71話 隣人が一番聞きたかった言葉
文化祭も終わって夕日が差す廊下を三人の生徒が歩いている。
「文化祭楽しかったねー」
「うん。高校だとやっぱり規模が違うね。朱莉ちゃんも楽しかった?」
「ええ、すごく楽しかったよ。こんなに楽しかった文化祭は初めてかも」
朱莉たちは雑談しながら昇降口で靴に履き替えると外に出る。外では文化祭が終わったというのに屋台などの出し物が残っているせいでその実感が薄れる。
特に意味もなく残った屋台を流し見ていると朱莉の視線が一点に留まった。
(あれって……平野君?)
視線の先には尊の後ろ姿があった。少し距離があったが見慣れた後ろ姿を見間違うこともなく朱莉は気づく。
「ん?どうしたの朱莉?――あれ?尊じゃないあれ」
しばらく一か所を見続けていたので朱莉の視線の先を追った奈月も気づく。
「そうだね。でも……平野さんどこに行くんだろう」
沙耶香も尊へ視線を向け、その行先に疑問を浮かべる。尊が向かっていた先は人気のない体育館の方だった。文化祭も終わったというのに一体何の用なのかと三人は不思議に思う。
「尊ー!おーい!」
「ちょっと奈月さんっ」
奈月が急に大声で尊を呼び出すので朱莉が咄嗟にその腕を掴む。
「えー、だって気になるじゃん。あ、行っちゃった」
奈月が不満げに口を尖らせている間に尊は建物の陰に入っていく。
朱莉は気づかなかった尊にほっとしながらもその後に視線は向いたままだ。
(平野君こんな時間になんであんなところに)
内心では気になって仕方がないがそれを表に出すことは無い。学校での朱莉としてはこの考えで正しいだろう。興味本位でいろいろ詮索するようなことはしない。
この場に朱莉だけならそれで済んでいただろうが――。
「こんな時間に人気のない方に向かっていった……これは告白ですな」
奈月が顎に手を置き考え込むような仕草を取ると唐突にそんなことを口にする。
「こ、告白っ!?」
その言葉に朱莉はひどく動揺する。普段の朱莉ならここまで取り乱すことはしなかっただろうが、なぜか学校での朱莉の仮面が剥がれてしまった。
「告白ってどういうこと!」
「え?いや、ちょっと……そう思っただけで別に本当に告白と決まったわけじゃ」
朱莉の迫力に奈月がしどろもどろに口を動かし後ずさる。いつもの朱莉とは違うその様子に奈月と沙耶香が面喰っている間も朱莉はぶつぶつと口を動かしている。
「告白、告白って……」
鬼気迫るような朱莉の雰囲気に飲み込まれそうになりながらも沙耶香が声を掛ける。
「朱莉ちゃん落ち着いて。告白っていうのは奈月が勝手に言ったことだよ。奈月の言葉をそんなに重く受け止めちゃだめだよ」
「ちょっと沙耶香それはあたしに対して失礼じゃない?」
そんな二人のやり取りを聞いていると朱莉も次第に冷静さを取り戻していく。冷静になれば今度は自分の取り乱しように恥ずかしさがこみ上げてきた。
「そ、そうだね。ごめんね恥ずかしいところ見せちゃって」
頬を染め恥ずかしそうに頬を掻く。そんな朱莉に奈月は笑顔を返す。
「いいってそんなの。あたしは普段見ない朱莉が見れて少し嬉しかったし」
「嬉しかった?」
「うん。嬉しかった」
朱莉が奈月の言葉に首を傾げていると奈月は本当に嬉しそうに笑っている。すると笑顔を浮かべた沙耶香も口を開く。
「うん。私も朱莉ちゃんいつもは周りを気にして素を隠してるようなところあるから、多分これが普段の朱莉ちゃんなんだなって」
沙耶香の言葉を聞いて取り乱してしまった恥ずかしさから素の部分を見られた恥ずかしさへと変化する。
「え?いや、私は……」
先ほどよりも顔を赤くし見られないように手で隠す。隠しながら朱莉は考えてしまった。二人が本当はどう思っているのかを――。過去の経験が朱莉を負の方向に導いていた。
(……本当に嫌になる、こんなこと考えるなんて)
無意識とはいえ友人を疑った自分に嫌悪感が湧き上がってくる。今後もこんなことを考えてしまうと思うと朱莉は罪悪感で友人二人の顔が見れなかった。
家と学校での朱莉はまるで違う。尊にも別人と思わせるほど自分を偽っていた。それは過去の自分の経験から朱莉が選んだ自己防衛の方法だった。
だが最近になって、その偽ってきた姿に亀裂が入ってきていた。尊が提案した計画を実行していく毎に普段の朱莉が学校でも顔を出すことが増えた。そのせいか家と学校の境目があやふやになり最近では身近な友人にはこうして素の部分を少し出してしまうこともあったが、今回は隠しようがないほどに普段の自分を二人に見せてしまった。
朱莉の中で過去の記憶が蘇る。友人に言われた心を抉るナイフのような言葉が。
「………」
朱莉は不安そうに二人の顔を覗き見ているが、そんな朱莉の反応にもおかしそうに奈月が口を開く。
「朱莉さ、素の自分を見られて嫌われるとか思ってる?」
「っ!?え?……そんなことは……」
思っていないとは言い切れなかった。朱莉の中には少なからず不安があったのだ。そんな朱莉の様子を見て見透かしたように奈月は言葉を続ける。
「別に悪いことじゃないでしょ。人によく見られたいって思うのは人として当たり前のことなんだから、裏表がない人なんていないんだし。それに――」
一度言葉を切って朱莉を真っ直ぐ見据える。
「どんな朱莉を見たって今更あたしが朱莉を嫌うことなんてないよ」
その言葉を聞いて朱莉は咄嗟に口元を押さえる。そうでもしないと漏れ出してしまいそうだったからだ。
過去の辛い出来事から今までの自分を偽って生きるようになり、うまく立ち回れるようになってきていた。それでも自分を偽るのは辛いこともあり最初の頃は吐いてしまいそうなこともあったが、受け入れられていく偽った自分を見ているとやっぱり皆はこっちの自分の方がいいのだと思うようなっていた。
でも、尊には普段の朱莉の方が親しみやすいとまで言われ、今回奈月からも普段の朱莉を受け入れてもらえる言葉を貰った。今まで偽った自分を一番見てきた友人にまで言われてはもう朱莉も疑うこともなく、その言葉は胸の中にすうと入り込んでいた。
「そうだよ朱莉ちゃん。私たちは朱莉ちゃんのこと大好きだから。だからそんなに怯えなくていいんだよ」
きっと二人の言葉は朱莉が一番聞きたかった言葉だろう。普段通りの朱莉でも嫌ったりなんかしない、素を出すことを怖がらなくていいと――。そう思ってしまってはもう朱莉は堪えることができなかった。
「そんなこと言われたら、私……私……」
朱莉の涙の防波堤が決壊する。溢れる涙を制服の袖で拭うが止めどなく溢れてきてしまい全く意味がなかった。学校ということもあり声だけは頑張って押さえているが度々口の間から漏れ出ている。
そんな朱莉を二人は優しく抱きしめる。泣きじゃくる子供をあやす様に優しく頭を撫でる。おそらく今回の文化祭で一番暖かく優しい時間が三人の間に流れていた。
しばらくすると朱莉も落ち着いてきて伏せていた顔を上げる。
「ん。ありがとう二人とも。もう大丈夫」
朱莉は二人の顔を見ると真っ赤に腫らした目を細めながら柔らかい笑顔を浮かべる。そんな朱莉に安心したように二人も笑顔を返す。
「よかった朱莉ちゃんが元気になってくれて」
「なー、あたしが泣かせちゃったかと内心焦ってたからね」
にひひと奈月が笑うとそのままある方向へと歩き出す。
「そんじゃ行こうか」
「行くって、どこに?」
朱莉は目元を拭いながら問いかける。奈月が歩き出した方は校門とは真逆の方向なのだ。
「そんなの尊が行った方に決まってるでしょ」
その言葉を聞いて朱莉は目を丸くする。
「え?いや、流石にそれは……」
「だって気になるでしょ?ほら早く行かないと」
躊躇う朱莉の手を取り奈月は歩みを進める。引っ張られ困惑している朱莉に沙耶香が声を掛ける。
「多分奈月なりに空気を明るくしようとしてくれてるんだと思うよ」
「空気をって……それはありがたいけど……」
それでも尊の後をつけるのはどうなのかと朱莉は苦笑する。だが、強く抵抗をしないのは朱莉も内心では気になっているからだろう。朱莉はされるがままに尊の後を追うことになった。




