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古都音が神さまたちの声を聴きに行く

フィールドワークを開始します。



第5話「最初の行き先」



最初の行き先は、思っていたより近かった。


「遠くに行く必要はありません」


神様――このお社にいる神様は、穏やかな声でそう言った。

余計な飾りのない言い方だった。


「むしろ、近い場所のほうがいい。古都音が“知っているつもりで、知らなかった場所”」


古都音は、少しだけ考えた。


知っているつもりで、知らなかった場所。

観光地でもなく、有名でもなく、でも確かに人が暮らしてきた場所。


「……地蔵盆、ですかね」


口に出した瞬間、なぜそれが浮かんだのか、自分でも分からなかった。

ただ、ばあちゃんの家の近くにあった、小さな路地。

夏になると提灯がぶら下がって、子どもたちが集まっていた、あの場所。


神様は、わずかに目を細めた。


「いいわね」


それだけだった。

否定も説明もない、その一言が、妙に心に残る。




その町は、電車とバスを乗り継いで行く、近畿の小さな町だった。

地図で見れば、名前は載っている。

けれど、わざわざ降りる人は少ない。


バスを降りると、風が少し湿っていた。

夏の名残と、秋の気配が混じったような空気。


「……静か」


古都音は、小さくつぶやいた。


人の気配はある。

でも、にぎわいとは違う。

時間が、ゆっくり沈殿しているような感じだった。


路地を曲がった先に、それはあった。


小さな地蔵堂。


コンクリートの台座に、赤い前掛けをつけたお地蔵さんが一体。

その前に、古びた線香立てと、色のあせた供え台。


提灯はなかった。

飾りもない。


ただ、そこに在る。


(……あ)


その瞬間だった。


空気の“層”が、ふっと変わった。


音が消えたわけでも、光が変わったわけでもない。

でも確かに、「聴こえる」感覚が広がった。


――……今日は、風があるな。


低く、静かな声。


古都音は、息を止めた。


(……今の……)


逃げようと思えば、逃げられた。

でも、足は動かなかった。


「……こんにちは」


自分でも驚くほど、自然に言葉が出た。


返事は、すぐではなかった。

少しの間があってから、また、あの声。


――ああ。久しぶりだな。


責めるでもなく、喜ぶでもない。

ただ、そこに在る声。


(……話せてる)


頭が追いつくより先に、胸の奥が静かになっていく。


「……地蔵盆、やらなくなったんですね」


――そうだな。


「寂しい、ですか?」


少しだけ、迷ってから聞いた。


――寂しくないと言えば、嘘になる。

――だが、誰も悪くはない。


声は、淡々としていた。


――子どもが減り、世話をする人も年を取る。

――それだけのことだ。


(……怒ってない)


それが、いちばん意外だった。


「じゃあ……」


古都音は、言葉を探す。


「じゃあ、どうして……ここに、いるんですか」


しばらく沈黙があった。

風が、路地を抜けていく。


――待っている。


短い答えだった。


――誰かが、思い出すかもしれない。

――思い出さなくても、それはそれでいい。


(……それで、いいんや)


胸の奥が、じんわりと温かくなる。



そのとき、背後で足音がした。


「あら……お参り?」


振り返ると、年配の女性が立っていた。

買い物袋を下げている。


「はい」


女性は、地蔵堂を見て、少し困ったように笑った。


「昔はねぇ、地蔵盆、にぎやかやったんやけど」

「もう、やる人おらんのよ」


古都音は、うなずいた。


「でも……」


女性は、地蔵を見てから、ぽつりと言う。


「なんやかんやで、通るたびに手ぇ合わせるんよね」


そう言って、軽く手を合わせ、去っていった。


その背中を見送りながら、古都音は思った。


(……消えてへんねや)


形はなくなっても、

祭りがなくなっても、

祈りは、まだ、ここにある。


「……私」


気づけば、口を開いていた。


「私が、何かしたら……」

「少しは、役に立ちますか」


自分でも、驚くほど素直な言葉だった。


――無理は、しなくていい。


地蔵の声は、変わらず静かだ。


――だが、見て、聴いて、伝えることはできる。


その瞬間、神様の声が、重なるように響いた。


『それで十分です』


気配だけ。

姿は見えない。


『あなたが、代わりに救う必要はありません」』

『ただ、行って、知って、戻ってくればいい』


古都音は、ゆっくりとうなずいた。


(……レポート、書けるな)


ふと、現実的な思考がよぎって、少し笑ってしまう。


「……大学の課題として、出してもいいですか」


沈黙のあと。


『ええ』


神様の声には、わずかに笑みが混じっていた。


『あなたの言葉で、書きなさい』


地蔵の声も、続く。


――それでいい。


古都音は、深く一礼した。



帰り道、空は少し赤くなっていた。

派手な達成感はない。

でも、胸の奥に、小さな灯がともっている。


(……始まったんや)


全国を回る旅。

神様の悩みを“解決する”旅。


でも、それはきっと――

何かを「直す」話じゃない。


ただ、

聴いて、

知って、

つないでいく話。


古都音は、歩きながら、スマホのメモを開いた。


【第1回フィールドワーク:近畿某所・地蔵盆が行われなくなった町内】


【所感:祈りは、なくなっていない】


その文字を見て、少しだけ笑う。



風が吹いた。

どこかで、鈴の音がした気がした。


最初の一歩は、

思っていたより、静かだった。

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