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遼州戦記 司法局実働部隊の戦い 別名『特殊な部隊』と悪魔の研究  作者: 橋本 直
第九章 『特殊な部隊』と暴力の支配する街
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第25話 魔窟の掟

「カウラ、ちょっと止めな。この車がお釈迦になるのは見たくねえだろ?」


 かなめの不意の声に、カウラは眉をひそめながらもブレーキを踏んだ。車が路肩に寄せられた瞬間、埃っぽい風が巻き上がり、錆びた看板がきしむ音がした。


 次の瞬間、どこからともなく褐色の肌をした兵士たちが数人、わらわらと駆け寄ってくる。迷彩服の色合いは見慣れない灰色で、袖口には赤い鳥の紋章が刺繍されていた。


 誠は、肌にまとわりつくような湿った空気の中で、場違いなほど派手なその刺繍の部隊章を付けた兵士たちの笑みが妙に生々しく見えた。そこで湧き上がってくるのは恐怖……兵士達には明らかに誠達に危害を加えることを前提に近づいてきてるという確信が誠には有った。


「よりにもよってベルルカン大陸南方諸島軍か。でもまあ……見てな、面白れえもんが見れるぞ。ちょっとしたこの街の摂理の予習だ。よく見ときな」 


 都市型迷彩のグレーの戦闘服の袖に派手な赤い鳥のマークの刺繍をつけている兵士達はそのまま銃を背負って車の両脇に群がった。それはカラスがゴミにたかる時のそれに似ている。誠にはこの光景がそんなもののように見えた。


「トマレ!」 


 窓を開けた誠に銃を突き付けて南方諸島の正規軍の兵士は叫んだ。誠は後ろのかなめに目をやるが、かなめもランもただニヤニヤ笑いながら怯えた様子の誠を見つめているだけだった。誠にはこんな追い詰められた状況で笑っていられるかなめとランの神経が理解できなかった。


「カネ、カネ!トウワエン!イチマン!」 


 どうやら彼等はアルバイト気取りでこのような外部から入ったと思われる車両を見つけては通行料を巻き上げることを当然の事と思っているようだった。埃塗れの頬に下卑た笑みを浮かべる兵士がそう言うとかなめは爆笑を始めた。それに気づいた若い褐色の肌の兵士がかなめとランの舐め切った態度に腹を立てたように車のドアに手をやった。大切にしている愛車を壊されると思ったのかカウラはドアの鍵を開けた。


「西園寺さん!勘弁してくださいよ!相手は銃を持ってるんですよ!」 


 『租界』に慣れているというかなめに向けて誠はそう叫んだ。兵士の一人がドアの鍵が開いていることに気付くとそのまま誠を引きずりだして路上に這わせた。誠の肩を荒々しく掴んだ兵士の手は、砂と油でざらついていた。次の瞬間、冷たいアスファルトに押しつけられ、背中を打つ鈍い痛みが走る。耳元で安全装置を外す金属音がした瞬間、心臓が跳ね上がった。そしてすぐに兵士は誠の脇に拳銃があるのを見つけた。

挿絵(By みてみん)

 そのままにんまりと笑い銃を突きつける兵士とそれをくわえタバコで見ていた下士官が後部座席で爆笑するかなめとランに銃を向けていた。


「ケンジュウ、ミノガス、30マン!30マン」  


 そのままかなめとランも車から降ろされた。下士官は良い獲物を見つけたとでも言うようにくわえていたタバコを地面に投げ捨てた。


「30万円?ずいぶんと安く見られたもんだ。じゃあこれで手を打ってもらおうかな」 

挿絵(By みてみん)

 ランはそう言うと右手で身分証を取り出して下士官に見せた。そしてランの空いた左手はすでに拳銃の銃口を下士官の額に向けていた。タバコを吸いなおそうとした下士官の口からタバコが落ちた。彼はそのまま誠の後頭部に銃口を向けていた部下の首根っこを押さえて誠の知らない言葉で指示を出した。


 獲物と思っていたものが獲物どころか自分が獲物になるところだった。そんな事実を知って兵士達は動揺しているようだった。


 話し合っていた兵士が突然銃を背負いなおし、青い顔で誠を見つめた。再び誠の知らない言語で小声で話し合う兵士達。そこには何と過去の行為を見逃してくれと言うような懇願の色が見ることが出来た。


「カネ、カネ、30マン!」 


 兵士の言葉の真似をして手を出すかなめを見つめると、兵士達は今にも泣き出しそうな顔で走り去っていった。

挿絵(By みてみん)

「良いざまだな。小遣い稼ぎのつもりが逆に同盟司法局にお縄になるところだったんだ。連中もビビるわけだ。あの地上の楽園、この400年間戦争とは無縁だったベルルカン南部の軍の連中でさえあの様だ。ここの駐留軍はどこの国籍の軍の正規軍もここじゃあ夜盗と変わらねえ。良い勉強になったろ?これがここの真実さ」 


 そう言うとかなめはそのままポケットからタバコを取り出して火をつけた。サイトで売り買いされる臓器や少女、敵と見ると笑顔で握手をしながらいつでも攻撃できる準備を整える駐留軍本部、そして目の前の夜盗気取りの警備兵。


『ここには……人間の心を持った人なんて一人もいないのかもしれない……そう思う僕も東和の平和に甘えていたのかもしれない……こんな身近に戦場は有ったんだ……』


 このふざけているとしか思えないほどの暴力と金で支配された世界が身近にあったことにここから30キロも離れていないところに実家のある誠はただその事実を受け入れることしかできなかった。


「ベルルカン大陸南方諸島ですよね?先日のクバルカ中佐の常識講座であそこは遼州南半球ではもっとも民主化が進んだ国でそれなりに治安も安定しているってきいてますけど。違うんですか?主要産業は観光で……時々テレビのバラエティー番組でもあそこのビーチとかで撮影とかやってる映像よく出て来るじゃないですか?……あの兵士達は……」 


 そう言って立ち上がる誠をかなめは呆れた表情で見守った。


「あのなあ、別にどんなに危険な国の出身だろうが、安全極まりない国の出身だろうが、ここではそんなことは一切関係ねえんだよ。そう言う考えは安全地帯にいる人間が自分はアイツ等と違う人種だと思い込んだときだけに通用するアリもしねえ架空の発想だな。ここじゃあつまらない不条理で、誰もがいつくたばってもおかしくない。そんなところに仕事ってことで放り込まれて頭のタガが揺るがない人間がいるのなら見てみたいもんだな……いねえよ、そんな人間はこの宇宙に一人として」 


 そう言ってかなめは周りを見渡した。正規軍との交渉に勝利したと言うような形になった誠達を見て下心のある笑顔を浮かべて近づいてくる『租界』の住民の姿が見える。ただ、その目は誠達の勝利を称えるというよりも余計なことをしてくれたものだというような非難の色が見て取れたのが誠にはあまりに悲しすぎた。


「カウラ、早く車を出せ。さっき逃げてった連中が仲間を連れて自分達がしたことの証拠を消しに来るかもしれねえぞ。巻き込まれたら面倒だ。とっととおさらばするか」 


 そう言うとかなめは吸いかけのタバコを投げ捨てて再び車の後部座席に体をねじ込む。誠も慌てて助手席に乗り込んだ。


「早く出せよ」 


 ランの言葉にカウラはアクセルを踏み込んだ。カウラの車を取り巻こうとしていた住人の一人の投げた石が車の停めてあった場所にあった消火栓に当たって大きな音を立てていた。


「あれもまた人間の摂理さ。ここの住人にとってはアタシ等は武器を持った馬鹿を刺激した余計なことをした面倒な真似兼ねざる客。そんなところさ」 


 かなめのつぶやく声が誠の心を皿に凍らせる。路上で子供達が突然走り出したカウラの車に罵声に近い叫び声を上げていた。


「この街では暴力とカネ以外のものに何一つの価値も無いんだ。仕事でここに来ることはこれからもあるだろうからな、良く覚えておけ。まあそういう意味ではアタシ等の商売道具は暴力の方だがな」 


 かつてのこの地での任務を思い出しているのか、かなめの目が死んでいた。その隣で窓から外を見ているランの瞳もその幼げな面持ちとは相容れないような老成した表情を形作っていた。


「西園寺にしては的確な状況説明だな。ただ、私も今回ばかりは西園寺の言うことは正しいと思う。ここでは暴力がすべてを支配している。それだけは事実だ。暴力がこの街の法。それ以外の一切は価値が無い。そんな街に見える」 


 黙ってかなめの言葉を聞いていたカウラがバックミラーの中のかなめを見つめた。


「何言うんだよカウラ。アタシの説明はいつだって的確だろ?特にここはアタシのホームグラウンドだ。どんなところだって瞬時に案内して見せるぜ?どこに行きたい?パチンコ屋か?あるぜ、ここには何だってある。金と暴力で何とでもなる。それがここの真実さ」 


 そう言ったかなめの瞳に久しぶりに生気が戻った。カウラはそれに満足したように倉庫街のような道に車を走らせた。そこには廃墟の町で見なかった働き盛りの男達が群れていた。袋に入ったのは小麦か米か、ともかく麻袋を延々と運び続ける男達の群れ。周りではどう見ても堅気には見えない背広の男達が手伝うつもりも無く談笑しているのが見える。


 港の倉庫街は、古い魚の匂いと焦げた油の臭気が入り混じっていた。フォークリフトのエンジン音と、荷を下ろす際に響く金属の軋みが途切れることなく続く。男たちの顔色は土色で、疲労で半分死人のような眼差しをしている。それでも手だけは止めず、ひたすら袋を運び続ける。その光景は、生きているというより『腐っても動く機械』のようだった。


「租界外への物品の搬出は制限されているんじゃないですか?あの人達が運んでるのはつまり……密輸品?」


 誠は堂々と密輸品が運ばれている現場に立ち会っている自分に驚いていた。かなめの言う通りこの中の世界が金と暴力がすべてだとして密輸品が積み上げられているということはこの世界は誠の住む東和と地続きの世界なのだ。いずれこの密輸品は何事も無かったかのように誠の住む豊川の街のスーパーの店頭に並ぶのかもしれない。誠はその事実を知って自分の日常がどこかでこの壊れた街と繋がっているのだということを思い知らされた。

挿絵(By みてみん)

「神前。西園寺の言葉を聞いてなかったのか?駐在部隊だって同じこの魔窟に巣食う住人なんだ。もらうものをもらえば見てみぬふりさ、それに仲良くお仕事に励むってのも美しい光景だろ?」 


 ランの皮肉の篭った言葉に誠は目を開かせられた。東都湾岸地区の急激な治安悪化により三年前に東和政府は租界の自治警察の解体の決定と同盟加盟国に軍の駐留を許可を発表した。同盟会議の決議により駐留軍はその裁量の範囲内で必要な資材の搬入や輸送を独自に行う権利を与えられることになった。それがこの魔窟や駐留する部隊だけで消費するには明らかに多すぎる量の物資が倉庫に送られていった。さすがに軍の支援物資や租界住民への人道支援としては多すぎる量の密輸品の山に対して後ろめたいと感じているのか、付近には駐留部隊の兵士の姿は無かった。


「ここの物資がこの街を支えているんですね。こんな物資……どこをどうやったら合法なものに変わるんだろう?」 


 誠は積み上げられた麻袋を見ながらそんな言葉を口にした。次々と運び込まれる穀物の入った麻袋がパレットにある程度積み上げられると。中の見えない木箱と一緒にフォークリフトで倉庫から建物の裏へと運ばれていった。その向こうでは冷凍貨物のコンテナが軍用の塗料のまだ落ちていない中古のクレーンに吊るされて巨大な倉庫に飲み込まれていくのが見えた。


 そしてそのどの作業にも生命力を吸い取られていると言うような姿の男達のうごめきが見て取れた。


「でもこんなに物資が?一体どこに行くんです?」 


 ただ誠はその圧倒的な物流の現場に圧倒されながら流れていく港の景色を見送っていた。


「物資の行き先?それはアタシ等の仕事じゃねーよ。港湾警察や外務省の検疫施設、それか東都警察か安城の公安機動部隊にでも当たってくれよ。そいつを取り締まるのが連中の仕事だ」 

 

 そう言ってランが小さい胸の前に腕を組む。その様子が面白かったようでかなめがまねをして豊かな胸に腕を押し付ける。そしてバックミラーに写る二人の様子にカウラが噴出した。

挿絵(By みてみん)

「何考えてんだ、オメー等は!」 


 そう言うとランは子供のように頬を膨らませた。もしこの顔をアメリアが見たら『萌えー!』と叫んで抱きつくほど幼子のようにかわいい表情だと思った誠は自分の口を押さえた。



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