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妻が貴族の愛人になってしまった男  作者: 重原水鳥
第二粒 ルキウスと狩猟祭

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【85】ルキウスⅤ

 ちょうどよく区切りがなくいつもより長いです。

 墓掘りによって、両親は丁寧に埋葬された。


「墓石にはなんと?」


 墓掘りの言葉に、暫くルキウスは墓石となる石を見つめながら、答えた。


「……エッボとズージ、と」

「分かりました。確認いたしますが、綴りはこちらでよろしいですか?」


 墓掘りが地面に、枝で名を書く。


 Ebbo


 Susi


 そう書かれた文字を見たとき、ルキウスは少し泣きそうになった。


「……問題ありません」

「名以外には何か刻まれますか?」

「いいえ。必要ありません」

「畏まりました」


 墓掘りは慣れた手つきで、墓石に言葉を刻んでいく。そしで無事に、墓石にはエッボとズージ、二人の名が刻まれた。


 それから暫くの間、ルキウスは一人、墓の前にしゃがみこんでいた。ルイトポルトたちは先に馬車に戻っているので、満足したら馬車に戻ってきてくれと言ってきていた。墓掘りはもう帰っている。


 ずっと願っていた両親の平穏は、叶ったのだ。


(これで父さんも母さんも、もう苦しむことはない)


 安堵や喜びがある。

 なのに、なんだか、それ以上に、空しさを感じるのは……どうしてだろうか。


「俺は……何したらいいんだろう……父さん、母さん……」


 返事はない。質問自体、言ったルキウスにも意図がよく分からなかった。

 墓石に頭を預けて、ルキウスは暫くの間沈黙の時を過ごした。


 ルキウスが馬車に戻ったのは大分経った後だった。随分と待たせたはずなのに、ルイトポルトはまだ待っていた。


「申し訳ございません。長らく……お待たせしてしまい」

「謝る必要はない。ルキウス、お前を待っていたのは、私が待っていたかったからそうしていただけなのだから」


 ルイトポルトはそう言って笑った。

 初めて出会った頃によくしていた笑顔に比べると、随分と幼さが薄れた笑顔だった。


「……ルキウス。お前の両親の墓を作るという一番の願いは、今日叶った」

「はい」

「それでもお前は……まだここにいてくれるか?」

「私には……他に行くべき場所は、ありません。……するべき事も、もう、ありません」


 喪失感は、人生の目的を失ってしまったが故だろうとルキウスは思った。思えば幼いころから、ルキウスはといえば、いつも何かの目的のために動いてばかりで……何もする事がないと感じるのは、珍しい事なのだ。


(だからこんなに、空しいのだろうか)


 胸に手を当てて考えるルキウスの横で、彼を見上げながらルイトポルトは言った。


「なら私の傍にいてくれないか」


 ルキウスはその声に何か必死さを感じて、不思議そうに少年を見下ろした。風が、ブラックオパール家特有の不思議な色彩の黒髪を揺らす。


「私は……もうすぐ成人し、社交界に出る。そうなればきっと、分家の者たちから側近候補を見繕い、将来傍に置く人間を選ぶ事になる。……少し、不安なんだ。今まであまり、同年代とは過ごさなかったから……今更、年が近い者たちと親しく出来るかどうか」

「ルイトポルト様でしたら、問題ないように思います」

「ふふ、ありがとうルキウス。でもやはり……初めてする事は、少し怖いよ。……だから一人でも多く、信頼できる者に傍にいてほしいんだ。トビアスやオットマーのように。……ルキウス。君にも、傍にいてほしい」


 ルイトポルトはルキウスに手を差し出した。


「君を頼りにしているんだ、ルキウス」


 ――お前が頼りなんだ、ゲッツ。


(あ……)


 まるでリフレインするように、ルキウスの中で声がする。それは、昔、よく、聞いていた男の声だった。


「君が傍にいてくれたら、私はとても心強い」


 ――お前がいるだけで、どれだけ心強いか!


(そうだ、いつもいつも、お前はいつも俺にそう言った)


 目の前にいるのはルイトポルトなのに、全く別の人間の顔ばかりが、ルキウスの目に浮かぶ。


 ドッドッドッと心臓が強い音で脈打った。


 ――俺らを助けてくれよ、ゲッツ!


「私を……支えてくれないか、ルキウス」


 ルイトポルトの瞳が、まっすぐにルイトポルトを見つめていた。それを見た瞬間ルキウスにまとわりつく幻聴は消えた。


 ルキウスは強く目をつむり、大きく頭を振った。その動作にルイトポルトは少し驚いたようで肩を跳ねさせた。


「る、ルキウス?」

「私を……俺をそんな目で、見ないでください……っ」


 暖かい、優しい目だ。

 彼は大切に育てられて、他者を思いやる事を知っている。貴族だから、平民目線では時折ずれている事もあるけれど……でもとても素敵な大人になるのだろうと、簡単に想像出来る。

 ルキウスにとってのルイトポルトはそんな少年だ。

 宝石のようにキラキラして、輝かしい未来を歩むのだろう子供だ。


「俺にそんな価値はない。俺はなんにも気づかず、ばかみたいにあいつらを信じて、あっさり捨てられた……」


 信じていた。妻を、義理の兄を。

 一番信じていた者にあっさりと裏切られて、捨てられた。

 ルキウスはその程度の価値しかない人間だ。


 間違っても、ルイトポルトに信頼を向けられて、横にいる事を望まれるような素晴らしい人間ではない。


「どうして俺にそこまでよくするんだ。貴方も、伯爵家の人々も。俺なんかに! どうして!」


 八つ当たりだ。なんて失礼だろう。

 平民が貴族にこのような口を効けば、怒りを買って簡単に切り捨てられる。


 でもルイトポルトはそんな命令を口にしなかった。傍にいるトビアスもオットマーも、腰に佩いている剣を鞘から引き抜いてもくれない。馬車の御者や同僚も、ルキウスを咎める声を上げてこない。


 まるでルキウスの感情を見つめて、寄り添おうとしているかのように。


(どうしてそんな優しさを俺に向けるんだッ)


 せめて彼らが普通の貴族らしく、簡単に平民を踏みにじってくれれば……そうしたらルキウスはこんな思いをしなかっただろう。


 単純に、貴族を、嫌いでいられただろうに。


(もう無理だ。俺は彼らを知っている。平民相手にも、笑顔を浮かべて話しかける彼らを……)


 ルキウスは両手で頭を抱えた。


「俺なんかに、なんで期待する。俺みたいな奴に、なんで!」

「なんかじゃない!」

「っ」

「ルキウス。お前はなんかなんて言葉を使われる人間じゃない。お前がお前をそう思っても、私はそんな風に思わない」


 ルイトポルトはルキウスの片手を握った。


「お前の過去を私は知らない。でも、私はルキウス、お前を知っているよ。お前がこの屋敷に来てからこれまで、お前がどんな風に生きていたかを知っている。――武器を握るのは本当はそんなに好きじゃないだろう? でも私の願いを聞いてくれて、ずっと弓の練習をしてくれたな」


 ルキウスの手は、長らく鍛えられた結果できたタコだらけだ。


「文字は読めるし書けるけど、本はあまり好きじゃないよな。でも計算は割と好きだし、地図を見るのは好きだろう? あと、馬も好きだよな。乗るのも上手い」


 確かに、同じルイトポルトの授業でも、数字を見たり地図を見る授業はそこまで眠いとも詰まらないとも感じた事がない。

 馬も確かに、動物の中では特に好ましいと思っている。


「私が普段食べているようなパンより、黒麦パンの時の方が好きだろう。少し大きくチーズを切り取られたときは、いつも嬉しそうにしている」


 共に遠出に行ったときの事を言っているのだろう。遠出で、出かけ先で食事をするとき、思えば、いつからか黒麦パンがいくつか入るようになっていた。ルイトポルトが黒麦パンを食べているのは、見た記憶がない。

 チーズも、いつのころからか、ほんの少しだけ大きく切り分けられる事がよくあって、内心、少し浮かれていた。


「私だけじゃない。伯爵家のみんながお前に優しいのは、お前が他人に優しいからだ! お前が周囲に優しいから、周囲もお前に優しく接しているんだ。お前がいつも仕事にまじめに取り組むから、トビアスにひどい目に合わされても逃げなかったから、お前を認めたんだ。……それはお前が成した、お前の功績なんだ」


 ルイトポルトはルキウスの手を強く強く握りしめながら、己の従僕を見つめた。


「お前の努力を、お前が否定するな」


 膝から力が抜けて、ルキウスはその場に崩れ落ちた。ルイトポルトだけでなく、トビアスやオットマーらも慌てた様子で駆け寄ってくる。


「ルキウス。大丈夫か!?」


 ルイトポルトの声を聴きながら、ルキウスは残っている目を自分の手で……ルイトポルトに握られていない方の手で抑えた。


 片目で良かった。片手で簡単に、自分の目を隠すことが出来た。


「……わたしは、わたしは何も知りませんルイトポルト様。貴族様のしきたりも、マナーも、貴方がたの普通も。……私が傍にいても、私の無知で、貴方に迷惑しかかけません。狩猟祭だって」

「狩猟祭の事は、誰もちゃんとお前に説明しなかったこちらの不手際じゃないか。何一つ気にする事はない。それにマナーや無知が気になるというのなら、私と勉強をしよう。私だって、マナーはまだまだ全然だぞ。家庭教師には怒られてばかりだ。私の家庭教師に習うのが厭だったら、他の者に頼めばいい。お前にいろいろと教えるのは、喜んでやりたがる者がきっと沢山いる。みんな、お前の事が好きだからな。なあ?」


 ルイトポルトが周りに話を振ると、トビアスもオットマーも、御者らも頷いた。本心は分からないが、それでも、ルイトポルトの言葉に対して肯定的な反応をしてくれたのだ。


 ぐすりと、鼻水をすする。


「わ、だし」


 唇が震える。怖かった。少しでもその胸の内を他者に開くのが。

 もうルキウスは知っている。好意はあっさりと踏みつぶされると。

 だから結局、最初に言おうとしたとてもシンプルな言葉はしまい込んで、ルイトポルトの手を握り返した。


「お仕え、します」


 それ以上の気の利いた言葉など吐けないルキウスに、それでもルイトポルトは嬉しそうな笑顔を浮かべたのだった。

 ルキウスと狩猟祭編、ここで終了です。

 次の章はもう少しテンポよくいく予定です。

(騒ぎの結末がはっきりしていないキャラなどもおりますが、次章でわかります。ただ、強いざまぁをご希望の方には恐らく満足いただけない形で一旦着地します)


 暫くお時間をいただいて、続きます。

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[良い点] 文章がうまい。設定も良いし人物も魅力的で飽きない。 [気になる点] ざまあはすでにされているのかどうか [一言] モーニングで連載できるレベル。無理ない頻度で設定やストーリーをきちんと練り…
[一言] もしかしてヒロインはルキウスだったのか!って位ルイポルトイケメン
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