73話 気づいてしまった気持ち
尊も体育館裏から立ち去った後、体育館の陰になる部分で三人の生徒が呆然と立ち竦んでいた。
「えーと……まさか本当に告白だったとはねー」
「うん。二人に悪いことしちゃったけど……謝った方がいいかな?」
「いやいや。誰にも見られたくないからこんなとこで告白したんだろうし、謝られたら余計に困るでしょ。黙ってるのが一番」
奈月と沙耶香が衝撃的な現場を目撃して困惑していた。人が告白するところを見るのは朱莉と一緒にいる二人にとって結構日常化していたが覗き見てしまうのは初めてだった。尊と小野寺には申し訳ないがこのことは墓まで持っていこうと思う。
「それはそうと……あたしたちには今こっちの方が問題で――」
奈月が困ったように朱莉へ視線を向ける。
「~~っ~~っ」
そこには赤くなった顔を両手で隠す朱莉の姿があった。
「まあ仕方ないよ。朱莉ちゃんじゃなくてもあんなの聞かされたらね」
「うん。何だっけ?一番身近な人で大切にしたいだっけ?」
「~~っ!」
奈月の言葉を聞くと朱莉は頭から湯気が出るのではないかというほど顔を赤くしその場にしゃがみ込んだ。
「ちょっと奈月!揶揄っちゃだめでしょ!」
「ごめんごめん。別に揶揄うつもりじゃなかったんだけど」
「どうするの?朱莉ちゃん余計に困惑してるよ」
「どうするって……あたしもわからんし」
ここまで動揺している友人など今まで見たこともないので対応に困る。何か声を掛けた方がいいのかとも思うが、何を言えばいいかもわからない。
そして朱莉は朱莉でいろいろな感情が頭を駆け巡っていた。
(大切……大切……一番身近な大切な……一番大切な……)
頭の中で尊の言葉を繰り返す。繰り返す度に嬉しさやら恥ずかしさが頭を巡る。人の言葉にこれほど動揺してしまうのは初めてのことだった。この感情の名前がわからず朱莉は恐る恐る口を動かす。
「あの、さ……平野君の、言葉……どういう意味、だったの、かな」
たどたどしく何とかそこまで言葉を紡ぐ。
「どういうって……言われてもなー」
「うん。ちょっと……ねー」
奈月と沙耶香がお互いの顔を見て困ったように相槌を打つ。言葉通りに捉えてもよさそうだが、それは朱莉もわかっているだろう。朱莉が知りたいのはもっと真相に踏み込んだ部分でそれは言葉を発した尊にしかわからない部分でもあった。
「というか。朱莉はそれを知ってどうしたいの?尊のこと好きなの?」
「ふえぇえっ!?」
奈月の質問に朱莉は声を裏返らせる。
「す、すすす、好きって、そ、そんなこと、あるわけっ!」
「すんごい動揺の仕方だね。あたし漫画とか以外で初めて見たよ」
「ちょっと奈月その辺にした方が」
「いや、この際はっきりさせよう」
奈月はうんと頷くとしゃがんで朱莉に向き直る。
「朱莉こそ尊のことどう思ってるの?あたしから見ても二人の仲は友人以上に見えるんだけど」
「そ、れは……」
改めて聞かれると返答に困る。好きか嫌いかの選択肢なら間違いなく好きなのだろうが、この好きが一体なんの好きなのか……。その答えは朱莉には出せずにいた。
「わか、らない……」
結局朱莉が出した答えは白紙だ。いくら考えてもこの問題の解答がわからなかった。
それを聞くと奈月は「そうか」と呟き立ち上がる。
「なら、あたしが尊貰ってもいいかな」
「え?」
朱莉は呆然と奈月を見上げる。一体何を言っているのか理解が追い付かずにいた。そんな朱莉を余所に奈月は言葉を続ける。
「尊ってつるんでわかったけど結構いいやつだよね。見た目も普通にかっこいいし」
一体何をいっているのか。朱莉は胸が痛くなる。
(そんなの私だってわかってる。私の方が先に知ってた)
胸の前でぎゅっと手を握りこむ。次第に早くなる心臓の鼓動が痛い。大事なものを取られてしまうようなそんな感覚に朱莉の頭が真っ白になっていく。
「だから、あたし、尊に告白していいよね?」
「ダメっ!!」
奈月の言葉に被せる勢いで朱莉が叫ぶ。自分でも驚くほど大きな声が口から出る。
「それはダメ!平野君は、平野君は!――私にとっても大切な人で……」
最初の勢いが嘘のように次第に声が弱くなる。自分は何を言い出しているのか朱莉が自分の言葉に困惑していると正面から笑い声が聞こえてきた。
「ぷ、ふふ、あはは。――あー、ごめん、ごめんね朱莉。ちょっとふざけすぎたかも」
「……え?」
いきなり笑いだす奈月に先ほどまでの緊張感はまるでなかった。急変する友人の態度に朱莉は呆然とする。
「いやさ。朱莉があまりにもうじうじしてるから焦れったくなっちゃって。ちょっといじわるしたくなっちゃった」
朱莉は状況の理解が追い付いてないが奈月は構わずまくしたてる。
「でもよかったね。ちゃんと答えが出て。まあ、あたしとしてはもう少しちゃんとした答えを期待してたんだけど」
奈月がなんとも楽しそうに笑うが朱莉にはそんな余裕はない。固まっている朱莉を見て沙耶香が口を開く。
「奈月そろそろ落ち着いて。もう朱莉ちゃん一杯一杯みたい」
「ありゃ、本当にごめんね朱莉。沙耶香も黙って聞いててくれてありがとう。止めてくると思ったけど」
「止めようとは思ったけど、なんか奈月らしくないなって思ったから。とりあえず様子を見て危なそうだったら止めようかなって」
「沙耶香はその辺ちゃんとわかってくれるから好き」
和気あいあいと話す二人を見ていても朱莉の困惑は晴れない。だが、頭だけは次第にクリアになっていく。
「え?じゃあ告白するとかって……」
「うん。ごめんね。あれ嘘」
両手を合わせて舌を出す奈月。
「……私とんでもないこと言った気がするけど……」
「うん。言ってたね。尊のこと大切なんでしょ?答えが出てよかったよ」
うんうんと腕を組みながら頷く奈月はどこか誇らしげだった。
そんな奈月を見ていると次第に現実に頭が追い付いてきて――。
「え、嘘、え……私、平野君のこと……」
尊に対する自分の思いを自覚してしまった朱莉は恥ずかしさが限界に達し頭を押さえながら顔を伏せる。
「これってそういうことなの……?いや、それもあるけど――」
生まれて初めての感情を友人たちに暴露してしまった。もう考えることが多すぎて朱莉は再び頭を回す。
「あはは。朱莉また顔赤くしてる。やっぱりこっちの朱莉の方が可愛いね」
「笑ってるけど奈月のせいだからね。――まあ、私も今の朱莉ちゃんは可愛いと思うけど」
楽しそうに可愛い可愛いと言う友人たちへジトーっと恨みがましい視線を向ける。
「ちょっと、私今真剣に悩んでるんだけど」
「あはははは。そういう表情も今まで見せてくれなかったからなんか新鮮でいいなー」
「ごめんね朱莉ちゃん。でも、今は朱莉ちゃんに怒られるのもいいかも」
「………」
一向に笑顔を絶やさない二人を見ていると悩んでいることが馬鹿らしくなってきた。それに朱莉はもう知っている。
(……まあ、二人なら……いいか)
素の自分を見せても二人なら大丈夫だと。それなら今はもうこの仮面は捨てよう。学校で常に被り続けてきた偽りの自分を捨て去る。
「ふーん、そんなに笑いたいんなら……」
朱莉が悪戯を思いついた子供のような笑顔を浮かべると奈月に抱き着く。
突然のことに奈月は目を丸くさせる。
「え?朱莉どうし――あははははっ!」
奈月が急に爆発したかのように大笑いを始める。
抱き着いた朱莉が奈月のわき腹など敏感な部分を擽りだしたからだ。
「ひひっ、ちょっと朱莉止め、あははははっ!」
「どうしたのー?笑いたいならどーぞー」
その擽り地獄はしばらく続き――。
「はー、はー……」
息も絶え絶えの奈月が両手両膝を地面につけて苦しそうに呼吸を繰り返していた。
その様子を沙耶香は苦笑しながら見ていたが、朱莉の視線が沙耶香を捉えると息を呑む。
「沙耶香さん、他人事みたいに笑ってるけどいいのかな?」
両手を開いて前に構えて朱莉は沙耶香へ近づいていく。
「え?もしかして私も?」
「ええ、当然」
とても可愛らしい笑みを作る朱莉だが沙耶香には恐怖でしかなかった。
思わず後ずさり逃げようとするがもう遅い。朱莉が沙耶香の身体に抱き着く。
「……あの……朱莉ちゃん?」
「うん?なあに?」
「……お手柔らかに」
これはダメだと沙耶香は悟り、せめて奈月ほど酷くならないことを祈った。
朱莉はこの時ばかりはとことん燥いだ。普段の鳴海朱莉として。
体育館裏で二人の生徒の笑い声が夕焼け空に溶けていった。




