【3】ゲッツⅢ
次の日、ゲッツは顔の右側を布で覆って、商店に向かった。エッダの実家だ。
商店の店頭で水を撒いて掃除をしていたエッダの兄フーゴは、ゲッツを見ると顔色を変えた。その表情の変化で、ゲッツは自分が歓迎されない事を知った。
「ゲッツ……」
「フーゴ。エッダが……エッダが家にはもう帰らんと」
そこまで言った瞬間、フーゴは顔色を変え、手に持っていた水をゲッツにぶちまけた。
「二度と我が家に来るんじゃねえ! よそで女こさえて子供まで作ったらしいなぁ!」
「何、何言ってるんだ!? そんな事してねぇ!」
ギョッとして叫べば、フーゴはゲッツの言葉をかき消す音量で騒ぐ。
「エッダがどんだけ泣き暮らしたと思ってやがる! やっぱお前みてぇな、外に行かなきゃ女一人養えねぇやつにエッダをやるんじゃなかった!」
フーゴは手に持っていた掃除道具をゲッツに投げつけた。
わけの分からない話に困惑していたゲッツだったが、フーゴの大声で集まってきた人々は彼の言葉を信じ、ゲッツを冷めた目で見始めた。
「エッダちゃんを泣かせるなんて!」
「帰んなクソ男!」
エッダは商店の看板娘として愛されていた。彼女の実兄であるフーゴがここまで怒り狂えば、よく知らぬ人々は皆フーゴを信じ、エッダを哀れみ、ゲッツを罵倒した。ほうぼうから石や砂まで投げられて、ふらふらとゲッツはその場を逃げ出すしかなかった。
かつては義理の兄弟として笑い合い、ゲッツが遠方から帰ってくると「お疲れ様! どっかの美女によそ見したりしてねえだろうな?」とからかってきていたのに。どうしてフーゴが突然ゲッツが浮気をしていたなんて事を言い出したのか、分からなかった。
呆然として家に帰ってきたゲッツだったが、彼はエッダの実家の力を甘く見ていた。出掛ける気力も失い家の中で静かにしていたゲッツを襲ったのは、突如家の中に放り込まれたこぶし大程の石だった。窓が割られて慌てて外に出れば、犯人はいない。目撃していただろう隣家の人間もゲッツを見かけるとそそくさと逃げ出した。
『さっさと出ていけ!』
『不倫野郎』
家の外観にはそんな字が刻まれた。平民の識字率はそう高くない。こんな事が出来るのは、ある程度教育を受けている者ぐらいだろう。例えば……商人として書類を見る事もある、エッダの実家の商店の人間のような……。
ゲッツは必死に自分は不倫などしていないと主張したが、誰も彼に耳を傾けなかった。エッダが貴族の愛人になったと流れを教えてくれた近隣住民も老医者も、口をつぐんだ。
多くの住民たちは、ゲッツがほうぼうで愛人を作って子供をこさえ、それを嘆いたエッダを男爵様が助け出した――なんて物語を信じていた。
もうこの町にはいられない。両親の墓にまで嫌がらせを受けた時、そう思った。ゲッツの両親の墓は掘り起こされ、両親の骨はぶちまけられていた。
これには流石に、墓の管理もしていた教会が怒った。
「死人になんて冒涜を!」
教会が怒りまくって犯人捜しをしたが、町民たちは黙り込み、結局誰が犯人かは分からなかった。
その教会の人間だって、死人への冒涜に怒っただけで、ゲッツの事を浮気男と思っていたので、味方でもなかったのだ。本気で犯人を捜していたのかは分からない。もしかしたらパフォーマンスとして騒いでいただけかもしれなかった。
ゲッツは両親の骨を壺に納め、この町から出ていく事を決めた。ここまでなって、この町に居座ろうとは思えなかった。
そうして外に出るために馬か何かを借りるか、どこかの乗合馬車に乗せてもらおうとして……同僚たちから拒絶されたゲッツは、貴族の力を知った。
「何で乗れないんだ……!? 金はちゃんと払う!」
「悪いなゲッツ。おめーさんの噂に関しちゃ変な話だとは思ってるけどよ……おめーさんと乗りたいってやつらがいねえんだ。それに、おめーさんと関わって男爵様に目をつけられたりしたらよぉ……」
全ての乗合馬車から断られ、ゲッツは空を見上げた。彼の荷物は両親の骨と、多少の着替えと、ほんの少しのお金だけ。徒歩でどこの町に行くにしても、この町の近隣はどこも男爵領の町である。かの男爵様の力の届かない場所に行こうと思えば、かなり遠くまで行かねばならない。何日の旅になるか分からないが、今のゲッツは食べ物などを手に入れる事さえ出来ない状態だった。
「どうして、俺が、こんな目に……」
痛みの止まない右目を抑えながら、ゲッツは途方に暮れた。
⬛︎フーゴ
エッダの兄。ゲッツの義兄にあたる。




