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【番外編】ビスマルクは大人の味

 いつもの日曜日。

 窓の外は抜けるような朝の青空が広がっている----はずなのだけれど。


(ちょっ……く、暗いんですが……)


 遮光カーテンの締め切られた部屋の中は真っ暗だった。


 私が綸子お嬢様(あ、今は恋人なのでリンコとふーこと呼び合ってはいるけれど)の寝室に入ったのは、実はこれが初めてなのだ。


 そう、初めてなのだ。

 大事なことなので二回言っておく。

 

「うーん、絶好のお出かけ日和ね」


 なのに部屋の主は朝から元気いっぱいである。

 私の激低なテンションなどものともしていない。


「あれ、ふーこなんか元気なくない?」

「……いつもどおりですが?」


 昨日からリクエストされていたサンドイッチとジュースを持ってきただけなのに、ちょっとドキドキしている。


「えと……カーテン、開けなくて大丈夫なの?」

「んー、慣れてるから平気」


(いやいやいやいや暗いから!)


 明るくしてくれという遠回しの要望は速攻却下された。


 ま、いつもの事だ。

 問題ない。


(……それにしてもいつ寝てるんだろう?)


 やっと目が慣れてきた。


 まっ暗な中で、ベッド脇のパソコンのディスプレイが、ゲームの画面だの株のチャートだのを雑多に映し出している。

 その周りには通販の段ボールの山。 


(これがリンコの部屋なんだ……)


 うん、乙女チックの欠片もないな。


 広いはずの部屋で、空いている空間はキングサイズのベッドの上だけだ。

 その上までノートパソコンが無造作に置かれている。


 (……そういえば、この子、こう見えて社長なんだもんね……つい忘れてしまいそうだけど)


 うっかりするとただのニートにしか見えないお嬢様は、それでも掃き溜めの鶴のように暗闇の中で仄白く輝いて見える。


「さて、と」


 やっと私の目が慣れてきた頃合いを見計らったかのように、ミルクティー色の髪をかき上げて、お嬢様は思いっきり伸びをする。

 大きめのイラストシャツから伸びた細い素足が少し頼りなさげだ。


 何もかもが社長と呼ぶにはいささかラフすぎるし、可愛すぎて何度も横目で見てしまう。


「……本当に今日はずっとここで過ごすんですか?」

「うん、今日は年に一度のオンゲーのイベントだからね。気合い入れないと」


 そういえば、なんか目の下に隈できてません?

「じゃ、クエスト行ってくるわ」

「まあほどほどに頑張って下さいね」


 半分は心のこもった言葉とともに私は綸子の横にお盆を置いて、さっさと退散するべくドアに向かう。


 すると意外な言葉が飛んできた。


「えー、もう行っちゃうの?」

「……いや、私がいてもやることなくないです?」


 そう答えると、


「そんなぁ……ふーこがいないと寂しいんだけど」と言いながら、少女はぬるりと抱きついてきた。

「わ、わわ!?」


 全然寂しそうには見えなかったのに、突然これだ。

 本当に、このお嬢様は私には扱いきれない。


 なのに、どうして----。


「別にさ、好きな事してていいからここにいてよ」

「……はぁ」


(まっ暗な中でできることねぇ……)


 うーん、寝るしかないじゃん。


「じゃあ、ここで二度寝します」

「……うん、いいよ」


 という訳で、何故か私はサンドイッチをぱくつく綸子の横で横になるはめになったのだった。


ディスプレイの明かりの中、カタカタと聞こえるキーボードの音が次第に遠くなっていく。


 綸子は時折画面の向こうの誰かと話している。


(チャットの時の声って、私と話している声と少し違うんだな……)


 誰かのそばで眠るのって、こんなに安心するものだったっけ? などと、とりとめのない事を思いつつ、どこかぼんやりとした幸福感に包まれながら私は結局午前中いっぱい綸子のベッドの上で過ごしたのだった。


 そしてお昼前----。


「お腹空いた!」

「ん……あれ、もうお昼!?」


 いきなり揺り起こされて、目が覚める。


 思ったよりよく寝られたので割と気分がいい----部屋の中は相変わらず真っ暗だけど。


「……じゃあお昼ごはんにしましょうか」

「するする!」


 クエストの方はひと段落ついたらしく、お嬢様はお昼ご飯モードに完全移行しているようだ。

 つられて私のお腹が鳴る。


「って、お昼もここで食べるの?」

「うん、デリバリーでお願い。一緒に食べるならピザがいいかな」


 うーん、ピザかぁ----。

 そういえばチェーン店じゃない窯焼きのピザ屋さんがこの辺りの雑居ビルにあったな。

せっかくだからそっちのピザにしよう。


「ちょっと電話してみるから待ってて」


 私は急いでピザ屋に電話する。

 お店の場所はここから歩いていて10分くらいだから、今から頼んで受け取りに行けばアツアツの本格ピザが食べられる算段だ。


「……よし、今から焼けるって」

「え、何にしたの?」

 

 それは今からのお楽しみだ。

せっかくだからカーテンを細めに開ける。


「わーい、ピザだぁ!」

 

 紙箱に入れてもらったまだ熱いピザをベッドの上に広げると、綸子はさっそく物色を始めた。


「これはマルゲリータでしょ、あっキノコのやつも美味しそう……で、これは?」

 

 少し不思議そうな顔でピザの一つを指差す。


「これはビスマルクっていうの」

「ビスマルクってあのビスマルク?」


 指さした先にはトマトソースとモッツァレラチーズとベーコンのピザ。

 それだけならなんの変哲もないけれど。


「なんで目玉焼きが乗ってるの?」


 そう、このピザには半熟玉子が乗っているのが特徴なのだ。

具はベーコンの他にソーセージだったりするけど、逆に言えば玉子が乗ってればビスマルクって呼ばれてるのである。

 もちろん名前の由来はあのドイツの宰相から取られてる訳で。


「えっ、ステーキにも目玉焼きを乗せてたの!?」

「なんかとりあえず玉子乗せたらビスマルク風らしいよ」


 えー、おじさんのくせにおこちゃま味覚じゃん、とか言いながらお嬢様はビスマルクをパクついている。


「あ、意外と大人の味って感じかも」


 なんだ、気に入ってんじゃん。


「ふーこも食べなよ。私まだやる事あるし」

「あ、ありがと」


 再びパソコンに向かった綸子はもうディスプレイの向こうの世界に没頭している。


 箱にポツンポツンと残されたピザをつまみながら、私はその小さな背中を眺めていた。

 この時間がずっと続くのも悪くないなとか思いながら

----。


「そういえば、ふーこって何しても起きないよね」

「へ?」


 そんなはずはないと思うんだけど。


 綸子はくるりと振り向く。


「エッチな事したけどグーグー寝てた」

「は!? 嘘でしょ!?」


思わず胸元のボタンを確認する私を面白そうに見ながら、お嬢様は笑った。


「うそだよーん」


 その唇の端に付いた半熟の黄身を、わたしは返事の代わりに舐め取ってあげた。

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