IF24.〜もしも嫉妬してしまったら〜
母さんとみっちり生理談義を終えた週の金曜日、午後からは学年全体の保護者会ということで、特別に今日だけ4時間授業なのである。
ということは、学年全体で雰囲気が浮ついているし、その中で唯一女の子である俺も、その1人であった。
なぜなら今日は、大宮と遊ぶ日なのだから!
誰も聞いていないような終礼を聞き終え、礼をした後机を後ろに運んでからスタートダッシュのようにクラスを飛び出した。
目指すは9組、学年で一番奥にある部屋だ。
人の流れに逆らうように走るーーーーと思ったのだが、俺が通るところはなぜか海が割れるのである。
これを利用しない手立てはない。
いつもなら埋もれて、なかなか前に進めないような廊下も、この見た目のおかげで楽できる。
女の子も、やなことずくめではないのだなぁ。
と、2クラスしか離れていない9組には気づいたらたどり着いていた。やはりモーセというのは素晴らしい力なのだなあと改めて実感する。
9組のドアの窓を覗く。まだ終礼が終わっていないようで、おじさんの先生がまだ前に立って終礼をしていた。
こういう時くらいは早く終われば良いのに…………
9組のクラスの中を見渡していると、いた。大宮だ。
顔に自然に笑顔が浮かぶ。気づいた時には口角が上がっていたのである。
早く会いたい。向こうからしたら地獄の時間の始まりかもしれないけど、俺からしたら楽しみな時間でしかないのである。
…………まるで嫌がらせかのように終礼が長い。
不意に思い立って周りを見渡すと、9組のクラスの友人を待ってる人と、各クラスの掃除当番しか廊下にいなかった。
あたかも俺の周りの世界だけが進んでしまったかのようで、少し寂しかった。
けれど、今俺は大宮を待っている。だから、寂しくない。俺の世界もちゃんと進んでるんだと思い直して、少し心が落ち着いた。
「きりーつ!気をつけ!礼!」
さようならー、と、気がつくと教室内でバラバラな礼が行われている最中であった。
すると、机が下げられて、解放されたように教室から生徒が飛び出してくる。早く帰れてはしゃいでいる者もいれば、1人で帰ろうとしている者もいる。
皆、思い思いの表情で帰っていたが、全員が全員、俺の方を見て固まり、そそくさと逃げるように去っていくのである。
ここまであからさまだと、嬉しいどころか切なくなってくるものだなぁ………………なんてしみじみ感じながら群衆を見ていた。
2人ではしゃぐ者や、廊下の待ち人と出会って喜ぶ者、そんな者もいた中で、そいつを見つける。
「坂本!」
思わず俺は手を差し伸ばして声を荒げていた。
するとその場にいた全員の動きが固まり、錆びついたロボットのようにギギギと坂本の方を見る。
肝心の坂本はというと、なんと、帰ろうとしていたのである!しかもバレないように、逃げるように。
俺の中身が日比野正樹だって知ってるだろ!なんて事を思いながら、ざまぁ、なんて小声で言ってみる。
逃げようとしたのが悪い。俺の目を誤魔化せると思うなよこの青二才が!…………え?何様だって?
「………何逃げようとしてんだよ」
今度は手をさし伸ばすどころか、しっかりと腕をホールドしていた。女の子にこうされたら、男として、強引に引き抜くわけにはいかないからだ。
「い、いやぁ、あ、あはは」
坂本は目線を逸らしてわざとらしく笑う。しかし、笑顔が引きつっていて、嘘をついているのがバレバレであった。嘘をつくかがあるのか分からないほど大根演技である。
「………おい、ちゃんとこっち来いよ」
「あ、はい………」
俺は坂本を群衆の中から引っ張り出す。坂本を羨望の眼差しで眺める生徒がほとんどだったが、坂本としては何も嬉しくない状況であったと思う。
「んで、大宮は?」
「まだ教室じゃない?」
そう言って教室の中を、廊下側の窓から見る。
するとその教室の中に、クラスの友達と仲良く話しながら机を下げている大宮を見つける。
あの友達は、見たことがある。同じクラスの、同じ水泳部の奴だったはずだ。俺が男だった時は俺の方が圧倒的に大宮と仲が良かったはずなのだが、その最大のライバルがいなくなった隙をついて大宮と仲良くなったのだろうか。
大宮は時折笑いながらも会話をしていた。なんだかとても自然で、世界に溶け込んでいて、とても楽しそうであった。
現に、机を下げようとしている手は止まったまんまである。後ろがつっかえていた。
「ほら、あそこ。あそこにいるじゃん………て、日比野?」
坂本の声が聞こえる。けれどどこか遠くの世界のように感じる。遠くの方から、俺の事を呼びかけているような、そんなぼんやりとした声。
現実が、俺から離れていく。俺が現実から離れていく。群衆の喧騒も、机を引きずる音も、自分の足音でさえ、どこか違う世界。
気がつくと何故か、俺は頭よりも先に足が出ていた。考えるよりも前に、体が前へ進んでいたのだ。
足をただひたすらに前に出して、俺はあれだけ嫌っていた群衆の中に飛び込もうとしていた。
止まる気すら起きなくて、止まろうとしなくて、あっという間に群衆にぶつかってしまいそうになる。
が、しかし、群衆は裂け目ができたかと思うと、あっという間に道が拓けてしまう。
大宮へと続くみたいに、道が出来る。俺だけの為の道が、目の前に広がる。
廊下は、先程までの喧騒が嘘のように静まり返っていた。いや、俺が勝手にそう思っていただけかもしれないが、そう思えるほどに空気が、俺の顔が張り詰めていたのかもしれない。
とにかく、世界は俺と大宮だけになったように思えていたのだ。大宮の隣にいた奴すらも、何故か頭から離れていってしまっていた。
否、大宮の友達は、俺の頭から離れたわけじゃなくて、俺がわざと忘れようとしていたのは間違うことのない事実であった。
「………大宮!」
「ん?………あー」
大宮はご機嫌そうに俺の方を見た後、現実に引き戻されたように無表情になった。
「んだよ大宮!お前日比野さんと友達なのかよ!」
と、横の水泳部クンが大宮に肘で突っついた。
俺には、その何気無い行動が、男同士のノリが、果てしなく、この上なく羨ましかった。妬ましかった。
ついこの前までは、俺が来ただけでそんな友達なんかすっぽかして遊びにいったくせに…………!
と、やり場のない怒りに襲われて、思わず歯ぎしりしてしまう。この時に関しては、この体を傷つけてはいけないという事を完全に忘れていた。
妬み、嫉み、嫉妬、ジェラシー。全ての言葉が今の俺に当てはまる。けれどこの時の俺は、何故大宮なんかに嫉妬しているのだろう、というひねくれた思いに起こっていた。
「お、おい、まさか日比野さんと遊びに行くんじゃ……」
「うん、そのまさかなんだなぁ………」
またもや2人で会話している。
なんだか無性にイライラする。数学で、分からない問題が続いた時のように、ただ無性にイライラする。
嫉妬。客観的に見たらこれは嫉妬と呼ばれる感情だ。俺は、そんな熱い感情に、体が焼き尽くされてしまいそうであった。炎に包まれて、燃やし尽くされてしまいそうな気持ちになる。
またしても俺は、さっきと同じように足が出る。もう、何も考えていなかった。
今度は意識がはっきりとしていなかった。朦朧とした意識の海をただひたすらに、あてもなく歩く。
まるで、大宮のところにはたどり着けないのではないか、そんな事まで思えてくる始末であった。
でも、ここは現実である。距離は、近い。数歩で、たどり着いてしまい、気がつくと俺は両者の間くらいに立っていて、2つの大きな黒い壁に少したじろいでしまう。
「……いこーぜ」
大宮を見上げて言う。
が、なんだか大宮は渋面を浮かべている。
「………やっぱり坂本と2人で行ってくれませんか?」
「えぇっ!?………な、なんで?」
思わず卒倒してしまいそうになるが、なんとか持ちこたえて、力を振り絞って聞く。
「いやだって、まだそんな仲良くないっていうか」
「いやでも、だってその……………そう!今日遊んで仲良くなればいいんじゃない!?」
俺がそう言うと、大宮があからさまにため息を吐く。
失礼と分かっているはずなのに、なぜか大宮は堂々とため息を吐くのである。
「なんでそんな僕と仲良くなりたいんですか?」
「いやそれはだって……………アレだよ」
しまった!これを聞かれると、明確な答えが出てこない。
仲良くなるのに理由がいるか?なんて聞きたいけれど、そんな事で大宮が納得してくれると思えない。
だがその考えている少しの時間が、ほんの少しの間が、またもや大宮の機嫌を悪くする。
「……とにかく僕は用事があるんで」
そう言って何処かへ行こうとしてしまう。
ちょっと待てよ!と、大宮の腕を掴む。が、しかし、男でしかも水泳部の奴に力で勝てるはずがなく、すぐに振りほどかれてしまう。
そして、そのまま行こうとしてしまう。
「お、おい!前一回いいよって言ってくれたじゃん!」
なんとか止めようと、必死に叫ぶ。
一度してくれた約束を破るのは、人としてどうかと思うから、大宮のため、という適当な建前を立てて大声で呼び止める。
と、大宮が止まって、ゆっくり振り向く。
「……………それはあの時のノリっていうか」
と、俺が喜んだのも束の間、圧倒的な冷たさで俺をつけ離してしまう。そして、スタスタと歩いて行く。
なんだか大宮が、とてもクズ野郎に思えてきた。
俺が男だった時はもっと何も考えてなくて、その割に頭が良くて、運動ができるけどその割に意思がないから友達に舐められてて。
大宮の周りには、いつも人が集まっていたのだ。
そして俺は、そんな大宮の魅力に惹かれた1人。
偶然気があって大宮と仲良くなったが、そもそも出会った時点でもう運命的だったのかもしれない。
だけど、仲良くなれて、一緒に遊んで、その時は毎日が充実していた。大宮が笑ってると、俺も幸せな気持ちになるのである。
本当に幸せだった。
「………おーみやぁ…………」
もうその場に立っているのも辛くて、そのままその場に倒れこんでしまう。
このまま溶けて、地面になりたい。どろどろとセメントと同じように流されて、同じように地面として固まって、そのまま道となって。
もう、世界がどうでもよかった。友達の少ない俺にとっては、大宮だけが心の拠り所だった。
放課中にクラスで喋っていなくても、昼放課に大宮と喋ってれば、それでその1日は幸せな1日となる。
いつのまにか俺の目には、涙が流れていた。
「ひ、日比野さん!?だ、大丈夫!?」
「うわぁぁ!!!大宮が日比野さんを悲しませた!」
何やら周りがうるさい。けれど、今の俺にとっては、そんな事どうでもよかった。
周りの音がはっきり聞こえなくて、ぼんやりとしていて、混ざり合って1つの音となる。
ただの、雑音でしかない。
「大宮ぁぁぁぁ!!!」「あいつマジ許さねぇぇ!!」「何イキってんだあいつよぉ!!」「っざけんじゃねえよ!!!」
雑音が大きくなる。ぼんやりと聞いていて、初めて俺のために怒っているのだと気がつく。
けれども俺は、何かを言うわけでもなく、1人で泣いていることしかできなかった。




