異質な契約とルディーの講義
「とても彼らしい決断だったね」
テーブルの下で、尻尾を自分の体に巻きつけて丸まっていたルディーは、自分の椅子にそっと戻った私に向かってそう言った。
「彼らしい?」
抱き枕を返して手持ち無沙汰になった私は、質問を返しながら、屈んでルディー脇の下に手を入れた。
そのまま持ち上げて椅子に座る。
ビョーンと体の伸びたルディーは、大人しく私の膝の上に乗った。そして口を開く。
「そう。真っ直ぐな芯だった。冬呼びたちのお供も、長く努めていたようだし、彼はきっと、いい炎だったんだと思うよ」
「そっか。糸としてハリーシェアの家に届けられたのも、彼らからのご褒美かもって言ってたしね」
ルディーのお尻の辺りを撫で撫でしながら、返事をした。
正面に座るハリーシェアは、私達の会話が聞こえているはずなのに、何も言わない。
抱き枕から顔を離さない彼女を見ながら、冬呼びたちのもとへ行った我が家の悪戯っ子を思い出す。
シュシュートも、エアリみたいに彼らを守る旅を続けてるんだね。いずれは糸に織り込まれて、どこかの家に渡るのかな。
元気よく去って行ったシュシュートが、まさか魔との戦闘だらけの過酷な旅をしているだなんて、思ってもいなかった。
もし知ってたら、そんな旅になんて送り出せなかっただろう。
それとエアリの話を聞いて、怖い羊人間と思っていた冬呼びの見方が変わった。
愛着と尊敬の念が湧いて、今では勇敢で孤独な旅人に思える。あの平たい瞳孔と急にバックリ裂ける口は、まだちょっと怖いけど。
うん。次の冬にまた彼らが来たら、シュシュートが元気か聞いてみよう。
この前は玄関先だけの対応で、申し訳なかったし。今度は部屋の中に案内して、ゆっくりお茶でも飲んでいってもらいたいな。
もしかしたらペミレンス家に渡される前のエアリの話も、聞けるかもしれない。
終わったばかりの冬が、なんだか楽しみになってきた。
「それにしても、特異的な契約だったね」
次の冬のことを考えていた私は、ルディーの声で現実に戻される。
「え? 何が特異的なの?」
「エアリの契約者の話」
「あぁ……」
そう言われて、夢で聞いた声を思い出す。
“この想いが、どうか彼らの糸に伝わりますように。私たちの代わりに、寂しい冬に包まれたあの子を守ってくれますように”
優しくて悲しげな女の人の声。
その声からは、我が子への悲痛と慈愛に満ちた思いが、たっぷりと伝わってきた。何故だか胸がチクリと痛む。
「あの声は、ハリーシェアのお母様だよね?」
「多分だけど、そうなんじゃない」
「やっぱり。じゃぁエアリ君は、ハリーシェアのお母様が、枕に残した想いと魔力に契約したんだね」
「まぁ彼女としては、契約というよりも、我が子を想う純粋な祈りだったと思うよ」
そう言いながら、ルディーは私の手を尻尾でペシリと払った。
むぅ。さっきまでは、お尻撫でられて気持ち良さそうな顔してたのに、気分屋なんだから。
自分の手を摩りながら、ルディーが言った“特異的”の意味を考える。
「ハリーシェアのお母様もエアリ君も、お互いに意図していなかったのに、偶然その想いが契約になっちゃったから、特異的ってこと? それとも、エアリ君自身が、契約したことに気付いていない、無意識の契約だったから?」
「まぁ、それも一つだね。ミアが言うのもどうかと思うけど」
「え、なんで?」
「だって僕やフィンとは、契約しようと思ってしたわけじゃ無いでしょ?」
あ、確かに。今思えば、ルディーには嵌められた感じがするけど、フィンちゃんに名付けをしてしまったのは、完全な偶然だった。
契約者が意図せず契約を結ぶことが、イレギュラーでないのであれば、ルディーは何が特異的だと言ったんだろう?
「エアリ……。私がちゃんと気がついていれば、一言、契約しようって言っていれば、もっと一緒にいれたのに……」
悲痛な声が聞こえ、正面をみる。
抱き枕から顔を上げたハリーシェアは、オレンジピンクの瞳で、テーブルの上の何もないところを見つめていた。
ピンクメッシュの入ったブラウン髪が、顔の半分を隠している。
「あっ……」
そんな彼女に、なんて言っていいのか分からない私は、不自然に言葉を切らし、そっと目を伏せた。
確かに、契約者がハリーシェアに変わればエアリの魔力不足は解消するだろう。
でも、彼はハリーシェアが自分のせいで変わることを恐れて、自ら去る決断をしていた。
果たしてハリーシェアが契約しようと提案したとして、エアリは首を縦に振っていただろうか。
「…………。」
気不味い沈黙が流れる。
遠くの方で、パピーがコンコンとテーブルを回る音が耳に響く。
「くわーぁ。……ハリーシェアは、まだ夢の中なのかな?」
その空気を破ったのは、ルディーだった。
緊張感のない欠伸と、傷ついているハリーシェアを煽るような言い方に、ハラハラする。
「ルディー。そんな言い方、良くないよ?」
「ハリーシェア。彼の契約で何が1番異質だったか、君はもう少し考えなければいけないね」
「……申し訳ございません。それは、どういった意味でしょうか」
「そうだなぁ。彼の心は、やけに揺らめいていたと思わない? 特に終盤は顕著だったね。真っ直ぐな彼のあり方とは、あまりにもかけ離れていた気がするんだ」
「そう言われてみますと、そうだったように思いますが」
「例えば、彼は君と過ごした日々が、たった一冬のことだと勘違いしていたみたいだね。でも、実際に彼と話ができたのは、本当はどのくらいの期間だったの?」
「確か、5年ほどです」
「うん。彼が結んだのは一時的な契約だし、それほど長く魔力が持つのはおかしいと思わない?」
「ですが、エアリが目を覚ますのは冬の間だけ、それも毎日ではありませんでした。最後の方など、ほんの数回でしたもの」
「だとしても、だよ。何年も動くのには、ハリーシェアの母の残した想いと魔力だけじゃ足りないんだ。彼自身も、最初に飲み込んだのはそれほど大きな魔力じゃ無かった、って言ってたでしょ?」
「ルディー、そうだけど、でもほら。エアリ君はハリーシェアの涙に含まれる魔力を吸い取ってたって言ってなかった?」
「それこそ、微々たるものでしょ。もともとね、糸に残った彼女の魔力と想いだけじゃ、契約を結ぶのには足りないと思ってたんだ」
「でも、契約は結ばれてたんでしょ? ルディー、何が足りなかったの?」
「ハリーシェア、もう一度言うけど、君は考えなければいけない。何が彼を補っていたのか。むしろそれがあったから、彼が目覚めて契約が結ばれた、ともいえるね」
ルディーは、金色の瞳で真っ直ぐにハリーシェアを見ている。
最初は何を言い出すのかと慌てたが、どうやら真面目に教えてくれるようだ。いつもと違うルディーの様子に、私の背中もコピッと伸びる。
「エアリを補っていたもの? 私が、考えなければいけないこと?」
「君が辛かった時、苦しかった夜、その枕とどう過ごしていたのかな? 何かしていなかった? もちろん、彼が目覚める前のことだよ」
「……っ! そういえば私、小さい頃、寝る前にこの枕を抱きしめながら、よく話しかけていました!」
「よく思い出してごらん。何故君は、枕に話かけていたのかな? というより、どうして君は、その枕に話しかけなければいられなかったのかな?」
「どうして? どうしてだったんでしょう? ……確か、確かとても寂しくて? そうだ、お母様やお父様が帰ってこなくて、すごく寂しかったのです。夜、この枕を抱きしめながら、いつも辛い思いを吐き出していました。そうしなければ、寝れなかった……。思い出しました、だから、だからですっ! エアリが話し出した時、まるで、私の声に答えてくれたように思えて! それが、すごく嬉しかったんです!」
「ハリーシェア、幼い体ではね、大きな感情を抱え込めなくて、無意識に自分の心を分けてしまうことがあるんだ。防衛本能に近い、ある意味、子どもだけの特権かな」
「子どもだけの特権?」
「そうだよ。君は君を守るために、何をどこに分けていたの?」
「私を守るために、何をどこに? 私、私は、私の寂しい心を、この枕に隠していたということですか?」
「子供が近くのたわいもないものに、辛い心を隠すのは、よくあることだからね」
「では、エアリを補っていたのは、私の心?」
ハリーシェアはハッと目を見開き、抱えている抱き枕を見る。
2人の会話を聞いていた私は、子どもの1人遊びと、『移行対象 』という心理学用語を思い出した。
『移行対象』とは、ぬいぐるみや人形など、柔らかくて肌触りの良いものに対して、子どもが感じる愛着のことだ。
一緒に寝たり、話したり、泣いたり。他の人には言えないようなことも、ぬいぐるみだけには相談できたり。
不安を解消して安心感を与える、“親代わり”の役割を担ったり、まるで自分の分身や、親友のような関係を築くこともあるって聞いたことがある。
ハリーシェアは、抱き枕を『移行対象』として、辛い心の拠り所にしていたんだ。
魔力や精霊などが存在するこの世界。その理りの中では、ハリーシェアの無意識の行動は、本当に心を分けることを意味していた。
「彼の契約がとても異質だったのは、2人分の魔力が混ざってたってことかな。君の心の一部を移した彼に、君の母の想いも偶然に一致して、彼の芯に響いたんだ。一時的な契約と少ない魔力でも、君の心があったから、彼は何年も動けた。終盤に彼が揺らいでいたのは、取り込んだ君の心の不安定さに、引っ張られていたんじゃないかな?」
「……何故エアリは、だんだん話さなくなってしまったのですか?」
「それはね。体の成長とともに、君の心も成長していったからだよ。ハリーシェア、君は徐々に辛いことや苦しいことを、エアリに背負ってもらわなくても、自分で持てるようになった。自分の心を、自分の中におさめることが出来るようになったんだ」
「私が、成長したから?」
「そう。エアリの中の君の心は、少しずつ君の元へ戻っていった。ただ、彼は君の心と同化しすぎていた。もはや一体化していたんだろうね。君の髪や瞳の色が変わったのは、エアリに預けていた心が戻るときに、心と同化した彼も君の一部になったからだよ」
「エアリが、私の一部に?」
「まだ、信じられない? エーダフィオンは、彼を迎えにこなかったでしょ?」
「あっ、エアリは蔓が来ないと不思議がっていました。ではエアリは本当に、廻りに戻っていないのですか?」
「そう。彼はね、消えてなんかいなかったんだ。ハリーシェア、それを証明するのが何か分かる?」
「証明? ……もしかして、私の髪や瞳の色、ですか?」
「よくできました。彼は、君の心にずっと灯っていたんだ。今までも、これからもね」
「でも、でも私、全然気がつかなかったのに」
「君は、今日気がつくことができた。彼の想いや在り方も、知ることができたよね? 彼が居る場所は変わらないけれど、それに気がついた君が居る場所は、変わるかもしれない」
「 ……はい。ありがとう、存じます」
絞り出すようにそう言ったハリーシェアは、見つめていた抱き枕をギュッと抱きしめた。
オレンジピンクの瞳から、細く流れた涙が枕に落ちて、生地に染み込む。
そこにはもう誰もいないけれど、いなくなったと思っていたエアリは、ずっとハリーシェアと共にいた。
なんて、感動的なんだろう。私までうるうるしてきた。
そんな彼女を満足そうに見つめながら、私の膝の上でまったりしているルディーも、なんだか別人に見える。
いつもは意地悪したり、誤魔化して教えてくれなかったりするのに、大切なことはちゃんと教えてくれるんだね。
マイ使い魔は、優しくてとても頼もしかった。感謝を込めて、顎の下を撫で撫でする。
目を細めて私の手を受け入れていたルディーだが、ふっと思い出したかのように立ち上がった。
そして、少し離れた場所にあるテーブルで、お茶を飲みながら私たちの話を聞いていた側近たちに目を合わせ、口を開く。
「親切な僕に教えてもらえて良かったね、ハリーシェア? そうだな、講義料はフェブリックから貰おうか。まぁ、彼は賢いから、わざわざ言う必要もないと思うけど」
はっきりと報酬の要求を言い放ったルディー。
ハリーシェアの側近たちは、一瞬ポカンとした後、すぐに開いた口を引き締めて、分かっていますと言わんばかりにコクリと頷いた。
そんな光景を見つめる私は、はぁーっと長いため息をつきながら、先程ルディーに抱いてしまった尊敬を返してほしいと本気で思ったのだった。
お読みいただき、ありがとうございます。




