第24話 暴力の秩序の下で
「それじゃあ今日はこれで終わりですか?あまりにあっけなかったような……。そうだ!足を使って手柄を稼ぐためにあの駄菓子屋の付近の廃ビルを当たって見るとかどうでしょうか?あそこら辺ってなんだか怪しかったじゃないですか?あんな情報が出てくるくらいですから違法研究のかけらくらい出てきますよ」
助手席の椅子を戻して乗り込む誠をかなめとランが呆れたような目で見つめた。
「馬鹿だな。そう簡単に見つかる施設ならとうの昔に東都警察が見つけてるよ。いくらやる気のない連中だってそれくらいの事が出来なきゃ遼州一治安の治安の良い東和共和国を名乗れるはずがねーよ」
ランは再びいつもの誠を見下すような視線を向けながらそう言った。その視線はどこか悲し気で彼女がかつてこの中の住人と同じ存在であったという事実を誠にも思い出させた。
「それにこれからが今日の二時限目の授業だ。そっちの方が今日の本番だ。気合い入れて授業を受けろよ。オメー等がこの租界の流儀を知らねーのは分かってる。とりあえず入門編のレクチャーをアタシ等が担当してやるよ。これから租界に入る。中はどんなか……見てのお楽しみだな。アタシが住んでた8年前とは間に東都戦争を挟んじゃいるが、基本は変わっちゃいねーだろ」
遠くを見るような目でランは外の租界を囲むように建設された高いコンクリートの壁を見上げた。その目はまるで故郷に帰って来た少女が懐かしい親類に合う時のような優しさを讃えているように誠には見えた。ここがランの故郷とすればあまりに悲しすぎる。そのひび割れの目立つ明らかに重火器に耐える為だけに作られたような高いコンクリートの壁を見ながら誠はそんなことを考えていた。
「西園寺、オメーは5年前の東都戦争中にここに居たんだ。案内しろ。あの戦争でアタシが知っていたころと租界の中の秩序は変わっているはずだ。その秩序を一番よく知ってるのは、西園寺。オメーなんだ。」
そう言うとランは端末のデータを車のナビに転送した。そこには租界内部の地図が記されていた。ランは遼南共和国からの亡命者であるから租界内部の地理には詳しい。その過去を知っている誠からすれば当然の結論だった。
「このルートで走れって事ですか?随分と回り道をするんですね。まっすぐ中央を走ってる本道を進んだ方が早く目的地に着ける気がするんですが」
カウラは租界の外周を回るような順路を見た後そのまま車を出した。
「この車。目立つだろーが。車に銃弾の跡をつけたくなければこの道を通れ。それ以外の道を通ったらこの車がどーなっても知らねえーかんな。ここは租界なんだ。外の常識は通用しねー。それだけは覚えとけ」
『租界』の内部は誠の想像したよりも落ち着いた雰囲気に見えた。外の湾岸再開発予定地区よりも『租界』の中は秩序があるように見えた。その秩序が入り口で出会った駐留軍のもたらしたものではないことは、世事に疎い誠にも理解できた。
この街の一見なんということのなく見える秩序が良く見れば危うい均衡の上にあることは誠にもすぐに分かった。四つ角には必ず重武装の警備兵が立っている。見かける羽振りのよさそうな背広の男の数人に一人は左の胸のポケットの中に何かを入れていた。それが恐らく拳銃であることは私服での警備任務を数回経験した誠にも分かった。
合法の駐留軍と非合法のマフィアとの癒着。それが生み出した微妙なバランスの上にこの街の秩序は成り立っている。誠はその銃の姿を見てそう直感した。
「ここの住民は全員武装しているんですか?……今でこの有様だったら東都戦争のときはどうなってたんですか?もっとひどくて隠すこともせずにいつもの西園寺さんみたいに常に銃を抜き身で持ってたとか?」
思わずそんな言葉を吐いた誠を大きなため息をついたかなめがにらんだ。
「なに、もっと静かだったよ。街もきれいなものでごみ一つ落ちて無かったな。なんといっても外に出たらいつどこから狙撃されるか分からないんだから。だから誰も外には出なかった」
かなめの言う戦争がもたらす清潔さに誠は言葉を失った。そんな誠の茫然自失とした顔を一瞥するとかなめは笑いながら話を続けた。
「でも、ここの住人だって買い物もしなきゃなんねえし、仕事もあるわけだ。そんな必要があって外に出る時は銃撃戦が始まった時だ。その時にはここの住人は一斉に買い出しや用を足しにに出る。マフィアも非正規任務専門の特殊部隊も駐留軍も銃撃戦に夢中になっててここの住民に関心を持つ余裕なんて無くなるからな。その時がここの住民にとって一番安全なんだ。それがこの街独特のルールって奴だ」
そう言ってかつての東都戦争を良く知るかなめは笑った。確かに今のかなめに言わせれば『十分平和』だという街には人の気配が満ちていた。大通りを走るカウラの車から外の路地を見ると必ず人影を目にした。子供、老人、女性。あまり青年男性の姿を見ないのは港湾の拡張工事などに人手が出ているからだろうか?誠は噂に聞くような銃撃戦が起きていないことに安堵すると同時にこんな力のない人々でさえもこの狭苦しく暴力の支配している土地で生きなければならないという現実に打ちのめされていた。
「排ガスの煙がひどいな。ここを走っているどの車のマフラーも壊れてる。まあ、自動車整備工場もないんだろうから仕方がないのかもしれないがな。それにこの空気の悪いのは排ガスばかりが原因じゃないな……それも昔からか?」
カウラがそう言ってかなめを見つめる。そして、かなめの目はこの街の先輩にあたるランに向いた。
「そりゃあしょうがねーだろ。こんな狭いところにすでにこの地上に存在しない遼南共和国から流れ込んだ50万人の人間が閉じ込められているんだ。呼吸だけで十分空気が二酸化炭素に染まるもんだ。車も部品の供給がまともにできねえし、自動車整備工なんて金のねーここの連中の車を直すなんて金にならねー仕事はしねーから動いてるだけでラッキーって奴だ。もっともアタシはここの空気は嫌いじゃないがね。昔吸ってたなじみの空気だ。アタシも今は無い国の人間だったことを思い出して懐かしく感じるよ」
そんなことを言いながら外を眺めるランだが、その表情が懐かしい場所に帰ってきたような柔らかい笑顔に覆われていることに誠は不思議な気持ちになった。
「ちっちゃい姐御の言う通りだ。姐御の居た時から今まで、この街の本質は何も変わっちゃいねえんだ。例え東都戦争が無かったとしても変わらなかっただろうな」
かなめのその無表情に誠はここでかなめが何を経験してきたのか分からない自分を思い知って、自分の限界と言うものを悟ることになった。
「これは……また。ゲットーと呼ぶべきだろうな」
人が多かったマーケットを抜けると、道の両側は倉庫街に変わった。その殺風景な光景を見てそれまで運転に集中しているかのようだったカウラのつぶやきも当然だった。外の港湾地区が崩れた瓦礫の町ならば、コンクリートむき出しの高い貧相なビル群がならぶ租界の倉庫街は刑務所か何かの中のようなありさまだった。
時々、倉庫で働く労働者目当ての屋台が出ているのが分かるが、一体その品物がどこから運び込まれたかなどと言うことは誠にも分からなかった。
「まあアタシもここが出来てすぐに来たんだけどな。まああのころは何にも無い埋立地に仮設テントとバラックがあるばかりだったな。しかし……こうしてみるとその時代の方がまだましだったかもな。あの頃は武装したマフィアなんて居なかった。とりあえず住民は日々の糧を稼ぐことだけで精いっぱいだった。東和共和国の支援物資なんてたかが知れてるし、まだ密輸品のルートもマフィアが仕切るような秩序もできていなかった。みんなやりたい放題だったが、それだけ自由だった。そっちの方が今の暴力が支配する秩序のあるこの街よりマシだ」
そう小声でランがつぶやくのが聞こえた。
「そう言えば、なんで遼南共和国は崩壊したんですか?確かにクバルカ中佐が堕ちたから内戦に負けて遼南共和国は遼帝国に変わりましたけど。逃げてくる必要なんてないじゃないですか。そのまま遼帝国に住めばいいのに」
社会常識ゼロの理系脳の誠の言葉にランはうんざりした顔を見せた。
「まあな、遼南共和軍にいた人間は遼帝国政府……いや、遼南共和国を倒したのは遼南人民国だからその遼南人民国樹立で逃げ出すしかなかったんだ」
誠はランと初めて出会った時の事を思い出していた。彼女は自分が堕ちたから遼南共和国は滅んだと言った。その後、こうして遼南共和国の住人達はこの東和に逃げ出すしかなかったのだろう。それを思うとランの複雑な心境が思えて誠は心が痛んだ。
「なあに、遼南共和国はこの世にあっちゃいけないような悪事の上に成り立っていた地獄の国だった。汚職、虐殺、破壊、殺戮。それが独裁者の意志で好き勝手に行われた国。それが遼南共和国だった。だから遼南人民国やそれがクーデターで政権が代わった遼帝国に居れば遼南共和国時代に関わった罪を問われて殺されるような人間たちがこうしてここに逃げ出してきたわけだ。軍のパイロットの資格持ちで追放の対象だったアタシはまだましな方さ。自力でここにたどり着いた連中が暮らしを立て直そうとしたときには胡散臭い連中がここに街を作って魔窟が一つ出来上がった。そしてその利権をめぐり……」
ランは静かにそう言ってかなめに目をやった。
「アタシ達のような軍の機密予算を確保したいという非正規任務の兵隊さんがのこのこやってきてその筋の方々に武器を売って大戦争を始めたってわけだ。ここの住民には大変ご迷惑をかけたわけだ。クバルカ中佐殿大変申し訳ございません」
かなめは嫌な過去を思い出したように苦笑いを浮かべながらそうふざけて見せた。
「アタシに謝ってもらっても困るんだがな。オメー等がここで暴れてる時には、もうアタシは東和国籍を得て東和陸軍の教導隊で仕事をしてた。運が有ったんだな、アタシは。西園寺。謝るんならそこを麻袋を肩に担いで歩いてるおじさんにでも謝りな。アタシが悪かったって」
そう言ってランは倉庫街で何やら荷物を運んでいる労働者の群れを指さしてかなめの言葉に笑い返した。
建てられて十年も経っていないはずなのに多くのビルの壁には亀裂が走っていた。所々階段がなくなっているのは抗争の最中に小銃の掃射でも浴びたのだろうか。そう思う誠の心とは無関係に車は走った。
「どの建物も一目見てわかるような典型的な手抜き工事だな。この中では東和の法律は通用しないから存在が許されるようなものばかりしかない。建築法規なんてまるで無しだ。それにしてもひどい建物ばかりだ……本当に……ひどい」
車を運転しながらカウラはそうこの街の建物をたとえた。
「それだけオメエが幸せな環境でぬくぬくと生きてきたって言う証拠だ。屋根が有って壁が有ればそれで良いってのがここのルールだ。それ以上を求めるんじゃねえ」
かなめはまるで分っていない子供を諭すような調子でカウラにそう言った。カウラは苦笑いを浮かべながら運転を続けた。




