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トラウマメイカー☆おっさん

 グリフォンの背に乗って、しばらくは不思議と気が急いていた。

 それはイサトさんも同様だったようで、もっふもふの外套を着た背中も前のめり気味に、いつもより幾分かスピードを出して空を駆る。

 

 向かうは、『最果ての洞窟』だ。

 北の果てに浮かぶ孤島より深く地底に潜るダンジョン。

 この世界において、唯一俺たちの元いた世界へと繋がっている可能性を残した場所だ。

 

 北に向かって飛ぶにつれて、次第に空が明るくなっていく。

 別段俺たちが徹夜して一夜を明かしてしまったというわけではない。

 ノースガリアのあたりが明けぬ夜に包まれているのと同じように、そこからさらに北上したこの当たりは逆に陽が沈まないのだ。

 かといって燦々と陽の光が注ぐ大地、というわけではない。

 むしろ、受ける印象としては薄らぼんやりしている、という一言に尽きるかもしれない。空はただひたすらに白く、のっぺりと雲に覆われてる。


 白い空と、白い雪原。

 

 そんなぼやけた白に塗り潰された世界を切り裂くように、唯一色を纏ったグリフォンが空を翔けて行く。

 どれくらいの間、そうして白の世界を翔けていただろう。

 ようやく、見下ろす景色に果てが見えてきた。

 ぶつりとそこで誰かが巨大な包丁を振り下ろしでもしたかのように、ぷつりと大地が途切れる。その先に広がるのはどこか重たげな群青の海だ。

 

 『最果ての洞窟』を抱く島はこの先にある。

 

 はやる気持ちを抑えて、前を向く。

 前にもこんなことがあったな、と既視感を覚えて、思い出した。

 『最果ての洞窟』が実装された時だ。

 以前より、そろそろ新規マップの投入が近いと言われていたのを知っていたもので、俺たちはメンテが明ける度にわくてかしながらRFCのログインページにアクセスしたものだ。

 そして、待ちに待った「新規マップ(最果ての洞窟)実装」の文字をメンテ内容の中に見つけたその日。俺たちは期待と興奮を抱えてもうどこもかしこも知り尽くしたはずのRFCの中を改めて探索してまわった。新規マップへのトリガーを探してしらみつぶしにNPCに声をかけるものもいれば、実際にあちこちを見てまわって、それらしいワープポータルが出現していないかを探しているものもいた。


 俺とイサトさんは、後者だった。 

 

 イサトさんはグリフォン、俺はワイバーンに乗って二人であちこちを探索していた。そして、北のあたりでそれらしい島を見つけたという情報を聞きつけて、二人して北へと向かったのだ。

 

 北へ向かう間、どうしようもなくわくわくしていた。

 どんなモンスターがいるのか、どんなマップが増えたのか、手持ちの武器で、手持ちのアイテムで攻略可能なのか。

 

 今と、よく似ている。

 二人して、どきどきわくわくと高鳴る鼓動を重ねて、俺とイサトさんは飛ぶ。

 グリフォンの背に乗って、『最果ての島』を目指して飛ぶ。

 

 何かおかしい、と俺が気づいたのは飛び始めてしばらくしてからだった。

 おかしい。

 こんなにも、『最果ての島』は遠かっただろうか。

 イサトさんも同じことを感じたのか、少しずつグリフォンを減速させる。


「おかしいな、途中で逸れたかな」

「かもな。ちょっと戻ってみる?」

「うん、そうした方が良さそうだ」


 『最果ての島』は何もない海の中にぽっかりと浮く島だ。l

 それ故に、ゲームの中でも見つけるのは少し難しかった。慣れれば、ゲーム画面の端に表示される経度と緯度を頼りに辿りつけるのだが。残念ながら、現在の俺たちには経度や緯度を知る術はない。

 

 そんなわけで、俺とイサトさんは一度陸地に戻って、もう一度最初から見当をつけて飛びなおすことにする。ゲーム内では何度も往復したこともあり、目で覚えている部分もある。確か、陸と海との境界でぼこりと凹んだ部分から、ほぼ垂直に海に向かって突き進めば、多少のズレはあっても、『最果ての島』を視認できる位置には出るのだ。

 

 念入りに出発地点を確かめて、俺とイサトさんは再び海へと向かう。

 何も、見つけられずにまた陸に戻る。

 それからまた海へと向かう。

 陸に戻る。

 海へ向かう。

 陸に戻る。

 海に向かう。

 陸に戻る。

 海に向かう。

 

 

 

 

 

 

 ……

 …………

 ………………

 

 

 

 

 

 

 

 もう、何度繰り返しただろう。

 何度目かに陸地に戻ったとき、イサトさんはもう何も言わなかった。

 ただ、無言でグリフォンの向きを変えて、再び海へと向かおうとする。

 その肩に、手をかけた。

 イサトさんが何を恐れて口に出せないでいるのかは、痛いほどにわかっていた。

 俺が止めなければ、イサトさんが何度でも繰り返すだろうというのも、わかっていた。


「もういいよ、イサトさん」

「でも」

「もう、いいんだ」


 とぼけた白い空の下、俺は静かに首を横に振る。

 もう、わかってた。

 

 

 

 この世界に、俺たちが探す『最果ての島』は――ない。

 

 

 

 ないのだ。

 俺たちが元の世界に戻るための手がかりになると思っていた場所は、そもそもこの世界には存在していなかった。

 正直、頭を横合いからブン殴られたのかと思うぐらいに、ショックだ。

 じりじりと腹の底で得体のしれない重苦しい感情がぐるぐると渦をまいている。

 

『そのうち嫌でも実感がわいて、どんよりする時がくる』

 

 いつか、イサトさんが言っていた言葉を思い出した。

 砂漠で目を覚まして、カラットに村に着いた直後。

 こうして異世界に飛ばされてしまったというのに全然実感もわかなければ危機感がないと焦った俺に、イサトさんはそう言って慰めてくれたのだ。いつか、異世界に来てしまったのだと実感して落ち込むときがくるのだと。 


 今が、その時だ。


 俺たちは、異世界にいる。

 『最果ての洞窟』で、もう一度同じドロップアイテムを手に入れれば元の世界に戻ることが出来ると思っていた。それを目標に動く中で、場当たり的にいろんなトラブルに巻き込まれてきた。

 なんだかんだ人を助ける余裕があったのは、明確なゴールがあったからだ。

 『最果ての洞窟』でボス、もしくはボスの取り巻きを倒し、あのエメラルドグリーンに煌めく『転送ジェム』をもう一度手に入れることが出来れば、元の世界に戻れると信じていたからだ。

 けれど、そうじゃなかった。

 俺たちは、帰れない。

 帰る術がない。

 元の世界から遠く、切り離された異世界にたった二人で放り出されてしまった。


「…………」

「…………」


 悄然と項垂れたイサトさんの後ろ姿が痛々しい。

 陸の淵に立ち、海を見据えるイサトさんは、そのまま儚く白い世界に溶けていってしまいそうにも見える。

 

 あの時、俺を助けてくれたのはイサトさんだった。

 焦燥にかられて、途方くれつつあった俺の肩を軽やかに叩き、あまり気負うなと言ってくれたのはイサトさんだった。

 だから、今度は。


「あんまり落ち込むなよ、イサトさん」

「…………秋良」


 俺の声に、イサトさんがのろりと振り返る。

 泣いているかとも思ったものの、イサトさんの頬は乾いていた。


「……その。なんて言ったらよくわかんないけどさ。俺らなら、何とかなるよ。こっちでも、俺たちは今までやってこれた。これからも、何とかなるよ」

「――…、」


 俺の拙い言葉に、はっとしたようにイサトさんの金色の双眸が瞬く。


「…………そう、だよな。私たちなら、何とかなる、よな」

「何とかなるし、何とかする」


 きっぱりと、言い切る。

 ゲーム時代のステータスや所持品を引き継いでいる俺たちは、普通に暮らそうと思ったら十分この世界でも暮していける。ある程度なら、無理を通すだけの力を持ち合わせているのだ。

 元の世界に戻ることを諦める、とは言うつもりはないし、言いたくもない。

 しかし、それがこれまで考えていたよりも長期戦になるのは確実だ。

 それでも、俺たちならきっとやっていける。

 俺とイサトさんなら、大丈夫。


「大丈夫だよ、イサトさん」

「……うん、そうだな」


 そう言って、イサトさんはようやく小さく笑ってくれた。

 けれど――…その笑顔がどこか、傷ついているように見えたのは俺の気のせい、なのだろうか。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 翌日の朝。

 俺が起き出す頃には、階下から良い匂いが漂ってきていた。

 宿と違って、『家』では食事は勝手に用意されたりはしない。イサトさんだ。

 俺が下に降りると、キッチンのあたりで忙しそうに朝食を用意していたイサトさんがこちらを振り返ってにっこりと笑った。


「おはよう、秋良」

「おはよう、イサトさん」


 イサトさんは、いつも通りだ。

 特に、変わった様子はない。

 昨日の出来事を、引きずっているようには見えない。

 一晩の間に、気持ちの整理を付けることが出来たのだろうか。


「喜べ秋良青年」

「ん?」

「今日の朝ごはんは――…ずばり、卵ごはんだ」

「!」


 なんと。

 憧れの和食だ。

 いや、卵ごはんを和食だなんて言ったら、怒られてしまうような気はしないでもないが、俺にとっては十分和食だ。そもそも米を食べること自体が随分と久しぶりなのだ。


「え、米はどこから?」

「カラットに置いてきた時の、残り。一袋だけ、残しておいてたんだ。ほら、錬金術で加工したら種に出来るから」

「栽培する気だったのか」

「当然」


 ドきっぱりと言い切られた。

 その残しておいた米を調理に使った、というのは何か心境の変化があったのだろうか。


「というか、した」

「へ?」


 した、って。

 何をだ。

 何を、って。

 そりゃあ、この会話の流れからして。


「え、米栽培!?」

「そう」


 ドヤ、と胸を張られた。

 だだだと足音も慌ただしく響かせて、俺は玄関の扉を開けて外に飛び出す。

 そして畑チェック。

 ぱんつ栽培だけ、とお願いされて許可した綿畑の傍らに、見覚えのない水田が燦然と輝いていた。

 というか、水田だけじゃない。

 なんかいろいろ植わってる。


「ちょ、え、うええええええ!?」

「すごかろ」


 イサトさんはドヤ顔である。

 元気になってくれたのは良いものの、何がどうしていきなり農業に目覚めてしまったのか。茫然とする俺に、イサトさんは微かに眉尻を下げた。


「……まあ、その。家主の寝てる隙に勝手に弄ったのは悪いと思ってる」

「いやそれは良い、っていうか、いや良くないけど」


 俺は困ったように頭を掻く。

 イサトさんに農業の許可を出さなかったのは、余計なスキル育成に気をとられて本来の精霊魔法使いのレベル上げがおろそかになるのを防ぎたかっただけなのである。いつもの軽口の延長でしかなかったものだから、こんな風に正面から謝られてしまうとどうして良いのかわからなくなる。

 

「どうしてまた、急に」

「んー……何か、していたくて。ほら、この世界でもうしばらくいることになるなら、食糧も自力で安定して確保できた方が良いだろう?」


 そうか。

 イサトさんは、この世界に留まる可能性を考えた結果、何かせずにはいられなくなってしまったのか。

 元の世界に帰れないかもしれないという不安を誤魔化すように、この人はせめてこの世界での生活が安定するようにと一人で畑を作ってしまったのだ。


「……秋良、怒ってる?」


 イサトさんのそろっと窺うような声に、俺はわざとらしく顰め面を作って見せた。いつもの軽口の応酬の延長であるかのように。


「そりゃ、怒る。人が寝てる間に魔改造しやがって」

「…………」


 しゅん、とイサトさんが視線を落とす。

 心なしか、ツンと尖ったエルフ耳まで萎れてしまったように見えて罪悪感がパない。なので、口早に言葉を続ける。


「でも、卵ごはん、美味しそうだったから許す。あったかいうちに飯にしよう。冷めたら勿体ない」


 ぱ、と顔をあげたイサトさんの表情に、安心したような色が広がる。

 くそう。

 こんな顏されたら、怒ろうにも怒れない。

 口元綻ばせて、誇らしげに頷いたイサトさんに内心苦笑しつつ、俺は『家』の中へと戻ると再び食卓についた。目の前には、ほかほかとおいしそうな卵ごはん。

 つやつやと白く輝くようなふっくらと炊きあがった白米に、これまた艶めかしく煌めく黄色の濃い卵黄がぷりんと乗っている。


「どうやって炊いたんだ?」

「炊飯器はさすがになかったから、鍋。なかなか上手に炊けて満足してる」

「へええ、鍋で米って炊けるんだな」

「はじめちょちょろ中ぱっぱ、じゅうじゅう吹いたら火を引いて、赤子泣くとも蓋取るな、を唱えながら頑張ったらなんとかなった」


 学校の自然教室などで飯盒炊飯は経験しているもので、炊飯器がなくとも米は炊けると知識はあるのだが。現在日本の家庭においては、基本米を炊くのは炊飯器の仕事となっているもので、鍋で炊いたなどと言われるとやはり感心してしまう。


「お醤油はどこから?」

「倉庫に入ってた大豆から錬成した」


 ちー、と円を描くように醤油を回しいれ、イサトさんが卵を崩し出す。

 差し出された醤油差しをうけとって、俺もちー、と醤油をかける。

 ほかほかとただよう白米の香りに、醤油のしょっぱいような香りが混じって実に食欲をそそる。

 ちゃっちゃっちゃ、と豪快に白米と黄身とを混ぜ合わせ、口の中へとかっこむ。


「…………、」


 感動する。

 懐かしい、当たり前で変哲もない、それでいてここからは限りなく遠い日常の味がした。

 

「ンまい」

「私天才かもしれない」

「天才天才。お代わりある?」

「ある」

「よし」


 しばらくお互い無心に卵ごはんを貪る。

 俺は予告通りお代わりをして、二杯分の卵ごはんを腹に収め、ようやく腹と心が満たされたところでようやく人心地ついた。

 食後のお茶を飲みつつ、ふと口を開く。

  

「今日の予定、だけど」

「うん」

「予定通りで、イサトさん、平気か?」


 今日は、黒竜王に会うために、エレニの待つヅァールイ山脈に向かうつもりだった。が、ヅァールイ山脈は純粋に地理的にも難所である。それに、マップ上に散在するモンスターもこれまでよりは手強くなる。その上最終的に俺たちを待ち受けているのはエレニと黒竜王だ。

 最悪の場合エレニと黒竜王を纏めて相手しないといけないと考えると……、余計なことを考えている余裕はない。逆に言うと、エレニと黒竜王の攻略に集中できないのならば、挑むべきではない。

 俺の問いに、イサトさんは一度軽く双眸を伏せた。

 それから静かな、それでいて力の満ちた金色がまっすぐに俺を見据えた。


「大丈夫だよ、ごめん。心配かけた」

「…………本当に?」

「本当。疑り深いな君」

「自分の胸に手を当てて思い当ることがないか考えてみろ」

「――……」


 右手を胸の上に押し当て、イサトさんは「はて」といった顔でしらばっくれて首を傾げる。

 

 コノヤロウ。

 

 思いっきり渋面になった俺を見上げて、イサトさんがくくくと喉を鳴らして笑いだした。それに釣られるようにして、俺も笑う。

 そうして一頻り笑いあった後、俺とイサトさんは気持ちも新たに、ヅァールイ山脈に向けて出発したのだった。

 


 



 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 ヅァールイ山脈は、ノースガリアの北東のあたりに聳える険しい山脈だ。

 ドラゴン系のモンスターが多く生息するマップで構成されている他、地形としても攻略にプレイヤースキルのいる高難易度エリアとして知られている。

 今回俺たちが目指すのは、クリスタルドラゴンのいる頂上ではなく、山脈の中腹あたりから入ることが出来る黒竜王のダンジョンだ。

 

 前にも話した通り、ゲーム時代はそのダンジョンの入り口まで、イサトさんを生かしたまま連れていくのに随分と苦労したものだった。

 モンスターに不意をつかれて、モンスターにうっかり囲まれて、逃げようとして足を滑らせ崖から落ちて、いろんな理由でイサトさんは雪山に散っていった。

 当時は笑い話で済んだが、今となってはそういうわけにもいかない。

 そんなわけで、俺は大真面目にイサトさんへと切り出した。

 

「イサトさん、俵担ぎとおんぶとどっちが良い?」

「君はなぜ極々当たり前のようにその二択を言い出した」


 山の麓にて、解せぬ、という顔をしているイサトさんとまじまじと見つめ合う。

 

「肩車という手もあるけれど、安定性から考えてあまりお勧めはしない。前抱きは両手がふさがるから却下な」


 肩車はイサトさんが風の抵抗に負けてしまいそうな気がひしひしとしている。


「いや、そうじゃなくて。何故私が自力歩行するという一番基本的な選択肢がないことにされているのか」

「イサトさんを死なせるわけにはいかないから」

「そう簡単に死んでたまるか!」

「うっかりで死ぬだろあんた!」

「否定しないけど!」

「否定してくれ!」


 こうなったら力技でいくしかないだろうか。

 俺がイサトさんに向けて腕を伸ばそうとすると、イサトさんはそれに対して謎のファイティングポーズをとる。じり。俺が一歩距離を詰めると、イサトさんも一歩じり、と後ろに下がる。じり。じりり。


「おとなしく運ばれろ!」

「嫌だ!」


 が、哀れイサトさん。

 妙齢の女性のいたいけな腕力では、男子大学生(元運動部所属)に叶うわけもなかったのだった。よっこらせ、と腕に力を入れてイサトさんの身体を肩の上に抱き上げてしまう。じたばたと脚を揺らして抵抗されるものの、そんなことで俺がイサトさんを落とすわけもない。

 

「人攫いー!!」

「やめろ、人聞きの悪い!」


 こんな雪山の麓で他に誰か人がいるとも思えないが、俺は不名誉な誘拐犯の肩書きを否定しておく。そしてそのままがっしがっしと雪の山道を突き進みかけたところで――ふと、涼しげな、どこか小馬鹿にするような声が響いた。


「愉しそうなところ悪いんだけど――…君たち何やってるのか聞いてもいい?」

「え」

「へ」


 向き直った先では、俺たち同様足首までありそうな純白のロングコートに全身を包んだエレニが、呆れきった面持で立っていた。この男に逢いに来たとはいえ、こんな山の麓で会うことになるとは思っていなかった俺たちである。


「お前、なんでこんなとこに」

「陛下の使いで、君たちを迎えに来たんだよ」


 なんで、俺たちがここにいるのかわかったのかと聞きかけて、そんな疑問はすぐに自己解決した。

 俺たちはセントラリアで別れる前に、エレニの使ったスキルによってお互いの居場所がわかるようになっている。俺には上手く使えないが、イサトさんにエレニの居場所がわかるように、エレニの方からもイサトさんの居場所がわかるのだろう。

 

「ほら、こっちだよ。ついてきて」

 

 エレニは俺たちを先導するように歩き始めるが……それはダンジョンの入り口があるはずの中腹に向かうのとは別の道だった。細い獣道と見紛うような脇道へと足を踏み入れていく。


「…………」

「…………」


 肩に抱えたままのイサトさんと、顔を見合わせる。

 

「黒竜王はダンジョンの奥にいるのでは?」

「そうだよ」

「それなら道が違うんじゃないのか?」

「いいからついておいでよ。君たちだって余計な戦闘は回避したいだろ?」

「まあ、それは」


 頷いて、大人しくエレニの後をついていく。

 エレニが俺たちを案内したのは、岩壁にぽかりと空いた洞窟の入り口だった。

 ゲーム内では見覚えのない場所だ。そもそも、ゲーム内ではここまで自由にヅァールイ山脈を探索することも出来なかった。グラフィックで描かれない場所は存在しない、というのがゲームだ。

 

「ここからなら、道中モンスターに遭遇することなく陛下の元まで辿りつけるんだ。まあ、近道だね」

「こんな便利な抜け道があったとはなあ」


 延々とダンジョン攻略して黒竜王の元まで到達する気満々だった俺としては、少し拍子抜けしてしまう部分もあるが、確かに黒竜王に会う前に余計な体力を使わないで済むのはありがたい。

 

 エレニの案内で抜け道を歩く。

 岩をくりぬいて作ったようなシンプルな細い道ではあるものの、岩壁にはぼんやりとした灯りを放つクリスタルが埋め込まれていた。薄く曇った結晶の中に灯る光は、どこか幻想的にも見える。

 充分に視界が確保されているのと、足もとが特に滑るということもなさそうなのを確認してから、俺はイサトさんを肩からおろした。ここなら万が一転んでも、それが即死に繋がるなんてことはなさそうだ。


「全く、年頃の女性をいきなり担ぎあげるなんて」


 ぶつぶつぼやきながらイサトさんがびすびすと俺の脇腹を小突いているが、聞こえないふりを貫く。エレニはそんな俺たちの様子に、口元に呆れたような笑みを淡く浮かべながらすたすたと前方を歩いていく。その横顔に、隠そうとはしているものどこか疲労の色が見えた気がした。


「おい、エレニ」

「どうかした?」

「…………」


 大丈夫か、と聞くのも何かおかしな気がして、俺は言葉に迷う。

 そうこうしているうちに、長く続いていたような抜け道にも終わりが訪れた。

 入口は質素なただの岩壁を刳り貫いただけの洞穴だったというのに、その終点には随分と重々しい扉が待ち構えていた。薄らと蒼白い光を放つその扉は、きっと純粋な腕力だけでは開けること叶わないのだろう。

 エレニは、俺たちを振り返る。


「この先に、陛下がいる。覚悟は出来ているかい?」


 それは軽い調子の問いかけだった。

 けれど、エレニのただでさえ白いその顔はどこか蒼白く。

 その声も、少し震えているように響いた。

 この男が、平素を装えぬようなことがこの先には待ち構えているのだろう。

 俺は、ちらりと隣に立つイサトさんへと視線をやる。

 俺の一瞥を受けて、イサトさんもまた力強く頷いた。


「行こう、秋良」

「おう。エレニ、開けてくれ」

「…………わかった」


 エレニが掌を扉に押し当てて、何事かを呟く。

 そして扉が開かれ――…その瞬間、何か金属質な音が響いた。

 堅いものを擦れ合わせるような、耳障りな音だ。何だ、と思うよりも先に身体が動いて、俺はイサトさんとエレニを庇うようにして地面に身体を投げ出していた。その頭上を、俺たちの上半身があった場所を、黒くうねる何かがとんでもない勢いで過ぎていく。


「……ッ、おいエレニ!」

「陛下! どうぞお心を鎮めください……!!」


 俺の腕の下から這い出たエレニが引き攣った声をあげつつ、いつの間にか手にしていたスタッフを構えて扉の向こうにいるモノへと必死に訴えかける。

 俺とイサトさんも慌てて体勢を整えつつ、扉の奥にいるモノと対峙する。


「……っ、」

「――…、」


 二人そろって、言葉を失う。


 それは闇を凝らせたようなイキモノだった。

 漆黒の鱗は滑らかに美しく、ここでも明かりとして使われているクリスタルの光を弾いて艶めかしく煌めいている。その一方で影となる部分はどこまでも昏く、光を通さぬ闇そのものであるかのようだ。

 爛、と燃える双眸は燭を灯したような金。

 爬虫類の縦に尖った瞳孔の奥で、まるで炎のように金の色合いが揺れている。

 全体のフォルムは、竜王の名に相応しい翼竜に似た姿をしていた。

 しかし畳まれた皮膜翼を支える四肢もたくましく、鋭い爪が大地を捕らえる様は地上戦においてもさぞ手強そうに見える。身体に添うように回された太い尻尾の先には鋭い剣ほどもあろうかという棘が幾つもの重なりあっている。大きさは竜化したエレニをはるかにしのぎ、ちょっとした小山ほどはありそうだ。

 

 これが――……、ヅァールイ山脈を治める竜種の長、黒竜王。

 

 その姿は、ゲーム時代にもNPCとして見たことがあった。

 ある意味そこまでは想定済みだった。

 だから、俺とイサトさんから言葉を奪ったのは、黒竜王のその姿のせいではなかった。

 

 黒竜王の全身には、まるで雁字搦めに縛り上げるように太い鎖がかけられていた。


 こんなものは、知らない。

 先ほど俺たちの頭めがけて振り抜かれたのも、その腕からじゃらりと伸びた太い鎖であったらしい。ふー、ふー、と黒竜王が息を継ぐ度にその美しい鱗の上を無粋な鋼が滑るじゃらじゃらという耳障りな音が響く。


「おい、エレニ」

「これはどういうことだ」


 自然と声が厳しくなる。

 こんなのは想定外だ。

 黒竜王の金の眼は敵意と害意に燃えて俺たちを見据えている。

 

「…………陛下は、気がふれかけている」

「ちょっとまて、それどういう」

「話している場合じゃない、君たちは下がっていろ!」


 鋭く言い捨てて、エレニがスタッフを携えて呪文を唱える。

 低く柔らかな声音と同時に、柔らかな燐光が黒竜王の鼻先を掠めるものの……それはもう、獰猛な獣性を取り憑かれた黒竜王には届かないようだった。ぎらりと滑る金の眼に宿るのは、目の前にあるものを壊したい、殺したい、という凄惨な欲望だ。

 

 いつしか、エレニの言っていた言葉を思い出す。


『まあ、来ても話が聞けるとは限らないけどね』


 この野郎。

 こういう意味なら最初からそう言っておけって言うんだ。


「俺がなんとか陛下を鎮める!」


 繰り返し、繰り返し、エレニは呪文を紡ぐ。

 抜け道を下る間、エレニの顔に疲労が見えた理由がわかったような気がした。

 この男は、俺たちがここに訪れるまでの一週間、この状態の黒竜王とともに過ごしてきたのだ。こうして何度も、荒れ狂う竜王の狂気を抑えてきたのだろう。

 けれど、その術はもう届かなくなり始めている。


「イサトさん、エレニのサポートできるか?」

「おそらくエレニが使っているのは鎮静の効果のある魔法だと思うのだけど……私、サポート魔法はほとんどとってないからな」

「イサトさんのレベルで重ねがけしたら効果があるかと思ったんだが」


 駄目か。

 こうなったら、力で押すしかないのだろうか。

 俺は、大剣へと手を滑らせかけ――


「!」


 そんな俺の隣で、イサトさんが何か閃いたという顔をしてインベントリへと手をつっこんだ。もどかしげに中をごそりと中を掻き混ぜた手が引き抜くのは、ドリーミィピンクのスタッフ、しゃらんら☆である。

 ここで魔法少女に変身してどうしようというのだろう。

 攻撃魔法に聖属性を付加するだけで、錯乱する黒竜王をどうにかできるとは思えないのだが……


「エレニ! これを使え!」


 イサトさんは、そのドリーミィピンクの可憐なスタッフを。

 エレニに向かって、放り投げた。


「え゛」


 なんだろう。

 壮絶に厭な予感がする。

 イサトさんはかつて言っていなかっただろうか。

 あのスタッフを使ったものは男女関係なく魔法少女に――


「エレ」


 二、と最後まで呼ぶより先に、ぱしりとイサトさんの放ったしゃらんら☆を受け取ったエレニがそれを携えて呪を紡ぐ。

 おそらく、藁にもすがる思いで自分が手にしたスタッフの形状にも気を留めてなかったのだろう。

 

 そして。

 ドリーミィピンクの光が、炸裂した。

 

 

 

 なにこれ。

 なにこれうぼあー。



ここまでお読みいただきありがとうございます。

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