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おっさんのおたけび

 次の日の朝。

 昨夜の会話がすべて夢だったかのように、エレニはいつも通りのエレニだった。


 俺も、イサトさんも、それに合わせていつものように過ごす。

 昨夜の鍋の残りを温めて、ごはんを投入して作ったおじやで腹拵えを済ませた後、俺とイサトさんはエレニと別れてヅァールイ山脈を発った。


 まっすぐに向かうのは、セントラリアだ。


 ただセントラリアに向かうだけならば『家』を使えば一瞬で到着するのだが、今後のことを話し合う時間が欲しくて、俺たちはあえてグリフォンの背に揺られている。


「セントラリアに戻ったら、どうする?」

「とりあえず……聖女に報告するしかないんじゃないか?」

「そう、だよな。ヌメっと探しはそこからか」


 聖女は、ドラゴンがセントラリアを襲うことについていろいろ考えを巡らせて心を痛めていた。成り行きこそ彼女が思っているものとは違うが、俺たちが黒竜王を倒したのは事実だ。それを伝えれば、少しは安心できるだろう。

 セントラリアが竜の襲撃に晒される心配をせずに済む。


 その報告が済んだら、早速ヌメっとした連中についての情報を探すところから手をつけていくか、なんて。

 俺が頭の中で算段を付け始めたところで、ふとイサトさんが口を開いた。


「あのヌメっとした奴らを倒して、この世界を救うことが出来たなら――…私たちは、元の世界に戻れるんだろうかな」

「…………」


 イサトさんは、まっすぐに前を向いている。

 びょうびょうと吹き抜ける風に、銀の髪がなびく。

 今、この人はどんな顔をしているのだろう、と思った。

 グリフォンの手綱をとり、空を駆ける背中はとても凛々しい。

 しゃんと伸びた背筋からは前に進もうという強い意志が感じられる。

 だけど、俺からは見えないその顔は、心細さに揺らいでいるような気がした。


「イサトさん」


 イサトさんの華奢な指先が握る手綱を、背後からそっと握る。

 わかりやすく手を重ねるわけではない。

 それでも、イサトさんが一人ではないことを思い出してくれたら良いと思った。


 これからセントラリアに戻れば、俺たちはヌメっとしたモノと全面対決を行うことになる。これまで、この世界にやってきてヌメっとしたイキモノとは四回やりあってきた。初めはカラット。次に飛空艇。次に薔薇園。そして、王城。


 そしてその四回とも、俺たちはあの泥のようなシロモノを下してきた。

 だから、きっと今回も何とかなるだろう、とは思う。

 油断はできないが、俺とイサトさんならあの紛いモノを倒すことが出来るだろう、とは思っている。


 ただ怖いのは、その先に元の世界に戻るための手段が何もなかったら、と考えることだ。

 この世界に紛れ込んだ紛いモノを倒し、この世界を救った後、それでも元の世界に戻れなければ、俺たちは完全に手詰まりだ。


「怖い?」


 小さく聞いてみる。


「…………」


 イサトさんは、答えなかった。

 ただ、く、と唇をかみしめた気配だけが伝わってくる。

 そのままイサトさんはしばらくまっすぐに前だけを見つめて――……唐突に、叫んだ。


「ふんにゃらぺっぽー!!!」

「ふんにゃら!?」


 なんだ。

 何事だ。

 突然のイサトさんの奇行に目を白黒させているしかない俺の目の前で、ピンと張りつめていたイサトさんの背中がゆっくりと緩んでいく。


「イ、イサトさん……?」

「……すっきりした」

「お、おう」


 ちょろ、と俺を振り返るイサトさんの褐色の目元が、微かに朱色に染まっている。さすがに、本人も恥ずかしかったらしい。


「今のは一体」

「ちょっと、喝を入れようと思って」

「…………ふんにゃらぺっぽーで?」

「なんかよくわからない言葉を大声で叫ぶとすっきりするんだよ。秋良も試してみると良い。……普段は、カラオケルームだとかでマイクなしで叫んですっきりするんだけどな」

「ふんにゃらぽっぽーは遠慮しておく。でも、大声を出すとすっきりする、てのはわかる気がするな」

「秋良もどこかで叫んだりするのか」

「……俺がやったら捕まる。っていうかイサトさんでも道端でふんにゃらぺっぽーだとか叫びだしたら職質されると思う」

「……確かに」


 自覚はあったらしい。


「だから、俺の場合は剣道だな」

「ああ、あれ結構声出すものな」


 大学に進学してからは部活などでやっているわけではないのだが、たまにストレスが溜まっているな、と感じた時には地元の体育館で活動している剣道クラブにOBとして混ぜてもらうことにしている。身体を動かす、というだけならばストリートバスケだとかでも十分なのだが、剣道に参加して思い切り声を出した方がすっきり度が高い、ような気がする。


「なんか、いろいろ悩ましいけれど――…、考えてたってしょうがない、よな」

「今はとりあえず、動くしかないんじゃないか?」

「うん」


 もしかしたら、今回のことが何もかも終わったとしても、俺たちの冒険は終わらないかもしれない。手がかりをすべて失って、ぽかんと立ち尽くすときがくるのかもしれない。


 けれど、だからと言って立ち止まっているわけにもいられないし、立ち止まっていたくもない。

 結果を見るのが怖いからといって立ち止まってしまったら、次の一歩はどんどんと重くなるばかりだ。


「行くか」

「行こう」


 何が待つのかもまだわからないセントラリアに向かって、俺とイサトさんを載せたグリフォンはまっすぐに飛んでいく。














 いつものように、門の手前でグリフォンから降りてセントラリアへと足を踏み入れた。とりあえずは拠点の確保だろう、と定宿である青のクレン亭へと向かう。


 部屋を確保したのち、レティシアやエリサ・ライザ、クロードさんたちの様子を見に行こうと思っていたのだが……。


「えっ、アキラ様!?」


 こちらから会いに行くより先に、いともあっさりと発見されてしまった。

 レティシアの声に反応して、一緒に行動していたらしいエリサやライザまでがこちらをざッと振り返る。何対もの眼差しに凝視されて、俺とイサトさんは何とも言えないバツの悪さを感じつつひょいと手を挙げて挨拶する。


「よ」

「や」


 二人そろって、気の抜けた声である。


「えっ、なんでオマエら、えっ!?」

「お二人ともどうしてここに……!」


 面食らったような顔をしていた三人は、はっと我に返ると同時にわらわらと俺たちを囲う。


「どうして……って言われると」


 俺とイサトさんは顔を見合わせた。

 こうなるような気がしていたからこそ、最初セントラリアを発つときにあまり大げさに出立の挨拶をするつもりがなかった俺たちである。


 竜を倒しに行く、なんていえば大げさな旅のように思えるかもしれないが、グリフォンに乗れば移動時間も短縮されるし、実際の戦闘にしたって何日も続くようなものではない。ゲーム内なら下手すれば数時間で終わるクエストだ。


 が、そんなことを知らないエリサとライザ、そしてレティシアは俺たちに向かって気づかわしげな視線を向ける。三人はちらりちらりと目くばせしあった後にそれぞれ一度頷いて――…最初に口を開いたのはエリサだった。


「オマエら、とりあえず人目を避けられる場所で休んだ方がよくないか?」

「あ、それなら教会……よりも、廃墟の方がよいかな?」

「それなら私の借りている家に――…」

「待て待て待て」


 思わずストップをかける。

 何故だか人目を忍ぶ方向に話が進んでいるが、こちとら大手を振って町中を歩けないようなことをしでかした覚えはない。


「どうしたんだ、三人とも」


 イサトさんも訝しげに首をかしげている。

 そんなイサトさんに向かって、ライザが言いにくそうに問う。


「だって……、二人とも、北に向かうのを辞めて戻ってきたんでしょう?」

「へ?」

「いや、別にいいんだって! いくらオマエらだって、黒竜王が住む北の御山にドラゴンを追いかけていくなんて無茶だと思うし!」

「そうですよ! すべてお二人だけで解決しようとしなくたって良いんです!」


 何やら、俺とイサトさんは三人がかりで慰められてしまっている、らしい。

 おそらく三人は、俺とイサトさんがあれだけ皆に応援されながら旅立ちはしたものの、やはりドラゴンを追って北に向かうのは危険が多いと判断したか何かでセントラリアに戻ってきたのだと思っているようだった。


 あのドラゴン、黒竜王のいる御山に逃げ込んだんだろ、なんてエリサが憤慨するように唇を尖らせている。


 まあ、それも間違ってはいない。

 実際俺たちはエレニに誘われて北のヅァールイ山脈へと脚を踏み入れてきたのだから。

 ただ、誤解があるとしたならば。


「あのな、三人とも」

「はい」

「はい」

「おう」


 レティシアとライザとエリサが、まっすぐに俺を見る。

 その瞳には俺の口からどんな言葉が出たとしても、その言葉を信じ、擁護しようという強い意志が感じられた。


 余計にいたたまれないようなのは気のせいか。


「ドラゴン、っていうか黒竜王なら倒してきたぞ」

「「「」」」


 三人が絶句する。

 きっと三人が想像するであろう流れとは少しばかり違ってはいるだろうが、黒竜王と命を賭して戦ってきた、というのは真実だ。


「えっ」

「えっ」

「ええええ!?」


 三人がイサトさんを凝視する。

 そんな三人に向かって、イサトさんは重々しく一つ頷いた。


「うん」

「うんってそんな……っ、黒竜王を本当に倒してしまったんですか!?」

「成り行きで」

「成り行きで!?」


 ライザの目がいまにも零れ落ちてしまいそうなほどにまん丸になっている。

 その一方で、いつの間にかレティシアとエリサはどちらかというと半眼である。

苦笑交じりのレティシア、完全にまたか、と言いたげなじっとりとした眼差しをこちらに向けるエリサ。


 ……そういえば、この二人にはいろいろと見られてしまっているのだっけか。


 レティシアは飛空艇にて実際に俺が戦うところも、イサトさんが飛空艇を墜とすところも見ているし、エリサは薔薇園での俺とイサトさんの暴れっぷりを見届けている。それだけに、もしかすると想像がついてしまったのかもしれなかった。


「…………オマエら相手に心配したオレが馬鹿だった」


 はあ、とエリサがため息をつく。

 そんな呆れたといったような仕草も、実際には安堵の裏返しであることがわかっていると逆に可愛らしくて、つい口元が緩んでしまうわけなのだが。


「……何笑ってんだよ」

「や、なんでもない」

「…………」

「イサトまで笑うな!」

「ごめんごめん、やあエリサは可愛いなあ」


 イサトさんがくっくっく、と喉を鳴らして笑いながらエリサの癖ッ毛をくしゃくしゃと撫でる。撫でられる手の下で、エリサが緩みそうになる口元を一生懸命への字に引き締めようとしているのがちらりと見えて、ますます笑みが深くなってしまった。


「まあ、そんなわけでとりあえず報告に戻ってきた、ってとこだ」

「黒竜王を倒した……、ということは、もうセントラリアがドラゴンによって襲われるようなことはないと思って良いのでしょうか」

「ドラゴンに襲われる、ってことはないと思う」

「ドラゴン、には……?」


 俺の言外に秘めた意味合いに気付いたのか、訝し気にライザが顔をあげる。


「んー……、まあその辺の事情はまた後で説明しにいくよ」

「わかった。それじゃあ父さんたちにもオマエらが帰ってきてるって連絡しとく」

「ちょうど僕たち、仕事の話でレティシアさんと一緒に教会に行くところだったんです」

「それじゃあ、頼んだ」

「はい。では、私たちはこれで」


 小さく会釈をしたレティシアがエリサとライザを促して人込みの中へと消えていくのを見送る。

 レティシアを挟んでエリサとライザがじゃれあうように言葉を交わし、時折宥めるようにレティシアの手がエリサの肩をぽん、と叩く仕草はまるで仲睦まじい姉妹のようにも見える。


「レティシアたち、うまくやってるみたいだな」

「良かった」


 ほっとしたように口元緩めて三人の背中が見えなくなるまで見送って、俺たちは一度蒼のクラン亭に顔を出し、宿を確保した後大聖堂へと向かうことにした。


 ちなみに、宿でも女将さんとの間に「お客さん……いいんですよお、何も言わなくて」的な会話があったということをここに記しておく。


 皆の気遣いが胸に痛い。

 



















 昼下がりの大聖堂は、大勢の人々で賑わっていた。


 俺たちは聖女への謁見を申し出るため、ウレキスさんを呼んでくれるように頼んで入り口入ってすぐのホールにて待つ。

 そうして待っている間のほんの数分の間でも、大勢の人々が俺たちの隣を通り過ぎていった。


「この奥にあるのって……、聖堂、だよな?」

「だと、思う」


 俺たちは未だ足を踏み入れていないが、おそらくは女神に祈りを捧げたり、司祭長がありがたいお話をしてくれる、というような場所なのだろう。

 そうだとしたなら。


「……なんか、信仰が薄くなってるって感じしない、よな?」

「むしろ――…皆熱心に参っているように見える、な」

「うん」


 俺とイサトさんは、周囲の人間に聞こえないよう小さく抑えた声でそんな言葉を交わしあう。

 黒竜王は、人々が女神への信仰心を失い、それ故に女神が弱体化してしまったのだと俺たちに語った。だが、こうして俺たちの目に映る景色は、黒竜王のその言葉を否定しているように見える。


「因果関係が間違えているのかもしれないな」

「因果関係?」

「たぶん、女神の力が弱っている――……、というのは本当のことなのだと思う。けれど、その原因は黒竜王が思っていたのとは違う、とか」

「ああ、なるほどな」


 黒竜王は随分と長い間、(コトワリ)に呑まれて暴走することを恐れてあの洞窟に閉じこもっていたという。それに、そもそもモンスターは人の生活圏には足を踏み入れることはできない。故に、セントラリアの内情に関しては、黒竜王の推測が間違っている、という可能性もあるわけか。


 今のところ、そう考えた方が自然だ。

 そうなると、その辺りから調べていっても何かわかるかもしれない。


 と、そこへ少し息をきらせたウレキスさんが、足早に姿を現した。

 急いではいるのに、ちっともバタついた雰囲気を感じさせないところが流石だ。


「お待たせしてしまい、申し訳ありません」

「いえ、こっちこそいきなり押しかけてしまって」


 本来なら聖女どころか、ウレキスさんだって当日いきなり押しかけてすぐに会えるような立場の人ではないはずだ。こうして、俺たちに会うために都合をつけてくれているだけでも十分ありがたい。


「聖女に、報告したいことがあるんだ。聖女への取次を頼めるだろうか」

「ええ、もちろんです。お二人に関しては、最優先でご案内するようにと聖女様より仰せつかっております」


 ふ、と美しく整った彫像のような顔の口元を柔らかに緩めて、こちらへ、とウレキスさんが歩き出す。

 前回同様壁のレリーフから開いた隠し通路を抜けて、回廊へと足を踏み入れる。


 麗らかな庭の中心をまっすぐに伸びる白い小道。以前と変わらず淡い色調の花々が咲き乱れ、柔らかな緑が俺たちを出迎える。そんなわけはないとわかっていても、まるで外界と隔ててこの空間だけ時が止まってしまっているような不思議な錯覚に襲われた。


「何か、聞いておきたいことはありますか?」


 ふと、前を歩いていたウレキスさんが口を開いた。

 もしかしたらウレキスさんもまた、前回聖女について何も知らなかった俺たちのことを思い出していたのかもしれない。

 ひたひたと石造りの廊下を進むウレキスさんの背に向かって問いかける。


「待っている間に、たくさんの人が聖堂を訪れているのを見ました」

「ええ。皆さん先日のこともあって心に不安を抱えていらっしゃるのか、よく聖堂に祈りを捧げに参られています。それが、どうかなさいましたか?」

「その……、言いにくいことをお聞きしても良いですか?」

「ええ、構いませんが……」


 本来なら、女神を信仰する教会の人間であるウレキスさんに聞くのは躊躇われる質問だ。それでも、前置きを置いた上で聞こうと思ったのは、ウレキスさんが旅の冒険者である(ということにしている)俺たちが、女神の教えについてそれほど詳しくないということを知った上で、興味をもってくれたのならば喜んで説明しましょう、というスタンスをとってくれるありがたい女性だということを前回の経験から知っているからだ。


 宗教の押し売りのように押し付けがましいわけでもなく、俺たちが知りたい、と思ったことを過不足なく教えてくれる。


「ウレキスさんは――…、人々の女神への信仰心が薄れた、と感じるようなことがありますか?」

「――…信仰心が薄れる、ですか?」


 不快、とまではいかずとも、少なからず心外そうにウレキスさんの声に困惑が滲む。ウレキスさんは真剣に思案するような間を挟んだ後、答えてくれた。


「いつを基準にするか、にもよるのではないでしょうか。私のわかる範囲で言わせていただくと――…私は幼少より神殿に仕える身ですが、人々の信仰が薄れた、と特に感じるようなことはございません。むしろ、最近は大きな事件が続いたこともあり、聖堂に救いを求めて訪ねてこられる信徒も多くなっているのではないか、と」

「なるほど。比較の基準値がわからない、という可能性か」


 ウレキスさんの言葉に、イサトさんが納得の声をあげる。


「お役にたてましたでしょうか」

「ええ、もちろんです。ありがとうございました」


 知りたいことは教えてもらったし、それどころかもう一つの可能性すら示唆してくれた。

 先ほどイサトさんが立てた仮設では、黒竜王の因果関係の推察が間違えているのではないか、という話になっていたが……、そもそも何時に比べて女神への信仰心が薄れたのか、という基準が俺たちにはわかっていなかったのだ。


 ウレキスさんが言うように、俺たちが知りえぬ昔、もっと濃厚な儀式が行われているような時代があったのならば、それに比べて今の人々の信仰心が弱まった、と言われるのも不自然ではない。

 黒竜王は随分と長生きをしていたようだし、その可能性も濃厚だ。


 そんなことを考えている間にも、いつの間にか俺たちは渡り廊下の終点にやってきていた。

 静かに足を止めたウレキスさんが、深々と俺たちに向かって頭を下げる。


「私の案内はここまでとなります」

「ありがとう、ウレキスさん」


 彼女は、ここより先に足を踏み入れることを許されていない。

 会釈とともに礼を告げて、それから俺たちは聖女が待っているだろう東屋へ向かって足を踏み入れた。

 

 自然な色合いで整えられた室内、目の前に広がるのは美しく整えられた庭だ。

 藤に似た花が、可憐にはらりはらりと花びらを散らす様子までが前回とまったく同じように見える。

 そんな時を止めたような部屋の中で、実際に時を止めた少女が俺たちを静かに出迎えてくれた。


「よくぞご無事に戻られました。さ、どうぞ座ってください」


 促されるまま、柔らかなクッションの敷かれた蔓製の椅子へと腰を下ろす。

 聖女は手ずからお茶を淹れると、それを俺たちの前へと差し出してくれた。お礼を言って口に運んだお茶からは、ふわりと甘い花の香が薫る。


 どこから切り出すかを迷うように、お互いに茶に口をつけるしばしの沈黙。

 話を切り出したのは、イサトさんだった。


「黒竜王と、話をしてきた」

「話を、ですか……?」


 聖女の声に困惑が滲む。

 思いがけない言葉を聞いた、というように視線を持ち上げた聖女をまっすぐに見据えて、イサトさんがはっきりと告げる。


「黒竜王は、狂ってはなかったよ」

「――……」


 聖女が、言葉を失う。

 それも当然だろう。

 モンスターとは、この世界をめぐる女神の力の余剰部分が凝ってできたものだ。つまり、モンスターというのは、基本的には女神の一部(・・・・・)なのだ。


 その女神の一部がモンスターとして存在し、時には人を害することもあることを、この世界の人々は『女神の試練』として受け入れている。実際モンスターを倒せば女神の恵み、と呼ばれる特別なアイテムを手に入れることができるからこそ、その理屈は信じられてきていたのだ。


 だが――……、何百年か前に起きたといわれている『セントラリアの大消失』以来、人々は女神の恵みを手に入れることが難しくなった。


 そして、それと同じようなタイミングでモンスターの中でも力の強い一部のドラゴンたちが、セントラリアを襲うようになっていった。


 モンスターは、その凝った女神の力をそのまま留めておくことでどんどんと力をつけて強大な存在へと成長していく。強いモンスターほど、それだけ大量の女神の力で構成されており、それ故に強ければ強いほど、モンスターは女神の影響を受けやすくなる。


 そういった意味で、黒竜王は、この世界で最も女神の影響を受けやすい存在だった。

 だからこそ前回会った際、聖女は黒竜王が狂ったのではなく、正気でもってしてセントラリアを襲っているという可能性を何よりも恐れていた。


 それはすなわち、女神がセントラリアの襲撃を、しいては人という種族をこの世界から根絶させようとしていることになるのではないか、と彼女は考えていたのだ。


 さあ、と聖女のもともと白い顔から血の気が失せていく様子に、俺は慌てて横合いから口を挟んだ。


「だからといって、女神が人に害をなそうってしているわけでもないからな」

「……? では、一体どういう……」


 状況がわからなくなったのか、聖女は戸惑いの色濃く滲んだ顔で俺たちを見る。

 幼げな少女の姿でそんな顔をされると、こちらが何か酷いことをしてしまったのではないかというような気になって困る。

 実際には見た目よりも長く時を過ごした、おそらくは俺よりも年上の女性だということはわかっているのだが。


「黒竜王と話したことで、わかったことがあるんだ」


 俺たちは黒竜王から聞いた話を聖女へと語りだす。

 紛いモノ、と竜たちが呼ぶものが存在しており、そのせいでこの世界の(コトワリ)がおかしくなっていったこと。


 それはおそらくもともとは人間であり、セントラリアの大消失や、エルフ、ダークエルフの全滅も、紛いモノが力を手に入れるためにしたことである可能性が高いということ。

 そして、今はセントラリアのどこかに潜み、獣人と人との対立を煽ることにより獣人を孤立させ、今度は獣人を狙っていたかもしれないこと。

 黒竜王や、その他の竜がセントラリアを襲撃してきていたのは確かに女神の意思によるものではあったが……人を滅ぼすためではなく、その紛いモノを討ち滅ぼし、正しく女神の力が循環するようにであった、ということ。


 それらの話を聞き終えると、聖女は深々と息を吐きだした。


「そんなことが、起きていたのですね……。セントラリアを……ひいてはこの世界を守る聖女の座にありながら、そのような恐ろしいことが起きていることに気付かなかったなんて……」


 顔を伏せて、悲痛な声音で聖女が呟く。

 俺たちから隠そうとはしているものの、聖女の顔は痛々しいほどに青ざめ、その声には微かな震えが滲んでいる。


「俺たちは、セントラリアに潜むというその紛いモノ(・・・・)を倒したい。協力、してくれないか?」

「…………私に、何ができるでしょうか」


 長い間、自分たちの暮らすセントラリアにおいて紛いモノ(・・・・)の暗躍を許してしまっていたと知った聖女は、すっかり無力感に囚われてしまっているようだった。


「聖女」

「…………何、でしょう」

「私たちはこれまでに何度かその紛いモノと戦ってきているのだけれども――……、それが正体を現すまで私たちも自分たちが相手にしているのがそいつだとは気づかなかった。気付けなかった。だから、君が自分を責める必要はないと思う」

「…………」

「イサトさんの、いう通りだよ。紛いモノは、マルクト・ギルロイという普通の人間の商人を自分のコマとして動かしてた。自分はずっと、地下に隠れてな」


 俺たちだってずっと、マルクト・ギルロイは私欲のために獣人を追いつめているのだとそう思っていた。あの、マルクト・ギルロイが坊や(・・)と呼ぶヌメっとしたイキモノ――、紛いモノが表れるそのときまでずっと。


 俺たちの言葉に、ゆっくりと聖女が顔を上げる。

 未だその双眸には、誇りを傷つけられた悔しさと怒りと、悲しみに似た色が滲んではいる。けれど、それでも。


「私に協力できることがありましたら、何なりと申し付けください」


 そうはっきりと言い切る聖女の双眸には、強い意志の色が浮かんでいた。


ここまでお読みいただきありがとうございます。

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次回の更新は20日を予定しています。


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