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第20話 斬れなかった男

 しばらくの沈黙の後、覚悟を決めたかのように嵯峨は高梨の顔を見つめた。

挿絵(By みてみん)

「なあに、ちょっと俺の愛刀『粟田口国綱』で斬りつけただけだ。それほど会話を楽しんだわけじゃない」


 嵯峨は遠くを見るような目をしながらそう言って目をつぶった。そのつぶられた瞳の中には夜明けの誰もいないさびれた街角で、長髪の法術師が笑いながら立っている光景が焼き付けられたままだった。


「その時に『廃帝ハド』を俺が斬ることが出来ればすべては丸く収まったんだが……まだ俺も若かったってことだな。当時の俺は不老不死以外の法術は全て封印済みでね。『廃帝ハド』には自分が死なないことを良いことに斬りつけるくらいの事しか出来なかった。法術使い放題のアイツの前に死なない以外に取り柄の無い俺がどうこうできるわけがない。傷一つつけることが出来ずに返り討ちにあった。まあ、『廃帝ハド』は不死人でも平気で殺せるからアイツにとってはその時俺を殺しておかなかったのが運の尽きだったといずれアイツと戦って倒した後に言いたいね、俺は」 

挿絵(By みてみん)

 そう言って嵯峨は立てかけてある愛剣『粟田口国綱』を指差してそのまま伸びをした。その目はまさに『人斬り』の目だと高梨は思った。


「それはずいぶんと穏やかじゃないですね。確かにその時に兄さんがこの男を斬っていれば、クバルカ中佐達が襲われることは無かったのは分かります。でも、なんで斬りつけたんですか?そんなに危険な男なんですか?それにまだ兄さんはその男を斬るつもりでいる……何者なんです?その男は」 


 高梨は普段は大人しい兄がそう簡単に人を斬りつけることは無いことは十分承知していた。


「そう、穏やかじゃないんだよこの男は。実際資料も集めてみたが結果こっちの二つの写真が見つかっただけだ。渉が知らないのも無理がないよ。電子データはいくら探しても見つからなかった。こんなアナログデータ、お前さんの飯のネタにもならんだろうしな。アナログ、デジタルを問わず電子データをすべて知り尽くしている『ビッグブラザー』もこの男のデータがネットに上がるとすべて自動的にAIが消去するように仕組んでいるらしい。『ビッグブラザー』も『無かったこと』にしたがるような力を持つ男。それがこの男だ」


 嵯峨は自嘲的な笑みを浮かべながら上目遣いに高梨を見つめた。


「あの公安機動隊の隊長で、元は公安調査庁のエースだったネットの海を知り尽くしているはずの秀美さんもこの男のことは俺が教えるまで知らなかった……それだけ危険な男……この東和を400年間20世紀末の文明で止めることを選んだ『ビッグブラザー』さえ警戒する力を持つ男……」 


 そして指差したのは遼帝国軍の制服を着た軍人達に囲まれての記念写真のようなもの。そして背広を着て街を歩いているところを盗撮したような写真だった。どちらの写真も管理状態は極めて悪く、折れ曲がり、セピア色に色あせていた。高梨にはいつもは怒りという感情が欠如しているのではないかというように感じることの多い兄がそこまで憎悪を抱くことに、背筋が冷たくなる思いだった。


「俺はお前さんも知ってる通り遼帝国の『中興の祖』と呼ばれた武帝の最初の孫として産まれた。武帝の功績はそれまで公然の秘密だった法術の存在が明らかになる危険を冒してでもその力で遼帝国を地球に認められる存在にしようとしたことだ。事実、元地球人の国であるゲルパルトや甲武なんかがその武帝の甘言に乗って『祖国同盟』という同盟を作って地球圏に対抗しようと考えた訳だが……世の中そんなにうまくいくことは無く、その三国の間の主導権争いの中で武帝は甲武国宰相西園寺重基の策謀でイスラム原理主義者によるものと見せかけたテロで殺された」

挿絵(By みてみん)

 嵯峨は天井を見上げながら静かにそう語った。


「そんな武帝にとっては法術なんて言うものは遼州人にはあって当たり前ものだった。そしてその法術師としての俺の才能はほどだとみなされるという環境に育った。でも、その法術は遼州圏が独立する時に地球圏との間の密約で存在しないものであるということになったものだったんだ。まあ、だから武帝は消されて俺と渉の親父の色狂いの暗君の霊帝が即位したわけだがね。でも遼州人の中に法術師がいるという事実は皇帝が変わったからと言って変わるもんじゃない」


 静かに語り続ける兄の妙に力の抜けた笑顔を見ても高梨の堅い表情は変わらなかった。


「その頃……この男は復活した。武帝の死で霊帝を推す軍部を抑え、『汗血馬の騎手(のりて)』と呼ばれたランを使ってライバルを次々と皆殺しにしたガルシア・ゴンザレス。霊帝には帝位を継ぐ器は無いということで武帝が皇太子に指名した俺を擁立するカグラーヌバ家を始める貴族達との間の南北朝動乱に始まった遼帝国の動乱の間も奴は沈黙を守っていた」


 嵯峨が手にした200年前の軍服を着たの写真の男の顔がまるで兄である嵯峨を見下して笑っているように高梨には見えた。


「奴は武帝の考えをある意味理解していて地球人に対する遼州人の絶対的有利の源である法術を誇示して『力あるものの支配する宇宙』とやらを作りたいらしい。南北朝動乱で北朝の旗頭として決起して敗れてお袋の妹で甲武の四大公家筆頭である西園寺家に嫁いでいた康子義姉(ねえ)さんに救出されて甲武に渡り甲武陸軍の軍人になった俺はそんな男がウロチョロしている以上、そんな大昔の密約なんて守っているような余裕はこの宇宙には無いとは思ってた。法術の存在をどんな反対があったとしても世に知らしめる必要がある。それを考え出したのはこの男に斬りつけて返り討ちにあったその日のことだ。でもねえ、所詮一介の二等武官がどうこうできる話じゃないんだ。あくまで俺個人の志、そんなもんでしかなかったんだ……いつかそんな日が来る……そうして……いまはこの『特殊な部隊』が存在する。奴の野心を砕くためにな」


 嵯峨は再びタバコを口にくわえた。


「でもなんで……」 


 高梨の珍しい真剣な顔をちらりと見た嵯峨は再び机をあさって一冊の冊子を取り出した。


『ソクラテス哲学研究・社会情勢と政治学について』そう書かれた表紙の貧相なコピー冊子に高梨は首をひねった。著者の欄が空欄なのが高梨には気になった。

挿絵(By みてみん)

「これも俺が東和駐在武官だった時代に見つけた一冊だ。コイツが200年前に遼帝国の皇帝に無理やりその地位を奪うにあたってその正統性を主張するつもりで書いたものらしい。当時は『廃帝ハド』が起こした遼帝国の混乱で歴史的な資料が散逸していて正確なことは分からないんだ。奴は強いかもしれないが俺が見るところ少なくとも統治者には向いてないな。なんと言ってもその在位期間は僅か5年だ。しかも……奴の在位の間にその身勝手な思想による国家運営により国は大きく乱れ、最終的にはハドはある女性に次元断層の奥深くに封印された。まともな統治者なら国が乱れたりしないしそんな封印されるような目には遭うもんじゃないよ」


 嵯峨はそう言うとその察しを明らかな敵意の視線でにらみつけた。


「この書物の内容としてはソクラテスが民主主義を否定して処刑されたことを非難するソクラテスの提唱した『哲人政治』の実現に向けての施策を論じたものだが……俺にはヒトラーの『わが闘争』と区別がつかなかったよ。力を持つものは人々を導く権利があるっていうのが論旨だが……俺はこういう論じ方している人間が大嫌いでね。弱肉強食の畜生の生き方を人間同士で当てはめようと言うような論理が見え見えで……そもそもソクラテスの言いたかったことをコイツもヒトラーも理解してたのかな?たぶん違うと思うよ」 


 嵯峨は皮肉めいた笑みを浮かべた。


「法術師を頂点にしたファッショでもやろうって言うんですか。確かにそれは願い下げだ。僕も遼州人ですが、力が無い。そうなると僕は力のある兄さんに支配されることになる。兄弟で支配する支配されるの関係なんて想像するだけで嫌になりますよ」 


 高梨はそう言ってその冊子を手に取った。


「だから今回の事件の研究者は法術師を道具としてしか見ていないから、法術師の王国を作ろうって言うコイツの理想とやらとぶつかるはずなんだが……俺の勘じゃあ……たぶん両者は繋がってる。目の前の利益の為なら悪魔とでも手を結ぶのは遼州人も地球人も似たようなもんだ。両者が仲良くやるとは言わないがお互いの存在を知ったら接触を取ると思うよ。どっちも関心があるのは『法術』という地球人には無い『力』だ。そしてその『力』を手にする方法は別としてそれを手に入れて目指すところは『地球圏からの解放』。似た関心と似た目的を持っていたら接触を取らないと考える方が無理がある。またこいつの残りっ屁の香りでも嗅ぐことになりそうだなあ……『廃帝ハド』……法術師が絡むとどんな案件にも食いついてきやがる」


 その口調には自虐と諦念が織り交ざったようだ。高梨が感じたのはそんな兄の苦悩に満ちた言葉だった。


「200年前に遼帝国の鎖国を解くきっかけとなった『封印戦争』を引き起こすきっかけともなった強力な法術師……敵にはしたくなかったが……敵なんだよね、今の俺達の。……というか『廃帝ハド』を倒すための『特殊な部隊』だもん。そしてその為に神前の野郎をうちに引きこんだんだもん。なって当然の結果……俺の自業自得……神前よ。俺の不始末とわがままに付き合わせちまってかんべんな……」 


 そう言うと嵯峨は机の上の写真を引き出しにしまう。法術を制御されていたとは言え嵯峨を返り討ちにしたほどの実力のある法術師。その存在に高梨達は複雑な表情で嵯峨を見つめた。


「今のところ表に出てきてる地球科学の限界にぶつかって不完全な技術しか手にできない無能を自覚している木っ端役人どもはどうでもいいとして、『廃帝ハド』の擁する覚醒した法術師の配下の者が無関係だと良いが、そんな希望的観測は命取りだ。そっちの方面でのラン達のフォローはしておいてやろうじゃないの。あの男だ。法術と聞いて黙っているほど甘い男じゃない。俺達も気を引き締めて関係各所に目を配らせる必要があるな……」


 嵯峨のそう言う口調にはいつにもない緊張感があるように高梨には感じられた。


「特に渉。もし東和国防軍の関係者がこの事件に関わっているようなら東和国防軍関係の人脈を使えるだけ使え。そもそもあんな死体が東都の治安の良いはずの街で見つかるってことはこの研究をしている奴は東和のどこかの軍関係の人間の支援を受けていると考えるのが自然だ。東和国防軍はお前の古巣だ。頭の固い制服組を締め上げて情報の一つも吐かせてやりな」 


 嵯峨は口にくわえたタバコをそのまま灰皿に押し付けて立ち上がった。


「確かに、花形の東和宇宙軍は別として東和陸軍や東和海軍は今の政府には不満を持っている軍人が多数いますからね。自分達も東和空軍のように『航空戦力は飛行戦車の敵じゃないから時代遅れ』の一言で政府から捨てられるなんてことになるんじゃないかって……東和空軍が廃止になったのは15年も前の話ですよ。それだのに未だにそのことを根に持って政府や僕達背広組を目の敵にしている」


 珍しく緊張している兄の様子をいぶかりながら高梨はそう返した。東和空軍廃止は高梨が国防省に入省しての初の大仕事と言える仕事だった。制服組の物言わぬ反抗にただひたすら理屈で押して大気圏内戦闘機の戦略的有効性がもはや存在しないことを説得して回るのが若き日の高梨のキャリア官僚生活の出発点だった。その時の頭の固い制服組の態度には今でも苦笑いしか浮かんでこない。


「しかもその理由は軍人である制服組は十分知ってるはずだ。大気圏内戦闘機は現在の飛行戦車やシュツルム・パンツァーの対抗戦力にはなり得ない。東和陸軍が多数の飛行戦車やシュツルム・パンツァーを保有している以上、それに対する対抗手段になり得ない大気圏内戦闘機で構成された東和空軍に存在意義はない。だから国防軍はこれを廃止した。それでも一つの組織を廃止したトラウマは東和陸軍や東和海軍の軍服を着た面々には残っている。いつ、自分達が同じような辛酸をなめることになるか……連中の頭の中にはそんな事しかないんでしょうね」


 高梨はそう言うと嵯峨の緩んだ表情を見つめた。

挿絵(By みてみん)

「そうなんだよね……役所の組織防衛本能って奴は結構厄介なんだ。戦闘機に意味がないから戦闘機しか持たない軍隊が無くなるのは当然の話じゃないの。でも兵隊さんにはそのことが頭では理解できても心では理解できない。理屈は分かっていても心で理解できないことは絶対にやりたくないのが人間という物さ。国防軍の情報はお前さんが頼りだ。あてにしてるよ」


 嵯峨はそう言うとまるで似ていない温厚な父親である高梨の顔を笑いながら見つめた。



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