【10】ブラックオパール伯爵家
ルイトポルトの家であるブラックオパール伯爵家は、“三オパール伯爵家”と呼ばれる家の一つだ。
貴族は皆宝石の名を冠するこの国において、同じ宝石を冠する貴族はよそから嫁いで来たり婿入りした者を除き、皆血の繋がった親族である。
三大侯爵家の一つであるルビー侯爵家を例にとるが、ルビー侯爵家のどこかの代の子供が独立した分家として三つの伯爵家が存在し、更に伯爵家から分かれ出た分家として子爵家、男爵家と続くわけだが、その全ての家名にルビーの名が入っている。そして、ルビーと名のつく貴族の家全てをルビー侯爵家が一族として取りまとめてもいる。一族の広がりの大きさから実質的にルビー侯爵家の庇護下でない家もあるだろうが、名目上はルビーの一族と纏められる。
この例は勿論、ブラックオパール伯爵家にも適応される。
ただオパール家は他の家と少し違い、オパールの一族を取りまとめる唯一の家というものがない。オパールの一族を立ち上げた初代当主たちは三つ子だった。この三つ子たちがそれぞれ立ち上げた三つの伯爵家の当主三人がオパール一族の纏め役となり、三者の話し合いなどで一族の方針は決められているのだ。
ブラックオパール伯爵家はオパールの一族の全権を握るわけではないが、軽視する事は絶対に出来ない程度の力を持っている。
特に、三オパール伯爵家の中でもブラックオパール伯爵家は「穏健派」と言われる事もあるため、伯爵家を頼ってくる者はそこそこ多い。逆に、家の関係者が困った人間を連れてくる事も、それなりにある。
今目の前にいるように。
ブラックオパール伯爵家で執事をしているジョナタンは、ふうと息をついて、眉間を指で押さえた。
「……なるほど。つまりその、素性不明の男はルイトポルト様の命の恩人であり、よそで冤罪をかけられて行き場をなくしていると。せめて命を助けられた分は彼を助けたいと。そういう事でよろしいですか、ルイトポルト様」
ルイトポルトは大きく頷いた。
伯爵家の前まできた御子息一行は、それは異様だった。から馬状態の馬は血だらけ(既に獣医の手に渡っている)、侍従兼護衛としてついていった騎士の一人であるトビアスの後ろには毛むくじゃらの人間が乗っている。何事だと伯爵家が騒がしくなるのは当然だった。
執事のジョナタンが前に出て事情を聞けば、まずルイトポルトが勢いよく話しだし、それが終わるとトビアスが軽やかに説明し、最後にオットマーが不機嫌そうに彼らの話を補足した。それをまとめた話がジョナタンの言葉になるのだが、当の素性不明の男は、うつむいたまま、胸の袋を放さない。そこからみえる白い骨が人骨だとすれば、下手な人間が相手をすると痛い目を見る可能性自体は否定できない。
とはいえルイトポルトやトビアスが主張する、恩人に礼をするという考えもまた、無視する事は出来ない考えであった。
「そうですね……具体的な対処については旦那様と相談する必要はありますが、ルイトポルト様を救った者であるのならば、手当を出すべきという考えは受け入れられますよ」
「ジョナタン!」
目を輝かせるルイトポルトに頷いてから、ジョナタンはトビアスを見た。
「とは言え、オットマーの懸念はもっともな話。連れてきたのですから、トビアス、貴方が彼が万が一を起こさぬように監視なさい」
「勿論です」
「オットマー。もし貴方がトビアス一人で心もとないのであれば、貴方も共に彼を監視すると良いでしょう」
「……分かりました。トビアス一人では言いくるめられかねませんから」
酷いなとトビアスは軽口を言うが、誰も触れはしなかった。
「ルイトポルト様。お部屋に戻られて疲れを癒されてください。トビアス、オットマー、私が話を通すから、まずは彼を洗ってきてくれ」
「臭いですからね……」
トビアスはしみじみ言った。水で体を洗う事すらしていなかったのだろうというほど、男からは悪臭がしている。トビアスは平然としているしルイトポルトも気にしていない様子であったが、普通の人間であれば近づいて長時間喋るのも厳しいほどだ。一度、伯爵家の他の人間のためにもこの男を綺麗にした方が良いだろうという、ジョナタンの判断だった。
トビアスに半ば引きずられ、男は伯爵家に住み込みで働いている者たちが使う風呂場へと移動した。風呂といっても、伯爵家の人々が使うようなお湯に浸かれる器具があるわけではない。自由に体を洗い流すのに使える井戸があるのだ。面倒ごとを避けるため、男用と女用で、屋敷内の真反対の位置に設置されている。
トビアスは男の服を脱がした。男は抵抗はしなかった。代わりに、胸に抱く親の骨を手放すのを酷く嫌がったが、「水浸しにするのか」とトビアスに言われて、最終的に諦めた。
頭から水を何度もかけられる男だったが、少ししてトビアスが異変に気が付く。
「髪が水をはじく」
「……長く洗っていない毛髪は水を通さないと聞いた事がある。その状態だろう」
横で見ていたオットマーがそういった。トビアスはどうしたもんかなと首をひねった。
そこへ、下働きの下男がやってきた。彼はジョナタンに言われ、この正体不明毛むくじゃら男の体を洗いに来たという。トビアスはここから先の作業を、この下男に任せる事にした。
下男はまず最初に、伸び放題になっている男の髪を切り落とした。あまりに躊躇いなく、説明もなく切り落とすものだから、最初に髪を切られた瞬間、毛むくじゃら男は酷く動揺していた。だが下男は冷徹と感じるほどに「動かんでくれ」と言い放ち、髪を切った。
顔がよく見えるようにと前髪を短く切り落とすと、下男は「うわっ」と声を上げた。何かあったのかと毛むくじゃら男の前に回ったトビアスとオットマーは、目を丸くする。
毛むくじゃら男の右目は、酷い状態だった。
右目周辺は水ぶくれが腫れあがったような跡が出来ていて、皮も一部爛れている。
何より、右目が本来あるはずの部分は、空洞になっていた。
「お前……」
トビアスたちはそう声を漏らすも、何も言えなかった。前髪がなくなって露わになった、毛むくじゃら男にとっては唯一残った目である左目が、あまりに虚ろだったから。
その虚ろな目で何を見ているのだろうと思い視線をたどれば、そこには骨の入った袋があった。
トビアスはこの男が哀れで仕方なかった。せめて男がよりどころとする親の骨を、もう少しまともな状態にしてやりたかった。
「オットマー、すまないが暫し、この場を頼む」
トビアスは半ば言い捨ての形でその場を飛び出した。オットマーは、あきれ果てたとばかりに首を横に振った。




