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80話 最近の隣人はやたらと絡んでくる

 太陽が完全に沈んでしまった頃勉強会もお開きとなった。お店の会計を済ませ尊たちは店外へと出て行く。


「あー、勉強したー!」


「結構やってたよな。陽菜もよく頑張ったんじゃないか」


「うん!やっぱりテンション上げてやったのがよかったね!」


 隼人が褒めると陽菜はにいっと歯を見せて笑顔を作る。


「ただあれうるさいからどうにかなんない?」


「あれが私にとって一番の勉強法だったみたいだからみーくんには我慢してもらうしかないね」


「俺だけじゃなくて皆だからな。テンション上げるにしてももう少し静かにやってくれ」


 尊が目を細め陽菜を見るとサッと顔を逸らして口笛を吹き始める。漫画のような誤魔化しかたに皆一様に苦笑する。


「そんじゃまっ帰りますか。皆帰りどっち?」


「俺と陽菜は駅の方だな」


「お?隼人たち一緒の方じゃん。尊は?」


「俺は皆と逆だな。ここでお別れだ」


「あ、なら平野君私と同じ方向だね。一緒に帰ろうよ」


 朱莉の申し出に尊は目を丸くする。


「え……?まあ、いいけど」


 少々ぎこちないながらも返答する尊に奈月が声を掛ける。


「尊、ちゃーんと朱莉のこと送ってかないとだめだからね」


「わかってるよ。夜道に一人で歩かせるわけにもいかないし」


「おお、わかってんじゃん」


 尊の言葉に満足したのか奈月は声を出して笑う。


「じゃあ二人ともまた明日ねー」


「うん、また明日」


 手を振る奈月たちへ朱莉と尊も手を振って答える。

 皆の姿が人混みで見えなくなった辺りで尊は口を開く。


「よかったのか?俺と帰り同じとか言って」


「え、なんで?」


「なんでって、一緒に帰ってる姿誰かに見られたらどうすんだよ」


 尊が当然のことのように言うものだから朱莉は呆れたようにじとーっと目を細める。


「いつの話してるの?もう尊君とは学校でも普通に話してるんだから一緒にいるとこ見られたって関係ないでしょ?」


「……そういえばそうか」


 いつものことだったので気にしてしまったが、そもそも外で一緒にいないようにしてたのは学校の生徒に見られてあらぬ誤解を生むのを防ぐためだったのだ。大々的に学校で朱莉との仲の良さを見せている今その心配は必要ないものになっていた。


「それにね」


 朱莉は先ほどよりも少し声量を押さえると尊を見上げる。


「私が一緒に帰りたいの。それじゃだめ?」


「――っ!?」


 恥ずかしそうに頬を染めた朱莉の言葉に尊は息を呑む。


「だめなんてことはないけど……そもそもこんな時間に一人で歩かせるわけにもいかないし」


 動揺を表に出さないようにしたが少し早口にそう伝える。そんな尊の動揺など露知らず追い打ちをかけるように朱莉の顔がぱっと明るくなる。


「うん!なら一緒に帰ろう」


「ああ……そうだな」


 朱莉が喜んでいるのがその態度から嫌でも感じ取ることができ尊は赤くなった顔を隠す様に右手を口元へ添える。


(いきなりは心臓に悪い……勘弁してくれ)


 早く鼓動を刻む心臓を落ち着かせるように尊は大きく息を吐く。


 歩き始めると朱莉がしっかり隣についてくる。手と手が触れてしまうほどの距離にいるのにしばらく無言の時間が流れる。それでも不思議と尊は居心地が悪いとは思はなかった。その理由が朱莉だ。見れば先ほどから笑顔を絶やさず嬉しそうにしている。


「えらくご機嫌だな今日は。なんかいいことでもあったのか?」


 無言でいるのもおかしいので尊は思ったことを口にする。だがそれは朱莉にとっては予想外だったのか驚いたように目を丸くしている。


「え?ご機嫌に見えた?」


「どう見てもそうだと思うけど、ずっとなんか嬉しそうだし」


「え、え、そう?そうなのかな……」


 朱莉は自分の表情を確かめるように頬を両手でこねるように触る。柔らかい餅のように形を変る頬に尊は思わず吹き出す。


「ぷっ」


「ちょっとなんで今笑ったの?」


「いや、ごめん。頬っぺってそんなに形変えるんだなって思って。朱莉の肌って本当に綺麗だよな」


「そ、そうかな」


「綺麗だろ。頬っぺもそうだけど指とかも毎日水仕事で荒れそうなのに全然そんなことないよな」


「手はちゃんとハンドクリームとかでケアしてるから。じゃないと私も荒れちゃうし」


「そういう細かいところに気を回せるのもすごいよな。俺なら絶対さぼるから」


 自分の指を眺めながら尊は感心する。きっと自分では絶対やらないことをやっている朱莉を素直にすごいと思う。


 そんな尊の言葉を聞いていた朱莉は少し頬を膨らませた。


「なんでいきなり褒めちぎってくるの?なにかのいじめ?」


「いじめって……別にそんなつもりじゃなくて純粋にすごいと思ったから」


「私からしたら尊君の肌だって十分綺麗だけど。むしろそれで何もしてないならずるいと思うし」


「俺の肌なんて大したことないだろ。朱莉みたいにもちもちとした肌じゃないし」


「もちもちって……触ったことあるような言い方……」


 表現が直接的過ぎたのか朱莉から疑いの目を向けられる。


「いや、別に触ったことはないけど、表現的にこれが一番かと……」


 少し慌てて言葉を吐き出す尊に朱莉は更に疑いを濃くする。


「慌ててるところがまた怪しい」


「別に慌てて何て……」


「すごい早口になってるしやっぱり触ったことあるんじゃない?」


「あるんじゃないって……そもそも本人に気づかれずに触るなんて……」


「……寝てたとき」


「え?」


 いきなり小さくなる声が周りの喧騒に紛れ聞き逃しそうになるが尊はしっかり聞き取れた。反射的に朱莉の方を見ると赤面した顔を恥ずかし気に俯かせていた。


「私が寝てたとき……触れたんじゃないの?」


「そんな……勝手に身体触るようことしないって」


「触りたいとかも思わなかったの?」


「………」


 尊は言葉に詰まる。尊も健全な男子高校生だ。触りたいかどうかなんて聞かれてはそんなの――。


「……触りたいと言えば触りたいけど」


「けど?」


「やっぱり勝手に触るのはなしだろ。それも寝てるような相手に」


「……そうか」


 朱莉は短くそう返すと俯かせていた顔を更に伏せる。しばらく少し気まずげな空気を漂わせていると朱莉が横目に視線を向ける。


「なら、勝手にじゃなかったら触るんだよね……触ってみたい?」


「え?……触るって……朱莉に?」


「そうだけど、触ってみたいんでしょ?」


 潤んだ瞳を向けながらそんなことを言われ尊は酷く困惑する。いきなり何を言い出すのかと思いながらも無意識に大きく唾を飲む。


(最近やたらと絡んでくるような……一体どうしたんだ……)


 文化祭が終わったころから朱莉とは名前で呼び合う仲にもなり、今まで以上に親密な仲になってきていることを自覚はしていた。親しくなれば変化もあることは当たり前で相手に許してしまう自分の許容も拡大していく。それでもこうして身体の一部とはいえ触ってもいいなどと言ってきたことは初めてだった。


「触るってどこに触ればいいんだよ」


「頬っぺたでいいんじゃないの?さっきまで話題に出してたし。ほら」


 朱莉は少し首を傾け尊に薄く朱に染まっている頬を向けてくる。


(……本当に触っていいのかこれ)


 尊は朱莉の柔らかそうな頬を凝視して固まる。本人がいいと言っている以上ダメなこともないはずだが尊は躊躇ってしまう。女性の体はそんな簡単に触るべきものじゃないと尊は考えていた。あれこれ理由を並べて自分を言いくるめようとするが、それでも男のさがというのか本能的な部分に逆らうことができずに尊はゆっくりと腕を上げ、人差し指の先でとんっと優しく触れる。


 その際「っん」っと朱莉が艶めかしい声を漏らすので、気にしないように他のことで気を紛らわそうと無意識に朱莉に触れている指に意識が集中する。本当にもちもちと赤ん坊の頬っぺのような感触に尊は感嘆する。


「柔らか」


 自然に漏れた声に尊ははっと我に返る。率直な感想だが声に出すまでもなかったと後悔し朱莉へ視線を向ける。先ほどから終始赤くしている顔だが今は一段と赤くなっている気がする。朱莉に触れている指先からも熱いくらいに熱を感じる。


「えーと……どうかな?」


 ほとんど動いたかわからないくらい口を動かし朱莉は恥ずかしそうに感想を求めてくる。


「あの……もちもちしてて柔らかくて、すごく気持ちいいです」


 自分の語彙力の無さと最後なぜか敬語になってしまい尊は恥ずかしくなり顔を逸らす。


「そうか……それなら、よかった……」


「………」


「………」


 お互いに無言になるが指は今も朱莉の頬に触れたままだ。尊ももう十分に堪能しただろうと思うがこのまま離してしまうのは何かおしいと感じてしまい、なかなか指を離せずにいた。


(なんだこの状況は)


 はたから見ればカップルのいちゃつきに見えるのではないか。そう思うと尊の恥ずかしさも限界が訪れ、名残り惜しそうに指をゆっくり離していく。


「あ……」


 指を離した直後朱莉の口から声が漏れる。こちらもなにか名残り惜しそうに尊の指を見ているが尊に見られていることに気づくとさっとその視線を逸らす。気まずげに胸元で握っていた両手をにぎにぎと動かしている姿が微笑ましく尊はつい頬を緩ませる。


 たまに見せる子供のような反応をしてしまうことを朱莉は嫌うが尊はそれも彼女の魅力だと思っていた。朱莉は普段から気を張って生きてきたのだ。年相応かそれ以上でも朱莉には気が抜ける時くらい自由に感情を表に出してほしい。


「ちょっとにやにやしすぎ」


 横目でじとーっと睨んでくる朱莉に尊は顔を引き締める。


「顔が緩んでいた自覚はあるけどそんなにやにやはしてないだろ」


「してた。ほんとーーーにすごいにやけ顔だった」


「……マジで?」


「まじで」


 確信したように言葉の端々を強調してくるので尊も自信が無くなる。


(え、そんなににやにやしてた?ならすごい恥ずかしいんだけど)


 自分の顔など確認できないのでどうしようもないが尊は口元をさっと隠しこれ以上にやけ顔を晒さないようにする。そんな尊の反応が面白かったのか朱莉が笑い出す。


「ふっ、あはは、尊君必死過ぎ」


「本当ににやけてたかわからんけどこれなら大丈夫だろ」


「そうだけど、帰るまでそうしてるの?」


「……とりあえず落ち着くまで」


 しばらくもすれば自然に顔も戻るだろうとは思うが確認などできないので尊は他ごとを考え気を紛らわせようと朱莉へ話しかける。


「テスト勉強の方はどうだ?朱莉なら心配なんてないと思うけど」


「うん、いつもどおり十位内には入れると思う」


「流石だな、俺も今回は少し上を目指せそうだから楽しみなんだよな」


「自信あるんだ?」


「今回特別苦手に思うような問題ないんだよな。うまくいけば俺も十位に入れないにしろ近くの順位になれるかもな」


 別に見栄を張って言っているわけではなく尊は本気でそれくらいなら可能だと思っていた。今日の勉強会でも皆に教えながら自分の理解を深めることができ更に自信も付いていた。


「ふーん」


 そんな尊を見て朱莉は何事か考えるように反応するとその顔に少し悪い笑みを映す。


「ならさ、勝負しようよ」


「勝負?」


「そ、私と尊君どっちが上の順位を取れるか」


「それは――」


 流石に無理だろうと尊は考える。朱莉の頭の良さはわかっている。常に十位内をキープしているのに比べ尊は二十位前後だ。今回のテストに自信があると言ってもこの差は大きい。


「無理そ?」


「無理というか……いや、無理かな」


 一瞬無理だと口にした自分に強がって否定しようとしたがここは素直に認める。勝負の前から諦めているのは少しかっこ悪いが冷静に分析した結果なのだから仕方ない。


 ここで話は終わるかと思っていたが朱莉はここまで読んでいたかのように口角を上げすかさず口を開く。


「なら景品を付けるっていうのは?」


「景品?何かくれるのか?」


「うん、例えば……負けた人は勝った人の言うことをなんでもきくとか」


 破格の勝利時の景品に尊はきょとんと目を丸くし口を開けてしまう。だが尊の反応も無理はない。あの鳴海朱莉からそんな魅惑的な景品を出されては誰でもこんな反応になるだろう。


「いや、あの……いいのかよそんな景品付けて」


「どうして?」


「どうしてってそりゃ……俺が何お願いするかわかんないだろ」


 言い淀んだが尊は最後まで言葉を発する。折角落ち着いてきた顔の熱が再発したのを感じた。そんな尊を見て朱莉は楽しそうに相好を崩す。


「尊君は私に何をお願いするつもりなのかな?」


「別に……普通のことだけど」


「なら心配ないでしょ。それに――」


 朱莉は一度言葉を切ると先ほどまでの揶揄うような笑みを消し柔らかく微笑むような笑顔を浮かべる。


「尊君が変なお願いなんてしてこないってわかってるし」


 絶対の信頼か、朱莉の言葉に迷いはなかった。それは尊も感じ取れた。嘘偽りのない言葉に尊は息を呑む。


(これって信じてくれてるからこそ出した景品ってことだよな……あー……)


 尊は内心で天を仰ぐ。少しでも邪念をいだいた自分を殴ってしまいたいと。それでもまずは返事をと朱莉の好意に水を差すようなことはできず尊は朱莉の顔を真っ直ぐに見つめる。


「わかった。それならやろうか勝負」


「うん、勝っても負けても恨みっこなしでね」


「もちろん」


 お互い戦意丸出しの笑みを作り笑い合う。最初はああいったが尊のやる気は上がっていた。単純に景品に釣られてしまったことに情けなさはあるがそれはそれである。今までの学校生活で尊は一番気合を入れて勉強しようと心に誓った。

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