魔法理論とルディー大先生
「そろそろ、お腹に溜めてることを吐き出したら? 親切な僕は、今ならどんな質問にも答えてあげるけど?」
何気ない感じでそう言ったルディーは、くねらせた尻尾の先でペシリと床を叩いた。
満足したのか、一頻りもて遊んで飽きたのか分からないが、ガシッと床に押さえつけていたハタキから手を離す。
今度こそ本当に悪魔の手から逃れたハタキは、命辛々と行った様子でルディーの足元から這い出る。
一直線に塵取りの元へ飛んでいくと、そのまま塵取りの開いた口の中へ、飛び込んだ。
塵取りの口が、カパンッと閉まる。
ハタキを飲み込んだ塵取りは、わちゃわちゃしながら、慌ててセルーニの後ろへ隠れた。
またルディーに狙われる恐怖から動くことができず、塵取りの中でプルプルと小刻みに震えるだけのハタキと、ハタキに感化されて一緒に怯える塵取り。
自分の後ろに隠れたルディーの犠牲者を、セルーニはなんとも言えない顔で見つめている。
終始我関せずだった雑巾は、役割を放棄した彼らにやれやれと小さく首を振った。
場所を移動すると、まだハタキが手をつけていない、若干埃っぽい場所をフキフキし始めた。
作業員が無事に生還したお掃除部隊を見ながら、私はゴクリと唾を飲み込む。
「……お腹に、溜めてること?」
「さっきので空っぽなら、別にいいけどね」
バレてた。ルディーは、私が最近ウジウジ悩んでる理由が、夢のことじゃないって知ってたんだ。
本当はロンルカストを信じきれなくて悩んでるって事も、分かっているのかもしれない。わざと、知らないフリをしてるとか?
……うん、今しかない。ロンルカストの情報規制疑惑について、ルディーに聞いてみよう。
腹を括る。大きく息を吸ってから、口を開いた。
「その、ルディーに折行って相談が……」
「失礼致します」
「ひゃぃっ! ロンルカスト!?」
突然部屋に入ってきたロンルカストに、声が裏返る。
「はい? 驚かせてしまい申し訳ございません、ミアーレア様。これから、処理済みの書類をレオルフェスティーノ様の元へ届けたく存じます」
「は、はい。宜しくお願いします」
「6の鐘までには戻って参りますね。それでは、行って参ります」
ロンルカストはいつもの柔らかい笑みを浮かべたまま、スッと頭を下げ立ち去った。
扉は完全には閉めず、ルディーが行き来し易いように半開きになっている。
「……それで? 僕に相談って?」
ロンルカストを目線だけで見送ったルディーは、顔を私に戻した。
邪気のない目で途切れた会話の続きを催促する。だが、タイミングが悪すぎた。
いやいや、無理でしょ!? まだロンルカストが廊下にいて、聞き耳を立てているかもしれないんだから!
でもこの流れ、なんか言わなきゃ変だ。どうしよう、えーっと、えーっと……
「あっ、そうだっ! 魔法理論が難しくて! ほらっ、自分でやりたいって言い出したのに、全然分かんないままじゃ良くないでしょ?」
「ふーん?」
無理やり相談を捻り出した私を、ジトーっとした金色の瞳が見つめる。
見透かされているようで、なんとも居心地が悪い。
つい早口になってしまったのも、我ながら嘘っぽかった。
アセアセしていると、ちょうどスライム時計の中身がすべて下に落ち切るのが見えた。
ルディーの瞳から目を逸らす名目ができたことに感謝しつつ、クルリと時計をひっくり返す。
白々しい顔で大鍋の様子を確認するフリをして、回復薬をグルグルとかき混ぜる。
ルディーと目を合わせないようにしながら、話を続けた。
「いや、えっと、本当に難しいんだよ? 仮説ばっかりだし、ややこしくて混乱してくるっていうか」
「ふーん、それで?」
「それで? あっ、それで、そのぉ…… さっき読んだニフラルガー著書なんて、すごい意味不明だったんだから」
「どう、意味不明なの?」
無理くり誤魔化しの上塗りをする。
ルディーは、間髪を入れずに質問をしてくるのてを、崖に追い詰められる犯人の心地になった。
もしかして私、ハタキの代わりに虐められてる?
「それは、えーっと、えーっと。 ……そう! 魔法をさ、部屋の行き来に例えたのって覚えてる? こっちの部屋からあっちの部屋に行くことが魔法で、魔力を持たない平民にはできないって話」
「うん、覚えてるよ」
「杖がドアノブの役割で、杖がないと扉を蹴破る乱暴な開け方になるって話だったじゃん? 呪文も杖と同じで、その補助みたいなものだと思うけど」
「ふん」
「でもね、ニフラルガー様は、本来部屋を行き来するのに杖や呪文のドアノブはなかったし、扉すら要らないって書いてあるの」
「へぇー?」
「彼の主張によると、魔法はもっと自由なものだったんだって。理由は、この世界を作った7柱の精霊物語に、呪文も杖も出てこないから」
「ふんふん」
「私はまだその精霊物語を、ちゃんと読んでないけど、でも杖なしで魔法を使うのは、凄く危険でしょ? ……前に、この部屋で杖なし魔法を使ったら、ヘラが大暴走してロンルカストに怒られたし」
「はぁー」
大鍋をかき混ぜるために握っている、ヘラを見る。
……懐かしい。このヘラ、窓を突き破って飛んでっちゃったのを、ロンルカストが拾ってきてくれたんだよね。
あの時、セルーニと一緒に怒られたなぁ。静かに怒るロンルカスト、凄い怖かった。
そういえば、夢の中でもロンルカストってば、同じキレ方をしてたよね。ふふっ、昔からああいう感じなんだ。
……あれは、本気だったんだよね? 私のことを思うからこそ、本気で怒ってくれたんでしょ?
だから、だから、ずっと私に嘘をついていたなんて、嘘だよね?
信じたいのに信じ切れないロンルカストのことを思い、切なくなる。
何が嘘で何が本当か、分からない。
今まで過ごしてきた時間を否定された気持ちになり、胸が締め付けられた。
どうしよう、涙が込み上げてきた。でも、でも今はダメ。ロンルカストが、まだあの扉の向こうにいるかもしれないんだから。
そうだよ、ルディーと魔法理論の話をしなくっちゃ。
無理やり頭の中からロンルカストを締め出す。思考を魔法理論に切り替えた。
「……100歩譲ってさ、制御力を高めて杖なし魔法を極めたとするでしょ? でも、呪文もなしにしちゃったら、そもそも魔法が発動しないよね? だからこのニフラルガー様の仮説は、ちょっと強引すぎると思うんだ」
「ふーん?」
私はこんなに思い詰めてセンチメンタルなのに、ルディーは、やる気のない返事ばかりを返す。
勝手ながら、温度差にイラッとした。大鍋から顔を上げる。
「……ルディー? さっきから生返事ばっかりだけど、ちゃんと聞いてる?」
「聞いてるよ?」
ルディーは、ピンク色の肉球がついた前足をテチテチと舐めながら、その足で顔を洗っていた。
可愛い。可愛いいけど、休憩時間感が凄い。絶対聞いてなかったよね?
「いやいや、聞いてなかったでしょ?」
「そういえば、ミアは僕の魔法を見たことがあったよね?」
「? うん、1回目の杖結びの時に見たよ。あの守りの魔法、すっごかった。絶対にどんな攻撃も防げるって分かったもん。今更だけど、あの時は助けてくれて、本当にありがとう」
「まぁね。あの時の僕って、どうだった?」
「どう? んー、なんか夜に溶けたみたいでちょっと怖かっ……あっ、いやっ! ルディー、凄くカッコ良かったよ?」
「……そういうことを聞いてるんじゃないんだけど」
「え、じゃぁ何?」
「はぁ。 ……僕はあの時、杖と呪文を使ってた?」
「杖と呪文? あの時ルディーは…… あれっ!? 使ってなかった!?」
「彼の説が証明されたね。記録には精霊物語が云々って書いてあったかもしれないけど、彼にも使い魔がいたか、誰かの使い魔が魔法を使う場面でも見て、気がついたんじゃない?」
「あ、なるほど。精霊の話はカッコつけの後付けだったんだ。紛らわしぃっ」
「研究者なんて、そんなもんだよ」
「そうなの? ねぇ、じゃぁ扉についてはどう思う?」
「んー? もっと詳しく話して」
「えーっと、思い出すから、待って。……確か、そう! 扉があるから、本当の魔法を使えないんだって」
「それで?」
「それで、魔法を使うためには、魔法そのものの存在を学ぶを必要があるでしょう? 貴族社会で生きる私たちは、当たり前のように魔法に触れてるから、そこはクリアーしてる。でも同時に、杖と呪文を使った魔法を見ているから、ドアノブと扉の存在を知ってしまっているよね?」
「ふん」
「そういうものだって、固定概念が出来てしまっているから、今更その概念を取り払うことができない。ある意味、縛られている? 私たちは縛られてるから、本来の自由な魔法が使えない、みたいな?」
「つまり?」
「つまり? つまり、その…… 本当は杖や呪文がなくたって、魔法で何でもできるけど、何でもできるためには、魔法という存在を知覚しなきゃいけなくて。でも、魔法を知覚したときには、ドアノブと扉も見てるから、扉なしで自由に部屋を行き来する権利は、すでになくなってる? だから、理論上では魔法は何でもできるはずだけど、現実的になんでも出来ることは無理ってこと? ねぇ、言ってて混乱してきた。ルディー、意味わかる?」
人に話すと自分の考えがまとまると、先人の偉大な誰かは言っていた。だがしかし、私には無理だったようだ。
ぐちゃぐちゃに絡まった毛玉を解すのを諦め、そのままルディーに丸投げする。
「なるほどね。この実態になったおかげで、彼の言いたいことが分かるよ。普通の貴族が現実的に実践可能かどうかは置いといて、間違ってはないんじゃない?」
「え、今ので分かったんだ。私、全然わかんないけど?」
「魔法に触れてこなかったものが、固定概念がまだ何もない赤ん坊のようなまっさらな状態で、かつ無意識の純粋な祈りの気持ちで力を込めれば、本来の自由な魔法が使えるってことでしょ」
わぉ、さすがはルディー大先生だ。
一瞬で理解して、分かりやすく要約してくれた。
ルディーは、さっきからお尻をペタンと床につけて、ガニ股に開いた両足の中に両手を入れた、おじさんみたいな座り方をしながら、お腹をザリザリと舐めている。
威厳もなにもない姿だが、尊敬しかしない。
「じゃぁ、ルディーも魔力があれば、何でもできるってこと?」
「制限がないわけじゃ無いけど、確かに精霊寄りの僕は、以前よりも枠に囚われる事なく魔法が使えるよ。もちろん杖も呪文もいらないしね」
「へー、使い魔ってすごいんだね」
諸説あるけれど、狼に育てられた人間が自然と4足歩行になるように、魔法はこういうものだって日常的に刷り込まれてるってことで、逆に自由度が奪われるってことか。
でも、魔法があるって知らなきゃ魔法使おうなんて思わないし、難しいね。
私も薬屋にいた時は、魔力があるって分かんなかったから、魔法使おうなんてこれっぽっちも思わなかったし。
……ん? もしかして、冗談でも魔法の真似事をしていたら、自由な魔法が使えてたかもしれないって事? そういうこと!?
うわぁー、転生した初日にやっとくべきだったぁ!
“いでよっ! 全てを焼き尽くす漆黒の炎よっ!” とか、言いたかった!
大後悔の嵐が吹き荒れる。
なんで私は、魔法少女を夢見る魔女っ子じゃなかったんだろう。今頃バンバン自作魔法を生み出して、大魔法使いになってたかもしれないのに。
もう無理じゃんー! 沢山魔法使うとこ見ちゃったから、もう遅いじゃんー!
「かといって、何も知らない幼子に自由にやらせると、ミアがやらかしたみたいに大爆発を起こす可能性もあるからね。日常的に魔法に触れさせつつ、杖結びや魔法の本格的な勉強はある程度の理解力を持つ年齢になるまでやらせない理由は、そこにあるのかな?」
ルディーの言葉に、嵐はピタリと止んだ。
やっぱり、“漆黒の炎”はやってなくて良かった。下手したら、街が吹き飛んじゃうとこだったよ、危ない、危ない。
「ルディーの講義、分かりやすい。本当に講師をしてたら、きっと人気が爆発してたよ」
ルディーへの素直な賞賛を向け、スライム時計をチラリと確認した。
スライムオイルはあと少しで全部が下へ落ち切りそうだ。回復薬の煮詰め作業も、もうちょっと。
私は額の汗を拭きつつ、大鍋をヘラでグルグルとかき混ぜた。
「そうだね。でも僕には、南塔の講師は無理みたいだ」
「さっきはノリノリだったのに、どうしたの?」
「勘の悪い生徒のお世話で、手一杯だからさ」
ルディーの急な悪口。
最初は何を言っているのか、良く分からなかった。
「……へぇぁっ!? それって私のこと!?」
一拍遅れて理解が追いついた私の心の中では、習得できなかったはずの全てを焼き尽くす漆黒の炎が、これでもかと吹き荒れたのだった。
お読みいただき、ありがとうございます。




