69話 本心からの言葉
「それはそうと、あなたはどうしてこんなとこで一人寂しそうにしてるのよ」
尊の隣に座ってきた朱莉が特に気にした様子もなく口を開く。その普段通りの様子に尊は少々拍子抜けする。
「別に寂しくはしてない」
一人でぼーっとはしていたが寂しいとかそんな感情は無かった。むしろ心休まる最高の環境とさえ思っていた。
「……友達少ないのは知ってるけど文化祭くらい誰かといたら」
尊の返答をどう捉えたのか知らないが、朱莉が哀れみの視線を尊へ向ける。
そんな朱莉に尊は頬を引きつり反論する。
「何勘違いしてるか知らんけど、本当に寂しいとか思ってないからな」
「そうなの?一緒に文化祭回る友達いなくてこんなところで一人でいるのかと」
「一緒に回る友達くらいいるからそんな心配は無用だ。ちゃんと理由があるんだよ」
「理由って?」
「………」
朱莉に問い返され尊は言葉に詰まる。今こうなっているわけを説明するには小野寺のことを話すことになるのだが――。
(こいつらなんか仲悪いんだよな)
先日の険悪な空気を思い出す。お互いに牽制し合い見えない攻撃を繰り広げていた二人を――。
それでも小野寺のことを出さなければ説明もできないわけで、尊は仕方なく重い口を開く。
「小野寺の誘い断ったろ。あれの辻褄合わせだよ。俺が一人でその辺ふらついてたらおかしいだろ」
尊が小野寺の名前を出したとき朱莉の目が一瞬大きく開いたがすぐに平然な態度になる。
「あー、そういえばそんなことあったねー」
わざとらしく相槌を打つ朱莉に尊は目を細める。忘れてましたと言った態度だがしっかり覚えていたことがバレバレである。
じとーっと視線を向けてると朱莉が慌てて口を開く。
「しょうがないから私がしばらく話し相手になってあげる」
「いや、別にいいけど」
「ちょっと。話し相手くらいいいでしょ。私だって暇なんだし」
後半本音が出ていたが下手に突っ込んで話がややこしくなるのも面倒くさいので尊は朱莉に合わせる。――奈月との約束もあることだし。
「わかったよ。ならしばらく付き合ってくれ」
「ええ、任せて」
心なしか嬉しそうに笑う朱莉に尊は苦笑してしまう。
尊は一度深く息を吸い口を開く。
「文化祭の準備頑張ってたみたいだな」
脈絡なく話を振られ朱莉は一瞬惚けていたがすぐにその意図に気づく。顔を隠す様に尊から顔を逸らした。
「頑張ったなんて当たり前だよ。皆でいい出し物にしたかったし」
「それもあるだろうけど、鳴海クラスの子たちとちゃんと話せてただろ?びっくりしたよ。様子見に行った時普通に話してたから」
「見てたんだ……」
呟くほど小さな声でそういうと朱莉は膝を抱えその上に顎を乗せる。
「ああ、ちゃんと見てたぞ。本当に頑張ってたな」
尊の言葉を聞くと朱莉は顔を膝に埋めてしまった。恥ずかしさを隠す子供のような反応に尊は頬を緩める。
「ちょっと、なんでそんないきなり優しくするの反応に困るのだけど」
「俺が思ってる以上に鳴海は頑張ってたと思うからな。頑張ってたやつを褒めるのは当たり前だろ」
実際どれだけ朱莉が頑張っていたかは尊にはわからない。それでも人と話すことを意識して避けてきた朱莉がクラスの人間と普通に話しても不自然じゃないところまでクラスの環境を変えたのだ。それがどれだけ大変なことだったかは尊でもわかる。だからこそこうして嘘偽りのない言葉で朱莉のことを褒めてあげられる。
「本当によく頑張ったよ鳴海は少し早いかもだけどお疲れ様」
自然と微笑みを浮かべながら尊は労いの言葉を掛ける。
それを聞いている朱莉は依然として体制を変えずにただ黙っていたが、よく見てみるとその身体は少し震えていた。次第に震えは大きくなり尊もその異変に気付く。
「え?と、鳴海?」
尊が言葉を掛けると朱莉は弾かれたように体を起こした。
「あーーーっ!なんなのもうっ!」
いきなり大声を上げた鳴海に尊は驚愕する。意味が分からず口を開けていると朱莉が尊へ振り向く。
「普通にしてようと思ってるのに!平野君はどうしてそんな優しくするの!これじゃあ普通にとか無理!」
頭を抱えて呻きだした朱莉にいよいよ尊の頭は思考が着いて来なくなっていた。いつもみたいに恥ずかしがっているだけとは違うようだ。
「あのー、……何をそんなに……怒ってる、んだ?」
朱莉の今の感情がわからず自信なく言葉を掛ける。そんな尊に不満を持ったのか、きっと尊を睨む。
「何自分は関係ないみたいな顔してるの。そもそも平野君が悪いんだからね!」
「俺がって……そんなに褒めたのが恥ずかしかったのか?」
「それもだけど違うでしょ!お店でのこと、もう忘れたとか言わないよね!」
「あ……」
もちろん忘れてなどいない。いなかったが意識はしないようにはしていた。お互いに話題にしない方がいいと思ってのことだったのだが朱莉から話を持ち出してきた。
「忘れるわけないだろ。……というかあまり話題に出さないようにしてたんだけどな」
「私だってそうだよ。だからいつも通りに話してたのに……なんだか調子狂うようなことばかり言い出すし」
「それは……悪かったな」
普通に話しかけてくるとは思っていたが朱莉も気にしていたようだ。それなのに尊が普段以上に朱莉を褒めるものだから普通を演じる演技も限界だったらしい。
顔を真っ赤にして震えてる朱莉に流石に申し訳なく思い尊は再び謝罪を口にする。
「本当に悪かったよ。でも褒めてたのはふざけてたとかじゃなくて本心から褒めたいと思ったからでな」
「そこは疑ってないから。ふざけてるかどうかくらいは流石にわかる」
「そうか。ならいいんだけど」
尊が話し終わると沈黙が訪れる。元々意識しないようにしていたことを話題に出されたのだ。尊も朱莉もこれから何を話せばいいのかわからないでいた。時間だけが過ぎていく中気まずい沈黙を破ったのは朱莉だった。
「……さっき褒めてくれたのはふざけてたわけじゃないって言ってたけど、それなら……お店での言葉はふざけて言った言葉?」
「………」
何のことだとかそんな無粋なことは言わない。朱莉が何に対して言っているかくらい尊でもわかる。ただそれを言葉にするのはあまりにも恥ずかしかった。
無言で尊が考えているとむくれた朱莉が急かすように口を開く。
「ちょっと何黙ってるの。やっぱりふざけてたってことでいいの?」
「ちょっと待て。別に……その、なんだ……ふざけてたとかではない」
右手で口元を隠しながらなんとか口を動かす。はっきりしない尊に朱莉の眉間が寄る。
「それは本気で言ってたってことでいいんだよね」
「………」
再び沈黙すると尊の顔が強制的に動かされる。
「え?」
動いた先――。目の前には朱莉の顔があった。朱莉が両手で尊の顔を包み無理やり正面を向かせる。
まさかの朱莉の行動に尊は思考も身体も硬直する。
「黙ってないではっきりして。ふざけてたとか揶揄って言ったんじゃないんだよね」
その綺麗な瞳に尊は釘付けとなる。真っ直ぐすぎるその瞳は尊にはあまりにも眩しかったが目を逸らせることはできなかった。気づけば口も勝手に動き出す。
「……ふざけてなんかいないし揶揄ってもない……俺の本心だよ」
「……そう」
納得してくれたのか朱莉は目を伏せる。張りつめていた空気も和らいでいき尊も安心しているのだが――。
「えーと。もうそろそろ放してくれないか」
朱莉の手は尊の顔を包んだまま固まっていた。なぜ放さないのか尊が困惑していると朱莉の口が動いた。
「それなら…………てよ」
「え?」
あまりにも小さな声に尊は聞き返す。
すると朱莉は顔を上げる。その顔は上気して頬が赤く染まっていた。
「それならもう一回言ってよ。今度はちゃんと言って」
潤んだ瞳で恥かしさが見え隠れしている朱莉の言葉に尊は息を呑む。
(なんでこいつはいつもいつも……)
大きく心臓が跳ねる。痛いほどに鼓動を刻む心臓を落ち着かせるように尊は一度大きく深呼吸をする。自分でも驚くほどに喉が渇き、声の出し方を忘れてしまったかのように言葉が喉で詰まる。自分が緊張しているのがよくわかる。
(落ち着け、一度言った言葉だろ……なんでこんなに……)
尊は目を瞑り自分を奮い立たせるように拳を強く握る。それでもなかなか切り出せずにいると朱莉が尊の顔を包んでいる手に少し力を入れる。
その心地いい感覚に尊は目を開けると、微笑みを浮かべる朱莉が尊の顔を見つめていた。
尊は拳の力を緩め朱莉の顔を見返す。思えばクラスで朱莉に囁いた時もそうだ。別に難しいことなんて何も考えていない……本能的に身体が動いていたのだ。そして今回も尊の口がゆっくりと動き出す。ゆっくりと一言一句口にする。
「たまに見せてくれる笑顔好きだよ、朱莉」
今度は耳元ではなく、真っ直ぐに朱莉の目を見て伝える。嘘偽りのない尊の本心だ。朱莉にもそれは伝わっているだろう。
だが、こんな言葉言う方もそうだが言われた方も恥ずかしい。朱莉もそれは同じで顔を真っ赤にさせながらもしばらくその潤んだ瞳は尊を捉えていたが、恥ずかしさも限界に達したのかゆっくりと顔を伏せていく。
そんな朱莉の様子で尊は我に返り同様にゆっくりと顔を伏せる。あまりの恥ずかしさに朱莉の顔を直視できなかった。
(また俺は何を言って……)
この言葉を言うのは二度目だがこんな言葉何回言っても慣れることは無い。今になって恥ずかしさが込み上がってくる。頭を押さえのたうち回りたくなる気持ちを押さえ尊は口を開く。
「……あのさ、なんか言ってくれないか。流石に無言はきつい」
この何とも言えない恥ずかしい気持ちで放置は尊も居たたまれない。何でもいいからしゃべってほしいと尊は懇願する。それでも朱莉は壊れたロボットの様に微動だにしない。
「鳴海?」
なぜ何も言ってくれないのか。少し不安になっていると朱莉がやっとしゃべってくれた。
「……あの、その……うん、ありがとう……」
ようやくしゃべた朱莉の声は恐ろしくか細い。耳を澄ませていても聞き洩らしてしまうほどだ。
「そんなに照れるなよ。お前が言わせたんだろ」
「そうだけど……そうなんだけど……あ~~」
恥ずかしさで頭が整理できないのか悩まし気に声を漏らす。
こうしたのは尊なので落ち着くまでいくらでも待つがそれよりも――。
「鳴海、いい加減手を放してくれないか」
朱莉は未だに尊の顔を両手で包んでいた。冷静さを取り戻してきた尊としてはこの状況は落ち着かない。
だが、朱莉から再び反応が無くなる。
「鳴海?」
もう一度呼んでも返事はない。
「おい。鳴海?なんで無視してんだ」
そこまで言ってやっと朱莉に反応があった。チラっと尊を見ると口を開ける。
「名前で呼んでくれないんだ」
これには尊もなぜだと疑問符を浮かべる。
「なんでだよ。そもそも名前で呼んだらお前また照れるだろ」
目に見えているので尊は朱莉の要求を突っぱねる。だが、次の言葉で尊は追い込まれる。
「……名前で呼んでくれないと手放さないから」
息を呑み尊は朱莉を見たまま頬を引きつる。なぜ先ほどからこんな甘えモードなのか。普段の朱莉が言わないようなわがままを聞いているとどうしても庇護欲が湧き上がってくる。
「わかったよ。一体どうしたんだよ今日は」
文句を漏らしながらも尊は朱莉の要求に応じる。
「ふー……、朱莉、手を放してくれ」
一度息を整え尊はあまり意識しないよう朱莉の名前を口にする。するとゆっくりと尊の顔から手が離れていき、その手はそのまま朱莉の顔を覆う。
「朱莉、朱莉だってー。ふふふ」
手でくぐもってよく聞こえないがぶつぶつ何かを呟いているのはわかる。
「何か言ったか?」
尊が声を掛けると朱莉は手をどかす。そこにはどこか満足したような表情を浮かべる朱莉が微笑みを浮かべていた。
「ううん。何でもない」
にひっと歯を見せる朱莉に尊は意表を突かれ息を呑む。子供っぽさが残る無邪気な笑顔が尊の心をひどく動揺させた。
(その笑顔はずるいぞ……)
今までの朱莉のわがままがどうでもよくなるくらいにその笑顔には効果があった。尊は恥ずかしさを誤魔化す様に視線を逸らす。
「……それで、いいのか。戻らなくて」
「え?ああ、そうか、私まだ仕事中だった!」
本当に忘れていたのか朱莉は口元に手をやり慌てて立ち上がる。そのまま教室の扉まで駆けていく。扉に手を掛け出ていくのかと思っていると少し開けたところで手が止まる。すると朱莉は一度こちらに振り返り、一瞬逡巡するように視線が泳ぐと尊へ視線を向ける。
「ありがとう。尊君」
それだけ言うと朱莉は逃げるように教室を出ていった。
ただ一人取り残された尊は先ほど朱莉が出ていった扉を見たまま硬直していた。しばらくすると尊は大きく息を吐き、天を仰ぎながら額に手を置く。空き教室での出来事を思い返しながら尊は赤面する。しばらく教室からは出れそうになかった。




