第37話 暴力の流儀、裏社会の道理
その日、カウラと交代してかなめにくっついて歩いた誠は正直疲れ果てていた。 今もこうして肩で風を切って歩く革ジャンを着て彼女のトレードマークともいえるダメージジーンズを履いたかなめの後ろを誠は申し訳なさそうについて歩いた。赤茶けたネオンの残り香が昼間から路地を照らし、安酒と腐った食べ物の匂いが鼻をつく。
視線だけは鋭く、飢えた野犬の群れのような男たちがこちらを値踏みしていた。そのかなめの肢体に目を向ける欲望に染まったぎらぎらした男達の視線に慣れて租界を歩くのは苦痛に近い。しかもかなめが知っている人身売買の嫌疑がかかっているシンジケートの事務所をもう五つ訪問していたが、そのやり口は誠から見ればそれは訪問ではなく襲撃だった。
今もかなめはいきなり挨拶もせずに扉の前に立っていたガードマン気取りの二人のチンピラの一人にかなめに手を上げようとしたチンピラの右腕の関節をへし折ったところだった。かなめは一瞬で間合いを詰め、チンピラの右腕をねじ上げると、乾いた骨の音が室内に響いた。次の瞬間、ブーツのかかとで重い鉄扉を蹴り飛ばし、廃工場のような事務所内に踏み込む。その一連の動作があまりに手慣れているので誠は何もすることが出来なかった。
かなめは最初に出た男が痛みにのたうち回る様を見て怯えた顔のチンピラ相手に表情一つ変えることなく平然とその男に襲い掛かる。乱暴なのはいつもと一緒と言ってもその淡々としたところが誠にはまったく受け入れられなかった。心臓がうるさく鳴り、こめかみが熱くなる。彼女の背中に貼り付いていなければ、今すぐ逃げ出したい衝動に駆られる。
「痛え!何しやがんだ!」
腕をへし折られて痛みで涙のにじむ瞳でチンピラが無表情なかなめを見上げた。誠はとりあえず映像に出てきた法術師の襲撃に備えて法術の発動準備をしながらかなめの隣に立つのが誠の役割だった。室内の構成員達が銃を構えてにらみつけてくるが、逆にいつもの残酷そうな笑みを浮かべながらかなめは悠々と室内に入り込んだ。
「なんだ!貴様は!どこの組のもんだ!何が目的だ!言え!」
チンピラ達は誠達に決まりきったように同じセリフを吐いた。
「今更って言うか……馬鹿しかいないんだなここは。だからこんなに『租界』の周辺は寂れるんだよ。まったく学習能力がねえのか?テメエ等には」
そのまま人質代わりに片腕を折られたチンピラを抱えたままかなめは応接セットに腰掛けた。誠はその殺気立った雰囲気に耐えながら彼女の隣に座った。
「こいつは最近ここらを回ってる例の化け物じゃないか?」
一人の角刈りの構成員が誠を見てつぶやいた。一瞬動揺が広がる。今年の夏の初めに司法局に配属になった直後、誠は法術師の素体として誘拐されかけたことがあったが、たぶんその時にもこの組にも誠の誘拐を持ちかけた組織があったのだろう。少しのきっかけで動揺が広がり始めた時、事務所の顔役らしい男が現れた。
「銃を仕舞え!お前等じゃこの人には勝てないぞ。お前等も少しは頭を使え!ここでこの商売で生きていたかったらな!」
いかにも格上と言った風情の男がそう言うと三下達はしぶしぶ銃を仕舞った。悪趣味な赤と黄色の柄のネクタイが紺色のどぎついワイシャツの上にゆれている恰幅の良すぎる幹部構成員の一睨みに、誠もチンピラ達が自分達に怯むのと同じくらい怯んでいた。
「おう、久しぶりだな……この五年で『租界』も様変わりして、知ってる面に久しぶりに会ったぜ。元気そうで何よりだ。アタシも見ての通りって訳だ」
かなめは人質代わりのチンピラを突き飛ばすと、銃ではなくタバコを懐から取り出した。気を利かせるように貫禄のあるその男はライターを取り出して慣れた調子でかなめのくわえたタバコに火をつけた。
「サオリ姐さんも元気そうじゃないですか。あれですか?今は志村の野郎の商品の流通ルートの調査ですか?」
男の話にかなめは笑みを浮かべながらタバコの煙を吐いた。どこに行っても状況は同じ。かなめは見張りのつもりで事務所の前でうろうろしている三下を張り倒して引きずってそこの顔役に話をつけると言うことばかり続けていた。さすがにここにもかなめの所業についての話が聞こえてきていたのだろう。顔役はいかにもかなめを待っていたかのように安心した様子でかなめに語り掛けた。
「なんだ、知っているのか……ってそれが飯の種ってわけだからな。テメエの。三郎の親父の店にアタシが顔を出してからずっと監視してたんだろ?この『租界』の入り口からアタシとちっちゃいのが入るの。そん時は顔を出さなくて悪かったな。あのちっちゃいのはアタシなんかよりもよっぽど手が早いんで、この組の被害が今日のアタシの訪問程度じゃすまなくなると思ってそん時は寄らなかったんだ。それにそのネクタイ。悪趣味だぜ……ってそれは昔からか」
かなめの不敵な笑いに男も笑い返す。誠はチンピラの飼い主の妙に下手に出る態度が理解できずに呆然と二人を見つめていた。そしてかなめはぐるりと事務所の中を見回した。建物は貧弱でも中はまるで誠の見たこともない豪邸の内装という雰囲気なのは『租界』のこの手の事務所のお決まりのパターンなのだと誠は理解できてきた。
「なあに、噂じゃあ志村三郎の扱っている商品を保管している連中がいるらしいじゃねえか。ほとぼりが冷めるまで預かって、またアタシ等が調査を中止したら出荷する。商いは信用第一、危険は避けるのが当然の工夫だろ?」
その言葉でようやく誠はこの暴力的なシンジケート事務所めぐりの目的を理解した。志村三郎がかなめの姿を見てからあの父親の経営するうどん屋にも寄り付かなくなったのは誠も知っていた。おそらく彼をいぶりだすのに組織を一つ一つ実力行使で脅しをかけながら追い詰めていくつもりなんだろう。そう思うとあの誠に威圧的に当たった三郎のことが少しだけ哀れに思えてきた。
「残念ですがうちではその手のものは扱っていませんね。ただでさえ人間の売買はリスクが大きいのに法術適正がある連中が混じっているとなると手に負えませんや。それに法術関係の話になれば警察や軍関係者なんかのうちが関わりたくない制服を着た連中とのやり取りも出てくるわけでして……俺等の情報網でもそう言うところまでは……君子危うきに近づかずと言う奴でして」
兄貴分と目される男はあくまで冷静にキレやすいかなめに接していた。誠はその態度からこの男がかなめの性格をある程度把握する程度にはかなめとの付き合いがあった人物なのだと推察することが出来た。
「しっかりしているねえ、それが正解の生き方だ。危ない橋を渡るのは良くないからねえ。ただ、さっきもそうだが部下のしつけだけはしっかりしてもらいてえな。アタシがただ単にお前さんの顔を見に来ただけだって言うのに一々食って掛かってきやがる。こっちとしても一々けが人を作ってたら医者を繁盛させるだけで仕事の邪魔にしかならねえ」
そう言うとかなめはディスクをポケットから取り出す。それには『秘』と書かれているのが見えた。
「これにはちょっとした情報が入っている。結構お勧めの秘密情報だ。ちょっとした財産が築ける保障つき。今ならこのディスク一枚格安で……どうする?元特殊工作員の言葉だぜ……信じるか信じないか……それはアンタの勝手だ」
悪事を働くときのいたずらっ娘のような顔で男を見つめるかなめの姿がそこにあった。
「どうせガセでしょ?俺もサオリ姐さんには何度騙されたかわかりゃしねえ」
男はそう言って笑いながらかなめの手にあるディスクを手にした。そして何度かじっくりと見つめた後、部下にそれを渡した。その表情には突然のおいしい話を持って来た来襲者の気前の良さへの驚きがあった。そこから誠もそれが技術部の将校達が何処からか非合法な手段で盗み出したデータで、明らかに法外な価値を持つものであることを察した。
「じゃあ、こちらも後ほど情報を送りますよ。まあ、この情報が本物だった時に限りますがね」
笑顔が隠しきれないという男の表情にかなめが満足げに頷いて見せる。
「まああれの中身をしっかり見てからで良いぜ。時間はこちらもたっぷりあるんだ。待ってやるよ……ただその情報の中身の鮮度の方は保証できねえからな。早めに見といた方が良い。その方が金になる」
そう言うとかなめは立ち上がった。チンピラ達は殺気を隠さずに誠達をにらみつけていた。
「それと三下の教育はしっかりしておくべきだな。これじゃあ危なくてしょうがねえや。ちゃんと、敵か味方か……それを考えてから動くように指導しな。まあどっちなのか分からない状態で近付いてくる生身の兵隊さんとやりあうには、このくらい元気が良くないと駄目ってことか?それなら話は分かるが、アタシはこの身体だ。相手が悪かったな」
かなめの言葉に男は苦笑いを浮かべた。
「行くぞ、神前。もうここには用はねえ」
そう言って重いドアを開けて出て行くかなめのあとを誠は鎖に繋がれた子犬のようにくっついて歩いた。かなめは颯爽と肩で風を切るようにして事務所の目の前に止めた銀色のスポーツカーに向かって歩いた。
「何ですか?あのディスク。情報って……それに鮮度がどうとかって言ってましたよね。不味い情報じゃないでしょうね……司法局の内部情報とかは流出させたら今度は始末書どころじゃ済みませんよ」
かなめの買った新車のスポーツカーの狭い助手席に体をねじ込むようにして座った誠を相変わらずの殺気を感じるような視線でかなめは見つめた。黒い上品な本皮の黒いシートはカウラの『スカイラインGTR』の合皮のそれとは違い柔らかく二人の身体を受け止めた。
「嘘はないぞ。あれがあるとちょっと便利なんだ。まあアタシは使うつもりは無いけどな」
そう言ってかなめは大馬力のスポーツカーのモーターを起動させた。明らかにカウラのスポーツカーを意識して購入した車の高性能モーターが低い振動を二人にぶつけて来た。ガソリンエンジンのそれとは違う初動からハイトルクがタイヤに伝わる衝撃は誠にはどうにも慣れることが出来ないでいた。
「それじゃあ分かりませんよ。もしかして違法な取引の勧誘とか……まさか軍事機密?」
最新式のモニター画面が並ぶコンソールを見ながらハンドルを握るかなめの口元に笑みが浮かんでいるのが分かる。誠は暴走を始めたかなめは何をするか分からないのは知っていたのでそう尋ねた。
「そんなんじゃねえよ。むしろ民間系の情報だ。ベルルカン風邪ってあるだろ?あれの即効性の特効薬の開発に成功した製薬会社が明後日それを公表するが、その情報だ。良くある話だろ?新薬の開発ネタは一番の株の値動きを左右する金になる情報だ。連中もきっと中身を見たら飛び上がって喜ぶぞ」
あっさりと言い切るかなめは車を急発進させた。加速が持ち味の電動車らしい衝撃が二人を襲った。
「それでも十分まずい情報じゃないですか。新薬開発の発表前の事前情報入手って……インサイダー取引ですよそれ。バレたらそれこそ本当に解雇ですよ」
そんな誠の言葉を無視してかなめは車を走らせる。租界の怪しげな店のネオンが昼間だというのに町をピンク色に染めていた。フロントグラスには20世紀の名車であるカウラの『スカイラインGTR』には無いナビゲーションシステムが投影され、近隣の交通状況が表示されていた。
「知ってたんだな……オメエの社会常識の中にも『インサイダー取引』って言葉があったとは驚きだ。まあいいや、あの手合いから情報を穏やかな方法で手に入れるには仕方の無いことなんだよ。蛇の道は蛇と言うやつだな。それに実際、『今の段階では』と言うカッコつきの情報だ。発表が延びるかもしれないし……発表自体が無くなる可能性もある。と言うか無くなる予定なんだがな。連中にはそのことを教える必要はねえ。連中はその発表が無くなった時点で泣けばいい。それまでにこっちに必要な情報をくれるかどうか。それが問題だ」
大通りに入っても車は加速を続けた。誠はかなめの表情をうかがいながら曇り空の冬の街を眺めていた。かなめの生きてきた裏の世界の話を聞くたびに誠はどこかしら遠くの世界に彼等がいるように感じられた。
その時急にかなめは車を減速させて路肩に寄せて止まった。カウラの車なら感じるエンジン音での馬力調整の予感が無いのでその急減速に誠は戸惑った。
「西園寺さん!急に車を止めて!危ないじゃないですか!事故でも起こしたらどうするんですか!また始末書ですよ」
誠の言葉に振り返ったかなめはにんまりと笑っていた。かなめはこの時点で初めて車のハザードランプを付けた。
「ビンゴだ。連中、早速食いつきやがった……駐留軍の腰抜けと違って連中もアタシの情報となると目がねえらしいや。その点では近藤の旦那には感謝しねえとな」
そう言うとかなめはしばらくの間目をつぶり動かなくなる。脳に直接送られたデータを読み取っているとでも言う状況なのだろう。誠は黙ってかなめを見つめた。
「商品の保管場所は……遼帝国の駐留軍の基地か。駐留軍を巻き込むとはずいぶん危ない橋を渡るんだな……言ってることとやってることがばらばらじゃねえか。何が君子危うきに近づかずだ。虎穴に入らずんば虎子を得ずの方が合ってらあ」
かなめの言葉で誠は頭の血液が体に流れ込むようなめまいを感じながらかなめを見つめていた。そして一気に手のひらが汗で滑りやすくなるのを感じていた。
「神前。暴れられるぞ。連中の商品の保管場所が分かった。そこを押さえれば違法研究の入り口を止められる……同盟厚生局さんもこれで、ジ・エンドだ。」
そう言うかなめの表情にいつもの悪い笑みが浮かんでいるのに誠は気づいた。かなめが加速した瞬間、バックミラーの奥に黒塗りのバンが一瞬映った。
誠は喉が渇くのを感じながら、それを見なかったことにした。




