敵を知ること
それからというもの、ほぼ毎日薬局に通っていたイエさんの足が遠のいてしまう。
かと言ってこのお店を見捨てたわけではなく、部下を名乗る男性を寄越すようになった。
「すみません、その、最近忙しいようで」
「ええ、構わないわ。こうして使いを寄越してくれるだけでも嬉しいから」
「伝えておきます」
きっちりとした身なりで、三十前後くらいの男性である。言葉遣いや身なりからおそらく貴族の生まれなのだろう。
イエさんも着古した服を着ていたものの、物腰はやわらかで発音もきれいだった。食事の礼儀を見ても、貴族の一員として育てられた人だということはわかっていた。
いったい何者なのか。聞いたら彼が遠ざかっていくような気がして、追求できなかったのだ。
こうして顔を合わせない日々が続くと、なんだか寂しい気持ちになってしまう。
そこまで伝えるのは客と店主の関係ではないような気がして、喉までせり上がっていた言葉をごくんと呑み込んだのだった。
その後、聖女スイが私の常連さんばかりに石鹸を売りつけていたことが明らかとなる。
おそらく情報源はライマーだろう。
私は彼に、常連さんについてよく話をしていたのだ。
生返事を返していたので半分も聞いていなかったのでは? と思っていたが、きちんと記憶していたようで……。
男性客には愛嬌で売り、女性客には魅力的なフワフワの泡を作って実演しつつ、確実に買ってもらえるような方法を取っていたのだとか。
なんとも姑息な手段を使ってくれる。いいや、正攻法か。
私にはできない接客なので、余計に落ち込んでしまった。
ライマーに関してはまったく未練などないものの、常連さんを奪われるのは痛手である。
常連さんは私が石鹸について聞いたからか気まずく思ったようで、薬局自体からも足が遠のいているようだ。
『閑古鳥が鳴いておるのじゃ』
「わかっているわよ」
お店が静かすぎると、逆に眠れないとドライアドから言われてしまう。
営業日は比較的ひっきりなしにお客さんがやってきて、一息吐く間もなかったのだが、今はカウンターに頬杖をついて暇だと呟く余裕があるのだ。
幸いにも、ランチ営業のほうは調子がよく、今日は外に行列ができるほどだった。
限定数も現在は五食から、十五食程度まで増やしている。
お客さんがおいしそうにランチを食べてくれる姿を見ることだけが、今の私の幸せであった。
「もうこうなったら薬局はたたんで、食堂にしようかしら?」
『そうじゃなあ。もっと若いお姉さんがくる店にしてほしいのじゃが』
「どういう店よ」
それこそ色欲魔女に弟子入りしていた時代に作っていたアイテムを取り扱ったら、女性客が多くなるだろう。
けれども男女のいざこざに巻き込まれるのはごめんである。
そんな話をしていたら、奥の部屋からメルヴ・メイプルがやってきて会話に加わる。
『メルヴ・メイプル、薬局デ働イテイル、レイ、好キナノ』
「ありがとう、メルヴ・メイプル」
そうだ、そうだった。私は薬草魔女で薬局は先代薬草魔女から託されたお店。大切にし、守っていかなければならないのだ。
聖女がなんだ。私は薬草魔女として正しく働いてきた。
なんでもライマーがあることないこと触れ回ってもいるようで、味方も少なくなってしまった。
けれども尻込みなんてしていたら相手の思うつぼだろう。
「いいじゃない、やってやろうじゃないの」
正々堂々戦ってやる。そのためには相手のことも知るべきだと思った。
聖女スイが置いていったシルク泡石鹸、これを使ってお風呂に入ってみよう。
閉店時間になったので店を閉めてから、二階に上がって入浴する。
魔法の浴槽に湯を張り、服を脱いで肩まで浸かった。
「ふーーーーー」
こうしてお湯に浸かっていると、一日の疲れが溶け出てくるようだった。
しばらく堪能していたが、今日の目的は聖女スイお手製のシルク泡石鹸の実力を知ることである。
包みを開くと、薔薇の形をしているだけでなく、美しい薄紅色に着色された石鹸に驚く。
「これは――とてもきれいな石鹸だわ。人気が出るわけね」
石鹸といえば四角くカットされた形が基本。このように型を使って作られた品は見たことがない。
またたっぷり香料も入れているようで、豊かな香りが広がっていく。
薔薇を模した形といい、かぐわしい芳香といい、薄紅色の美しく色づいた外見といい、お金をこれでもかとかけている高級石鹸であることは明らかだ。
皆が薬草石鹸から乗り換えるのも無理はない。
そんなシルク泡石鹸を塗れた手で擦ると、ぶくぶくと泡立つ。
「え、すごい! こんなに泡立つの?」
その泡はこれまで見たことがないくらいきめ細やかで、もちもちふわふわとした触感である。
腕に広げてみると伸びもよく、肌触りも最高だった。
「嘘でしょう? こんな石鹸があるなんて……」
洗浄力も申し分なく、洗い上がりの肌はすべすべとなった。
薬草石鹸はここまで泡立たないし、香りも強くない。形だってカットしただけの品である。
「こんなの、負けるに決まっているじゃない」
シルク泡石鹸を手にした状態で、呆然としてしまった。




