忠告への忠告
「リスペリント先生、先程は庇っていただいてありがとうございます」
生徒たちが帰った後、少し休んで平静を取り戻した私は補習が行われる前にバッと頭を下げてリスペリント先生へ心からのお礼を言う。
「頭を上げてください。そのような言葉は不要です。講師として生徒を守ることは当然の務めですので」
サラリとそう言った彼は、本当に当たり前のことをしただけという顔をしていた。だがどう拡大解釈しても講師としての役割を大きく逸脱した行為だと思う。
魔の発生という突発的な緊急事態により幸運にもレオ様から制裁もお咎めもなく済んだが、この現状を産んだ元凶として私には頭を下げる事しかできない。
「リスペリント先生が私のために副領主様へしてくださった行為には感謝してもしきれません。ですが、先生のお立場を鑑みると本当に申し訳なくて……私には何もお返しすることができませんが、せめて謝罪と謝意を受け取ってください」
リスペリント先生は、レオ様に歯向かってまで生徒を守るのは講師の務めというその真面目すぎる倫理観を通してくれた。本来であれば私を庇う義理も義務もはないはずなのに。
それによって、彼にはなんの得もないばかりか、代償として副領主と対立するという大きな不利益を強いられてしまった。もう言葉を尽くしても尽くしきれない。
そう思い感謝と謝罪を表すために頭を下げ続けていると、リスペリント先生は私の肩に手をかけた。ゆっくりと私の体を起こしてから口を開く。
「心配する必要はありませんよ。中央帰りの私にとって、今更気にする立場など無いようなものですからね」
「そんな……」
「あぁ、あまり良くない言い方でしたね。今の言葉は撤回します。……そうですね、本日は非番ですが私は中央での役割と同じくこの地でも風の部隊の副部隊長を勤めています。それなりの立場は保っていますので、言うほど卑下する状況ではないのですよ」
「そうだったんですか。あっ、でもそうすると騎士団長と対立するのは、余計に良くないことな気がするのですが問題はないのでしょうか?」
「確かにレオルフェスティーノ様は騎士をまとめる騎士団長です。ただ基本的にそれぞれの部隊は独立していて部隊長、副部隊長の権限の元に活動しています。魔の発生時や合同訓練では連携し騎士団長の判断を仰ぎますが、彼もそこに私情を加えるような狭量ではないでしょう」
う、うーん……そうかな? 勝手な想像だけど、めちゃくちゃ私情を挟みそうな感じするけど? なんなら権力使いまくってリスペリント先生を閑職に追いやりそうな気さえする。
「は、はい。そうだといいのですが……」
歯の奥に物が詰まったような返事しかできない私へ、リスペリント先生は困ったような顔を向ける。
「まだ表情が晴れないようですね。では、ここだけの話として聞いてください。……実はこれは一時的な帰還で、私は遠からず中央へ戻る予定なのです。そうでなければ、流石に副領主に向かってあのような物言いはできませんよ」
リスペリント先生は、そう言って悪戯っぽくふっと笑う。
私は長い前髪の奥に見えるその薄い緑色の瞳を見ながら、なんで先生の瞳は笑っていても悲しげに見えるんだろうと不思議に思った。
そして先生がこの地を離れると聞いて、彼がレオ様の手から逃れる手立てがあることへ安堵する。同時に会えなくなってしまうんだという寂しさを感じ、下を向いた。
多分、風の刃に死を覚悟したりレオ様の恐怖で精神的に瀕死になったりして、色々とリミットが外れていたせいだと思う。普段なら恥ずかしくて絶対に言えないのに、私なりの精一杯の好意を示す言葉を伝えたいと、そう思った。
「それは、良かったです。……リスペリント先生の講義を受けられなくなるのは、その、少し寂しいですが」
私の言葉を聞き少し驚いた顔をしたリスペリント先生は、その顔を微笑みに変える。
「そう言っていただけると私も嬉しいです。ですが本日の講義では、あまり集中出来ていなかったようですね?」
「あ、それは、えっと……すみません」
「私でよければ理由を聞かせてください。貴方からイリスフォーシアの光を妨げるのは、消えた使い魔のことですか?」
「あっ、どうしてそれを知ってるんですか?」
「私のグラーレも存外に空を駆けるのが得意ですので」
グラーレが空を駆けるとは、噂が回っている、もしくは噂を耳にしたという比喩表現だろうか。
人気のある西塔の廊下で騒ぎを起こしたわけだし、ルディーが消えたことは広く周知されていてもしょうがないと諦めていた。ハリーシェアも普通に知っていたしね。
先生の言うように勿論ルディーのことはずっと気になっている。
毎朝ルディー用に置いている夕焼け色の花たちは、もうサイドテーブルに山積みだ。先日何度目かの雪崩を起こしたのを見かねたセルーニが、花を入れる用のバスケットをテーブル上に置いてくれた。それも満杯になりつつあるけど。
でも私が今日集中できなかったのは、ルディーのことじゃなくてレオ様のことが気がかりだったからだ。そう思い、訂正しようと口を開く。
「はい。使い魔のことも居なくなって辛いのですが、その、実はですね……」
あっ、これ話していいのかな? 口火を切った後で、急に不安になった。
「実は? 別の理由があるのですね?」
中途半端に切れた私の言葉の続きを待つリスペリント先生を見ながら戸惑う。
会話の流れで普通に言ってしまいそうになったが、ロンルカストからは派閥が違う他の講師はもちろん中央寄りのリスペリント先生とも不要な接触をしないようにとの忠告を受けていた。
「…………。」
口をつぐんで悩みだした私の頭へ、リスペリント先生の手がそっと手伸びる。髪を撫でながら静かに話し出した。
「立場的に話しにくいこともあるでしょう。私から話を向けた手前こんな事を言うのもどうかと思いますが、決して無理はしなくて良いのですよ」
どこまでも私を気遣う発言に心が揺れた。
サラリと風になびく先生の緑色の髪を見ながら、思案する。
先生はさっき東の派閥への誘い話を蹴ったばかりだ。話す必要のないことや無闇に情報を渡すのは良くないことに違いない。
でもそれ以上に、“自分以外の影に気をつけろ”と先生に向けて吐き捨てていったレオ様の言葉が気がかりだった。
それに守ってもらった恩もある。誠意を見せてくれた先生に、私も心を返したい。その思いが私の口を滑らせた。
「……実はレオルフェスティーノ様が私に影をつけて監視していたことが分かったんです」
「彼が影で監視? まさか、そんなことが?」
「本当です。ですがなんの目的でそんな事をされたのか分からなくて。それでレオルフェスティーノ様の姿が目に入るたびに不安で、講義に集中出来ませんでした」
「そのようなことがあったのならば、危懼に囚われるのも当然です。ですが何故貴方に影がついていると分かったのですか? 監視用というからには、かなり高度に隠蔽された魔法と推測できます。容易に見破れるものではなかったでしょう」
「きっかけはただの偶然だったんです。陽の講義で転んだ拍子に自分にベルクム粉をかけてしまい、それで発覚しました。そうでなければ今もずっと監視されていたと思います」
「なんとも恐ろしい話ですね。私からもその偶然と幸運に感謝を捧げます。ただそれですと、影が彼の魔法だという証拠にはならないのではないですか?」
私の髪から手を離したリスペリント先生は、腕を組み首を少しだけ傾ける。
あ、どう説明しよう。ユニフィア先生にロンルカストの契約魔法のことで相談したって、言っちゃっていいのかな?
リスペリント先生は中央にいたロンルカストが私の側近になっていることを知っているし、東の派閥のやり口も有名っぽいので今更隠す必要もないと思う。
でも、だからといって彼の契約魔法のことをはっきりと口にするのは憚られたため、少し誤魔化しながら話す。
「それは、そのぉ、同じく偶然です。後日ユニフィア先生にある事を相談した際にヒントをもらって、それでレオルフェスティーノ様の魔法だと気がつきました」
私の微妙にぼかした表現を特に気にした様子もなく、リスペリント先生は会話を続ける。
「なるほど、彼女からの助言ですか。……確かに、彼は月の講師としての地位に違わず影の扱いが非常に長けています」
「やっぱりそうなんですね」
「えぇ。本来であれば強い月属性は、一領に留まるべきではありません。それ故に彼はこれまで中央から何度も召集がかかったそうですが、領主一族の立場を利用して逃れたとも聞いたことがあります。影を操り監視を行うことはとても高度な魔法ですが、彼ならばそれを難なく使いこなしていても不思議ではありませんね」
やっぱりレオ様は権力を濫用していた。
そして中央に行くのはエリートの象徴だと思うけど、領主一族としてこの領に残る方が彼にとって都合がいいようだ。
それはそうか。ナンバーツーとして領内で君臨する立場を手放すはずがない。レオ様が誰かに仕えるなんてとても想像出来ないし。
そう思いながら、一番言いたかったことを伝えるために口を開く。
「レオルフェスティーノ様がそこまでの影の使い手とは知りませんでした。先ほどの話になりますが、リスペリント先生も彼から“己以外の影に気をつけることだな”と言葉をかけられていましたよね? あれは言葉そのままの意味だと思うんです」
「あぁ、そういえばそうですね。あの言葉にそのような意味があったとは驚きです」
「はい。ですので比喩ではなく、どうか本当に注意をなさってください」
「分かりました。彼の影を防げるように早急に対策を講じます。……この忠告がなければ私も彼の監視対象になっていたでしょう。ミアーレアは私を案じてこの話をしてくれたのですね。貴重な忠告をありがとうございます」
「いいえ、少しでもリスペリント先生のお役に立てたなら嬉しいです」
話が一段落した私はリスペリント先生に促されようやく補習を開始した。的へ向かって杖を構えポーズを取る。
第三者的な立場の人に話を聞いてもらい胸の内を吐き出せたことによる精神的な安定と、リスペリント先生へほんの少しだけ恩を返せた満足感で派閥の違うものへ情報を渡してしまったことによるロンルカストへの罪悪感をサッパリと洗い流した私は、とてもスッキリした気持ちで呪文を唱えたのだった。
お読みいただき、ありがとうございます。




