81話 後になってから気づくいいところもある
黒板にチョークが走る音が鳴り響く教室で授業の終わりを知らせるチャイムが上書きする。
授業を行っていた先生がチャイムの音に反応し子気味よい音を奏でていたチョークを止める。
「もうそんな時間か。今日はここまでだ。号令」
「はい。起立。礼」
学級委員長である井上の号令に皆が合わせ授業が終わる。それと同時に騒がしくなる教室の中で尊は再び席につき今の授業の内容を再確認する。わからなかった部分はないがより正確に頭の中で整理する。
はたから見ても集中している尊に話しかけるような空気を読まない者はいない。ただ一人を除いて――。
「おう尊、今日もえらく集中してんな」
陽気なテンションで隼人が話しかける。その言葉を聞き尊はノートに下ろしていた顔を上げる。
「集中してるってわかっててよく話しかけてくるな」
「まあここ最近ずっとだしたまには息抜きさせてやらんとなってな」
「お前と話してて息抜きになるとは思えないけどな」
「うわあひどい!親友の好意を何だと思ってんだ」
大げさに反応する隼人を横目に見て尊は再びノートへ視線を下ろす。
「いやスルーかよ。てかこの状況で勉強続けんのか」
「話がないって言うならな。なんかあるのか?」
「ないけど」
「なら勉強に戻るけど」
「というかなんでそんなに今回頑張ってんの?いつもテスト期間だからって休み時間まで勉強してなかったろ」
「……まあ、たまにはな」
尊は返事に困りたどたどしく言葉を口にする。頑張っている理由を聞かれるのは正直答えにくかった。
(こうも目に見えて違えば気になるわな……)
隼人の反応も最もなので尊は内心苦笑する。それでも理由は言う気はなかった。というよりも――。
(言えるわけないよな。景品に釣られたとか……)
尊は少し前の朱莉との約束を思い出す。思い出して口を結ぶ。
絶対に教えるわけにはいかないと。
「たまには、ねー。まあやる気があるのはいいことだな」
なにか察したような態度で隼人は口元に笑みを作る。
それを見て尊は眉根を寄せる。
(こいつ勘がいいところあるからな……流石に朱莉との約束までわかるようなことはないだろうけど)
それでも今までの実績を考えるとどうしてもその可能性を捨てきれない。しばらく考えたのち尊はノートを閉じた。
「あれ?いいのか勉強は」
「こんな状況でやっても意味ないだろ」
「本当にやりたいなら俺向こうに行ってるぞ」
「別にそこまで気を使わなくていいよ。そもそももう集中できそうにない」
尊は天井を仰ぎながら息を吐く。それを見て隼人は眉尻を下げ申し訳なさそうに頭を掻く。
「あー、悪いな。邪魔したみたいで」
「別に邪魔だとか思ってはないから気にしなくていいぞ。隼人の言う通り少しは息抜きしないとだしな」
隼人が言っていたことは何も間違ってはいない。尊も根を詰め過ぎていたところがある。これもいい機会だと尊は素直にそう思ったのだ。だから隼人が気にすることなど何もない。
尊の言葉を聞くと下がっていた眉尻が上がりいつものテンションの高い隼人が顔を見せる。
「おおそうか!といっても特に話すこともないけどな」
「ふっ、まあいつものことだろ。いつもみたいのにくだらないことでも話してればいいだろ」
机に肘をつき尊は歯を見せて笑う。
別に話す内容何て何でもいい。特に内容がない話だって気心の知れた間柄なら笑い飛ばすくらいできる。
そんな尊の反応に隼人も歯を見せる。考えていることは同じようだ。
「おうおう言ってくれるねー。俺たちの話にいつも中身がないみたいな言い方だな」
「みたいなじゃなくてその通りなんだよな」
「いや言い過ぎだって多少中身はあるだろ」
「例えば?」
「例えば?あー…………」
「いや、ないのかよ」
しばらく沈黙していた隼人に思わずツッコミを入れる。そうすると噴き出したように笑い出す二人。
こんなくだらないやり取りで笑えるのだから本当に仲がいい。
「何笑ってるの二人とも」
教室に響くとまでは言わないが結構盛大に笑っていた二人にクラスメイトが声を掛ける。それ自体はおかしなことではないがその人物を確認し尊の顔は固まったように真顔になる。
「……小野寺」
「うん、なに話してたの?」
可愛らしく小首をかしげる小野寺。文化祭以来話すのは初めてのことだ。尊が口をぱくぱくと動かし何とか言葉を発しようとしているところで横から助けが入る。
「あー、なんか話してたっていうのかなー。特に中身がないこと話してた」
「中身がないこと?それであんなに笑ってたの?」
「逆に笑えね?そういうの」
「確かに、笑っちゃうかも」
隼人の言葉に小野寺はおかしそうに笑顔を見せる。その笑顔がとても自然に笑っているようにも見えたので尊は内心ほっとする。
文化祭のあと小野寺に体育館裏に呼ばれたことは隼人も知っている。隼人も雰囲気から何が行われるかは察していたがその後も尊にあれこれ聞くことはなかった。尊も聞かれても話すことはなかったとは思うが正直ありがたいと思った。小野寺からの気持ちを誰かに話すなんてそんな最低な行為を尊ができるはずもない。ましてやその気持ちを受け入れなかったのだ。去り際では笑っていたが傷つけてしまったことには変わりない。こうして小野寺と向き合うと胸が苦しくなるような痛みを感じていた。
それでも小野寺の笑顔を見て胸が少しは軽くなった。
「……平野君この前のこと気にしてるでしょ」
「ッ!気にぐらいするだろ……」
「もう、私が勝手に告白して振られたんだから気にしなくていいって」
その言葉に尊と隼人は目を丸くし息を呑む。
そんな二人の反応が面白かったのか小野寺はくすくすと小さく笑う。
「ふふふ、なにそんなに驚いてるの」
「いやだって……」
横にいる隼人に視線が動く。隼人も頬を掻きながらどこか気まずそうにしていた。
「私が呼び出したとき九条君隣にいたし多分気づいてたのでしょ?」
「まあな……あのタイミングなら予想くらいは」
「でしょ?それに九条君だけじゃなく多分クラスの何人かは知ってるだろうし」
「そうなのか?」
小野寺の言葉が意外で尊は思わず周りへと視線が泳いでしまう。
「私の態度は露骨だったからね。というより平野君に告白するって仲のいい子には言ってたし」
その言葉に尊は目を丸くし再度驚く。
(告白って友達とかに事前に言ったりするのか。まあ相談に乗ってもらってたとかあったらそんなものなのか)
尊は自分の価値観とのズレに戸惑ってしまう。
「だからね。平野君が気にする必要なんてないから、むしろ気にされてる方が嫌だし」
「それは……そうかもな……わかったもう気にしない」
「うん」
尊の言葉を聞くと小野寺も安心したのか笑顔を見せてくれる。
「九条君もね。まあ九条君なら気にしてようと私はどっちでもいいけど」
「なんで俺だけちょっと辛辣なのさ」
そう言うと自然と三人の内で笑い声が生まれた。
「だって九条君そういうの気にしそうにないし、そもそも吉沢さん以外見えてなさそう」
「そこは否定できないな」
「否定しないんだ」
「実際陽菜以外見てないしな」
「うわあ、いきなり惚気だしたよ。いつもこんな感じなの?」
「ああ、所かまわずいちゃつきだすぞ」
「確かによくくっ付いてるね」
尊は小野寺と会話を繰り返しながら自分の変化に驚いていた。
(あれ?なんか前より話しやすいかも)
なぜそう思うのか尊は二人の会話を余所に思考する。
だがそれも少し考えたところで理解できた。
(そうか、前は結構押しが強かった感じだったけど今は違うんだよな)
以前の小野寺は尊へのアタックなのか傍から見てもわかりやすい接し方だった。だが今はこれが素の小野寺なのか結構さっぱりとした感じだ。それでいて尊や隼人に対するフォローも忘れていない。尊としても好感が持てた。
「どうかした?平野君」
小野寺のことを考えるあまり少々見過ぎてしまったらしく疑問の声が飛んでくる。
「あー……すまん、なんというか前より話しやすいと思って」
「前よりって……あーそういうこと。なるほど平野君にはこれくらいの方が良かったんだね。ちょっと反省」
言うと小野寺は小さく舌を出して眉尻を下げる。だがそれもほんの一瞬のこと再び楽しそうに笑顔を作る。
「そうかーこれくらいで攻めてれば私にもチャンスがあったかもなー」
「それは流石に反応に困るから止めてくれ」
「あはは、そうだねごめんごめん」
揶揄いで言ったのだろう。それでも尊にとっては本当になんと返していいのか……。困っている尊を見て小野寺はまた笑っていた。
「莉乃~ちょっと~」
すると教室の後ろで集まっていた女子グループが小野寺へ声をかける。
「ん?あーちょっと待ってー。ごめんね呼ばれちゃった」
「気にしなくていいぞ。待たせちゃ悪いし行ってきなよ」
「うん、それじゃねー」
手を振りながら去っていく小野寺を見送り尊は隼人へ向き直る。
「なんというかすごいやつだな小野寺って」
「ん?なにがだ?」
「だって普通……あー、話づらいだろ振られた相手と話すとか」
後半部分は周りに気を使い隼人にだけ聞こえる声量まで声を落とす。それを聞いて隼人も納得したように首を縦に振る。
「確かにな。今までは普通に話してたのにいざ告白して振られたら離せなくなるなんてざらだろうしな」
「そうだよな。そう考えるとやっぱりすごいと思うんだよな」
「あれが小野寺さんが好かれる部分なのかもな」
「好かれる?」
隼人の言葉に尊はきょとんと聞き返す。その反応に今度は隼人が呆れた様に肩を竦める。
「尊のことだしやっぱりかとは思ったけど、小野寺さんクラス内では結構人気あるんだよ」
「そうだったのか?」
「本当に気づいてなかったんだな。まあ、他人に無関心なところあるしな尊は」
「うるせえよ」
隼人の言葉に眉間に皴が寄る。それでも強く言い返さないのは尊自身にも自覚があるからだ。
「まあでも好かれてる部分には納得だよ。確かに話しやすかったし」
「だろ?もしかして少し勿体ないとか思ったりした?」
「勿体ないとは?」
「だから告白」
「………」
一瞬何を言ってるのかと思ったが尊はすぐに意味を理解する。そしてため息とともに口を開く。
「あのな、そんな周りの評価で今更気持ちが変わるとでも思うか?」
「いいや、尊に限ってないだろうなとは思った」
「ならなんで聞いてんだよ」
「どんな反応が返ってくるか気になったからな」
隼人が楽しそうに歯を見せ笑うので、尊は再び大きくため息を吐く。その反応でさえ面白いのか隼人は更に笑みを濃くする。
「でも安心したわ。実際に反応を確認出来て」
「確認って……なんのためにだよ」
「ちょっとな。親友としてはいろいろ思うところがあるんだよ」
「そんな意味深は雰囲気出されても困るんだけどな。それで何が目的なんだ?」
「それは言えん」
きっぱりと隼人は言い切る。なんとも勝手な物言いだが隼人からはふざけている感じもなく尊は少し困惑する。
普段のお調子者といった隼人の態度ではなかった。
「……なんか妙に真剣だな」
「まあふざけて聞いたわけでもないしな」
「……はー、ならいいよこれ以上聞かないから」
尊でもふざけているかどうかくらいはわかる。理由が言えないにしろ何か意味はあるのだろうと一応は納得する。
そうこうしていると次の授業を知らせるチャイムが響きだした。
「そんじゃ俺行くわ」
「ああそれじゃ」
互いに軽く手を上げると隼人は尊の席から離れていく。尊は次の授業の教科書などを机の上に用意する。
(隼人のやつ最後に気になること残しやがって……でも)
机から視線を上げ真っ直ぐ前を見る。
(小野寺と話せたのは良かった)
ずっと心の奥で突き刺さり気になっていたことが綺麗に取り払われた。それだけで今の無駄話も意味があるものになった。
少しして教室の扉が開く。先生が入ってきたところで号令がかかり、尊はそれに倣って席を立った。




