【74】不審者の襲撃
普段より長めになってしまいました。
――ルキウスが後夜祭の会場で人々に囲まれ始めた時。
暫く彼らの様子を離れたところから見ていたメルツェーデスであったが、どうにも人が途切れる気配がない。
本当は声をかけようと考えていたメルツェーデスだが、人に囲まれてやや顔色の悪いルキウスを見て、考えを改める。何も今日急がずとも、伯爵家の屋敷に帰った後でも問題はないのだ。
ルキウスがメルツェーデスのハンカチーフを持っていたのはルイトポルトのハンカチーフが無くなってしまっていたからだ。もしルイトポルトのハンカチーフが残っていれば、メルツェーデスの元に来る事はなかっただろう。
偶然による一時的な主従関係であったが、彼の活躍のお陰でメルツェーデスは助かった。
もしバルナバスが全体の優勝者になんてなっていれば、間違いなく伯爵から褒美が何が良いか尋ねられた時に、メルツェーデスとの結婚を望んだだろう。
だがルキウスのお陰で、バルナバスからの求婚に対して即返事をしなくてはならないような場面は消えた。勿論個別で、素晴らしい獲物を仕留めた事は称える必要はあるが……それは後日、手紙を添えて品物を送れば済む話。
恐らく参加者の殆どは、ルキウスの巨大な肉食ペリカンのインパクトにより、バルナバスが仕留めた大きな肉食ペリカンの事など覚えていない。バルナバスもあの巨大な肉食ペリカンを前に、ルキウスより上の褒美を強請るなんて事は出来なくなった。まあ、大勢の前でルキウスを貶めようとしてはいたが、その印象が強い今だからこそ、余計にバルナバスはメルツェーデスに求婚など出来ないはずである。
その辺りの感謝をルキウスに告げたかったのだが、彼の迷惑にはなりたくない。そう思いながら動こうとしたとき、数人の貴族男性がメルツェーデスに声をかけてきた。
「これはこれは、伯爵の妹君」
そういって声をかけてくる人物の大半は、メルツェーデスより年上の男性だ。
当たり障りのない返事をしながら、メルツェーデスは心の中で息をついた。
(本日は本当に、こういう声掛けが多いわね……)
やってくる男性はパートナーの女性がいないか、いたとしても明らかな距離を置いて行動しているような年上男性ばかり。
……年上な事や異性な事が問題なのではない。
困るのは、彼らの大半が、バルナバスとそう変わらない目的で声をかけてきている、という事である。
要は後妻であったり、愛人的立場にメルツェーデスを誘いに来ているのだ。
違いは、バルナバスがこれから先家を継ぎ跡継ぎを作る必要がある立場なのに対して、声をかけてくる年上男性は妻と死に別れていたり既に嫡男がしっかりといる、という事か。
(バルナバス・ファイアオパール卿よりは妥当なのですけれど、今日は特に多いわね。ルキウスのハンカチーフの主人として目立ったからかしら……?)
メルツェーデスは別に、再婚そのものに後ろ向きなわけではない。
離縁直後は流石に落ち込んで即座に気持ちを切り替えて再婚とは言い難かったが、今は落ち着いている。ルイトポルトが成長していくに従い、自分も次に進もうと思えるようになった。なので再婚――それが後妻という話でも、ブラックオパール伯爵家に利を与える条件を持つ者であれば、メルツェーデスもやぶさかではない。なんなら自分の抱える問題から、再婚相手には既に嫡男がいて、その嫡男にも子供がいれば尚好ましいと思っている。
メルツェーデスも貴族の女だ。家の為に嫁ぎたいし、嫁いだ後は嫁ぎ先の為にも動きたい欲がある。
(――それでも、バルナバス卿と再婚は、出来ないわ)
出戻りの子が作れない女。本来であればバルナバスからの求婚に文句を言える立場などでは全くない。
だが……彼女にも心があるので、バルナバスは受け入れがたいのだ。
一つは繰り返しになるが、子供が作れないだろうという問題。相手は嫡男だ。結婚後、その問題は必ず浮上する。……それとも表に出しづらい本命がいる故に、子作りに関して文句を出せない嫁が必要なのか? そのあたりは不明のままだ。
もう一つは、彼と結婚すれば、必然的に前夫であるファイアオパール伯爵と顔を合わせる回数が多くなるだろうという問題だ。
バルナバスに嫁ぐということは、ファイアオパール一族の人間に再びなるという事。しかも分家の当主夫人であれば、本家当主夫妻らとの顔合わせは避けられない。
メルツェーデスの心情的にも前夫と会う頻度の高い家には嫁ぎたくないし、そのような家にメルツェーデスが嫁げば、前夫も……前夫の現在の妻も、良い気はしないだろう。
そのあたりの理由からメルツェーデスはバルナバスに嫁ぎたくないのだ。
もし伯爵に「我が儘である」と判断されれば、その言葉も飲み込んで嫁ぐのだが。……今のところ、伯爵はメルツェーデスをバルナバスと結婚させる気は、ないようである。その事に、安堵した。
声をかけてきた男性との会話を切り上げて、会場の壁際に用意されている衝立の向こう側に行く。そこにいた侍女の一人がメルツェーデスの顔色を見て、心配そうな顔をした。
「メルツェーデス様! 顔色が悪うございます。別室でお休みになられた方がよろしいのでは……」
「……そうね。少し、休もうかしら」
メルツェーデスは侍女の手配で会場の外へ出た。大広間の外の廊下に出て歩く。
そうして控室の一つにやってきたメルツェーデスは、椅子に腰かけた。侍女の一人が窓を開けると、夜風が入り込んできて気持ちが良い。
「失礼します。お飲み物をお持ちいたしました」
「ありがとうジゼル」
ジゼルが持ってきてくれたそれに手を伸ばそうとしたその、瞬間であった。
バンッと、ノックもなしにドアが開かれる。
「きゃああ!」
侍女たちが悲鳴を上げた。
メルツェーデスも驚き、立ち上がる。
突如入ってきたのは、五人の男たちだった。全員、使用人の服らしい物に身を包んでいるが、ブラックオパール伯爵家で雇われている者達ではなかった。
五人全員が深く帽子を被っており、目元が辛うじて見える。
「な、何者ですか、貴方たちッ! 淑女が休まれている部屋に断り無く入ってくるなど、失礼極まりありません! 名を名乗りなさい!」
ジゼルはメルツェーデスを庇うように立ちそう叫んだが、中心にいた男はそんなジゼルを蔑んだ目で見下ろした。
「煩い。侍女如きが指図するな!」
「キャッ!」
「ジゼル!!」
中心の男に勢いよく横に突き飛ばされたジゼルはボールのように壁にぶつかり、そのままずるずると倒れ込んだ。そのまま、ぴくりとも動かない。
「いやあああッ!」
メルツェーデスは堪らず、悲鳴を上げた。
「じ、ジゼル。ジゼル! いやっ!」
「いけませんメルツェーデス、いけませんっ」
ジゼルに近づこうとするメルツェーデスを、侍女の一人が後ろから抱きしめ、窓際へと寄り、男たちから距離を取ろうとする。
震えていた侍女たちは顔色を真っ青にしながらも、主人であるメルツェーデスを守るために周囲に固まった。
明らかに怯えて不利な状況の女たちを見ながら、恐らくリーダー格なのだろう、中心の男はゆっくりとメルツェーデスたちに近づきながら言った。
「メルツェーデス・ブラックオパール様。貴女には、我々と共についてきていただきたい。これ以上痛い目には会いたくないでしょう? 貴女も――侍女も」
メルツェーデスは倒れ込んでいるジゼルをちらりと見て、自分の周りにいる侍女たちを見た。
サッと、彼女の思考が冷えていく。最も付き合いの長いジゼルが暴力を振るわれた事で動転してしまったが、主人である自分が落ち着いていなければ、侍女たちは何もできなくなってしまう。
流石の切り替えの早さであった。
背筋を伸ばし、メルツェーデスは自分を囲う侍女たちの外へと出た。
「メルツェーデス様っ」
「大丈夫よ。ありがとう」
侍女たちが主人を引き止めようとするが、その手をそっと優しく包んでから、改めて五人の男たちと向き直る。
リーダー格の男はメルツェーデスが自分の指示に大人しく従ったのだと思い、ニヤリと笑った。
「早くに決断して下さり、助かりますよ。さ、我々に付いてきて――」
「貴方。ファイアオパール伯爵家に度々出入りしていた分家の方ね」
「――は?」
男の言葉を遮ってメルツェーデスが発言すると、リーダー格の男は顔を歪めた。予想外の発言を受けた。
「な、何を。ファイアオパール? 違いますよ。私は――」
「わたくしを誰だと思っているのかしら」
誤魔化そうとする男の態度に、メルツェーデスは不愉快そうな表情を浮かべた。扇を持っていれば、きっと顔を扇で隠しながら発言していただろう。そういう雰囲気であった。
「わたくしはブラックオパール伯爵家の娘として生まれ育った女よ。日々家に出入りしている人間の顔は記憶しています。――勿論、わたくしが嫁ぎ一時的ですが女主人として過ごしていた、ファイアオパール伯爵家に出入りしていた人間の顔も、覚えております」
そこで少しだけ言葉を区切り、メルツェーデスは今更顔を隠そうという動作をしているリーダー格の男を見据えながら、言った。
「……ああ、思い出しましたわ。貴方は確かローナルト・ファイアオパール男爵でなくて?」
リーダー格の男の顔色が、完全に変わる。他の四人の不審者たちも挙動不審になって、リーダー格の男を見た。それは図星を突かれた人間の反応だった。リーダー格の男以外は見覚えのない顔ばかりであったが、反応からして彼らも同じくファイアオパール家の人間なのだろうと察すことが出来た。
「一度は嫁いだ身ですが……今のわたくしは離縁し、生家に戻った女。この身はブラックオパール伯爵家のもの。そのわたくしに手を出すという事は――ファイアオパールは、ブラックオパールと事を構えるという意思を示している。そう、受け取ってもよろしいのでしょう?」
「そんな大事じゃないっ! 我々はただ、あの方に頼まれて貴女を――」
「おい黙れ!」
一人の男が、メルツェーデスの言葉に慌てて叫んで否定するが、核心的な事を言いかけて、リーダー格の男に頬を殴られた。お喋りな男は頬を抑えながら前かがみになった。
「ペラペラと喋り、時間を稼いでいるつもりか? 貴女は大人しく、我々について来れば良いんだ! 妙な手間をかけさせるなっ!」
リーダー格が唾を飛ばしながらそう叫んでも、メルツェーデスはもう怯えない。冷たい目で自分を睨む女にリーダー格は顔を赤くしながら、メルツェーデスの腕を強くつかんだ。侍女たちがメルツェーデスを助けようと飛び出すが、それを他の男たちが抑えて引き離す。
「わたくしの侍女に手をッ!」
メルツェーデスが叫び、リーダー格は自分たちが有利に立ったと確信して笑みを深めた――次の瞬間。
メルツェーデスは自分のすぐ後ろの窓枠に、何かが足をかけた事に気が付いた。それは勿論、対面している犯人たちも同じである。
「おまッ――」
リーダー格が言葉を発する事が出来たのは、そこまでだった。次の瞬間、リーダー格の顔はメルツェーデスの後ろから飛んできた足に蹴り飛ばされていた。その勢いでメルツェーデスを掴んでいた腕は離れ、メルツェーデスはふらつきながら窓枠に体を預けた。
バランスを崩したリーダー格の男を、窓から現れた存在が抑え込む。その姿を見て、メルツェーデスは目を丸くしながら彼の名前を呼んだ。
「ルキウス……!」




