第17話 廃墟の街に潜る前に
誠は火器管理室の独特な匂いに嫌な顔をしながら簡素な作業台に予備マガジンがずらりと並べられているのを眺めていた。
誠はその中から自分の銃を手に取り、重量を確かめながらモーゼル・モデル・パラベラムの特徴ともいえるトルグを引き上げて装填して、嵯峨に言われた様にすぐにマガジンを抜いてもう一度トルグを引いて初弾を取り出した。その動きは軽く、嵯峨に渡された時のような引っ掛かりは一切感じられなかった。
金属の小気味よい音に、部屋の空気が少しだけ張り詰める。
「じゃあ全員武器はそろったわけだな……まあ、今回の狙いは違法研究者だ。相手が法術師である確率は低いと思うからどれほど役に立つかは知らねーがな」
ランは満足げに一同を見回した。
「こいつのはいいんすか?ラーナの奴が銃を手にしてるとこなんて見た事ねえんだけど……ラーナ。オメエは銃を持ってるのか?」
ランの声に手を上げてラーナをかなめが指差す。
「あのなあ、西園寺。オメエみたいに誰にでも分かるように銃を持つ馬鹿なお巡りさんはこの東和には居ねーんだ。カルビナ巡査の銃は以前から対法術師装備だ。それじゃあ各員準備して会議室に集合な」
そう言ってランは部屋を後にしようとした。
「別に準備とか必要なんですか?」
誠は銃を持った以上、一刻でも早くあの非道な研究をしている組織の捜査に入りたいという焦りからそう言った。
「神前。カウラが制服じゃまずいだろ?一応、極秘捜査なんだから。あんな化け物が東都の人気のないところに年中捨てられてますなんて世間様にふれて回る気か?それに捜査をする場所が場所だ。あそこの住人は政府から自分達が捨てられた存在だと思い込んでる。警察や政府をまるで信用するつもりもねー。そんな住民を刺激しないためにも制服姿はまずいんだ」
ランは諦めた顔で誠に向けてそう言った。ランの目は氷のように冷えていた。
そこは一度繁栄した港町の外れ、今では焼け落ちた建物と錆びた看板だけが残る地帯だ。
住民の多くは政府から見放されたと信じ込み、軍服や警察徽章を見ただけで牙を剥くこともある。確かに今のカウラは東和警察に似た司法局の勤務服である。しかも租界の付近の廃墟の街の住人が軍服を見れば何を勘繰られるかわからないことくらい誠にも想像がついた。
「大丈夫だ。ちゃんと平時の服も更衣室に用意してある。常に臨機応変に任務に対応すべし。常に貴様もクバルカ中佐に言われている事じゃないか」
そう言うと機動部隊の詰め所へ向かう誠達と別れてカウラは女子更衣室に消えていった。
「それじゃあ……って何かすることあるのか?ちび」
かなめの言葉に振り返ったランは明らかにあきれ果てたと言うような顔をしていた。
「一応オメーも勤め人だろ?詰め所で端末の記録をのぞくくらいの癖はついていても良いんじゃねーのか?」
そう言ってランはそのまま機動部隊の詰め所に入った。
「言い方を少し考えろっての。なあ」
かなめはそう誠に愚痴ってその後に続いた。
機動部隊の詰め所でメールチェックを済ませると、ランは誠達を引き連れてハンガーに向った。
ハンガーはやはりいつも怒鳴り散らしている元気だけが取り柄の島田がいないと言うことで閑散としていた。何か足りないその光景に誠は背後で真面目な表情でジャケットの下に隠したホルスターの中の銃を気にしている島田に目を向けた。島田はなれない銃の持ち歩きに戸惑っているようで誠の視線が自分に向いているのに気が付くと苦笑いを浮かべた。
「銃は受け取ったんで……じゃあ、俺はパーラさんの車を少しいじってもいいですかね」
島田は右手をまるでレンチを握るような動作をして見せて先頭を歩くランに声をかけた。
「そんな言い訳があるか!仕事優先だ!」
非情なランの言葉を聞くと島田は口を尖らせ、工具をいじる真似をしながら肩を落とす。
「せっかく『初代ランエボ』のエンジン調整できると思ったのに……あんな状態の『初代ランエボ』なんてめったにお目にかかれないんですよ?」
ぼやく声が子どもじみて、サラも思わず苦笑した。島田にとっては任務よりもパーラの『ランサーエボリューション』を弄る方が面白い事だというように明らかに気落ちした表情でそう言った。
「オメー、そんなに車がいじりたかったら自動車整備工に転職しろ!アタシ等の仕事は武装警察だ!その仕事中だろ?」
振り向いて叫んだランの言葉に島田は肩を落とす。サラは微笑んで彼の肩を叩いた。
「ふざけてないで行くぞ!」
ランに引っ張られるようにして皆はそのまま階段を上がった。ガラス張りの管理部の部屋の中では先月までの部長代理の菰田に代わり、管理部部長として赴任した東和国防軍から派遣されたキャリア官僚の高梨渉参事官が菰田を立たせて説教をしていた。
「島田。さっきから落ち着きが無いな……そんなにパーラの車が気になるか?なんならアタシがアイツと同じ目にあわせてやろうか?教導隊じゃあアタシも平気で二、三時間説教するなんてざらだったぞ?まあ、その中で一番長かったのがオメーに対するオメーをパイロットから降ろす時の説教だがな。あん時は一日中説教したからな、飯抜きで」
ランの言葉に苦笑いを浮かべた島田はそのまま早足に実働部隊の待機室を通り過ぎて会議室に向かった。
「冗談の分からねー奴だな」
ランは逃げていく島田を見ながらそう言って苦笑した。
「すまん、遅れた」
スタジアムジャンパーに着替えたカウラがそう言いながら会議室に向う誠達に合流した。
「それじゃあ、第三会議室。いくぞー」
かなめはその有様を見ながらにんまりと笑って、まだ嗚咽を繰り返している誠の肩を叩いた。
会議室の扉の中ではすでにアメリアと島田、そしてサラが茜の説明を受けているところだった。第三会議室は質素な金属製のテーブルと折りたたみ椅子が並ぶだけの狭い部屋だった。
壁際には古い電子端末がうなりを上げ、港湾地区の地図が青白く浮かび上がっている。
先客の茜たちはコーヒー片手に席に着き、これからの危険な任務に向けて表情を引き締めた。
「ああ、いらっしゃいましたのね。ラーナさん。来た方にコーヒーを入れてあげて。それから説明をお願いするわ」
茜は落ち着いた様子で端末のキーボードを叩いていたラーナに声をかけた。
「了解っす!」
元気よくラーナは立ち上がるとそのまま会議室の奥にあった応接セットの報に足を向けた。
「とりあえず、コーヒーでもいかが?急いでも何にもなりませんもの」
笑顔でそう言う茜にラーナ微笑みかけると手際よくインスタントコーヒーを準備して腰かけた誠達の席に順番に並べていった。
「コーヒーもいきわたりましたわね。それじゃあ、説明を再開しましょう」
そう言うと茜は再びアメリア達に説明を始めた。
「じゃあ、よろしいっすか?クバルカ中佐」
ランのとてもこのチームを率いるリーダーとは思えない小さな頭が誠の視界の中でわずかに揺れていた。
「おー始めてくれ」
ランはすぐに携帯端末を開く。誠とカウラもすぐにポケットから手のひらサイズの携帯端末を開き、その上方に浮かぶ港湾地区の地図に目をやった。かなめは黙って目をつぶっている。誠は彼女がいつものように脳内と直結させて情報を仕入れているのだと思った。
「今回の捜査っすが、嵯峨警部と私、それにクラウゼ少佐、グリファン少尉、島田准尉のチームとクバルカ中佐、ベルガー大尉、西園寺大尉、神前曹長のチームに分かれるんす」
ラーナはいつもの口調で、簡単に捜査のチーム分けを発表した。
「誠ちゃんとは別チーム。残念ね。と言うか……かなめちゃん!誠ちゃんに変なことしたら承知しないわよ!今朝の件もあるんだから、かなめちゃんは姉妹で全く変態の家系を背負ってるからと言って誠ちゃんを変な世界に引き込まないでね!」
アメリアは湯気の立つコーヒーを飲みながら落ち着いた調子で誠と一緒のチームになれなかった不満をかなめにぶつけた。
「誰がだ!変態はかえでだけだ!アタシは鞭で打ったり縄で縛ったりするのは好きだがされるのは嫌いなんだ!それとアタシが寝るとき裸なのはいつもの事だ。取り立てて騒ぐことじゃねえだろ!」
アメリアの茶々にかなめがお約束で怒鳴り返した。ただ、内容は自分はサディストの変態だと言う内容だった。それを無視してランはせかすような視線をラーナに向けた。
「港湾地区のエリアっすが、私達は主に陸地側と官公庁を担当、クバルカ中佐達はそれより租界側と租界内部の調査をお願いするっす」
ラーナの言葉が当然と言うようにかなめが頷いた。
「西園寺、テメーの租界の中の人脈はどうなんだ?使えるか?」
小さなランの頭がかなめに向き直る。
「あてには出来ねえな。実際、三年前の同盟駐留軍の治安出動でやばい連中はほとんど店じまいしたって聞くしな。それに叩けば埃が出る連中に会おうってのにカウラみてえな堅物をつれて回ったら何にもしゃべるわけがねえよ……てか肝心のこの研究のスポンサー連中の捜査はどうすんだよ。今聞いた限りじゃ末端の研究施設を見つければ御の字みたいな口ぶりじゃねえか」
そう言って隣のカウラを見る。誠も私服を着ててもどこか軍人じみたところがあるカウラを見て苦笑いを浮かべた。
「愚痴るなよ。アタシだってそうしてーのは山々なんだが……物事には順序があるだろ?お役所のお偉いさんに証拠もなしに噛み付いたらアタシ等の首だけじゃすまなくなるぞ。前にも話したがこんなあからさまに珍妙な研究をしていることの証拠を残すってことは偉いさんのお墨付きがあると考えるほーが自然だ。そうなれば……オメーも組織人なら気を遣え」
ランは明らかに不機嫌な調子でそう吐き捨てた。彼女もかなめの言うことは十分分かっているが組織人としての経験がかなめの無謀な行動に釘を刺して見せた。
「じゃあ捜査のチーム分けはそうするとうちのチームは必然的にアタシと西園寺。ベルガーと神前の組み合わせになるな。いつどんな法術師に出会うとは限らねーからな。アタシか神前で法術師に対応することになる。西園寺とベルガーが支援だ」
ランの言葉にカウラをにらむかなめだが、すぐに何かを思いついたように黙り込んだ。
「でもどう調べれば良いのですか?人体実験を行うそれ相応の規模のプラントなどなら警察や諜報機関が察知していても良いはずなのに……そちらの情報は無いんですよね」
確認するようにカウラがラーナに尋ねると、彼女はその視線をかなめに向けた。
「まあ諜報機関はあてにならねえな。あいつ等は上層部の意向で動いている連中だから情報つかんでいても上のOKが出ない限り口は開かねえ。そっちからの情報は叔父貴が掴んでるかもしれねえが、あの『駄目人間』アタシ等を試すつもりで何かを知ってるのは明らかなのにだんまりだ」
かなめの言葉に茜の頬がピクリと動いた。嵯峨は明らかに娘である茜に試練として今回の任務を与えている。誠にも嵯峨が会えて知っている情報を茜に教えないことがいわゆる親心というものなのだろうと感じられた。
「まあ、あの『駄目人間』が頼りにならないとしてもだ。現地に張り付いて地理には詳しいだろう東都警察の方は湾岸地区はお手の物だが、その権限が駐留軍の専売特許で手が届かない『租界』内部に今回のプラントを作った連中の本拠があるなら権限がとどかねえしな。ただでさえ沿岸の再開発地区の広すぎる地域をカバーするはずの警察ですら人手が足りないくらいなんだ。アタシ等の捜査に協力する人員などゼロだろうな。まあ諜報機関の情報を横取りした叔父貴がヤバいと踏んで正式な要請があれば動くだろうが……ホシが逃げる準備が十分できるようなローラー作戦意外考えつかねえ連中だ、当てには出来ねえよ」
かなめはそう言うとランを見つめる。
「それにだ。非合法とは言え明らかに先進的な法術覚醒や運用の技術を持ってる連中が相手とすれば、その情報を欲しがっている国の庇護を受けている可能性もある。そうなれば相手はチンピラじゃなくて非正規部隊だ。お巡りさんの手に負える相手じゃねーよ。それこそ戦争の名を借りない戦争。ひでー血の海を見ることになる」
そんなランの言葉に誠は握り締めていた手に力が入る。
「でもそれなら僕達でなんとか出来るんですか?」
誠の顔を見てランが不敵に笑った。
「神前。上はそれだけのオメーを評価しているってことだ。ラーナ、とりあえず捜査方針とかは後でアタシのデータに落としといてくれ。行くぞ!こんなところでくっちゃべっただけじゃ始まらねーだろ?」
そう言ってランは椅子から降りる。誠はそのいかにも見た目が8歳の幼女にしか見えないそのかわいらしいしぐさに萌えを感じてしまった。美少女アニメオタクである誠の目にはまさに『萌え』の象徴としてランの姿は輝かしく見えていた。
「ロリ!ペド!」
かなめはランに目をやる誠いつにないきらきら光る眼を見て頭を軽く叩くと会議室の扉に手をかけるランの後ろに続いた。
まさにチョコチョコと先頭を歩いて進むランを誠は萌える瞳で見つめていた。
「おい、さっきから目つきが怪しいぞ」
かなめは今度は誠のわき腹を突いた。カウラは呆れたようにため息をついた。
「おう!ちょっと任務で出かけてくる!しばらくは連絡や報告は携帯端末にしてくれ」
本来は隣にある菱川重工豊川工場で訓練しているはずの日野かえで少佐達、第二小隊の姿が見えたが、ランの言葉を聞くとかえで達はいつもの異常な行動をとることもなく黙ってうなずいていた。
「やはり他の隊員にも秘密なんですね」
誠の言葉に真剣な表情でランが振り向いた。
「例のかつて人間だったものを公開するわけか?パニックが起きるだけだな……それに日野も法術師だ。クバルカ中佐の配慮と言う奴なんだろう」
そう切り捨ててカウラはそのまま階段を下りた。




