第46話 守りを頼む代償
「そんな……俺ってそんなに喧嘩っ早く見えます?自分では昔に比べたら抑えてるつもりなんですけどねえ」
島田は頭をかきながら、気まずそうに笑った。わずかに視線をそらし、テーブルの上の箸袋をいじりながら続ける。
「確かにアンタの目を見ると……喧嘩を売りたくなったのは事実ですけど。かなりの悪人に見えますよ、あんたの面は。それにカミさんがこんだけ美人ってことも少しは腹が立ちますしね……アンタ、元地球人の甲武人でしょ?俺は東和の『モテない宇宙人』である遼州人だから邪魔の一つもしたくなる訳なんでして……」
島田は大将の言葉に苦笑いを浮かべた。立ったままにらみ合う二人の間に一瞬、和んだような雰囲気が流れた。
「なあに。うちの人の部下達はね街中で銃撃戦をやることのスペシャリストなんだよ。兄ちゃん。アンタのご自慢の拳の届く範囲はせいぜい数メートル。でも銃弾の届く範囲ってのは……まあ、アンタも司法局の人間だ。銃器の訓練ぐらい受けてんだろ?どっちのリーチが長いかくらいはすぐに分からないと駄目だよ」
島田の後ろに立って二人の様子を伺っていたレイチェルはそう言ってほほ笑む。島田は青ざめてこの間も黙って奥のテーブル席に腰かけて大将をにらみつけているランに目を向けた。
「だから言ったろ?喧嘩を売る相手は選べって。なあに、レイチェルさんの言うとおり、この親父さんの部下達は人混みの中でターゲットだけを射殺して、無関係な民間人に弾を当てないぐらいの芸当はできる猛者ばかりだ。お祈りしろよ……ここの親父さんがオメーの挑発で気分を害していないことを。もし親父さんが怒っているなら、オメーが店を出たとたんに顔面に二、三発銃弾が命中すんぞ」
かなめはそう言って笑った。しかし、その目は明らかに戦場に居る時の目だと誠からも見て取れた。
「嘘……」
「嘘ついてどうすんよ。オメーにゃ一分の勝ち目もねーな。そん時は諦めろ」
絶句する島田をランは割り箸を取り出しては戻す動作をしながら静かに見つめていた。
「おい、ラン、西園寺の嬢ちゃん。くだらない戯言を言いにわざわざ出かけてきたのか?ご苦労なこった。それならうどん食ってすぐに帰りな。俺も追われる身だ。目立つ司法局実働部隊と一緒にいるところを人には見られたくない。俺はランや隊長みたいな不死人じゃねえからな。銃で心臓を一撃されればお陀仏だ。今はそんな死に方を今するつもりはねえから」
大将はそう冷酷に言い放った。その後ろ姿を見ながらかなめは不敵な笑みを浮かべる。
かなめは一度深く息を吸い、ランの正面に座る誠とカウラのテーブルに視線を落とした。長い沈黙のあと、意を決したように顔を上げる。
「親父。そうつんけんするなよ。実は……頼みがあってきた」
かなめは珍しく俯き加減に殊勝な表情を浮かべて大将に向けてそう言った。
「頼み?聞くかどうかは内容次第だ。いくら西園寺の嬢ちゃんには世話になってるとは言え聞けないこともある。俺も神様じゃねえんだ。ことと次第による……世の中そんなもんじゃねえのか?」
大将はかなめの言葉を聞くと一瞬笑みを浮かべた後再び背中を向けた。
「そうだ。頼みだ。ここにいるアタシとラン以外の連中の身の安全のことだ。聞いてくれるか?」
懇願するような調子でかなめはそう言った。
「へえ……アンタからそんな言葉が聞けるようになる日が来るとは……道理で俺も年を取るわけだ。最近老眼が進んでね、夜道はさすがにレイチェルの目が無いと俺を狙う敵が怖くて出られなくなった……年は食いたくないもんだ。年を取らない隊長が羨ましいよ」
かなめの言葉が意外だったようで、レイチェルは感心したようだった。
「それはそれとして……かなめ嬢ちゃん。ようやく自分が何をしてるのか、見えるようになったみてえだな。一人前の兵隊の顔をしている。良いことだ」
そう言う大将の目は笑っていなかった。かなめは椅子に座り直しながらその言葉に思わず頭を掻いた。
「アタシだってアンタに言わせれば温いかもしれないが、それなりに修羅場って奴を経験してるんだぜ。アタシが軍人を始めた最初の職場があの『租界』だ。銃弾の雨が降り注ぐあそこで諜報工作なんて仕事をして、同僚が無慈悲に殺されていくのを見れば、嫌でも周りを見て生きるようになる。日々観察とその結果を反映しての自己の成長に努める。まあ地獄から学んだアタシなりの仕事の流儀だ」
日頃、誠が見ている粗暴で考えなしに見えるかなめから意外な言葉が飛び出した。誠は思わず目をカウラとその隣に座るアメリアに向けた。二人とも誠と同じくあまりに意外なかなめのいつものかなめからは考えられない慎重に過ぎるような言葉に呆然としていた。
「なるほど。あの用心深い隊長が姪だって理由だけであんたを重用するわけがないと思っちゃいたが……嬉しいね。後輩にこんな見どころのある人材がいるんだ。確かに『特殊な部隊』は今でも俺達が名乗った通りの『特殊な部隊』だ。その二つ名、傷つけられちゃ俺達としても困るんだ」
振り向いた巨大な体の上に乗った大きな顔に浮かんでいたのは店に入ってから初めて見る大将の心からの笑顔だった。大将はそのまままるでかなめのことを自慢しているように妻のレイチェルに目をやった。
「そりゃあ、西園寺のお嬢さんもアンタの隊長が目を付けた御仁さ。確かな人材に決まってるじゃないか」
レイチェルは砕けた調子でそう言った。かなめはレイチェルの言葉に覚悟を決めたように一息ついた。
「でもランちゃん。『人外魔法少女』のランちゃんとサイボーグのかなめちゃん以外を守ってくれだなんて……それじゃあまるでアタシ達が足手まといみたいな言い方じゃないの!」
いつもの態度と明らかに異なるかなめの言動に戸惑ったようにアメリアがそう叫んだ。
「勘が鈍ったんじゃねーか、アメリア。この中じゃ、西園寺とアタシ以外で地獄と呼べるような戦場という世界の中に身を置いた経験のあるのはオメーだけなんだぜ。思い出せよ、遼州系アステロイドベルトを。あそこでゲルパルト第四帝国のネオナチ残党の先兵として戦争をやっていた二十年前をさ……あの地獄……忘れたなんて言わせねーかんな」
小さなランはテーブルに肘をついてそう言って自分より遥かに大柄のはす向かいに座るアメリアを見上げた。
「アメリアさんって……」
ランが漏らしたアメリアの過去。誠が聞いたのはほんのわずかな情報だというのに、アメリアを見る自分の目が変わっていることを誠は自覚した。
お祭り好きで底抜けに明るいムードメーカー。島田の隣で戸惑っているサラにとってはいつでも愚痴をこぼせる信頼できる同僚である。
そんなアメリアに戦場の地獄を見た過去がある。その事実は誠も何度かアメリア自身の口から聞いたことはあった。
先の大戦で戦場で失われた人口を補うため、戦局が敗色濃厚だったゲルパルト第四帝国が戦うために作りあげた存在であるアメリア達『ラスト・バタリオン』。その存在は敗戦に次ぐ敗戦で熟練した兵士をほとんど失っていたゲルパルトの起死回生の秘策のうちの一つだった。
誠の知る限り、彼女達『ラスト・バタリオン』の大量生産の為の製造プラントの構築計画とその戦線への投入は結局ゲルパルトの首都ネオ・ベルリン陥落には間に合わず、地球軍や遼州圏の反三国同盟諸国軍が彼女達の製造プラントを制圧したときは、ほとんどの『ラスト・バタリオン』は培養ポッドの中で完成の時を待っていたはずだった。ここにいる同じ『ラスト・バタリオン』である、サラが起動したのは終戦後、隣で様子をうかがっているカウラに至っては稼働開始まだ8年であり、当然、実際の戦争などは経験したことがない。
「誠ちゃん。まあ前にも言った事が有るけどね。ネオナチの連中。ゲルパルトが降伏してもなお、抵抗をやめなかったの。まあ、あの人達は諦めが悪いから。まあ、アタシは製造プラントから移送されてアステロイドベルトで目覚めるという最悪の経験をしたのよ。抵抗といっても圧倒的な数と良質な兵器相手の敵にそれほど長くできるはずもなく、数年で残党狩り組織に制圧されて、私はそこで保護された。まあ、昔の話よ」
いつもとまるで違う、悲しげな表情でアメリアはそう言うと苦笑いを浮かべた。
「まあ、オメエが戦場の匂いの序の口を知っている戦場初心者ってことはどうでもいい。ただ、戦場を知っているなら初心者であるという自覚を持てという話だ。そこで親父……」
かなめはそう言うと大将の顔を見た。そこにはいつもの仏頂面があった。
「なんだ」
相変わらず不愛想に親父はそう言った。
「アタシとちっちゃい姐御はこれまで生きてきたのが不思議なくらいの銃弾の雨の中を平然とした顔でお散歩できる戦争狂に出会っても、テメエのケツぐらいはちゃんと拭ける流儀は心得てる。まあ、アタシ等の仕事じゃそんな馬鹿に出くわす可能性は一般企業に勤めてるサラリーマンに比べたら嫌になるくらい高い」
そう言うとかなめは再びどんぶりの汁を啜った。
「で?何が言いたい」
再び大将は口元に笑顔を浮かべた。そう言って次の言葉を選んでいるかなめの顔を見つめる。
「後でこの戦場初心者が本当にヤバくなったらここに駆け込むように説得する。だからそん時は頼む。アタシや姐御も体は一つだ。年中こいつ等の世話して回るなんてのは不可能だ……頼む……」
こんなに深々と頭を下げるかなめを誠は初めて見た。隣ではランも軽く頭を下げている。
「なんだ!西園寺!私達が甘ちゃんだとでも言うのか!私は軍人だ!自分の身など守れる!」
そう叫んだのはカウラだった。一応は、第二小隊小隊長。かなめの上司である。誠も彼女がそう抗議するのもうなずけた。
「カウラよ。オメーのそう言う真っ直ぐなところは上司としては嫌いじゃねーが、このことは西園寺とアタシが神前が配属になったときにすで決めてたことでな。いつかここにオメー等を連れてきて頼もうと思ってたんだ。まあ、今回の事件はかなりヤバい事件だ。まあ、いー機会だ。アタシの顔に免じて堪えてくれ」
ランは笑顔でカウラにそう頼んだ。真剣な顔でランにそう言われてしまえばカウラも黙るしかなかった。
「で?西園寺の嬢ちゃんよ……その頼みに俺はどう答えると思う?そこまで考えて今ここに来た……違うか?」
不機嫌そうな表情を浮かべて大将はそうつぶやく。その瞳をにらみつけながらかなめは笑顔を浮かべた。
「受けるね、アンタは。アンタはそう言う人だ。叔父貴にはそう教育されてるんだろ?叔父貴は今でもそう言う男だ。アンタ等を率いた時から今まで……叔父貴の本質は少しも変っちゃいねえよ」
かなめはそう言って大将の目を見つめた。
「俺も随分お人よしに見られたもんだな。それと隊長は相変わらずか。あの人は良いところも悪いところも変わらねえのか……あの人だけは変わらねえ。それは良いことだ」
大将は苦笑いを浮かべながら手拭いで顔をぬぐった。
「じゃあ断るのか?叔父貴に受けた恩。忘れちゃいねえだろ?」
かなめは矢継ぎ早にそう言った。
親父は目をランに向けた。小さなランは不敵な笑みを浮かべながらにらみ返した。
「アンタの腹はこの娘等が来た時から決まってたんだろ?」
レイチェルはそう言ってほほ笑んだ。
親父は苦笑いを浮かべつつ静かにうなづいた。
「しゃあねえね。ランと西園寺の嬢ちゃんとの仲だ。引き受けてやるよ。それと隊長には一生かけても返せねえ借りがある。俺達を人間に戻してくれたのはあの人だ。その人の部下であり『特殊な部隊』の名を名乗り始めた俺達の後を継ぐ人間を見捨てることなんて俺にはできねえ。それに戦争犯罪人として地球から追われる『特殊な部隊』は俺達だけで十分だ。他の後輩たちの面倒を見る……これもまた『特殊な部隊』を最初に名乗った俺達の宿命なのかもしれねえな」
「よし!」
ランはそう言うと店の中を見回して、黙ってやり取りを見つめていた誠達一人一人を目で確認した。まず、カウラが納得したようにうなずく。それに合わせるようにアメリアと島田とサラがうなずいた。茜とラーナは顔を見合わせた後、そのままランに目を向けて静かにうなずいた。
「クバルカ中佐と西園寺さんの言うように……僕はそんな化け物相手には役に立ちませんから」
カウラ達がうなずくのを見ると誠は半分諦めたような顔をしてそう言って静かにうなずいた。
「それよりランよ……うどん、はどうする?ここは看板通りのうどん屋だ。食うんだろ?うどん。でもうどんは腹には溜まらねえぞ。たくさん頼みな。その分、それに見合った金は貰うがな」
ぼそりと大将がつぶやくのを聞いてアメリアが手を挙げた。さっきまで張り詰めていた空気が、ふっとゆるんだのを誰もが感じた。
「かけうどん大!」
アメリアが勢いよく手を挙げると、場の緊張が笑いに変わり、他の面々も次々と声をあげる。
アメリアの注文ににやりと笑った大将はうどんを茹で始めた。
「じゃあ、アタシもかけの大を二倍で」
「アタシは釜玉」
「そうだな……私はおろし醤油の中がいい」
ラン、かなめ、カウラが次々と注文する。
「じゃあ僕は……」
「俺はざるうどん!」
注文しようとする誠を遮って島田が叫んだ。
「もう!正人ったら……誠ちゃんが注文しているところじゃないの……私もざるうどんの大」
サラが慌ててそう言った。
「はいはい、サツマイモが揚がったよ!あと、かき揚げとナスはしばらくかかるから待っとくれよ!てんぷらは逃げたりしないんだからゆっくり食べとくれ」
レイチェルはそう言ってトレーにサツマイモの天ぷらを並べた。
先ほどまでの殺気はすでにこの場には無い。誠はその事実に気づいて苦笑いを浮かべた。




