記憶の持ち主
「あっ、特に彼女から危険は感じなかったんですよ? まぁ、あの思想はある意味危険でしたが。ただ熱烈な信者化してたので、ロンルカストに何かあってからでは遅いと思ったんです。それで今更ですが、伝えた方が良いと気がついて。こんなに心が混ざったのが初めてで、怖かったっていうのも本当ですけど」
そう話を締めくくった私に、途中で何故か一瞬だけ笑顔を深めたこと以外は、殆ど微動だにせずに、いつもの柔らかな笑顔でじっと話を聞いていたロンルカストはゆっくりと口を開く。
「……先程、彼女は私と同じ年の蕾と仰いましたね」
「はい、そうです」
「それは、私やアルトレックスと同じ講義を受けていたことから推測された、ということで宜しいですか?」
「その通りです。あっ、もしかして他の年の蕾と同じ講義を受けることもあるんですか?」
「いいえ、それは有り得ません。講義は同じ年の蕾のみで行われます。また講義中に、講師の許可のないものが講義室へ入室することもできません」
「分かりました。じゃぁ、彼女はロンルカストやアルトレックス様と同じ年の蕾に間違いないです」
「承知いたしました。また最初の4回は、講義直後の記憶だったと仰いましたね?」
「はい。生徒たちが帰り支度をしていたり、ちょうど講師が出て行くところだったので、講義直後だと思います」
「確認になりますが、4回ともに彼女は一番後ろの列の、扉の近くに座っていたのですね? アルトレックスの席も変わらずでございますか?」
ロンルカストは、一つ一つ確かめるように質問を重ねていく。
何が知りたいんだろう?
私は飲むというよりは、紅茶の香りと温かさで吐き気と気持ちを癒すために、湯気の立つティーカップを両手で持ち、顔に近づけた。
鼻から蒸気をスーッと胸いっぱいに吸い込み、口から息を吐く。
目覚めた直後に比べると、だいぶ気分が楽になってきた。
そのまま、ほんの少しだけ紅茶を口に含むと、紅茶のおかわりを注ぎ足そうとパピーがやってきたので、まだ良いよとジェスチャーをする。
改めて記憶に間違いがないか確認して、ロンルカストに返事をした。
「はい、彼女はいつもその席でした。アルトレックス様もさっき話した通り、4回とも記憶の持ち主と同じ一番後ろの列の、彼女の左側の席です」
「ご確認いただき、ありがとうございます。因みにですが、私が何処の席にいたのかはお分かりになりますか?」
「んー、ロンルカストは前の方だったと思います」
「そうですか。記憶の持ち主は、全て同一人物に間違いないようですね」
「あぁ、はい。私もそう思います」
なるほど。ロンルカストは、記憶の主が複数人だった場合を考えてたのか。
言われてみれば、自分の姿は見えない。
どこかで別人の記憶が混ざってるって可能性もあったわけだ。
記憶を体験した私は、なんとなく直感で同一人物って分かるけど、話を聞かされた側からしたらその疑惑も出るよね。
とりあえず、同じ人の記憶だと納得してくれたみたいで良かった。
「受講していた講義がどの講義だったのかは、お分かりになりますか?」
「講義は終わっていたので何の講義だったかは分かりませんが、講師は見たことのない女の人でした。……あっ! そういえば講義内容について、影がどうこうって話が聞こえたような?」
「女の講師ですか。講師の性別は、判別に十分な情報でございます。私とアルトレックスが共通でとっていた講義は限られますので」
「彼女が誰か分かったんですか?」
「おそらく。いや、でも、それはさすがに……」
さすがロンルカスト!
講義を受けていたのは下手したら10年近く前だろうし、同級生も沢山いたはずなのに、しっかりとあの席に座っていた彼女のことを覚えていたらしい。正体を教えてもらおうと、ワクワクしながら待つ。
しかし腕を組んだ後、片方の手を顎に当て、なにやら難しい顔でぶつぶつと呟き始めたロンルカストは、急に私のことが見えなくなってしまったようだ。
しばらくは私もパピーの硬いボディーをツンツンしながら大人しく待っていたのだが、ロンルカストは一向に教えてくれる気配がない。
しょうがないので、催促する。
「私も気になっているので、彼女が誰なのか教えてください。事故とはいえ勝手に記憶を覗いてしまったことも、本人に謝りたいですし」
「……残念ですが、それは少々難しいかと存じます」
私の声に反応してハッとこちらを見たロンルカストは、トーンを落とした声でそう言った。
「難しい? アディストエレンではなく、遠いところにいるとかですか?」
「さようでございます。その機会はいずれ訪れることとなりますが、今はまだその時ではないようですので」
んー、なにそれ? なんで今は会えないの?
なんとも歯切れの悪いロンルカストの言い方にモヤモヤする。
しかし、すぐにその理由にピンときた。
きっとロンルカストは、彼女に会いづらいんだ。
うんうん、分かるよ。あんなふうに熱烈な信仰を受けてるって知っちゃったら、会うの怖いよね?
私も彼女がストーカーに変貌する可能性は捨てきれないと思うし、そもそもその危険性を伝えようと思って彼に報告したしね。
でも、正体が誰かくらいは教えてくれたって良いじゃん。私もここまできたら会いたいし。
それにしっかりと対策をしておけば、会いに行くにしてもそこまで危険は無いんじゃないかな?
「確かにロンルカストが彼女と会う時は、多少は気をつけた方がいいと思いますよ? でも彼女、根は悪い人ではないと思うんです」
「はぁ、さようでございますか」
フォローしてみたが、あまり響いてはなさそうだ。
むむぅ。これには勝手に彼女の心の内を話してしまった私にも、原因があるのかもしれない。
当事者として誤解を解いてあげなきゃと、責任を感じた。畳みかけるように、口を開く。
「その、ロンルカストのことも、陰で崇めてるタイプっていうか。さっきも言いましたが信仰は厚いですが、危害を与えようなんてことは、これっぽっちも考えていないみたいです」
「それは幸いでございます」
「少し過剰なところもありますが、この点については私がしっかりと保証します。なので彼女のことを、無闇に敬遠しないであげて欲しいです」
「お気遣いをありがとうございます。しかし、その心配は不要でございます」
「心配は不要? では、彼女に会いに行っても大丈夫ですよね?」
「先程も申し上げましたが、それは難しいことかと」
「んー、学生時代の内気だった性格を知ってるロンルカストから見ると、最後の記憶の彼女はまるで別人みたいで少し怖いかもしれないです。でも、そういう人だって心構えをしておけば、彼女は全然危険じゃないと思いますけど?」
「繰り返しになりますが、残念ながら彼女と会うことはできかねます」
「いやだから! そんなに頑なに危険視しなくても、大丈夫なんですって!」
「ミアーレア様、本当に出来ないのです」
「なんでですか!? あれだったら、杖結びの時みたいにアルトレックス様に護衛を頼んでもーー」
「護衛は不要です。何故ならば、彼女は何年も前にエーダフィオンの蔓を受け入れているからです」
「へ? エーダフィオンの蔓?」
「はい」
エーダフィオンの蔓? 貴族用語に一瞬何のことかと思ったが、すぐに理解する。
「……彼女、亡くなったんですか?」
「詳細は存じあげませんが、グラーレの運んだ風によると、病に伏したとのことです」
「病気……水の魔法は? 癒しは効かなかったのですか?」
「水の魔法ですか。残念ながらあれは回復力を高めるものであり、万能薬ではございません」
「そう、ですか」
なんだか呆気ない。
まさか彼女が既にこの世を去っていたとは、思いもしなかった。
どんな人なんだろう、そのうちに会えるかなと思っていたが、初めから会うことは出来なかったようだ。
ロンルカストが今は会えないと言った真意は、私も死んだらエーダフィオンに迎えられるから、魂レベルで会えるよってことか。貴族言葉、難しい。
はぁーっとため息を吐いた。そして、思いの外落ち込んでいる自分にびっくり。
私はいつの間にか、この記憶の主と会うのを楽しみにしていたようだ。
となりの調理部屋から、甘く香ばしい香りが漂ってきた。
セルーニが焼いているクッキーの匂いだ。
両手を添えているカップを持ち上げ、コクリと一口飲みながら、昨夜の夢を思い出す。
“あの人を失った時、何故エーダフィオンの蔓は私ではなくあの人へ伸ばされたのかと、ディミゴルセオス様を呪った”
彼女はそう言っていた。
あの人とは、ベッドでイチャイチャしていた恋人のことに違いない。
もしかしたらだけど、彼女は恋人の後を追ったのかもしれないと思った。
前回、寝室の記憶では、彼女が持つ恋人への依存度の高さが垣間見えた。
支えにしていた彼を失った悲しみに心が堪えきれなくなり、精神を病んでしまったのかもしれない。
ロンルカストを盲目的なまでに崇拝していたのも、それが原因かも。
きっとロンルカストへの信仰で、一時的に心の辛さを麻痺させていたけれど、結局は失った恋人への情念が勝ってしまったんだ。……うん、この筋書きがしっくりくる気がする。
調理場場から、出来上がった焼き菓子を乗せたお皿が飛んできた。
コトリと着地すると、スススと滑るようにテーブル上を移動する。位置を調整し私の目の前で止まると、最後にカタンと音を立てて静かになった。
まだ温かいクッキーに手を伸ばす。少しだけ齧り、ゆっくりと咀嚼した。
「美味しい……」
すごく美味しい。そして、切ない味がした。
自己評価の低さから、誰かに縋らずにはいられなかった彼女のことを思う。
彼とともに心の拠り所を失い、自らの命まで失う事になった人。
なんて居た堪れないんだろう。
誰かが彼女に寄り添い、彼の代わりに支えてあげていれば、また違った結果だったかもしれない。
それか、私がもっと早く彼女の記憶を見つけてあげさえしていれば……。
今更こんなことを言ったって、もうどうしようもないことは分かっている。でも、悔しさは尽きない。
「……私、彼女のお墓参りに行きたいです」
せめて、彼女の墓標に手を合わせたいと、そう思った。
「オハカマイリ?」
顎に手を当てて、何かを考えていたロンルカストは、急にカタコトのおうむ返しをする。
「はい。記憶が繋がったのも何かの縁です。ご家族の許可が取れたら、ぜひお墓に行かせてください」
「オハカ?」
「そうです。それにロンルカストが行ってあげたら、彼女もきっと喜ぶと思いますよ。一時は心の拠り所にしていたわけですし」
「行くとは、どこにでしょうか?」
「えっ? だから、彼女のお墓ですよ?」
「それはどのようなもので、どこにあるのでしょうか?」
「はい? お墓は、えっと、何処にあるんだろう? んー、墓地とか?」
「……承知いたしました。まずは、オハカ、オハカマイリ、そしてボチについて、ご説明いただいても宜しいでしょうか?」
「はい?」
いや、お墓はお墓でしょ?
言われている意味がよく分からなかった私は、来日したばかりで日本語が不自由な外国人のような質問をするロンルカストと、齧りかけのクッキーを手に持ったまま無言で見つめあったのだった。
お読みいただき、ありがとうございます。




