本当の名
「待って! お願い、テーレオ!!」
ハッと気がつく。
黒猫に向けて伸ばしていた手は、執務室のカーペートを掴んでいた。
「テーレオと言いましたか? ミアーレア、あなた、なぜその呼び名を?」
「えっ、あ、ディーフェニーラ様。あの、その……えーと、」
やばい。急に亡き旦那様の名前を叫ばれたら、そりゃ怪しむよね。
ディーフェニーラ様に咎められ、奥の飾り棚に目を泳がせた。
物言わぬ黒猫の置物は、すまし顔で座っているだけで、助けてくれる気配はない。
テーレオがずっと見守っていたってこと、私がバラしても良いのかな?
うん、すごく嫌がりそうな気がする。どうしよう。
この場をどう乗り切ればいいのか分からず、言葉に窮した。
「 ……はぁ。全くここは、お節介ばかりだ。餞のつもりか? 悪いけど、花なら間に合ってるよ」
足元の黒猫が、大きなため息をつく。
頭を振りながら、嫌そうにディーフェニーラ様に返事とも言えない言葉を返した。
ディーフェニーラ様は、チラリと後ろを振り返り、私の視線の先の飾り棚を確認する。
すぐに顔を前に戻すと、口元に手を添えながら、私の足元の黒猫に視線を落とした。
「あの時、彼にはエーダフィオンの廻りに戻るまで、まだ猶予があるはずだったのです。それなのに、まるで自ら生を手放したかのように逝ってしまったわ。 ……貴方が、その答えなのね」
「何か勘違いをしているようだけれども、僕は、彼じゃないよ」
「えぇ、そのようね。でも、きっと彼にも聞こえているのでしょう?」
「どうかな、僕にはさっぱり分からないよ」
とぼける黒猫からスイと視線を上げて、ディーフェニーラ様は私に目を合わせた。
「彼は最後に、まるで悪戯が成功したかのような顔をしていたわ。ミアーレア、彼が何をしたのか、わたくしが気が付かないとでも思って?」
「えっと、ディーフェニーラ様?」
急に目が合うも、何を言われているのか分からず、あわあわしてしまう。
狼狽する私を見ながら、ディーフェニーラ様は、口元の手を離した。
「わたくし、これが癖になってしまったのよ。ふふふっ、少し意地悪だったかしら」
にっこりと微笑み、その手でこめかみを抑える。
ん? 頭が痛いふりを、意地悪でしていた?
ディーフェニーラ様が頭に手を当てるたびに、心配したテーレオが、背中に魔力を当てていたことを思い出す。
「あっ! もしかして、彼の魔力に気がつかないふりをしながら、わざと頭が痛む仕草をしていたのですか?」
「確信があったわけではないわ。先程まではね」
「えっ?」
「幼子を使って答えを聞き出すなんて、少し大人気がないんじゃないかな」
「貴方はいつも、そうね。わたくしに、うまく隠せていると思っているのですわ」
「はぁー。全く、君の聡明さには今日も感嘆が尽きないよ。まぁ、元はと言えば、先輩面して藪を突いたあいつが悪いんだ。いいきみだね」
黒猫はしらばっくれるのをやめ、ディーフェニーラ様と軽い言い合いを始めた。
2人の会話を聞いてハッと気がつく。
しまった。私、ディーフェニーラ様に、カマをかけられたんだ!
見事に引っかかって、テーレオの秘密を白状してしまった。だが、今更気がついたとて、後の祭りだ。
バツが悪くなり、飾り棚の上の黒猫にごめんねと、心の中で謝る。
動くはずのない黒猫の置物は、なぜか金色に輝く宝石の瞳が陰り、少し呆れているように見えた。
うっ、わざとじゃないんです。本当にごめんなさい。
でも、もう、バレちゃったものはしょうがないよね。こうなったら、全部言っちゃえ!
居た堪れなくなった私は、開き直る。
罪悪感を抱えつつ、でも伝えるなら今しかないと勢いのままに口を開いた。
「あの、ディーフェニーラ様! わたくし、先程彼とお話をしたんです。それで、彼はこれからもずっと、ディーフェニーラ様を見守ると仰っていました」
「そう。彼は、約束を守り続けてくれていたのね」
「はい。これからもテーレオ様の意志を継いで、彼の愛したものの側を守っていくと語っていらっしゃいました」
「ミアーレア、その呼び方は、わたくしと彼だけのものなのよ。彼の本当の名を知っていて?」
「え? テーレオ様の本当の名前、ですか? 申し訳ありません。わたくし、あの、存じ上げなくて」
「彼の名は、ラジェルティートレオンよ。このシャトネットに引っかかっていたなんて、ふふっ、因果なことね」
「ラジェルティートレオン様…… 」
なんと、シャトネットと同じく、テーレオも愛称だった。
さすが領主一族の名前だ。長くて覚えにくい。
文字数の多さと身分の高さは、比例するのかもしれない。
長い名前が呼び辛くて、結局ニックネームで呼ぶのならば、最初から簡単な名付けをすればいいのに、なんて思ってしまう。
まぁ、先先代領主の名前を知らない、私がいけないのか。
後ろの扉の近くで控えている、ロンルカストの顔を見るのが、ものすごく怖い。
きっと笑顔で、領主一族の名前に関する学習方法を、考えているのだろう。
近々、座学のメニューが増えることを確信し、しょぼんとした。
「彼は、わたくしのテーレオだったの。でも、どれだけ自分が守られていたのか、本当の意味で気がついたのは、彼が去ってからだったわ」
「 ……。彼の全ては、君のためにあったからね」
「エーダフィオンの廻りに戻った後も、時々彼の魔力を感じるような気がしていたのよ。やっぱり貴方は、私を支えてつづけてくれていたのね」
「そうだね。彼の全ても、君のためにあるべきだから」
「うふふ。でもまさか、その一部が徨魔になるほど悩ませていたなんて。意地悪がすぎたかしら?」
ディーフェニーラ様は椅子から立ち上がり、コツコツと靴をならしながら飾り棚に向かう。
黒猫の置物の前に行くと、愛おしそうに目を細めた。
「ふぅ。甘い幻に惹かれてしまうなんて、あの時の僕はどうかしていたんだよ。力を剥がしすぎて、心まで痩せてしまっていたのかな。できた隙間から入り込んだスコダーティオのおかげで、僕は、美しい後ろ姿を毎日見ることのできる特等席を、手放してしまった。失ったものほど、美しいものはないね」
「わたくしたちはいつだって、失ってからそのことに気付かされる運命なのね。でも貴方のおかげで、わたくしは今度こそ、失う前に大切なものの手を取ることができたわ」
ディーフェニーラ様は、スッと黒猫の置物に手を当て、その背中を優しく撫でた。
私は、本当は自分もそこに居たかったであろう、足元の黒猫の表情を見ることができず、代わりに何もない飾り棚の角を見つめるふりをしたのだった。
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