65話 隣人の御来店
十数分後ついに朱莉たちの来店の順番となった。事前に佐藤から連絡を受け尊は扉の前に待機する。待機している間教室は妙な緊張感で張りつめていた。生徒からは期待やら不安やら様々な感情が読み取れる。
「落ち着いてるな尊」
「まあ、事前に教えてもらって心の準備もできたしな。流石にここまで来て慌てないよ」
「それでも大したものだと思うけどな。他の男子じゃこうはいかんだろ」
肩を竦め尊の肝の据わり様に隼人は感心する。
「それじゃあ俺も他のテーブルの対応してるから何かあれば言えよ」
言うと隼人はさっさと尊から離れていった。隼人の気づかいに内心で感謝しつつ尊は扉を見据える。この扉の向こうには朱莉がいる。そう思うと少し心臓の鼓動が早くなる。
(隼人にはああ言ったけど実際緊張はしてるんだよな)
強がって落ち着いているように見せていたが内心では冷や汗を流している。だからといって嫌でやっているわけでもない。どちらかといえば朱莉の接客は尊がやりたいとまで思っていた。だからこの緊張は朱莉の前で失敗しないかといった心配が強くそれが尊のプレッシャーになっている。
男子が女子の前でいい格好を見せたい。尊の感情は男子高校生として正常なものだった。
それでも尊自身が自分の感情を半分も理解できていないので、この感情が何を意味しているのか分かっていなかった。
しばらくすると佐藤から視線を飛ばされる。おそらく朱莉たちが入ってくるのだろう。尊はゆっくり頷くと佐藤も頷き、教室の扉が開いた。
深く息を吸い何度も練習してきた笑顔で朱莉たちを迎えた。
「おかえりなさいませ。お嬢様」
尊が綺麗に礼をすると最初に口を開いたのは陽菜だった。
「わぁ、本当に執事だ。みーくんが執事になってる」
口元を隠しながら驚いたような声を上げる。見ればいつもの女子四人で来店してきたようだ。皆一様に陽菜と似た様な反応をしていた。
そんな陽菜の言葉をとりあえず無視して尊は接客を続ける。
「こちらへどうぞ。席までご案内いたします」
手を向けて席まで朱莉たちを誘導する。
席に着くと早速奈月が尊へ話しかける。
「すごいなー。どっからどう見ても執事だよこれ。めっちゃ似合ってる」
無邪気に目を輝かせる奈月に尊は苦笑する。
「ありがとうございます。こちらが本日のメニューとなります」
四人はメニューを受け取り視線を落とす。そして何にしようかと話し合ってると朱莉が尊へ視線を向ける。
「執事さんおすすめとかありますか」
にこっと笑顔を向ける朱莉。教室の隅で尊たちの様子を窺っていた男子生徒が数人胸を押さえ蹲る。
学校で見せるいつもの笑顔だ。だが、気持ち少し頬が紅潮しているように見える。それでも今の尊にそこまでの変化に気づく余裕はなく対応を続ける。
「はい。こちらのケーキとドリンクのセットはいかがでしょうか。お好きなケーキとドリンクをこちらから選ぶことができます」
「へー、どれも美味しそうね。ケーキで執事さんのおすすめはありますか」
「そうですね。私のおすすめはチーズケーキでしょうか。甘酸っぱいチーズの風味が口に広がりとても美味しいです」
「ありがとうございます。では、チーズケーキに紅茶をお願いします」
「畏まりました。お嬢様方はお決まりでしょうか?」
朱莉の注文を聞き終わると尊は他の三人に視線を向けた。
「そうだねー。どれも美味しそうだけど……決めた!私はチョコのケーキと紅茶にする」
「あたしはチーズケーキで飲み物はコーヒーをお願い」
「平野さん私はショートケーキをお願いします。飲み物は紅茶で」
「畏まりました。ご注文の品をお届けするまで少々お待ちください」
オーダーをメモに取ると尊は腰を折り綺麗に礼をしてテーブルを離れた。
その後ろ姿を朱莉はぼーっと眺めていると奈月が楽しそうに頬杖をつきながら朱莉に話しかける。
「良かったね朱莉。尊の執事姿見れて」
「うん……え?……っ!いや、私は別に!」
尊が去った後も呆然としていたのでつい素が出ていた。慌てて訂正するがそんなのお構え無しに話が続く。
「隠さなくていいって。もう教室入ったときから尊しか見てないでしょ」
「うん。あーちゃん態度にすごい出てたよ。それになんかずっと敬語でしゃべってるし……緊張してた?」
「だからそんなことは無くて私は――」
次第に身体が熱くなり顔にも出そうなところを学校モードの朱莉が気合で抑え込む。
「それに朱莉ちゃん平野さんのことわざわざ執事さんって呼んで名前呼ぶのも恥ずかしいくらい照れてたの?」
沙耶香の純粋な質問に朱莉はついに耳まで顔を赤くした。一気に朱莉たちのテーブルが騒がしくなり、それを尊のクラスメイト達は興味深げに見ていた。
ほとんど学校モードの朱莉しか見たことない生徒からしたら今の朱莉の反応は新鮮に映るだろう。予想外の効果に尊は少し驚愕している。
(なんか勝手に普段の鳴海出してるな)
朱莉がこんなことになっているのは尊が原因なのだが、当の本人がそれに気づいてるわけもなく、他人事の用に朱莉たちの様子を見ていた。
「それで?朱莉は尊のどこにキュンと来たの?」
「キュンとかそういうのじゃなくて……かっこいいなとは思ったけど」
「はぁ、素直じゃないあーちゃん可愛いー。私そんなあーちゃん好きだよ」
「陽菜さんはちょっとくっつき過ぎだから離れてね」
「確かに平野さん落ち着いててかっこいい雰囲気が出てたね。朱莉ちゃんはああいうのが好きなの?」
「……沙耶香さんさっきから妙に答えずらい質問してくるのはわざとなの……?」
朱莉が質問攻めにあっている珍しい光景を眺めている尊は少々居たたまれない気持ちになっていた。
(全部聞こえてるんだよなー話の内容)
別に聞き耳を立てていたわけではないのだが、話の内容に尊が深く関係しているのでついつい耳に入ってきてしまう。
自分の名前が出るたびに意味もなく服装を確認して気を紛らわせた。
渋い顔で朱莉たちのテーブルの様子を窺っているとキッチンの方から声が掛けられる。
「平野君!ケーキセット四つできたからお願い!」
タイミングが悪いことに朱莉たちの注文していたものが出来上がった。
「……了解」
尊はケーキなどが載ったお盆を受け取ると一度朱莉たちのテーブルの方をちらりと確認する。
(今あそこに入るのはいろいろと嫌なんだけどな)
現在進行形で尊の話題は続いている。ここで尊が入っていけば確実に何かしらの話題が振られる。当たり障りのないものならいいが面倒くさい話を振られるのが目に見えている。
一応尊は朱莉たちの対応に集中してもらうため他のテーブルの対応はしなくていいと指示を受けているのでその場で会話する時間はあるが……。
このまま突っ立ってても折角の紅茶が冷めてしまうので尊は小さく息を吐いてから朱莉たちのテーブルへ向かった。




