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第55話 罪の帳尻

 志村三郎は椅子に沈み込み、携帯端末を耳に押し当てていた。喉を締めつける真っ赤なネクタイを指で引っ張るが、息苦しさは消えない。机の下ではかかとが小刻みに床を叩き、乾いた音が狭い事務所に響いていた。

挿絵(By みてみん)

「……あんた達だろうが!臓器売買?冗談じゃない、あんな化け物を作ってるなんて聞いてないぞ!しかも闇でこっそりやるんならいいがあんな都心のど真ん中で……まったくアンタ等は何を考えてるんだ!」


 電話の向こうの同盟厚生局の役人に怒鳴りつけながらも、胸の奥を冷たいものが這い上がる。司法局だけじゃない、情報屋のタレコミによるとこの案件では同盟軍事機構軍まで動いている。……もう逃げ場なんてない。


 視線を机に落とすと、モニターには一人の少女の顔。西園寺かなめが送ってきた動画の一場面だ。カメラに怯えたように目をそらす少女を、彼は確かに売った。それがあの都心で暴れた怪物に化けたなんて、信じられるわけがなかった。 


『別に東都だけが金を稼げるところじゃないでしょ?何ならこちらの方で高飛びの手配でも……』 


 役人が自らそこまで言ったところで三郎は通信を切った。連中は分かっていなかった。ここ以外に三郎が暮らせる場所は無い事を。東都警察の目が届かないということならば真っ先に名の上がる内戦が続くベルルカン大陸の失敗国家の地獄に行くのはさらさら御免だった。遼南共和国で彼の父親が行ったことを考えれば、遼大陸に行くことはあまりに危険すぎた。この『租界』に住む住人にはそれぞれに他の場所に住むことが出来ない理由があってこんな地獄に住んでいる。ここの外にいる人間にはその事実が理解できないことを三郎は役人の言葉であらためて思い知らされた。


「なんだってんだ!俺だけじゃないはずだぞ!連中に人間を売ってたのは!そうでなければ『近藤事件』からこの数か月でこんなに研究が進むわけがねえ!あの糞役人め!所詮、奴等には俺達は使い捨ての駒ってことか!」 


 そう叫んでキーボードを叩いてみるが苛立ちは収まらなかった。昔、『東都戦争』と呼ばれた東都のシンジケート同士の潰しあいのさなか。西園寺かなめは娼婦の仮面で彼に近づき旧遼南共和国シンジケートの幹部の動静を探っていた。彼女が甲武の四大公家筆頭西園寺家の嫡子であることを知ったときは満面の笑みで自慢して歩いたものだが、今回の驚きはそれの逆を行く話だった。


 元々遼南からの難民を東都の各地の臓器売買を行っている組織に売り渡す仕事のための事務所。とてもまともとは言えないが、需要があるからと言うことで自分をだましながら続けてきた商売だった。


 この国、東和には臓器を買い漁る金持達が山といて、この街の貧民達の臓器をまるで自分の替え部品の様に扱っていることに怒りを感じないことは無かったが、それも初めだけの事だった。慣れてしまえば臓器売買で命がいくら消えようが心が動くことなどなくなっていた。需要があるから供給するだけ。ただの資本主義の経済理論が三郎を動かしていた。


 だが今回はその相手が兵器としての法術師を開発している連中となれば話は違った。銃に慣れている三郎でも兵器は安く量産できてこそ意味があることくらい分かる。確かに三郎の懐は潤うだろうが臓器売買とは桁の違う命が消えることになる。三郎にはその事実に耐えきれる自信は無かった。三郎は試しに自分の端末に再び電源を入れてみた。多数の着信が届いていた。多くが目の前の画像に映っている少女の消息を探っている官憲の犬達のいることを知らせるタレコミだった。

挿絵(By みてみん)

 好意的な官憲の動きを警戒する情報の入ったものから、古くから付き合いのある臓器ディーラーからは怒りに震えるような文言での場合によっては三郎を殺すというような脅迫文じみたメールが複数届いていた。そのどれもがあの事件に対する驚きと恐怖に満ちていて、三郎の心をさらに乱すだけの効果しかない代物だった。彼等も同じように同盟厚生局の役人は非合法の臓器移植実験をしていると騙されていた事実を今回の事件で初めて知ったのは間違いなかった。


「まったく……どうなってんだよ!俺が悪いのか?本当に俺だけの責任なのか?この街の存在が悪いんじゃないのか?あんな豊かな街の隣にこんな貧しい街がある!それがすべての原因じゃないのか?」 

挿絵(By みてみん)

 誰もいない事務所で叫んでみても何も変わらないことは分かっていた。同盟厚生局向けと思われる研究素体向けの可能性のある取引は彼の知るだけでもこの少女を含めて十三件あった。同盟厚生局も噂では三郎以外のルートでも集めているだろうから臓器を買っているその部局の規模はかなり大きなものだということは推測できた。これは同盟厚生局の末端の役人の仕業ではない。同盟厚生局という巨大組織全体があの研究を主導しているのはその材料を供給していた三郎には嫌でも分かってくる。


 同業他社の連中も今頃三郎と同じような青い顔でこの少女の写真を見ているに違いない。連中が売った商品でなくとも、同じような研究が行われていれば売られた人間のたどる運命は同じだった。そして今回の件で三郎の人間の出荷ルートが特定されれば同盟厚生局にも東都警察や同盟軍事機構は捜査権限を振りかざしてすべてのそうした試験体のルートを洗い出しにかかるだろう。そうなればこの街で人を商品として取り扱っていた人間は全員無事では済まない。


 中には『租界』内部の人間でなく、『租界』外で商品を拉致して売るもっとずるがしこい業者が居たことも三郎は知っていた。恐らく最初にかなめ達司法局が動き出したのはその連中が身元を残すような失態をしでかしたからだろう。結果、同盟厚生局は追い詰められたと勘違いして今回のような自暴自棄のように見える事件を引き起こしたのかもしれない。とりあえず他人を憎むことによって三郎はなんとか心の平静を取り戻しつつあった。


 突然ドアをノックする音に気づいて三郎は机の引き出しから拳銃を取り出した。この時間に客が尋ねてくる予定はなかった。そうなれば官憲か三郎の事を逆恨みした同業者のやくざ者か何かだろう。三郎は相手の身元をそんなものだと決めてかかっていた。


「開いてるぞ!」 

挿絵(By みてみん)

 怒鳴った三郎の視線の先には三郎が思い描いた中では同業者が雇った殺し屋に近い男が立っていた。その男の目は死んだような色をしており、コートの男を着て刈りそろえられた髪の下の顔には深い皺が刻まれていた。良く見ればその男の腰には日本刀が下がっていた。無法地帯といわれるこの『租界』でもそんな姿で外を歩けばすぐに街角にぶらついている駐留軍の兵士に身柄を確保されるだろうと呆れながら三郎は背広の下に拳銃を隠したまま安全装置を解除した。


「お前が志村三郎か?」 


 死んだ目の男の目に一瞬だけ生気が戻った。だが、すぐによどんだ瞳が軽蔑しているように三郎を射抜いた。この男は三郎が予想した中では典型的な殺し屋と言う感じの人種だった。だが、殺し屋にしては今時日本刀を抱えて現れると言うのはあまりに出来すぎていた。そのことに三郎は思わず苦笑を浮かべていた。


「何者だ?あんたは?どこかの組織の派遣した殺し屋か?それにしても今時名前を聞いてから日本刀で斬り殺すなんて時代遅れだぜ。あんた最近よく見かける甲武浪人だろ?西園寺内閣になってから、あそこの士族は失業者の群れに成り下がった。仕事が欲しいのか?何なら世話してやってもいいぜ……なにしろ俺はその道の専門家だからな」 


 目の前の男が相当殺し合いの場数を踏んだ人間だということはこの『租界』で人の目を忍ばなければならない仕事をしている人間にならすぐに分かることだった。黙っているこの男がその事務的に殺人をこなしてきたと言うような雰囲気から三郎は厚生局関係者が派遣した殺し屋に違いないと思うようになっていた。


「お前は知る必要は無い。お前の役割はもう終わった。お前にとって良いニュースなのはお前の取引先の同盟厚生局の役人達の役割ももう終わったことくらいか?良かったな。一緒に地獄で酒盛りでもするがいい」 


 男の話からして三郎の読みは外れていた様だった。恐らくは同盟厚生局が作り上げた化け物を倒した三人の法術師を派遣した組織の関係者だろう。三郎は直感的にそう感じた。男は身構えている三郎を無視してそのまま背を向けて戸棚に置いてある洋酒に手を伸ばした。ここでこの男の後頭部を銃で撃てばこの男がこれから話すであろう後戻りできない商談から逃れられる。そう思う一方で、もはやこの男だけが自分を救うのではないかとの迷いも浮かんだ。少なくともこの男は同盟厚生局の役人の敵だった。敵の敵は味方。それがこの街の摂理でそこにだけ三郎の望みがあった。


「いい酒がそろっているな。俺はどちらかと言うと焼酎派なんだけどな」 

挿絵(By みてみん)

 男はそう言いながら手に最高級のウィスキーの瓶と二つのグラスを持って応接用のテーブルに腰掛けた。それを見て三郎は先ほど気の迷いで西園寺かなめに連絡を取ったことを思い出して少しばかり自嘲的な笑みを浮かべながら死神のような男の所へと歩み寄っていった。



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