第19話 二百年前からの来訪者
嵯峨は隊長室から窓の外を眺めていた。その視界の先には部隊の敷地を離れていくカウラの『スカイラインGTR』が、砂埃を巻き上げてゲートを抜けていく様子が見えていた。
「ほう、出かけてったねえ。今回の事件は結構きついぞ。力任せって訳にはいかないからな。頭を使わなくちゃならないからね。相手はそれなりに頭のいい奴の集団だ。そうなると普通は役人ってことになるが……そこまで考えがめぐってるかな?俺の知ってる限り……連中の直下で動いてる奴の中には軍服を着た連中はいない。ただ、支援している連中には軍人さんはたくさんいるね。まあ、あの技術。軍人さんなら誰でも欲しがる技術だもんね。あの技術があればどんな戦争でも絶対勝てるし」
隊長室から部隊の敷地から出ていくカウラの車を眺めながら司法局実働部隊隊長、嵯峨惟基特務大佐は頭を掻いていた。窓際の灰皿は吸い殻で山を作り、机の上には書類と空き缶が無秩序に積み上がっている。北風が窓を震わせ、冷気が室内に流れ込んでいた。
「良いんですか?兄さん。フォローしなくて。僕の思うところ間違いなく今回の事件には東和政府か同盟機構のどこかの機関が関わっています。そうなると後々厄介ですよ。下手をすると兄さんの所に横槍を入れてくるかもしれない。その時はどうするんですか?」
思わず腹違いの弟である高梨渉参事がそう言うと嵯峨は感情を押し殺した目をしてたたずんでいた。
「それがアイツ等のお仕事なんだから。駄目だよー、ちゃんと自分に与えられた任務は着実に果たす。仕事きっちり。これ大事なんだから。それに相手が政府の機関だったら猶の事しっかりネタを上げて相手を締め上げないと。役人は不十分な証拠じゃ逆に法律を盾にとってこっちの足元をすくいにかかる。そんな一筋縄ではいかない相手とやりあうと言う経験も茜達には必要だと思うんだ、俺は」
嵯峨は窓の外に目を向けた。そこには嵯峨の娘の茜が自分のセダンにアメリア達が乗り込むのを眺めているところだった。
「それはさておいて、親馬鹿かもしれないけどさあ。安城さんの公安機動部隊、茜の法術特捜、そしてうち。一番評価が低いのは法術特捜だからな。本音を言うと今回は金星を上げてもらいたいんだよね。相手がお役人となれば、その首を取ればそれこそ大手柄だ。一挙にその評価も上がるってもんだよ。ついでにうちの『特殊な部隊』の別名が無くなったりして」
珍しく娘を気遣う嵯峨の言葉に高梨はうなずいた後、嵯峨の執務机のモニターを開いた。嵯峨は相変わらず北風を浴びながら外を眺めていた。
「今回はどろどろしてそうな事件だが『ビックブラザー』は関わっていないだろうからな。あのご仁は東和の平和にしか興味無いし。マフィアの大規模版か悪くて木っ端役人程度か……そして俺の知る限りそれを支援している軍人さんは直接手を出す気はまるでないみたいだしね。まあいずれは潰す必要のある連中のいたずらってところかねえ」
高梨がその言葉にキーボードを操作する手を止めた。
「なら猶の事フォローしてあげた方が……どちらが相手でもあの人数でどうにかできる相手じゃないですよ」
そう言う高梨を嵯峨は笑って見つめていた。
「フォローはするって。俺なりになんだけどね。俺には俺のやり方が有る。茜は自分のやり方を見つければいい。それだけの話さ」
娘の成長を見守る駄目な父親として嵯峨は明るい笑顔で高梨に向けてそう言った。
「そんな連中の事件の話は別としてだ。なんだよ、見せたいものがあるんじゃないのか?俺の興味を引くものなんだろうな……つまらないものだったらいくら『駄目人間』の俺でも怒るよ」
冗談じみた口調で嵯峨はそう言った。そんな冗談をどこまで信じて良いのか分かりかねたというように高梨は唇を噛み、キーボードを叩く手を一度止めた。兄の笑顔を見ても、胸の奥のざわつきは収まらない。逆にそんな冗談を言う兄の姿が高梨の不安をあおった。
「偶然なんですよね。たぶんこれは撮った方も撮られた方も気づいてはいないと思いますし、証拠としては使えない資料なんですが……もしかしたら兄さんの役に立つんじゃないかと思って……」
高梨が携帯端末に映し出したのは役所の提出書類のコピーだった。そこには労働関係の役所の資料であることを示す刻印のある中層ビルの崩れた鉄骨の写真があった。高梨はその一角、鉄骨の合間に見える外の光景を拡大していった。長髪の男が写っていた。これは以前誠達を喫茶店で襲撃したマルチタスクの能力を持つ法術師がまさに誠達を襲撃しようとしている瞬間を写した写真だった。写真を見た瞬間、嵯峨の指先がかすかに震えた。記憶の奥底から、あの夜の冷たい月光と銃声が蘇る。
「確かにこれは建築事故の現場写真で目的が違うってことで法廷での証拠資料にならないね。これがこの前ラン達を前に法術のデモンストレーションを見せた悪趣味な奴か?確かに悪趣味そうな面だわ。人間性の悪さがにじみ出てる。人間こうはなりたく無いもんだ」
そう言って嵯峨は引き出しに手を伸ばした。言葉はふざけている割に嵯峨の表情はどちらかと言えば緊張していた。
舞う埃の中から取り出したのは三枚の写真。散らばる書類の上に嵯峨はぞんざいにそれを広げた。
写っているのはどれも長髪の目つきの鋭い男だった。それは先ほど高梨が見せた画像と同じ人物が写っていた。
「同じ人物だな。どれも嫌な顔しているな。会いたくないよ、こういう面をした奴とは」
嵯峨はそこに写る長髪の男をじっと見つめた。そんな冗談を言う時の兄は気分を害している。高梨はそのことを経験で理解していた。
「兄さん。別に兄さんの好みを聞いているわけじゃ無いんだ。それよりこの人物……気になりませんか?僕もこの顔には見覚えがあるんですよ……確か、高校時代の歴史の資料集に出ていたような……」
腹違いの弟である高梨の言葉に堅い表情を浮かべる嵯峨の顔に緊張が走った。
「渉よ。お前さんはこの面はどこかで見たことあるってわけか?どうせお前さんが東大受験の際に見ていた歴史の資料集に出ていたとかこいつが歴史的人物だったとかそう言う意味だろ?そう言う意味じゃなくて、何かの機会に直接であったとか……お前さんもお役人で顔は広いんだから。そう言う機会で見た記憶とかは無いの?」
嵯峨の突然の言葉に高梨は首を振った。それを見て嵯峨はにんまりと笑った。
「でもこの写真は兄さんが出したんですよね、その机から。それとも兄さんの机には誰かが写真を放り込むことが出来るようになっているんですか?つまり、兄さんはこの人物について十分知っていると考えるのが普通ですよね?それと歴史の資料集に載ってた人物とこの人物が同一人物だとしたらこの人物は歴史上の人物……つまりそれだけの時間を生きてきた不死人と言うことになりますよ」
高梨の言葉に嵯峨が苦笑いを浮かべた。
「そうだな。悪かった。知らないふりをしていたが、さすが兄弟だ。どうやら隠し事は出来ないらしい。それにこいつは歴史上の人物だ。そして不死人なのも間違いない」
しばらく嵯峨はそのまま沈黙した。高梨の目は嵯峨から離れることが無い。その沈黙は情けなさそうな顔をした嵯峨に破られた。
「あのさあ、話は変わるけど、気分転換にタバコ吸って良い?この顔を見ると無性にタバコが吸いたくなるんだ……こいつに会った日を思い出してね」
緊張した空気を台無しにするためだけの嵯峨の言葉。仕方なく頷く高梨を見て嵯峨は机に置き去りにされていたタバコの箱からよれよれの紙タバコを一本取り出してゆったりと火をつけた。高梨はいつもの真面目な話を10分も続けると空きが来る兄の飽きっぽさに呆れながら官僚らしい作り笑顔で兄がタバコをふかす様を見つめていた。
「俺は元々甲武の東和大使館付き武官で軍人の生活を始めたわけだけどな。最初の三か月だけだけどね。まあ、資料整理ばかりの事務仕事。ああ、事務屋の渉を馬鹿にしているわけじゃ無いよ。それはそれで重要な仕事だ。でも俺には不向きなんだ。俺には片付けると言う才能が無い。そう言う人間に事務仕事は難しい。そんな面倒な仕事をしている最中に俺はその時偶然この写真を手に入れちまってね」
嵯峨は大使館付武官として軍人の人生を始めた過去があった。その時に見つけた資料だと言うが、高梨はその言葉を半分くらいしか信用していなかった。
「偶然?大使館付き武官の任務は情報収集活動ですよね。そんな任務の将校が偶然?むしろ探してたんじゃないですか?その男の顔写真を。その写真が大使館の資料の中から出てくると言う事実を」
高梨の突っ込みに嵯峨は再び目の奥に諦めの色を宿すような顔をした。
「そんなに人を嘘つき扱いしたいのか?渉、ひどいじゃないか。まあ当時から一般メディアで出てこないだけで法術の存在は甲武軍もその存在だけは知ってたからな。東和はこの惑星遼州の富と情報が集まる国だ。いろいろあって法術関連の情報を集めていて手に入れたのがこの写真だ」
そう言うと嵯峨は同じ男が写っている写真の一枚を取り上げた。そこには軍服を着た長髪の男が部下と思われる坊主頭の兵士に何かを指示している写真だった。
「コイツは遼帝国開国以前の遼帝国の制服ですか……この人物がクバルカ中佐達に喧嘩を売ったとしたらこの顔つき……やっぱり不死人ですか。この制服は200年前の遼帝国の制服ですよ。……兄さんと同じ不死人?年を取ることも死ぬことも無い。永遠に生き続ける存在」
200年前の鎖国解禁は、今も25歳の姿を保つ嵯峨が生まれる前の出来事だ。先ほどの誠達に法術のデモンストレーションをやった人物と同一人物であるならばサイボーグ化でもしていない限り変化の無いことなどありえないことだった。だが法術を強化する性能を持った義体の開発は未だどの国も成功していない。それに人の脳幹の寿命は200年と言う時間を耐えることが出来ない。目の前の人物は明らかに不死人だった。
「まあね……。だけどこの写真を手に入れて数日後に俺はこの本人に会った。俺もラッキーだったのかそれとも不運だったのか……今こうしてこの椅子に座っているのもその出会いがあったからだ。もしそれが無かったら今でも東都で貧乏弁護士をしていたことだろうな。その方が気楽で良いんだけれど」
その言葉に高梨は黙り込んだ。冗談は言う、嘘もつく、部下を平気でだます。そう言う嵯峨だがこの状況でそんなことをするほど酔狂でないことは長い腹違いの兄弟としての付き合いで分かっていた。
「じゃあ誰かは分かるんですよね。200年前は例の遼帝国の鎖国解禁のきっかけとなった『廃帝ハド封印紛争』が遼帝国であった時代だ。つまり、その関係者とみて間違いないんですね?」
高梨が嵯峨を見つめて話の続きを待つが、嵯峨はのんびりとタバコをくゆらせるだけだった。




