第五話 五里霧中! 湖は血に染まる!
シガラ公爵軍がアーソ辺境伯軍の伏撃を受けていた頃、セティ公爵軍は湖の近くを行軍していた。総勢で五千に達する部隊であり、三つに分割された中では最大のものだ。
「ほう、これがカルデ湖か」
目の前に広がる湖を眺めながら、ブルザーはその景勝を楽しんだ。軍の行進中でなければ、のんびりとその風景を楽しみたいと思うほどに雄大な景色であった。
風一つなく、湖は鏡のように空を映し出し、湖岸より離れたところにいくつかの釣り船が漂い、竿から糸を垂らしているのが見えた。
他にも水鳥の群れがのんびりと行ったり来たりしている姿も見え、照り付ける日差しも相まって、思わずあくびの一つでもしたくなる陽気であった。
だが、ブルザーも戦歴を重ねた軍人貴族である。ここが敵地のど真ん中であることは重々承知しており、周囲への警戒は怠っていなかった。
方々に斥候を放ち、待ち伏せされそうな場所を通る際には警戒度を高め、街道を進んでいった。
たまに敵斥候が遠巻きに眺めていたり、あるいは時折現れる伏兵からの矢弾を食らっていたが、どれも小規模で被害も少なく、問題なく行軍できていた。
(足止めや妨害にしても、数が少なすぎる。中央に兵を集め過ぎたか、あるいは城の方に集中させたか。こちらとしては、シガラ公爵軍に向かってくれた、というのが望ましいのだがな)
それはさすがに虫が良すぎるかと考えつつ、ブルザーは自身の隣で馬に跨る貴婦人に視線を向けた。
シガラ公爵ヒーサの妹のヒサコだ。ヒーサとは現在、どちらの部隊が城に先に到着するかで競っており、どちらかが相手を妨害したりしないよう、互いに人質を出し合って牽制すると言う状態を作り出していた。
ブルザーも自身の弟リーベをヒーサに差し出していた。
(まったく、呑気なものだ。敵地のど真ん中で、戦場に向かっている最中だというのに、鎧兜を一切着ておらんとは)
実際、ヒサコは赤を基調とした派手なドレスを着こんでおり、とても戦場に赴く姿には見えなかった。ピクニックにでも出かけるような、そんな軽やかな雰囲気すら出していた。
簡単に死なれてもそれはそれで困るので、鎖帷子を渡そうとしたのだが、それも平然と拒否した。あたしは運がいいので当たりませんから、と不遜な態度を示したほどだ。
奇異の視線を向けるのはブルザーだけでなく、周囲の将兵もまたヒサコを警戒していた。
なにしろ、リーベを半殺しにしており、主君の弟に危害を加えた憎い相手なのだ。
だが、そんな敵中にあって平然としていられるのは、誰の目にも奇妙であった。十七の娘と聞かされていたが、場数を踏んだ軍人に見間違えるほどに落ち着いており、ドレス姿でありながら馬を操る姿も様になっていた。
ゆえに、ブルザーもどこかに潜んでいるであろう敵についてもそうだが、すぐ横にいる娘への警戒心も忘れなかった。
「公爵閣下、後方から馬が参りますわよ」
そんなヒサコが急に声をかけてきた。
ブルザーはその声で一度後ろを振り向いてみると、確かに街道を騎馬が一騎駆けてくるのが見えた。
掲げている旗指物から、ジェイク麾下の伝者だとすぐに判別できた。
「後方から宰相閣下の使い番だ! 道を空けよ!」
ブルザーの叫ぶような指示が飛ぶと、隊列は道の隅により、駆け寄って来る騎馬が通りやすいように道を空けた。
使い番は隊列の横を走る際は少し手綱を緩め、ぶつからないように留意しつつ、セティ公爵家の家紋をあしらった大将旗の側までやって来た。
なお、その使い番が偽物であることがすぐに分かった。本体は分身体の視線からその使い番を見ていたのだが、その顔が見知った顔であったからだ。
なにしろ、ブルザーの前までやって来た使い番は兜を脱いでお辞儀をしたのだが、その顔は間違いなくカインに仕える騎士アルベールであった。
理由は不明であるが、偽旗作戦によってまんまとブルザーの位置を把握したというわけだ。
「急ぎの言伝ゆえ、馬上のまま失礼いたします」
アルベールはダラダラと汗を流しており、必死で馬で駆けてきたことを見せ付けた。その態度から、何か良からぬことが起こったのかと、ブルザーは危惧した。
「宰相閣下の身に何かあったのか!?」
「いえ、宰相閣下ではなく、シガラ公爵閣下の方です!」
焦る口上で述べるアルベールであったが、それが嘘なのは百も承知であった。なにしろ、ヒサコは分身体であり、本体は現在はヒーサが勤めていた。そして、ヒーサは罠を華麗にすり抜け、隊列を整えて行進を再開していたからだ。
「シガラ公爵がどうかしたのか?」
「それが、敵の大規模な待ち伏せに会い、罠に絡め捕られ、大損害を被ったとのこと! 死者だけで三百は下らないそうです!」
アルベールの言葉を聞き、ブルザーは思わずニヤリと笑った。
競争相手が罠にはまり、損害を受けたのであれば、自分が相対的に有利となるからだ。しかも、死者だけで三百となると、負傷者はその倍はいるはずであるし、ヒーサの率いている部隊は三千程度なので、実に三分の一が削ぎ落された計算になる。
再編するだけでも一苦労であろうし、賭けは勝ったなとブルザーは顔には出さずに喜んだ。
「そ、それで、ヒーサお兄様はご無事ですか!?」
慌てふためく演技を見せつつ、ヒサコはアルベールに馬を寄せた。わざとらしく前のめりになり、早く答えろと言わんばかりにせっついた。
「お、落ち着いて下さい、公爵令嬢殿。公爵閣下はご無事です。怪我一つしておりません」
「そ、そうですか……」
取り乱した姿をみせつつも、内心ではいよいよ仕掛けてくるかと身構えた。
アルベールは馬首を返し、去り際にさりげなくヒサコの袖口に紙切れを差し込んでいき、そのまま馬で走り去ってしまった。
ヒサコはその紙切れを確認すると、『敵将から離れるな』と書かれていた。
(律義ね~。こちらの位置を確認しつつ、巻き込まれないようにする場所を指定してきたわけか)
おそらくはヤノシュの差し金だと判断したが、それならそれで指示通りに動いてやろうと、ヒサコはブルザーに馬を寄せた。
「公爵閣下、お兄様の部隊が襲撃されたようですし、こちらも警戒するべきでは?」
「言われんでも分かっておるわ。それより、兄君が心配ではないのか?」
若干ではあるが、嫌味の混じった問いかけをブルザーはヒサコに投げかけた。元々勝つ気満々であった勝負が意外とあっさりと決してしまいそうなので、ある種の余裕すら伺える態度にも見えた。
そんな傲岸な公爵に対して、ヒサコは毅然とした態度で応じた。
「お兄様は生きておられるようですし、生きているなら、いくらでも巻き返せます。それこそ、小部隊であろうとも、先に着いた方が規定上勝ち、だということは一考しておいた方がよろしいですわよ」
「まあ、仮にそうだとしても、数が少なすぎては城兵に殺されて終わりであろうがな。見た者がいなくては、勝ち負けの判別はできんぞ」
「使者名目で訪れた、ということにすればあるいは、城門を開くやもしれませんよ」
「初手から全力で殺しに行って、素直に招き寄せるとも思えんがな」
ブルザーとしては、セティ公爵家の武威を示し、シガラ公爵家への牽制と優位性の確立を今回の戦で完遂しようと考えていた。
なにしろ、今回はある意味で王国を“乗っ取れる”またとない好機であるからだ。
現状、次期国王は第二王子のジェイクが既定路線となっているが、アーソ辺境伯カインの謀反で風向きが大きく変わってしまった。と言うのも、ジェイクの妻はカインの娘であり、それが背いたとなるとジェイクの信望が一気に落ちることになるからだ。
第一王子のアイクは病弱で政治にも興味がなく、それゆえにジェイクにお鉢が回ってきた格好なのだが、そのジェイクが後継者として相応しからざる者と貴族がこぞって反対すれば、今度は第三王子のサーディクに次期国王の座が回ってくるのだ。
そして、サーディクの妻はセティ公爵家一門から嫁いでおり、サーディクが王となれば、その後見人として自身が権勢をほしいままに出来るというわけだ。
しかも、教団側もどうやら改革を訴えるジェイクを煙たく思っているようであるし、今回の騒動の結末次第では、ジェイクの廃嫡も十分に考えられる話なのだ。
(そう、現状の競争相手はシガラ公爵のみ。そして、あちらが担ごうとしているのが、アイク殿下だ。目の前の小娘を嫁がせようとしているが、無駄なことだぞ。誰が隠棲している病弱な王子など、例え長男だろうと支持するものか!)
ジェイクが失脚さえしてしまえば、王国は自分の物となる。そう思えばこそ、今回の戦にも熱が入ると言うものだ。
そして、都合よく対戦相手が第一歩目から盛大に滑ってしまったのだ。勝利への道程が大きく動いたとブルザーは判断した。
だが、それこそヒーサの思うつぼであった。
なにしろ、シガラ公爵軍大打撃の報は偽物であるし、それを信じてヒーサとカインが繋がっているのではという疑いも、“現段階”では払拭されていた。
勝利を確信しつつも、ヒーサと同じ轍は踏むまいと警戒しながらも行進を続けた。
そこへ、少し後方を進んでいたサーディクがブルザーに馬で駆け寄って来た。
「公爵よ、この先は大丈夫であろうか? シガラ公爵のように、伏兵に一撃貰うようなことがあれば」
「心配ございませんよ、殿下。ヒーサ殿は初陣ゆえ、兵の差配に対する心得が浅かっただけの事。しかし、こちらは戦慣れした精鋭揃いで、指揮官はこの私。殿下の心配はすぐに払拭されますよ」
実際、ブルザーの差配に隙は無かった。方々に斥候を飛ばしては伏兵を探り、慎重に進んでいた。現に、今まで潜んでいた敵兵をそれで発見し、不意討ちを未然に防いでいた。
そもそも、ブルザー率いる部隊の数は多い。辺境伯の全軍の倍近く存在するのだ。まともにぶつかればまず勝ち目はなく、待ち伏せや不意討ちなどの奇策に出ざるを得ないのだ。
だからこそ、ブルザーはその隙を与えないよう、手堅いやり方を通していた。
だが、ここでブルザーは一つの失策を犯していた。それは敵が謀反を起こした“ただの”貴族ではなく、《六星派》と繋がっているかもしれない異端な存在だということを失念していたのだ。
そして、それは相手側に術士が想定以上に含まれていることを意味していた。
部隊の列が丁度真横に湖に差し掛かったその時であった。
突如として白い煙、ではなく視界を遮るほどの濃い霧が湖から発生し、辺り一面を包み込んでしまった。湖面は元より、街道も霧に覆われ、それこそ隊列の十名分先が見えないほどの濃霧であった。
「な、なんだ、急に視界が!?」
当然ながらサーディクは視界が急に遮られたことに焦った。すでに日は天高く昇っており、いきなり濃霧が発生するなど有り得ないからだ。
周囲を囲んでいる兵も動揺したが、そこはさすがに場慣れした精鋭達である。視界が遮られる中にあってもすぐにブルザーやサーディクを中心に円陣を組み、武器や盾を構えて敵の奇襲に備えた。
(ああ、なるほど。そう来たか)
ヒサコは特に動じもせず、霧の中を右往左往する兵士を眺めつつ、視線を隊列後方に向けた。無論、霧のために全く見えていなかったが、その視線の先には後方を進んでいた砲兵隊がいるはずであった。
そして、その視線の先の方から悲鳴が聞こえてきた。
(先程見えていた湖に浮かぶ小舟、あれは地元漁民に偽装した術士ってわけね。ルルに教えておいたこと、ちゃんと実行したみたいね)
ヒサコは前に辺境伯領を去るときに、ルルに魔術の戦術運用についていくつか助言をしておいた。それが濃霧を呼び出しての奇襲であった。
(爆発音なし、ゆえに鉄砲隊はない。剣戟の音もなし、ゆえに近接戦はしてない。悲鳴に混じって、風切音が耳に突き刺さる。つまり、弓矢ね)
視界が遮られる中にあって、耳は逆に冴えわたっており、音で状況の判断をした。
これもヒサコがルルに教えておいたやり方だ。地区を丸ごと濃霧で覆ってしまうと、敵も味方も判別がつかなくなり、戦闘がやりにくくなる。そこで視界がない状態で弓を使えるよう、事前に射撃練習をするように言いつけておいたのだ。
軍隊が進むであろう街道の位置を把握し、どの角度でどの威力で射撃すればよいのか、それを事前に“処理動作”として組み上げていた。
濃霧の発生と同時に潜伏地点より飛び出し、“多分あの辺りにいる”とでたらめに矢を撃ち込んでいるだけであった。
だが、これは効果があった。なにしろ、街道上には五千名からの兵士が列を成して進んでいるのだ。見えなくとも、街道の位置さえ“感覚”で把握していれば、その辺りに矢が刺されば敵に命中するのだ。
実際、飛んで来る矢は隊列後方の部隊に降り注いでいた。視界がないにもかかわらず、敵の矢は的確に降り注いでおり、どうなっているのかわからないままに矢を受けて次々と倒れていった。
状況把握できないがゆえに混乱し、隊列を乱しては逃げ散る者までおり、街道を踏み外して湖へと飛び込んでしまう者まで出る始末だ。
ヒサコの耳にはそうした混乱する部隊の悲鳴しか聞こえていなかったが、状況はなんとなしに察することができるので、思わずニヤリと笑った。
「全滅! 全滅! 後方の砲兵隊、全滅なり!」
誰が叫んだか、そんな声が霧の壁の向こう側から馬蹄の響きと共に耳に突き刺さった。ヒサコの周りにいる兵にも聞こえたようで、明らかに動揺していた。
(これも偽報。しかし、根性あるわね。敵味方が見えない状況で馬を走らせ、偽報で撹乱させようだなんて! いえ、味方に撃たれる覚悟の上で戦果を稼ぐ気かしら)
ヒサコの耳に飛び込んでくる声も、複数の声色がある。見えないという状況下で、見えない味方が全滅だと叫ばれては、混乱は広がる一方であった。
だが、このまま撃ち減らされるブルザーでもなかった。
「全軍、湖を背にし、前進せよ! 伝令は出さず、隣合う者に伝言で伝えていけ!」
ここでブルザーは思い切った手に出た。霧が晴れない以上、このまま射撃の的になるだけだと考え、矢が飛んでくる方向を推論で補い、全軍での前進を開始したのだ。
ブルザーは敵の弓隊が視界が遮られていても有効な射撃を繰り出しているのは、“土地勘”か“術式”によるものだと判断。ならば、多少損害が出ようとも距離を詰めて乱戦に持ち込んだ方がいいと踏んだのだ。
(判断が早い。このあたりは場慣れしているといったところかしら)
この点は素直に称賛した。下手な指揮官ならば、混乱のままに撃ち減らされるか、統率もできずにチリヂリなるか、碌な末路がしかないものだ。
だが、ブルザーは素早く指示を飛ばし、崩壊の危機から救った。
なお、ヒサコは前進していく隊列には加わらず、霧の中に消えていくブルザーやその兵士達をその場で見送った。わざわざ乱戦に飛び込む危険を犯すほど、無謀な行動をするつもりがなかったのだ。
なにより、“一人”になる必要があったからだ。
そして、濃霧の中を今度は甲高い笛の音が響き渡った。それと同時に霧が少しずつだが晴れて来て、視界が徐々に戻って来た。
「おっと、あの笛は撤収の合図だったのね。では、こちらも撤退しましょうか」
消えゆく霧と同じく、分身体の体もまた差し込みつつある陽光に照らされながら消えていった。今の混乱状態ならば、逃げたとしても特段怪しまれはしない。敵襲が怖くて逃げだした、などと適当言ってごまかすつもりでいた。
かくして、ブルザーの手から人質は離れ、ヒーサはブルザーに対して仕掛ける準備がまた一つ整うのであった。
~ 第六話に続く ~
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