閑話20 ある終わりを望む魔力残存の平穏(後)
クゥークゥーと、安らかな寝息を立てるハリーシェア。
そんな彼女を見つめる俺は、憂の中にいる。
ハリーシェアの髪や瞳の色が、最近変わってきたのだ。
初めて会った時は薄い茶色に近かったそれらは、ここのところ赤みを帯びていた。
(この色、炎である俺の魔力に影響されたとしか考えられない。これは一時的か? それとも永続的なものなのか?)
彼女が俺と会ってから、まだ季節一つ分も超えていない。
急激にそのあり方を変えてしまうのは、決して良いことではないだろう。
俺は、俺がこの子に与えてしまう影響が怖くなっていた。
俺の魔力残量も、残り少ない。
泣き腫らした彼女を慰め、これからも俺がこの子とあり続けるためには、最初のようにそれなりの魔力を食べる必要がある。例えば正式な契約だ。
だが、それははたして良いことなのか。
髪や瞳の色のように、俺のせいでハリーシェアの在り方が変わってしまうかもしれない。俺にそんな権利など、あるのだろうか。
……ん? これからも、この子のそばに居続ける? いったい何を言っているんだ俺は!?
自分の気持ちに気づき、愕然とする。
涙を拭くだって!? ハリーシェアの泣き顔なんて、前に見たのがいつだったかも思い出せないほど、見ていないじゃないか。
寝物語をするのも、元はといえば俺の魔力が無くなるまでの僅かな間と、決めていたはずだ。
本来の目的からそれ、いつしか彼女へ物語を紡ぐこと自体が楽しみになっていた。
彼女の為などと言いながら、本当に彼女と離れ難かったのは、俺自身だ。
こんなことは許されない。
定めに従い終わりゆく俺に、彼女を変える権利など、あるはずがないんだ。
赤く変わってしまったハリーシェアの毛先を見つめる。
それでも彼女を見守りたい、これからもそばに居たいと叫ぶ心の揺らぎから、俺はそっと目を逸らした。
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「ーーエアリ? エアリ? 今年も起きないの? もう冬が終わっちゃうよ?」
「んん? 冬が終わる?」
「エアリっ! 起きたんだね!?」
なんだかハリーシェアのことを、久しぶりに見た気がする。
手を伸ばし、ポンポンと肩を叩こうとするも、俺の手は彼女の背面まで届かなかった。
……ん? おかしいな。ハリーシェアは、こんなに大きかったか?
嬉しそうに俺を見つめるハリーシェアと目が合い、ビクンッと心臓がはねた。
瞳の赤みが強くなっている。もう完全に、最初に見たときの薄茶色ではない。
長く居すぎたんだ。俺のせいで彼女がまた変わってしまう。
俺が消えれば、彼女は元に戻るのだろうか?
「冬が終わる? ハリーシェア、この前ユールログをしたばかりと言っていたのに、変なことを言うんだな?」
どうしようもない不安に襲われながら、必死でなんでも無いフリをする。うまく返事は返せただろうか。
「うんっ、何でもないの! ねぇ、エアリ、今夜も騎士様の話をして?」
「あぁ、ハリーシェアは本当にこの話が好きだな。もう3日も連続で話しているのに、飽きないのか?」
「全然っ! 続きを聞けるのを、ずーっと! 楽しみにしてたんだから!」
「ずーっとって、大袈裟だな。まぁ、これは俺にしかできないとっておきの話だから、しょうがないか」
「……ねぇ、エアリ。エアリはずっとずーっと、私と一緒にいてくれるよね?」
「急にどうしたんだ? 今日のハリーシェアは、変なことばかり言うんだな。いつも先に夢の中へ行くのは、ハリーシェアじゃないか」
急に目の端を潤ませ始めた彼女に、残り少ない魔力で動かし辛くなった手を、無理やり伸ばす。その滴を吸い取った。
涙とともに生地に吸収された魔力は、いつもよりも甘く感じた。
彼女の涙、久しぶりに見たな。そういえば、最近のハリーシェアは本当に強くなった。
もう、俺が涙を拭いてやる必要はないと思い知る。
「よし、じゃぁ話すぞ?」
「うんっ!」
「結界の外で大立ち回りした騎士と魔の話だ。いいか? 荒野で塵となった奴らは、なおも消えることはなかった。しばらくすると、散ったはずの奴らは再び集まりだした。そして、戦闘に巻き込まれて果てた、哀れな動物の骸に向かって、一直線に向かっていったんだ。あれを依代に復活する気だ! そう気がついた炎の騎士はーーーー」
小さく寝息を立てる彼女を、見つめる。
眠いな。今夜はすごく眠い。
俺は抗いようのない睡魔に襲われ、強制的に意識を奪われた。
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ーーごめんね、ハリーシェアーー
声が頭に響く。誰だ?
ーー1人にしてごめんね。辛い冬の間、これを抱いて眠る貴方の夢が、せめて暖かなものでありますようにーー
知らない声だ。だが、何故か俺はこの声を、聞いたことがある気がする。
ーーーこの想いが、どうか彼らの糸に伝わりますように。私たちの代わりに、寂しい冬に包まれたあの子を守ってくれますようにーー
……ずるいな。守れなんて言葉、俺が放っておけるわけがないじゃないか。
あぁ、そうか。俺は自分でも気づかないうちに、この声の彼女と契約をしていたんだ。
これは俺の役目だったのか。同時に俺は、その役目を終えたことを悟る。
終えるまで気づかなかったとは、とんだ間抜けだな。
※※※※※ ※※※※※ ※※※※※ ※※※※※
「エアリ、見て? またーが始まっーよ?」
魔力は既に底をついている。俺はピクリとも動けない。
うまく聞こえないが、俺に話しかけるハリーシェアの声が聞こえた。
「ねぇ、エアリ? 今ーも起きーくれーんでーょ?」
ぼやける視界の中、俺の目の前では赤みのかかった瞳が、不安げに揺れていた。
瞳から溢れた滴がポトリと落ち、俺に染み込む。
(……冷たいな)
自然と、最初に出会った時に食べた魔力を思い出す。
あれは最悪に不味かった。冷え切った彼女の心を乗せた魔力は、炎そのものである俺にとって、耐え難いほどに相入れない。
「ねぇ、ーう沢山寝ーでしょ? そろーろ起ーて、おーしの続きを聞かーて?」
ポトリ、ポトリと魔力を乗せた涙が俺の生地に染み込む。
芳しい魔力の匂い。衝動的に取り込みたくなる自分の心を、理性で押し留める。
「エアリ? エアリ聞こーてるんーしょ? お願い起ーてよ。お話し、聞かーて?」
下を向いた彼女の表情を隠す薄茶色の髪には、少しだけ赤い束が混じっていた。
(……大丈夫。俺がいなくなれば、その瞳も髪の色もきっと元に戻るさ)
俺にはこれ以上、彼女を変える権利などない。魔力が尽きた今、あの声の主との契約は終わり、同時に俺の役目も終わった。
無理やりに瞳を閉じる。彼女の魔力を取り込まないように、必死で歯を食いしばった。
君は、君本来の在り方に戻らなければならない。
「ねぇ、秘密ーー話聞かせて? エアリーーか、話せなーんでーー?」
ハリーシェア、すっかり強くなった君に、もう俺の寝物語なんて、必要ないだろう?
「エアリ、返ーしーよ……。ーーーずっと一緒に、いてーれるんーーょう?」
ごめんな。精霊の一欠片である俺は、嘘がつけない。あの時も、その質問にはちゃんと答えてやれなかった。
動かない手がもどかしい。俺の代わりに、泣いている君の背中を叩いてやるやつはいないのか?
「エアリーーーーーー?」
次第に遠のいていった彼女の声が、ついに聞こえなくなる。視界も閉ざされ、冷んやりとした暗闇が訪れた。
エーダフィオンの蔓はまだ見えない。彼女にしては珍しいが、きっとすぐに迎えに来るのだろう。
望んでいた終わりだ。俺も、在るべき場所に還らなければならない。
ふと、思う。
彼らは俺を編んだこの糸を、わざとこの家に渡したのだろうか? うむ、今となれば、そうだとしか思えない。
自分で言うのもなんだが、俺は彼らによく尽くした。
俺の性格を知っている彼らは、死ぬことのない魔を倒しきれずに愚直に悔しがる俺に、全うすべき最後の役目を与えてくれたのだ。くくっ、なんという憎い奴らだ。
ーーエアリ?ーー
聞こえるはずのない、彼女の声が聞こえた。
ーーエアリ? ねぇ、起きて?ーー
あぁ、俺を呼ぶ声だ。なんて愛おしい。
いつの間にか俺は、暖かな毛布で包まれていた。暗闇の中、キラキラと輝く君の瞳も見える。
蔓はまだ見えないが、エーダフィオンが、俺に最後の夢を見せているのだろう。
ーーエアリの秘密のお話、聞かせて?ーー
……そうだな。今夜はなんの話をしようか? ハリーシェア、君に聞かせたい話は、まだまだあるんだ。
そうだ。騎士の話ばかりを聞きたがる君に、この話をしたことはあったかな?
もうすぐ訪れる、春の話だ。俺が守ってきた誇り高い彼らの足跡は、春を蓄える。
君の嫌いだった冬は、やがて芽吹く春の大事な糧となるんだ。
冬の間に溢れた君の涙も、決して無駄にはならない。イリスフォーシアの光を受けて、きっと美しい花を咲かせるだろう。
それが見れなかったことは、少し心残りだが。
この糸に身を宿し、君と紡いだ慶福な日々に感謝を。
願わくば、俺が守ってきた冬呼びたちの目覚めさせる麗しい春の光が、俺の代わりに君の心を照らし続けることを祈って、彼女の蔓を受け入れよう。
名をありがとう、ハリーシェア。
凍えていた彼女の心を、俺は少しでも温めることができたのだろうか。
お読みいただき、ありがとうございます。




