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おっさんとモザイク


 なんというか、それは人の姿をした悪夢だった。

 狂気だった。

 

 薄桃色の光を纏った白い肌。

 銀とも見紛う長いプラチナブロンドは可愛らしいツインテール。

 前面は短かく、背面に向かって長くたなびくようなピンクのドレス、惜しみなくフリルを重ねた内側のパニエから伸びるむきりとした太腿。


 あー、エレニの野郎意外と身体鍛えてんだなー。

 

 そんなことを考えて、うっかり死にそうになった。

 なんだあの見たものの精神絶対殺すマン。

 俺の脳のどこかに存在するかもしれない検閲および精神衛生倫理委員会的なものは、今こそ仕事をすべきだ。奴の存在にモザイクをかけろ。今すぐだ。

 まだ脅威が去ったとは言えないというのに、俺は武器に手をかけたまま動けずにいる。これがエレニの身体を張った罠だったりしたならば、きっと今なら俺はいともあっさりと仕留められてしまっただろう。その代わりにエレニも何か大事なものを凄い勢いで犠牲にしているような気がしないでもないが。

 

 呆然と立ち尽くす俺。

 崩れ落ち、腹を抱えてひいひい言ってるイサトさん。

 とりあえず鎮静魔法を使ったピンクがかったモザイクの塊(よくやった俺の脳内精神衛生倫理委員会的な何か)。

 そして、それと正面から見つめあう黒竜王。

 

 なんというか、控えめに言って地獄絵図だ。

 

 黒竜王の金色の双眸が、ぽかんと猫騙しを喰らった猫のように丸くなっている。

 もうこれ、鎮静魔法が効力を発揮したのだか、あまりの視界への暴力に一周回って正気に返ったのかわかりゃしねえ。


『……………………』

「……………………」


 じ、と見つめ合う黒竜王と桃色モザイク。

 そして、黒竜王の(あぎと)がゆるゆると開いた。

 一本一本が剣ほどもある鋭い牙も恐ろしいが、それよりも警戒しなくてはならないのは竜種特有のブレス攻撃だ。こんな狭いところでブレスを吐かれては、避けるスペースもあるかどうか。

 

 わりと、笑い死んでる場合なんかではないのである。

 わかってるのかイサトさん。

 

 シリアスな緊張感を綺麗にクラッシュしてくれた犯人を俺は半眼で睨みつける。

 イサトさんは未だ地面にうずくまってひくひく肩を震わせている。

 桃色モザイクエレニは、イサトさんの腹筋にかなりのダメージを与えることに成功している模様である。これで、笑って済んでいるのだから、イサトさんは俺に比べるとまだ逞しいのかもしれない。俺なんて、もはや正視を諦めたレベルだ。脳内の精神衛生倫理委員会的な部位が頑張って仕事をしてくれた結果、エレニの姿には丸ごとモザイクがかかっている。

 

 いざとなったらイサトさんを担いで戦略的撤退を決め込もう、なんて思っていたわけなのだが。

 それよりも早く、固い岩を擦り合わせるような、隙間を風が吹き抜けるような、そんな不思議な響きを伴った音が黒竜王の喉奥より生じた。


『失礼したな、客人らよ』


 それは、少し聞き取りにくくはあったものの、確かに俺たちにも理解可能な人の言葉、だった。

 驚いたように顔をあげる俺とイサトさん。

 ただし、桃色モザイクは視界に入らないように念入りに角度に微調整をかける。

 その桃色モザイクは、黒竜王の様子が落ち着いたのを確認するとすぐに何やら蠢いたようだった。おそらく、手にしていたしゃらんら☆を動かしたのだろう。

 ぐにゃり、とモザイクの輪郭が歪んで――…その姿から脳内規制(モザイク)が解けた。そこに立っているのは、いつものいけすかない優男然としたエレニである。ただ、うっすらと桃色の光をその輪郭に帯びているあたり、しゃらんら☆の影響下から完全に脱したというわけではなさそうだ。

 まじまじとエレニの様子を窺う俺の視線に釣られたように、イサトさんの視線が持ち上がり、ぶぷふッ、と再び噴きだす声が響いた。


 …………あれ。


「もしかして、イサトさんにはエレニ、あの格好のまま?」

「ふく、ふは、……、おなかいたい……、ん、……ん、魔法少女、してるぞ」


 声も絶え絶えにイサトさんが応える。

 なるほど。

 エレニはどうやら幻惑魔法で己の姿を誤魔化している、ということか。

 俺のよう、それほど魔法抵抗が高くない相手の目は誤魔化せても、イサトさんの目は欺けないらしい。

 良かった、幻惑魔法への抵抗値低くて。

 そのままずっと魔法少女姿のエレニを視界に入れ続けていたのならば、いつか俺はエレニに斬りかかってしまっていたかもしれない。


「陛下……」

『また世話をかけたな、愛い子よ』

「いえ」

『だが、どうやって私を正気に返したのだ? 今度こそ、もう戻れまいと思っていたのだがな』


 黒竜王の言葉に、エレニが説明を求めるような視線をこちらに向ける。

 それに応じて、イサトさんが一歩前に出た。


「我々魔法職が使うスタッフには、使い手の力を増幅させる力があります。ですので、単純に彼が普段使っているスタッフよりもその増幅力の大きなスタッフを使って貰いました」

『なるほど……エレニから聞かされていた通り、そなたらは偉大なる女神の愛を多いに受けた存在であるらしい』


 納得したように呟いて、黒竜王は鎖を鳴らしながらもゆっくりとした動作で身体を低く丸めた。翼を畳み、前足を身体の下にしまいこむようなその姿は、どこか猫の香箱座りに似て微笑ましい。

 ……大きさや、迫力は段違いだが。

 その姿を横目に、俺はぼそりとイサトさんへと問う。

 

「……それなら別にしゃらんら☆じゃなくても良かったんじゃ」

「舞踏会での仕返しがまだだったからな」

「えげつねえ」


 舞踏会で良いように翻弄された恨みは根深かった。

 イサトさんをうっかり怒らせると何をされるかわからないので、俺も気を付けようとしみじみ心に誓う。

 それから、改めて黒竜王へと向き直った。

 

 纏う気配が凪いでいるせいか、黒竜王の巨躯は先ほどと全く変わらないはずなのに、不思議と威圧感はなかった。大きさのわりに、その姿から受ける存在感はそれほど大きくない。大きくも、優しい気配、とでも言えば良いのか。子供のころ、動物園で見た年老いたゾウの姿を思い出す。静かに草を食む姿は驚くほどに静かで、その大きさから怪獣めいたイメージを抱いていた子供の俺は、勝手ながら随分とがっかりしたものだ。

 

 エレニはといえば、そんな黒竜王の傍らで、何重にも鎖で戒められたその喉元を労わるように撫でている。そんな姿は、臣下というよりも年老いた養父をいたわる息子のようにも、孫のようにも見えた。


「陛下、我々はあなたにお聞きしたいことがあって、ここまで参りました」

『何が、聞きたいのだ。我に答えられる内容であれば、なんなりと答えよう』

「陛下は――…人を滅ぼそうとお考えなのですか」


 直球で切りこむ。

 俺の問いに、静かに黒竜王が瞼を下ろす。

 ゆっくりと瞼の下から再びその金色の眼が現れ、静かに俺を見つめ返す。

 酷く凪いだ眼だと、思った。

 静謐を固めて嵌め込んだなら、そんな眼になるのかもしれない。

 人を滅ぼそうなどという凶暴なことを考えているモノの眼には見えない。


『――…必要があれば、といったところだろうか』

「否定は、しないのですか?」

『世界を救うためであれば、人の滅びは耐えねばならぬ痛みとなろうて』


 世界を、救う。

 それはセントラリアを襲ったエレニの主張でもある。

 俺たちにはその理屈がわからない。

 どうして、世界を救うためにセントラリアが犠牲にならなければいけないのか。

 

「何故、人を滅ぼさなければいけないのですか?」


 俺の問いに、初めて陛下の顏に不快感が滲む。

 竜の顔つきなど俺にはわからない。

 だが、苛立ちにも似た殺気めいた色がその金色の双眸の奥で揺らいだように見えて、ぞくりと背が震える。いかに穏やかで静かなイキモノに見えても、その鋭い爪は俺の身体をいとも容易く引き裂き、喰らうことが出来るのだと改めて思い知らされたような心地だ。

 

『混ざりモノが、おる』

「混ざり、もの?」

『人であって、人でないもの。女神の(コトワリ)から外れたモノが、人の中に紛れておるのだ』


 人であって、人でないもの。

 混ざりモノ。


 そんな言葉から俺が連想したのは、あの黒くヌメっとした人型だった。

 人の形をして、人のように振る舞いながらも気色悪い違和感の塊めいた存在だ。

 黒竜王の言っているのは、あいつらのことなのだろうか。


『混ざりモノは、この世界に敷かれた女神の(コトワリ)を歪ませ、力の循環を滞らせておる。それだけではない。奴らは、女神の力を吸いあげ、この世界の形を歪め続けておるのだ』

「力の循環……、ああ、だから人は、『女神の恵み』を得られなくなった、ということですか?」


 イサトさんの問いに、黒竜王が頷く。


『それだけでもない。人は、女神への信仰すら失いつつあるのだ。巡る力を奪われ、信仰を奪われ、女神の力は弱まるばかり』


 …………ん?

 黒竜王の言葉に引っかかりを覚える。

 俺とイサトさんはここしばらくセントラリアに滞在していたが、人々の信仰心が薄いとは感じなかった。むしろ、エレニがセントラリアを襲撃した際には、多くの人々が加護を求めて教会や聖堂に逃げ込んでいた。

 単純にそこが一番安全だと判断しただけなのかもしれないが……そもそも信仰がなければ、聖堂の警護を優先したりもしないだろう。

 それなのに、黒竜王は人の信仰心が失われつつある、と言うのだろうか。

 そう思う一方で、俺はセントラリアを発つ直前の聖女との会話を思い出してもいた。


『本当のところ――…もう、随分と昔から、我々聖女にも女神の声は聴こえなくなっているのです』

『人を慈しむ女神の余剰な力が、何故人を傷つけるのでしょう』

『女神は、人を滅ぼされる気なのではないでしょうか』


 セントラリアにおける信仰の象徴であるはずの聖女が、抱いていた疑念。

 彼女が女神を信じきれなくなりつつあるように、『女神の恵み』というわかりやすい恩恵を得られなくなった人の心は、少しずつ女神の元から離れていってしまっているのかもしれない。

 

 まるで卵が先か鶏が先か、だ。


 人々の信仰心が減っていったが故に『女神の恵み』が減少したのか。

 それとも『女神の恵み』が得られなくなったからこそ、人々の信仰心が衰えていってしまったのか。


『歪みは、正さねば――ナラナイ』


 ギシリ、と黒竜王の声が引き攣った。


『ゆがミを正サネばユガみはタダさネばナラなイゆガみはタダサネばならナイ歪みはユガミはゆがみハゆがミハ』

「っ……!?」


 機械的に淡々と繰り返される言葉に俺とイサトさんは息を呑む。

 言葉を繰り返す度に、黒竜王の眼の奥でどろりと濃い狂気が噴き出し、殺気が膨れあがっていく。ぎちりぎちり、と黒竜王を戒める鎖が、今にも弾けそうな不穏な音をたてる。


「……っ、陛下!」


 慌ててエレニが再びしゃらんら☆を持ち上げ、鎮静効果のある呪を唱えた。

 何度も何度も、その瞳に宿る狂気の色合いが完全に抜けるまで、エレニは呪文を唱え続ける。

 

 やがて、身体を起こしかけていた巨躯から再び力が抜けて黒竜王は静かに頭を垂れた。ほう、と息を吐いてエレニがしゃらんら☆を下ろす。

 俺も、インベントリに滑らせかけていた手を、ゆっくりと下ろした。

 背筋のあたりを厭な汗が滑り落ちていく。

 まだ話を全て聞き終えてもいないのだ。戦闘に縺れ込むわけにはいかないと頭ではわかっているのに、吹きつける殺気に煽られて血迷ってこちらから斬りかかりそうになるのを堪えるのにわりと必死だった。それはイサトさんも同じなのか、平然を装う立ち姿はいつもと変わらないものの、手にしたスタッフを握りしめる手の甲にはうっすらと筋が浮いている。

 

『――…すまないね、客人よ。私はもう、(コトワリ)に呑まれかけているのだよ』

(コトワリ)に、呑まれかける……?」


 それは一体どういう意味なのだろう。

 聖女は、黒竜王は狂っていると言っていた。

 エレニもまた、黒竜王は気が触れかけているといっていた。

 今こうして対峙していても、その言葉が決して嘘ではない危うさを俺はひしひしと感じている。


『そなたらは、我々モンスターと呼ばれる存在が何で出来ておるのかを知っておるかの』

「この世界に満ちる女神の余剰な力、だったかと」

『その通りだ。御嬢さんは物知りだの』


 笑うように、黒竜王の双眸がまろやかに細くなる。

 先ほど一瞬の内に膨れ上がった狂気の色が嘘のように穏やかな声と、瞳だ。

 一体何が、黒竜王を突き動かしているのだというのか。

 

『この世界を巡る女神の余剰な力が凝って、我らになる。その中でも最も強力な部類に入るのが、我だろうな』

「そう、でしょうね」


 何せ、目の前にいるのは竜種の王だ。

 この世界におけるモンスターの王と言っても過言ではない。


『そなたら人と違い、この身は純粋に女神の力によって構築されておる。それ故、我らは女神の意思の影響を受けやすいのだよ』

「それが、女神の(コトワリ)……?」


 頷く代わりに、黒竜王はゆっくりと一度瞼を閉じた。


『女神は世界が正されることを、望んでおる。その意思が、我らを突き動かすのだ。混ざりモノを排除せよ、混ざりモノを破壊せよと女神の声が響くのだ。我らのよう、より強きものほど、女神の(コトワリ)に呑まれやすい』


 だから、か。

 だから、竜がセントラリアを襲うのか。

 その混ざりモノがセントラリアにいるから。


『多くの仲間が、女神の(コトワリ)に呑まれ、人の国を目指して戻らなかったよ』

「多くのドラゴンが、(コトワリ)に呑まれてセントラリアを目指し、自滅した」


 エレニが、苦い声で呟く。

 聖女も、言っていた。

 何匹ものドラゴンが、セントラリアを護る女神の加護を超えることができず、ただひたすらにブレスを吐き続け、高温により内側より灼けて斃れていったのだと。


「だからお前は、飛空艇を落とそうとしたり、あの夜みたいに内側からセントラリアを破壊しようとしたのか」


 モンスターは原則街を襲えない。

 そのルールの範囲内で街を落とすために、エレニは飛空艇を落とそうとし、竜の牙をセントラリアに持ち込んだということなのか。


「その通り。境界さえ壊してしまえば、陛下自らセントラリアに潜む混ざりモノを引きずりだし、滅びを与えることも出来る」

「……境界?」


 エレニの言う仕組みがピンと来なくて、俺は首を傾げる。

 境界=女神の加護、なのか?

 

「人が住まなくなった村が、やがて自然に呑まれてモンスターが沸くようになるのを見たことがない?」

「――……」


 脳裏に過るのは、森の中に沈むサウスガリアンの遺跡と、氷雪に閉ざされたノースガリアの水晶宮だった。

 こちらに気づいたからといって襲いかかってくるほどアクティブなモンスターはいなかったものの、その両方でかつては人の生活圏だったはずの場所をのんびりと行くモンスターの姿を俺は見ていた。


 それと、心当たりはもう一つ。

 カラットの村だ。

 あの夜、盗賊に襲われ、壊滅的なダメージを負ったカラットの村の中には、本来人の生活圏の中には入ることの出来ないはずの砂トカゲが何匹も侵入してきていたはずだ。


「つまり『人の生活圏』と『外』の境界が危うくなると、女神の加護は発動しなくなる?」

「そういうことだ。だからこそ、セントラリアのような大きな都市は城壁を築き、より明確なラインを敷きたがる」


 これより先は人の領域だと、はっきりと線を引くことで女神の加護を得ているのか。

 そして、エレニはそんな境界を壊したがった。

 黒竜王をセントラリアの中に入れるために。

 人の街に潜む混ざりモノを滅ぼすために。

 

「陛下、陛下はその混ざりモノの正体をご存知なのですか?」

『――……』


 イサトさんの問いかけに、黒竜王の金の双眸が忌々しげに細まった。


『不浄なる影、ひとを模る汚泥、そういった類の存在だよ。……アレは、女神の力を掠めるために生き物を喰らう』

「生き物を、喰らう?」


 その意味合いは、俺たちは生き物として食事をするのとは違うように響いた。


『この世界におけるすべての生き物は大なり小なり、女神の力をその身体に宿しておる。そなたらは……随分と、溜めこんでおるようだの』


 く、と笑うように黒竜王の金が細くなる。

 俺とイサトさんは、この世界の生き物ではないはずなのだが……そんな俺たちにも、その女神の力というものは宿るものなのだろうか。

 黒竜王の口ぶりでは、俺やイサトさんは普通の人より多めに持ち合わせているかのようだ。


「あ」

「ん?」


 隣で小さく、イサトさんが思いついた、というような声を上げる。


「秋良青年、もしかしたら女神の力というのは、いわゆる経験値のことなのかもしれない」

「ああ」


 ぽん、と手を打つ。

 大なり小なり、この世界の生き物すべてが身に宿している女神の力。

 それを大量に宿せば宿すほど強力なモンスターになるというのならば、それはすなわちゲーム時代の知識と重ねれば経験値、なんて言葉に言い換えることが出来るはずだ。

 そう考えたならば、俺やイサトさんが大量に溜めこんでいる、なんていう黒竜王の言葉にも納得がいく。

 

『女神の力は、流れ、巡るものだ。女神の力を多く蓄えたそなたらであろうとも、人の身である限りいずれは死ぬ。そして、そなたらの内にあった女神の力は再び世界に還り、めぐり、また新たなるものを生かすだろう』


 それは、少し変わった命の循環図であるようだった。

 草を虫が食み、その虫を小動物が食み、その小動物を大型の動物が食み、それらが死んで地に還ったならばその土壌から養分を吸い上げて植物が生い茂るように。

 この世界においては、生き物から生き物へと女神の力は流れてゆくのだ。

 俺らがモンスターを狩り、凝った余剰な女神の力を散らし、『女神の恵み』を得る際に、そのモンスターに宿っていた女神の力の幾らかはきっと俺らのモノになるのだ。

 

『それを、あの汚泥は掠め取る。アレに喰らわれた女神の力は、淀む』

「それは……アレが死なないから、ですか?」


 でも、それはピンと来ない。

 ただモンスターを狩り、女神の力を蓄えるだけならあのヌメっとしたシリーズも俺たちもそう変わらないはずだ。


『……否。アレは、女神を呪うモノだ。女神の力を取り込み、その力を変容させている。アレは女神を呪い、この世界を蝕む毒なのだ。そもそも、あの汚泥は――…禁忌をおかして力を手に入れた。アレが喰らったのは、ひとだ。我が盟友である女王の民を喰らい、遺跡の守護者を喰らい、アレは力をつけた』

「ッ……!」


 この世界の生き物すべてが大なり小なり女神の力を蓄えているのならば。

 女神の余剰な力が凝って生まれるモンスターではなく、血肉の通った人を殺し、喰らったとしても――……力は、得られる、のか?


 俺とイサトさんは、視線を交わし合う。


 ゲーム内において、RFCではPK(プレイヤーキル)という概念があった。

 プレイヤー同士で殺し合い、やはり相手から経験値を奪うことが出来るのだ。殺された相手は、その段階でインベントリに所持しているアイテムの何割かをランダムでその場に落とし、また同様に次のレベルアップに向けてため込んでいた経験値の十分の一を殺した相手に奪われることになる。高レベルのプレイヤーになると、十分の一といっても馬鹿にならない。ただ、同じプレイヤー同士ともなるとモンスターのよう容易く狩れるわけもなく。よって、PKというのは、主にプレイヤースキルを磨くために行われる決闘的な意味合いが強かった。

 中には、PKが可能なゾーンに迷い込んだ初心者を殺して遊ぶ性格の悪いものもいたが……そんな初心者から奪える経験値なんてたかがしれている。そんなものは経験値が欲しくてやるというよりも、ただの悪意による嫌がらせだ。

 

 けれど、そんな行為でもって力をつけたモノがいたとしたら?

 

 セントラリアの大消失。

 滅び、消えたエルフとダークエルフ。

 誰もいない遺跡に、空っぽの宮殿。

 それらの事件が、すべてその存在に繋がって行く。

 モンスターではなく、人を、エルフを、ダークエルフを、喰らって女神を、世界を呪う力を得たモノ。


 ぞわりと肌が粟立つ。

 あの人の形を模したヌメっとした存在から受ける気色悪さ、得体のしれなさの正体に触れてしまったような気がして、吐き気がこみ上げる。

 そして、さらに駄目押しのように気づいてしまった。


「人、なのか」

「……ッ」


 俺の言葉にイサトさんが息を呑む。

 あのヌメっとしたモノは、人の生活圏に入りこむことが出来る。

 カラットの村には盗賊らと共に押し寄せたし、セントラリアでもマルクト・ギルロイの息子として地下で暮らし続けていた。

 すなわち、アレは人の成れの果てではないのか。

 人だったものが、同じ人を殺し、女神の力を奪い、成ったモノ。

 混じりモノ。

 人の中に混ざるかつて人であったはずのバケモノ。

 ドラゴン(女神の意思)の届かぬ人の街にて栄え、蔓延ってはこの世界を蝕み続けている。


「でも、だとしたら目的は一体何なんだ」


 この世界には、おかしくはなりつつあっても、やりたい放題の魔王による圧政というようなわかりやすい倒すべき敵は存在していない。

 あのヌメっとした人型は、何のために力を手に入れ、何を目的にしているというのだろう。


『わからんよ、羽蟻は人の家に棲む。しゃくりしゃくりと家の柱を喰らう。けれど羽蟻にこのままじゃあ家が倒壊すると言っても意味はなかろう』

「その混ざりモノに、世界を滅ぼすという明確な意図はない、と?」

『……わからぬ。ただ、喰らうことだけを目的にしているのか――何か、他に目的があるのか』


 黒竜王の言葉が確かならば、あのヌメっとした存在はこれまでに多くの命を喰らって力をつけている。けれど、今現在この世界に現れているわかりやすい異変というのは女神の弱体化ぐらいだ。人が、『女神の恵み』を手に入れられなくなっている。それだけ、と言ってしまうには大きな異変ではあるかもしれないが、逆に大きすぎて漠然としている。

 

 唯一判っているのは、あのマルクト・ギルロイを使って獣人を迫害に追い込んだことぐらいだが――…って、ああ、そうか。


 脳裏に暗い地下の光景が蘇る。

 捕らえられた人々、隅に転がる抜け殻じみた装飾品や衣服。

 迫害から逃れるべくセントラリアを発ったと思われていた獣人たちのほとんどが、誰に気づかれることなくあのヌメっとしたモノに呑まれていた。

 

 もしかすると、あのヌメっとしたものはある一定の種族、団体を孤立させることにより、それらが消えても誰も気づかない環境を作ろうとしたのだろうか。

 エルフはノースガリアに、ダークエルフはサウスガリアンに、それぞれ単一種族の集落を構えて暮していた。

 それ故に、人々は彼らが襲われたことに気づかなかった。

 だが、獣人は人の街に溶け込み、人とともに生きている。

 そんな彼らが姿を消すようなことがあれば、異変に気づく者がいたとしてもおかしくない。

 

 そう考えると……獣人への迫害もまた、人の興味や関心を獣人からそらし、彼らがいなくなったことに誰も気づかない環境をつくるための布石だったのではないかという気がしてくる。

 

「…………気持ち、悪い」


 改めて呟く。

 力を得る手段も、力を得た後にしていることも。

 手に入れた力に姑息な臆病さが、何より気持ち悪い。

 

 ただ、良かったと言えることがあるとしたならば、黒竜王が人を滅ぼそうとしているというわけではないということだ。

 黒竜王が排除したいのは、混ざりモノであるあのヌメっとしたモノだけだ。

 それなら、俺とイサトさんでセントラリアに巣食うあのヌメっとしたものを倒すことが出来たのならば、黒竜王と人がぶつかる必要はない。


 だから、ここで言うべきは、俺たちがあのヌメっとしたものを引き受けるから、セントラリアへの攻撃を待ってくれ、という言葉だとわかっているのに……俺は、一瞬口を開くのを、躊躇ってしまった。

 

「……、」

『……どうか、したかの』

 

 黒竜王が、緩く問いかける。

 イサトさんが、俺を振り返る。

 俺は、今一瞬思ってしまった。



 そんなことをしても、俺たちは帰れないのに――、と。

 

 

 そんな、不貞腐れたことを考えてしまった。

 我ながら、最低だと思う。

 俺たちが元の世界に戻れないことと、セントラリアに迫る禍は無関係だ。並べて考えることですらない。

 それなのに。


「(秋良)」


 ふと、胸内にイサトさんの声が響いた。

 左手の薬指の付け根に嵌る銀の環へと視線が落ちる。


「(イサト、さん)」

「(君は、どうしたい?)」

「(イサトさんは? イサトさんは、どうしたい?)」


 そう聞き返したのは、イサトさんの考えを指標を据えてしまいたいという俺の狡さだった。俺は、迷っている。だから、イサトさんに決めて欲しい。そんな、甘えにも似た狡さ。


「(…………、正直、迷うよなあ)」


 だから、イサトさんからそんな返事が返ってきて戸惑った。

 イサトさんなら、きっともう何か答えが胸にあるのかと思っていた。

 イサトさんは、迷ったりしないのだと、思っていた。


「(本当は、途方にくれてたい。元の世界に帰りたいって駄々をこねて、悲嘆にくれて、自分を憐れんでいたい)」


 そうだ。

 せめて、哀しむ時間が欲しかった。

 呆然と、立ち尽くす時間が欲しかった。

 これからどうするのかを考える時間が、欲しかった。

 俺たちは、今まで「したいこと」を貫いてきた。

 今初めて、俺とイサトさんは「したいこと」に迷っている。


「(…………でも、さ。きっと、後で後悔するよな)」


 後悔、するだろうか。

 荒廃したセントラリア、知ってる人たちのいなくなった瓦礫の山のようなセントラリアを後から訪れた時俺は何を想うだろう。

 決まってる。

 どうして、あの時決断しなかったのかと後悔するに決まってる。

 エリサを、ライザを、獣人の人たちを、俺たちに良くしてくれたセントラリアの人々を助けることが出来なかったことを、きっと俺は後悔する。


「(イサトさん、決めても、良いかな)」

「(良いと、思う。今は少し、しんどくても。私は後悔したくない)」

「(…………俺も、だ)」


 だから。

 セントラリアを守ろう。

 セントラリアを救おう。

 この世界に留まることになるのか、いつか元の世界に帰ることが出来るのか、今はまだわからない。

 けれど、その時に後悔を胸に抱えないためにも、今決めるしかない。

 これが、俺たちの「したいこと」だ。


「陛下、その混ざりモノの討伐は、俺たちが引き受けましょう」


 黒竜王の金の眼を見据えて、俺はそう言い切った。

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