おっさんへの仕返し
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「く、くたびれた」
「……同感だ」
そんなことを呟きながら、俺とイサトさんはくたびれきった様子でよろよろと古びた教会の信徒席へと腰を下ろした。
ここはセントラリアの片隅にある、古びた教会だ。
というか、俺とイサトさんにとってはゲーム内で教会と言われればここになるのだが――…、どうやらここはもうセントラリアの人々に使われなくなって久しいらしい。なんでも街の中心地に新しくもっと広くて綺麗な教会が出来た結果、信徒のほとんどがそちらに移り、今ではこの教会を使うのは獣人たちだけなのだという。俺たちを見下ろす女神像も、俺たちがゲームの中でよく見知った教会と何も変わらないように見えるのにと思うとなんとも言えない気持ちにもなる。
が、おかげでこうして避難場所として活用できるだと思えばありがたい。
黒薔薇の庭園での戦闘を終えた後、何よりも熱いシャワーと清潔なお布団を欲していた俺とイサトさんであったわけなのだが。
さすがに飛空艇を墜とした時と違って敵を倒してはいお終い、というわけにはいかなかった。俺の『家』に避難させた獣人の狩りチームをセントラリアまで連れ帰って出してやる必要があったし、ライザとレティシアが人質に取られていた以上、セントラリアに残してきた獣人たちの安否も早急に確認する必要があった。
なんやかんやと駆けずりまわって、結局俺たちがこうして腰を落ち着けることが出来た今、窓の外ではうっすらと夜が明け始めている。
隣のイサトさんは、眠たげにすでに半眼だ。
ぼんやりと後頭部まで背もたれに預けるように喉をそらして、美しいレリーフの掘り込まれた天井を眺めている。
なんとなく、俺の視線も同様に天井へと向かった。
セントラリアに残してきた獣人たちの行方を探すの手伝ってくれたのは、意外なことに狩りチームのオマケとして助けただけだった人間の商人二人だった。
マルクト・ギルロイの狂気を実際にその眼にしただけあって、見限るのも早かった、というか。いや、そこは流石商人、立ち回りが上手い、というべきところなのだろう。
彼らは街に戻るとすぐにギルロイ商会のメンバーや騎士の詰所に連絡し、獣人たちの捜索に当たってくれたのだ。
それは間違いなく、マルクト・ギルロイの暴走を彼個人に背負わせるための保身でもあったのだろう。けれど、そのおかげで随分と助かったのは事実だ。土地勘のない俺たちでは、マルクト・ギルロイが獣人を捕えておけるような場所に心あたりが全くなかった。
捜索の結果、セントラリアに残っていた獣人の家族たちはマルクト・ギルロイの屋敷の地下に囚われているところを発見された。商会の他の人間には、獣人たちに逃亡の危険性があるため身柄を拘束する、と説明していたらしい。埃っぽく、淀んだ空気の溜まった地下はただただ暗く、その空間の半分以上を占める檻の中に、獣人たちは閉じ込められていた。そして、部屋の片隅にはこれまで犠牲になった獣人たちの持ち物だと思われるアクセサリーや装備品、服の一部などが、これまた無造作に放り出されていた。
最初は半信半疑だった騎士団の連中も、その光景にようやくただ事ではないことを把握したらしく、この当りから急に騒がしくなった。明日になれば、もっと大騒ぎになることだろう。
聞いてみたところによると、マルクト・ギルロイは独りになって以来、誰もこの屋敷に入れておらず、商会の人間も、騎士団の連中も、誰もこんな地下があることも知らなかったらしい。
もし、マルクト・ギルロイが何をしているかを知っていたら止めてたか?
そう喉まで出かかった質問は、結局口にすることは出来なかった。
どう答えるのかなんてわかりきっていたし、もしもそれが嘘だと気づいてしまったらと思うとどうにも薄ら寒いからだ。
檻の中から救出した獣人たちは、皆疲れきってはいたものの、怪我もなく無事だった。おそらく、マルクト・ギルロイは一番抵抗したライザとレティシアを無力化し、他を捕まえた後はすぐに薔薇園の方に向かったのだろう。
少し視線を下ろすと、教会の前方、本来ならありがたいお話を神父がするのであろうスペースで幾つかの獣人の家族が再会を喜んでいるのが見える。
その中に、エリサや、目を覚ましたライザも混ざっているのを見て、ふっと疲れた顏の口元にも笑みが滲んだ。
何気なく隣を見れば、イサトさんも似たような表情を浮かべている。
「まあ……良かったのか、な」
「…………そう、だな」
ゆっくりと息を吐く。
まだまだ気がかりなことは残っているが、今はもういいだろう。
俺達は十分よくやったと思う。
後のことは、一回寝て目が覚めた後の俺たちに任せてしまおう。
少し休むつもりでゆっくりと目を閉じかけたところで、ふと人の気配を感じた。
「なあ、アキラ、イサト」
「ん?」
「どうした?」
いつの間にか目の前にやってきていたのはエリサだった。
エリサは少し言いよどむようにしながら、口を開く。
「その……、オマエら、もう宿に戻る、のか?」
「ああ、うん。少し休んだらそうするつもり、だけど」
今はもう動きたくない。
宿に戻っても風呂に入るだけの気力があるかどうか。
「……………………そう、かよ」
「エリサ?」
エリサはなんだか何か言いたさそうな顔をしている。
喉元までこみあげた言葉を、懸命にこらえている、ような。
「……秋良青年」
横から、まるで助け舟を出すかのように口を挟んだのはイサトさんだった。
「どうした?」
「私は、今ものすごく眠い」
「うん?」
「なので、もしエリサたちが大丈夫なようなら、今日はもうこの辺で適当に寝かせてもらう、というのはどうだろう」
「っ」
イサトさんの言葉に、ぱあ、とエリサの表情が明るくなる。
なるほど。
そこまで見て、ようやく俺にもわかった。
エリサは、俺たちに帰ってほしくなかったのだ。
俺はなんでもないような顔で、イサトさんに話を合わせる。
「そうだな。俺ももう宿屋まで戻るのが面倒になってきた」
「わかった、それならオマエらが使えるブランケットとかないか聞いてくる!」
エリサはそれだけ言うと、すぐに飛んでいってしまった。
「……ありがと、イサトさん」
きっと、俺だけなら「何か言いたさそうにしてる」ところまではわかっても、その気持ちは上手に汲み取ってやることは出来なかった気がする。
「きっと、まだ安心できないんだろうな」
「そう、だな」
諸悪の根源であったマルクト・ギルロイはもういないとはいえ、ライザとレティシアが街中で襲われ、人質にされた記憶は新し過ぎる。また何かあったら、と不安に思うエリサの気持ちも、言われてみればわかる気がした。
「アキラ、イサト、これ、使ってくれ」
「ありがと、助かる」
軽く息を弾ませ、エリサがどこからか持ってきてくれたブランケットを受け取ってそのうちの一つをイサトさんへとパスする。この季節、被るものがなくても風邪をひくようなことはなさそうだが、せっかくの気遣いだ。
「それじゃあ、俺たちも寝るか」
「そうしよう。おやすみ、エリサ」
「おやすみ」
挨拶を交わして、エリサが家族の元に戻るのを見送った。
それからイサトさんが欠伸混じりに俺の一つ前の信徒席へと移るのを見届けて、俺もごろん、と硬い椅子の上に横になる。寝心地が良いとは決して言えないが、宿屋の長椅子と違って俺が横になってもまだ余裕があるのがありがたい。
ちら、と前の席に視線を向けてみるが、イサトさんももう横になったのか背もたれに隠れて姿は見えない。
「…………」
ほう、と息を吐く。
本当に、いろんなことのあった夜だった。
今後のことを話しあってでもいるのか、遠く微かに聞こえる獣人たちの声を聞きながら、俺はあっという間に眠りに落ちて――
ふ、と身近で人の気配が動くのを察知して意識が浮上した。
一人の部屋で寝ているならともかく、前提として他にも人がいるような場所で寝ているのにそんなことで目が覚めるのは珍しい。戦闘の名残を引きずって、未だ神経が昂ぶっているのだろうか。
そういえば部活でも大きな試合の後はなかなか寝付けなかったっけか、なんてことを思い出した。
うっすらと目を開けて周囲を見渡してみる。
辺りはまだ薄暗く、夜は明けきっていない。
そんな中を、そろりと聖堂の入口に向かって歩いていく銀色の後ろ姿を見た。
イサト、さん……?
風にでもあたりに行くのだろうか。
きっとすぐに戻ってくるだろう、と見当をつけて、俺は再び目を閉じる。
しばらくうつらうつらと微睡んで、次に意識が浮上した時にもイサトさんが戻ってきた気配はなかった。
俺が気づかないうちに戻ってきたのか。
それともまさか外でまた何か厄介ごとにでも巻き込まれているのか。
「……ったく」
未だ疲れが抜けず、重い手足を引きずるように身体を起こした。
俺は俺で安眠を貪りたいところではあるのだが、放っておけないのがイサトさんなのである。そっと前の席を覗いてみるものの、やはりそこにイサトさんの姿はなかった。戻ってきていないのだ。
俺達が寝入った頃にはまだ話をしている獣人たちも多かったが、今はもうすっかり静かになっていた。耳を澄ますと、教会のあちこちから微かな寝息が聞こえてくる。彼らを起こしてしまわないようにそっと足音を殺して、俺は静かに教会の入り口を抜ける。
季節で言うと初夏、といった頃だろうか。
日中は日差しが温かく、過ごしやすいではあるのだが、明け方は少し冷える。
ひやりとした外の空気に俺は小さく身体を震わせた。
白々とした明かりに包まれた町並みはまだ静かで、少し離れたところから朝市の支度をしているのであろう物音が聞こえてくる。
さて、イサトさんはどこだと周囲を見渡して……俺は小さく息を呑んだ。
イサトさんは、教会の入り口へと続く階段の隅っこに腰掛けて、ぼんやりと街を眺めているようだった。
俺が息を呑んだのは、その背中が随分と小さく見えてしまったからだった。
赤ずきんの衣装のままで、鮮やかな赤を纏っているはずなのにイサトさんの背中はどこか存在感が希薄で、そのまま見失ってしまいそうなほどに小さく見えた。
なんだか、そこにいるのに誰にも気づいてもらえない迷子のようだ。
「…………、」
声をかけようと思ったのに上手く言葉が出てこない。
だから、俺は結局何も言わないままイサトさんの隣に腰を下ろした。
ひやりと朝露に湿ったイサトさんの服が腕を掠める。
「風邪、引くぞ」
「……秋良」
どこかぼんやりとした調子でイサトさんが俺の名前を呼んで、少しだけ顔をあげた。イサトさんらしくない、迂闊な仕草だな、と思った。普段のイサトさんならば、きっとさりげなく俺から顔を隠すように顔を伏せる。この人は格好つけで、弱みを人に見せるのを良しとしない人だから。
―――こっそり泣いていたなら特に、だ。
イサトさんの目元は濡れていて、頬にも涙が零れた痕がまだ残っていた。
ぼんやりと俺を見上げた双眸も、どこか熱っぽく潤んでいる。
なるべく自然にしようと思っていたのに、やっぱり俺の動揺はイサトさんにはすぐに伝わったようだった。
「あー……」
失敗した、というようにイサトさんが呻く。
自分がどんな顔を俺に見せてしまったのかに気付いたらしい。
どう取り繕うか迷うような沈黙が流れる。
イサトさんが何を言ったとしても、その言い訳を鵜呑みにして頷くぐらいの紳士っぷりは見せようと思っていたのだが、結局イサトさんは諦めたようにかくりと肩を落とした。
「私は今、ものすごく恥ずかしい」
「俺は今、たぶんものすごくレアなもの見たなーと思ってる」
「今すぐ君の記憶を抹消したい」
いつもの調子で呟かれた言葉に合わせて軽口を返せば、ごん、と若干強めの頭突きを肩口に喰らった。そのままイサトさんはぐんにゃりと脱力して俺に体重をかけてくる。甘えるような仕草ではあるが油断してはならない。これはイサトさんの作戦である。いわゆるボクシングでいうクリンチだ。近さ故に攻撃されずに済む。
「寝ないのか、君。疲れてるだろ」
案の定、しれりといつもの調子で気遣われた。
イサトさんの顔を見ていなければ、もしかしたら俺はイサトさんの声が少し鼻声なのに気づかなかったかもしれず、そうしたらおとなしく「寝直してくる」なんて言っていたかもしれない。
けれど、今となっては手遅れだ。
「イサトさんは?」
「私は――…」
逆に聞き返すと、イサトさんは言葉に迷うようにほんの少しだけ間を置いた。
「……ちょっと、いろいろ考えたいことがあって」
そう言ったイサトさんが、わずかに目を伏せたようだった。
さら、と揺れた銀色が腕を掠めてくすぐったい。
その視線の先を追って、俺はイサトさんが手にした一冊の本に気付いた。
革張りの装丁が施された、手帳サイズの本だ。
ぱっと見た感じ、題名らしきものは描かれていない。
日記か何かだろうか。
「イサトさん、それは?」
「――なんでもない」
俺の視線から隠すように、膝を抱えるようにして座っていたイサトさんはその本を胸と膝との間に押し込んだ。
「…………」
「…………」
こほん。
「イサトさん」
「なんだ」
「それはそこに腕を突っ込んで良い、という前振りだったりする?」
「悲鳴をあげるぞ」
「……む」
ずるい。
とんでもなくずるい隠し場所だと思う。
どこにあるのかわかっているし、取ろうと思えば強引に取り上げることだって出来る位置なのに俺には手出しすることが出来ない。
俺は溜息をつきつつ、片膝に肘を乗せて頭を支え、イサトさんの顏を覗きこむように距離をとった。
「…………」
じーっと見つめていると、イサトさんが警戒するような上目遣いで俺を見る。
「なんだ」
「別に? 俺もちょっと考え事」
「悩んでいるのか、青少年」
からかうようでありつつ、どこか気遣わしげなイサトさんの言葉にふっと口元に笑みが浮かぶ。
悩んでるのは俺ではなく、イサトさんの方な癖。
「夜這いに匹敵する口の割らせ方についてを、考えてる」
「……っ!」
かあっっとイサトさんの目元が一気に赤く染まった。
恥ずかしさを誤魔化すように小突かれて、思わず笑いが声に出る。
「笑うな、このやろう」
「いや、からかう側ってのはいいな、と思って」
くっくっく、と笑いに肩を震わせつつ、俺は一応それを隠すように手で口元を覆った。まあ、バレバレなわけだが。
いつも俺がからかわれるだけだと思っていたら大間違いだ。
たまには逆襲だってする。
それに。
「それと同じぐらい、たまには支える側でもいいなって思うんだけどどうよ」
「…………」
む、とイサトさんの唇がへの字になった。
対照的に、眉がへにゃりと八の字になる。
泣きそうなところを、ぎりぎりで堪えているような。
喉元までこみ上げた感情を、一生懸命抑えつけているような顏だった。
ごん、と再び腕に頭突きを喰らう。
「……君にだけは、言いたくないのに」
「ひでえ。俺の弱みは強引に聞きだした癖に」
「酷いのは君の方だ。こんな仕返し、酷すぎる」
ぐりぐりぐり。
額を押し付ける攻撃が続く。
それから、イサトさんは深々と溜息をついた。
熱のこもった、熱い吐息。
まるで言葉に出来ない想いまで溶けていそうなほどに熱い。
「なあ。何考えてんの」
「………………言いたくない」
「なんで」
「……君まで、迷わせてしまいそうだから」
微かに震えた小さな声が、それがイサトさんの本心なのだと告げていた。
そして、なんとなく。
俺はイサトさんが何を一人で抱え混んでいるのかがわかったような気がした。
ふっと小さく息を吐く。
「イサトさん、それ、マルクト・ギルロイのだろ」
「……っ、なんで」
顔を隠したがっていた癖に、思わずといったようにイサトさんが顔を上げる。
驚いたように瞠られた金色の双眸から、その拍子にぽろりと雫が零れ落ちた。
つっと頬を滑っていく涙を、指先でくいと拭う。
「イサトさんが俺に見せたくなくて、俺が見たら迷うかもしれないようなもので、イサトさんは俺に迷わせたくないんだろ」
それなら、それは。
俺たちが戦い、最終的に助けられなかった男が遺したものに決まっている。
それに、イサトさん自身が言っていたことだ。
『私は結構海外ドラマの刑事ものが好きでよく見るんだけど……、犯罪者から市民を護るためにいざというときに躊躇うな、と彼らは訓練されているのに、それでも現場で犯人を射殺することに躊躇ったり、する』
『それだけじゃなくて、犯人を射殺してしまった後にはカウンセリングにかかったりも、する』
『ドラマは創作で、本当の話ではないかもしれないけれど……きっと、そう間違ってるってわけではないと思うんだ』
『人の命を奪う、っていう決断や、行動の生むストレスっていうのはさ。きっとあるんじゃないかって私は思ってる』
あの日の夜、イサトさんが話してくれた言葉を思い出す。
だからイサトさんは俺にこの異世界でも人を殺して欲しくないと思った、とそう話してくれた。
俺に、傷をつけたくないから――、と。
それなら今、イサトさんが泣いているのは、その傷の痛みのせいではないのだろうか。この人は、俺なんかよりよっぽど優しい人だから。
「イサトさんはさ、俺のこと心配してんだろ。俺が気にするんじゃないかって」
「…………」
返事がないこと自体が、肯定だった。
この世界では、お互いの主張のために命を賭けなければならないことがある。
俺たちが圧倒的な強者であり、手加減して勝つことが出来る状況であるのならば、勝者の余裕として殺さずに主張を通すことも出来るだろう。
けれど、先ほどのような状況に追い込まれれば、相手の命まで守る余裕はどうしたってなくなってしまう。
きっとそんな状況は、この世界にいる限り今後も避けられない。
イサトさんはその状態に追い込まれた際に、俺が迷うことを恐れたのだ。
だから、傷を打ち明けられなかった。
……なんだか、少し悔しいような、もどかしいような想いが胸を渦巻いた。
信じてほしい、と思う。
俺はイサトさんの剣としての役割はいつだってちゃんと果たす。
そこで揺らいだりはしない。
そう言おうと俺は口を開きかけ……、それより先にイサトさんがぽつりと呟いた言葉が耳を打った。
「……ごめん」
「へ」
突然の謝罪に、俺は目を丸くする。
「なんでイサトさんが謝るんだ?」
「だって、酷い話じゃないか」
「酷いって何が」
謝る、ということは俺がその酷いことをされた対象であるような気がするのだが、俺自身にはそんな覚えが全くない。
イサトさんは、罪悪感に震える声で、ぽつぽつと言葉を続けた。
「君は、いつも私を護るために戦ってくれてるのに。それなのに、私が戦うことに迷うなんて、君に対して、すごく、失礼だ」
「―――」
思わず言葉を失った。
正直、その発想はなかった。
ああ、でも。
俺が迷うような性質タチであれば、そう思ったのかもしれない。
前衛を任されている以上、敵対する相手と直接刃を交わすのはどうしたって俺の方が多くなる。俺の振るう大剣が敵を薙ぎ、傷つけ、もしかしたらその命を奪うかもしれないのだ。
俺がそのことに罪悪感を抱くような人間であったなら、イサトさんの迷いはプレッシャーになったかもしれない。
後衛であるイサトさんに対して、厭な仕事を俺に押し付けておきながら自分だけ綺麗ごとを言ってやがるというような感情を抱いたかもしれない。
が、幸いながらというか残念ながら、というか。
俺はそういった迷いとは無縁の人間だ。
殺される前に逃げることも出来たのにそうしなかった。
引き返すチャンスは何度もあったはずなのにそうしなかった。
それは相手が自分の命と引き換えにしてでも俺たちを殺したいと思っている、という決意表明のようなものだ。
それならばその殺意に応えた結果、俺が相手を殺してしまったとしても。
それはもう相手が望み、選んだ末路なのだから仕方ないとしか思えないのだ。
俺がそんなことを考えている間にも、イサトさんは懺悔のように言葉を続ける。
「それに……、君まで迷わせてしまったせいで、もし……、君が怪我をするようなことがあったら……っ」
イサトさんの声が、身体が、小さく震えていた。
その姿に、薔薇園でのことを思い出す。
イサトさんの放った攻撃魔法を自らの身体でブロックする、なんて無茶をやらかした時、イサトさんは同じような顔をしていた。
「あー……」
いろいろと、わかってしまった。
俺があの時薔薇園でイサトさんを失うかもしれないと思った時に感じたのと同じだけの恐怖を、きっと俺はイサトさんにも味わわせてしまったのだ。
しかもそれが自分の手によるものともなれば、イサトさんのショックはどれほどだっただろう。
俺が、イサトさんを殺しかける。
俺の振るった刃が、イサトさんの柔らかな肌に吸い込まれるようにめりこんで、
「……ッ」
やばい。
ものすごく怖い。
もし一度でもそんなことをやらかしてしまったら、きっと二度目は耐えられない。だからだ。だからこそイサトさんは一人で抱え込んでいたのだ。
敵対する相手の命を奪ってしまうことへの躊躇いや戸惑い。
けれど、その迷いから仲間を失うことへの恐怖。
そういった感情になんとか整理をつけようと、一人座りこんでいた。
俺はおそるおそる腕を持ち上げて、そっとイサトさんの背中に触れた。
華奢で、細い背中だ。
ちょっと力を入れ過ぎたら、へしゃげてしまいそうな気がする。
それなのに、イサトさんはいつだって踏ん張ってこれまで俺を支えてくれた。
「イサトさん」
「…………」
イサトさんが、涙で濡れた瞳で俺を見上げる。
不安げに揺れる金色を、まっすぐに見つめて言い切った。
「大丈夫、だから」
ぽんぽん。
宥めるように緩く、その背を叩く。
俺が不安を感じた時、いつもイサトさんがしてくれたのを真似るように。
そして願わくば。
俺の腕や背に触れたイサトさんの体温が俺の不安を追いやってくれたように、少しでもイサトさんが安心出来たなら良いと思う。
「前にさ。ちょっと話したと思うけど」
「……ぅん」
「俺は、迷わない。っていうか、迷えない」
敵と、味方。
その区別は俺の中ではあんまりにも明確に線引きされすぎる。
マルクト・ギルロイの最期に思うところはある。
あの男を哀れに思わないこともない。
だが、それは全てあの男自身の選択だ。
あの男は数々のチャンスがあったにも関わらず、あの最期を自ら選んで、迎えたのだ。
だから何度あの戦いを繰り返したとしても、俺は迷わずに剣を抜き、あの男を迎え撃つだろう。
「だから、まあ」
ぽん、とイサトさんの背を緩く叩いた。
「俺が迷えない分、イサトさんは迷ってもいいんじゃないか」
二人して敵対した相手は全部ぶっ殺す、と殲滅モードにならなくたって良いと思うのである。
「……でも、そのせいで、君を危険に晒したら」
「イサトさん」
名を呼んだ俺の声に応えるように、イサトさんが顔をあげる。
俺はそんなイサトさんを真っ直ぐに見つめて、ふっと口を開いた。
「俺は、イサトさんを信じてるよ」
「…………、」
俺の言葉に、はく、とイサトさんが息を呑む。
そして、そのまま脱力するように、ぽす、と俺の胸元に額を押し付けた。
はー……と熱っぽい吐息を深々と吐き出しているのを感じる。
普段飄々としているイサトさんのどこにそんな熱を秘めていたのか、なんて思ってしまった。
「……あきらせいねん」
「はい」
「それは仕返しだろうか」
「ええ、まあ」
しれりと応えつつ、つい口元が緩みそうになる。
いつかの俺の気恥ずかしさだったり。
それと同時に、丸ごと受け入れてもらえたことに対する安心感だったり。
そういうのをイサトさんも味わえば良いのである。
「実際さ」
「ぅん?」
「今回は逆だったけど、イサトさんはライザやレティシアを助けるために無茶をしたことを後悔してるか?」
「まさか」
返事は即答だった。
俺としてはあんな無茶は二度とやって欲しくないし、俺の心臓が持たないと思わないでもないのだが……まあ、お互い様だ。
もしあそこで俺が剣を止めずに、中に取り込まれた二人ごとあのモンスターを斬り捨てていたのなら、話はもっと簡単だった。俺もイサトさんも痛い目なんか見ることなく、余裕で戦闘を終わらせることが出来ていただろう。
それでも、俺はイサトさんの攻撃を受けることを選んだし。
イサトさんは人質を助けるために自ら敵に取り込まれる作戦を選んだ。
それはある意味で、イサトさんが言うように「俺が攻撃を躊躇ったことで招いた危険」だ。
でも、俺はそれで間違ってなかったと思っている。
そして、イサトさんもその判断を後悔していないのならば、俺たちはこのままで良いんじゃないだろうか。
「……イサトさんは少しは反省すべきだとは思うけども」
「きこえない」
しらばっくれられた。
コノヤロウ。
つんつん、と背中を撫でていた手でイサトさんの髪を軽く引っ張ってやる。
ふ、っと胸元でイサトさんの吐息が笑みに緩むのが聞こえた。
「……安心したら眠くなってきた」
「俺も眠い」
ゆっくりとイサトさんが顔を起こす。
泣いたせいか、濡れた目元が赤く染まっている。
長い睫毛の先に溜まった雫が朝日を弾いてきらりと光る様に思わず目を奪われていると、ぐいと掌底気味に頬に掌を押し当てられ無理矢理顔をそらされた。
「見るな、今不細工な顏してるから」
「……そんなことないと思うけど」
「いたたまれない」
ふす、とイサトさんが息を吐く。
立ちあがって、イサトさんはぐんと腕を伸ばして大きく伸びをした。
それから俺に向かって手を差し出した。
「寝よう」
「もう朝だけどな」
すっかり辺りは明るくなっている。
イサトさんの手をとり、ぐっと軽く引きつつ反動をつけて立ち上がる。
出てきた時と違って、あちこちから朝の支度をする賑やかな物音や声が響き始めていた。
「秋良」
「ん?」
「――ありがとう」
「…………」
朝日を背に、イサトさんが照れくさそうにはにかみながら礼を言う。
目元を赤く染め、頬にはまだ涙の痕も残っているのに、それがなんだか不思議なほどに綺麗で、眩しくて、謎の気恥ずかしさに襲われて俺はそそくさと目をそらしてしまった。
ああくそ、勿体ない。
ここでこそ、「いいってことよ」なんてイサトさんの男前なセリフをそのまま返してやろうと思っていたのに。
「ええと、あと、それと」
「なに?」
「先に言っておくけれども」
「うん」
嫌な予感がした。
ちょっとだけ身構える。
「たぶん」
「たぶん?」
「私この後寝込む」
「なんで!?」
「いや、知恵熱が」
知恵熱ってなんだ。
あれ子供が出すもんじゃないのか。
「久しぶりに脳みそ煮詰まるほど悩んだせいで、熱が出る気がする」
「まじか」
「まじだ」
確かに顏は赤いし、体温高いようにも感じていたわけだが。
泣いているせいだけじゃなかったのか。
「というわけで――…、言いだしっぺなのに申し訳ないが、私は先に宿の方に戻っていてもいいか。ここで寝込んでも邪魔になるだけだろうし」
「わかった。俺はエリサが起きるのを待って、一声かけてからそっちに戻るよ」
「了解、助かる」
イサトさんはゆらゆらと揺れるような足取りで宿に向かって歩き出す。その背を見ていると、なんだか途中で行き倒れそうで不安になった。
「イサトさん」
呼びかけつつ、小走りでその背に追いつく。
「ん? どうした?」
「宿まで送る」
「近いのに」
イサトさんがくつりと喉を鳴らして笑って、俺をちらりと見上げた。
さっきまで泣いていたのが嘘のように、いつも通りどこか面白がるような色が金色をちらついている。
「心配性」
「…………自覚はある」
誰のせいでこうなったのか、少しは反省していただきたいものである。
そんないつもの掛け合いを交わしつつ。
俺たちはのんびりと歩いて宿に向かったのだった。
ここまでお読みいただきありがとうございます。
Pt,感想、お気に入り、いつも励みになっております。
また、「おっさんがびじょ。」二巻が5月15日に発売が決まりましたので、よろしければ御手にとってくだされば嬉しいです!
これからも宜しくお願い致します




