70話 教室での軽い打ち上げ会
文化祭も残りわずかになった頃に尊は空き教室から出てきた。
その顔はどことなく疲れているような、足取りも少し重い気がする。なぜこんなに疲労困憊なのかといえば――。
(結局全然休めなかった……)
朱莉が去った後も尊の脳裏には朱莉の顔と言葉がちらつき、当初は空き教室で少しは休めるだろうと思っていたのに、逆に疲れが蓄積される形になった。
「はー」
もう幾度目かもわからないため息をつき尊は自分の教室に戻ってきた。教室の執事喫茶は文化祭終了間際だというのに席は全て埋まる盛況だった。
「まだ忙しそうだな」
「ん?おお、尊。戻ってきたか」
先に戻ってきていた隼人に声を掛け尊は隣に並ぶ。
「俺たちまだ外にいた方がいいんじゃないか」
「まあ、文化祭ももう終わるし、ちょっとくらいいいだろ。尊は文化祭楽しめたか?」
「んー、まあ、よかったよ」
楽しめたかと言われると何とも言い難い。クラスの出し物は最初はいやいややっていたが途中からは自分の役割を果たそうと必死だった。それに空き教室での朱莉とのやり取りは楽しかったと言えば楽しかったのかもしれない。朱莉とのあの時間は尊にとっても言葉ではうまく表すことができなかった。
「なんか曖昧な返事だな。まあ、つまらなかったって聞くよりいいけど」
尊の返答に微妙な顔をするがそれ以上聞いてくることは無かった。
尊はしばらくぼーと教室を見渡す。飾り付けやいつもと違う机の並びを見て物思う。これらを全部自分たちでやったのかと。文化祭の行事に今まで積極的に参加してこなかった尊としては何から何まで初めて尽くしの文化祭だった。大変なことは確かに多かったがそれでも達成感は確かにある。考えてしまうといろいろな感情が湧き上がってきた。
そう思うと先ほどの感想は何か違う気がする。
「いや、そうだな……楽しかったよ」
尊はいちいち伝えなくてもいいかとも思ったが悩んだ末に口を開いた。
そんな尊の言葉に隼人は目を丸くしていたが、すぐに相好を崩す。
「そうかそうか。そんなに楽しかったのか」
「別にそこまでは言ってないだろ」
「改まって俺に言いたくなるくらいには楽しかったんだろ?」
「………」
尊は眉間に皴を作り隼人を睨みつける。やはり伝えるべきではなかったと後悔する。
そんな尊の反応を楽しむように隼人は声を出して笑っていた。
「皆飲み物は持ったかな。――よし、それでは!文化祭お疲れ様でした!」
「「「お疲れ様でした!」」」
井上の合図で教室に生徒たちの声が響き渡る。
「いやー、よかったね執事喫茶!大反響だったよ!」
「他のクラス見ててもあんなに長い行列作ってたの俺らのとこだけだったしな!他のクラスのやつらも羨ましがってたぞ!」
各自、自販機で買った飲み物や店で余った飲み物に食べ物を摘まみながら文化祭の成果に花を咲かせていた。
尊はそんなクラスの和に入らず壁際で生徒たちを眺めながら手に持ったコーヒーを啜っていた。
一人でそんなところにいると当然のように話しかけてくるやつがおり――。
「尊ー、なに一人で佇んでんだよー」
飲み物片手に近寄ってきた隼人が尊の首に腕を回す。いつも以上に面倒くさい感じに絡んでくるので尊は眉根を寄せる。
「そんなくっ付くな。酔っ払いかお前は」
「酔ってねーよ。ほら、これジュース」
言ってにひひと笑う隼人に尊は更に眉間の皴を濃くする。
(まじで酔ってないよな?酔っ払いにしか見えない)
試しに尊はいつものように隼人のわき腹に肘をねじ込む。
すると、うっと呻き声を上げ隼人はその場に膝をつく。
「お前……いきなりなにすんの?」
「すまん。本当に酔ってんじゃないかと思って」
いつも通りの反応に尊も安心する。隼人は納得がいかなそうな顔を作りながら立ち上がった。
「お前俺だからいいものの他のやつらにこんな事したら間違いなく嫌われるぞ」
「こんなことするのは隼人くらいだから心配するな」
「え?何それ、急なデレは俺も困るというかな」
「デレてねえよ!気持ち悪い!」
こんな感じで教室の端の方で騒いでいると井上が近づいてきた。
「二人ともお疲れ。何を騒いでいるんだ?」
「尊が急にデレ出すから困ってな」
「お前本当にいい加減にしろよ」
そんな二人のやり取りに井上は笑う。
「本当に仲がいいな。平野は皆のところには行かないのか?」
「ああいう騒ぐようなノリはあまり得意じゃないからな。ここで見てる方がいいよ」
尊は教室の中心に視線を向ける。ちょうどクラスの生徒たちが炭酸飲料を一気飲みしようと騒いでいるところだった。別にこういったノリは嫌いではないが一緒になって騒ごうという気にはなれなかった。
そんな尊を見て井上は残念そうに眉尻を下げる。
「そうか。今日一番の功労者に楽しんでもらいたかったけど」
「別に楽しんでないわけじゃないから気にしなくていいぞ。それに功労者って言うなら井上だろ。学級委員長としてクラスを引っ張ってきたんだから」
「まあ、そこは学級委員長だし当然というか。でもお店の貢献度としてはやっぱり平野だよ」
褒めてくれることはありがたいが店の貢献と言われると尊は何のことかわからず反応に困った。そんな尊の様子を察して井上は笑顔を作りながら話を続ける。
「ほら、最初の方お客さん来すぎて困ってたところを助けてくれたろ」
そこまで言われ尊も思い出す。
「確かにそうだけどそれくらい……」
「それだけじゃないんだよ。俺たちのクラス平野目当てに来てた生徒も多かったみたいでさ、それのお陰で成功したとも言えるんだ」
「え?俺目合ってってそんなこと……」
ないだろう、と思っていると隼人が話に入ってくる。
「あー、そういえば文化祭回ってる時もちらほらそんな話聞いたな。かっこいい執事がいるクラスがあるって」
「………」
尊は沈黙し口を開けたまま固まる。文化祭中空き教室に籠っていた尊が知る由もなく。まさかそんな噂になっていようとは思わなかった。
「それともう一つ噂があったらしいよ」
「まだあるのか……」
井上の言葉に尊は見るからに嫌そうな表情を作る。これ以上何があるのかと身構えていたが尊が思っていたものとは違うものだった。
「なんでもすごく美人の着物を着た幽霊が出たとか」
「……あー……」
その噂には覚えがあった。尊が言葉に迷っていると隼人が口を開く。
「それって鳴海さんのことだろ?陽菜から聞いたぞ」
「そうなの?それならなんか納得だね」
「………」
噂について話す二人の会話を聞きながら尊は黙ってコーヒーを啜る。下手にしゃべって空き教室で朱莉と二人でいたことがバレても面倒だと。知らないていで適当に相槌をしていると尊の元に一人の生徒が近寄ってきた。
「平野君たち楽しんでる?」
上目遣いにそう尊に訪ねてきたのは小野寺だった。
「ん?ああ、ちゃんと楽しんでるぞ」
尊は右手のコーヒーを軽く上げながら返す。
「そうか。それなら良かった。なんか三人で端の方に集まってるから皆と混ざりにくいのかなって思って」
「俺は兎も角そこの二人が混ざりにくいとか考えないと思うけどな」
「あはは、違いない。尊は基本一人でいる方が好きだもんな」
「そうなのか?まあ、確かに平野が皆としゃべるとこってあまり見てないかも」
小野寺を含めた四人でしばらく会話が続いた。といってもほとんど三人が中心に話してくれたため尊は聞く側に専念することができた。
会話も結構盛り上がっていたが教室に担任の先生が入ってきたことで中断する。
「おーい。そろそろ片付けて解散しろよ。教室の装飾とかは明日片付ける時間あるから飲み物とかだけはちゃんと捨ててから帰れな」
担任の言葉に生徒たちがそれぞれ返事をすると騒がしかった教室が急に静かになった。皆に倣って尊も飲み物などの片付けに入ろうとしたとき制服の袖が何かに引っ掛かり歩みを止める。
「ん?」
見ると引っ掛かっていたわけではなかった。
「平野君ちょっといいかな?」
小野寺が尊の制服の袖を指先で摘まんでいた。
「ああ、どうした?」
「そのね……えーと……」
言葉に迷うように小野寺は逡巡する。一体何の用なのかと尊が首を傾げていると言葉がまとまったのか小野寺はその大きな目を尊へ向ける。
「平野君あとで……た、体育館裏まで来てほしいの」
「体育館裏……?」
尊はほとんど無意識に復唱して小野寺の顔を見つめる。頬は薄っすらと染め唇は固く結ばれている。尊が返事に困っていると小野寺の方から口を開く。
「……待ってるから」
それだけ言うと尊の制服の袖を放し、小野寺は皆の方へと駆けて行った。
急な展開に尊が放心状態になっていると肩に手を置かれ我に返る。
「あれ、どうすんの?尊」
話を聞いていた隼人が声を掛ける。いつもへらへらしている隼人だが今は少し真剣な部分を覗かせていた。
「どうするって……」
「いくらお前でもなんで呼ばれたかわからないわけではないだろ?」
「………」
尊は隼人の言葉に何も言わず黙り込む。尊でも呼ばれた理由くらい見当がついていた。最近になってよくしゃべるようになった小野寺からは他の生徒とは違う明らかな好意を向けられているのを感じていた。その好意が何に対してのものなのかまでの判別はできなかったがこれでほぼ確定したといってもいい。
(俺の勘違いだったらかっこ悪いな……)
考えていたことを一旦飲み込み尊は口を開く。
「俺もそこまで鈍感ではないみたいだな。そういうわけで今日は先帰っててくれ」
「ちゃんと行くんだな」
「流石に行かないわけにはいかないだろ」
尊は大きく息を吸い心を落ち着かせる。尊の思っている通りになるのなら何かしらの答えは出さなければならないだろう。
隼人は何か言いたげに尊の顔を見ていたが目を瞑り顔を逸らせる。
「とりあえず頑張れよとだけ伝えとくわ」
「なんか急に冷めてないかお前」
「別にそんなつもりはないんだけどな。友人としてはいろいろ思うところがあるんだよ」
肩を竦める隼人に尊は不審な目を向けるが特に気にする様子もなかった。
そうこうしている内にクラスの片付けもほとんど終わってしまっていた。生徒達も徐々に教室を立ち去っており、小野寺の姿はすでに教室から消えていた。
このまま突っ立ってても仕方ないので尊も動き出す。
「それじゃあ、また明日」
「おお、またな」
鞄を肩に掛けると隼人に挨拶をし教室を出る。廊下にやたらと大きく響く自分の足音を聞きながら尊は小野寺との約束の場所へと向かった。




