 考えろ。何故彼はここにいるだけなのか。どうしたいのか。すると普段は使わない方向に動かした脳内に、ある考えが浮かぶ。

 ……もしかして、言えないのか? 不意にそう思えた。そして、そうかもしれないと思う。何かが足りないのだとしたら、一体何が足りないというのか。必要なのはなんなのか。


 あの夜から何度も何度も思い返しては自戒として自分に刻みつけていた記憶を、もう一度覗く。

 あの夜、ナラの口を動かしたものがあるはずだ。それはなんだったのか。ひたすら佇んでいた彼女に俺は何をした? 擦り切れるほど再生していた記憶を端から見つめ直して探る俺は、ついにその答えらしきものを見つける。本当にそうなのか? と自問した後、きっとそうだと自答した。そして哀しみにくれる彼女を救いケドルの望みを果たすために口を開く。



「ロラン、お前ケドルに言ったのか?」


「え? な、なにを?」


「お前の元へ会いにきた彼に、ちゃんと自分の気持ちを伝えたのかって言ってるんだよ」

 

「私の気持ち? ……そんなの、私に言う権利なんてないわ」



 腕の中で俯くロランに言葉を尽くす。



「分かるよ。もっとできることがあったはずなのにって悩む後悔も、自分のせいでって悔やむ気持ちも分かる。状況は違うが俺も同じ経験をしたことがあるからな。でもその奥にある気持ちの方が、彼には言ってやるべきなんじゃねぇの?」


「でも、だってケドルに辛い思いさせたのは私のせいなのよ? それなのに私だけ自分の想いを押し付けるなんて、そんな都合のいいことできないわ……」



 まるで、少し前の自分を見ているようだと思った。俺たちはどうして一番大切なものほど心の奥底にしまい込んで自分でも見えなくなってしまうのだろうか。俺はロランがそれを掬い上げる助けとなるように、声をかけ続けた。



「その辛さの根本は、彼を思う気持ちから来てるんだろう? 大丈夫だ。怖がらずに本当の気持ちを伝えてやれよ」


「それは、でも……」


「なぁ、ロラン。きっとケドルもお前の言葉を待ってる。それに言わなきゃわかんねぇこともあるしな。言ってやれよ。お前だって本当は伝えたいはずだ」


「…………。」



 俺の言葉にそれ以上言葉を返せなくなったロランは、キュッと唇を噛み締めながら沈黙した。

 しばらく俯いた後、何かを決意するようにゆっくりと頷いたロランは相変わらずベッドに横たわっているだけの彼の方を向く。その様子に俺は抱きしめていた彼女を離し、後ろへ数歩下がることで部外者として身を引いた。


 ロランは小さく息を吸い込む。そして所在なさげにその口を開いた。



「……ケドル、ごめんね。こんな体に産んじゃって、苦しい思いさせて、ごめんね。いつも言ってたよね。なんで僕は歩けないの? お外に行けないの? いつ治るの? って、ふっ、ぐすっ……他の子みたいにお外で遊べない体でごめんなさい。ダメなお母さんでごめんなさい。私のこと恨んでください」



 動かない彼に向かってロランの言葉は続く。



「辛かったよね? 痛かったよね? 治してあげられなくてごめんなさい。私が代わってあげられれば良いのにって、いつも思ってた。ぐすんっ。……もっともっとしてあげられることがあったんじゃないかって、私ずっと思ってて。今だってせっかくケドルはここに来てくれたのに、でもやっぱり私には何もできない」



 ポロポロと流れる大粒の涙が彼女のオレンジ色の髪を頬に張り付かせる。そのまま顎を伝って下へと落ちると、ケドルの肩を通過してベッドにシミを作った。シーツの色を灰色へ変えていく。その染みは広がりケドルの肩の下を大きく侵食したが、彼はピクリとも反応しなかった。


 懺悔(ざんげ)から始まったロランの言葉はケドルに届いているのだろうか。一度は確信したものの、これであっているのかと不安になってきた俺をよそに、ロランは溢れる感情をそのまま吐き出し続ける。



「それなのに嬉しいと思ってしまってごめんなさい。うぅっ、ぐすんっ……ケドルは私を断罪するために来たのにね、そうでしょ? なのに貴方に会えて嬉しいと思ってしまうダメな母親でごめんなさい。だって貴方は私の大事な宝物だから。……愛してた。すごくすごく。何よりも愛してた。それなのに辛い生涯を歩ませてしまってごめんなさい。助けてあげられなくてごめんなさい。どうか許して……」



 ぐらりと空気が歪む。それは唐突に起こり、ロランの言葉がそうであるとは分かっても一体その中の何が誘因となったのかは分からなかった。

 絵画のようにそこに見えていただけのケドルの口がゆっくりと動きだす。俺とロランはハッとしてその様子を見つめた。

 


「◯◯さん、ありが◯◯、大◯き」



 口の動きとともに、途切れ途切れに幼く少し舌足らずな少年声が部屋に響いた。

 言い終わったその唇は柔らかな弧を描く。半開きだった両目を細めたその顔は、病の苦痛とは無縁の安らかさとロランに向けた言葉そのものを表情にうつしていた。

 スゥっと輪郭が薄れていく。そんな彼に向かって我に返ったロランが叫ぶ。



「待って! ケドル行かないで!」



 そう言って伸ばしたロランの手は、今までは触れることのできなかった彼の頬に当たり止まる。

 俺はもちろんその行動をしたロラン本人でさえも驚き硬直する中、しかしそれは一瞬のことで、ボヤけた輪郭が消え彼を目視できなくなったことでロランの手もすぐに枕へと落ちた。


 シーツの一端だけ色の変わったベッドには、もう誰も居ない。そんなことはわかっているのに彼の居なくなったやけに冷たいベッドから目が離せない俺とロランを置いて、その夜の月も殊更(ことさら)に輝いていたのだった。




 お読みいただき、ありがとうございます。

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