63話 自分だけ逃げるわけにはいかない
接客の練習が終わった後、尊は逃げるように教室を出ていた。
「はああ、皆反応が大げさすぎる……」
接客後いろいろな生徒に声を掛けられた。すごいだとか、かっこよかったとか今まで話したことがなかった生徒からも賞賛を貰い、尊は気恥ずかしく居心地が悪かったので適当な理由を付けて逃げ出した。
「結局またあとであの教室には戻るんだけどな」
今逃げたとしても状況を先送りしているだけだと理解しつつも時間が経てば皆も落ち着いてくれるだろうと淡い期待もしていた。
「とりあえずどこかで休憩して適当に戻るか」
小さく息を吐き自分の安寧の地を探すため尊は視線を動かす。そこで尊の視線が一か所に留まる。
「………」
一つの教室の見て固まる尊。そこは朱莉のクラスであった。
文化祭の準備が始まる前に皆と話した内容を思い出す。朱莉が学校で普通に友達と会話をできるようにするため考えた計画を。
あれからどうなったのか尊は知らなかった。口頭で朱莉から連絡は受けていたがクラスの実際の様子まではわからない。
気づけば足が教室へと向いていた。扉の陰から教室の中の様子を窺うと尊は驚愕する。
「足立君そこのカッター取ってもらっていいかな?」
「え?う、うん。どうぞ!」
「ありがとう。小林君ここはもう大丈夫だから沙耶香さんたちの方手伝ってあげて」
「は、はい。了解っス」
朱莉がクラスの男子と普通に話をしていた。男子生徒の方は少しぎこちないが朱莉は至って普通だ。それに驚いたのには他にもある。以前は朱莉が男子としゃべっただけで教室が騒々しくなっていたのに今は全く変化がなかった。一人の女子生徒が一人の男子生徒に話しかけたよくあることだと、朱莉に対するクラスの認識が変わっている。
「これは一体……」
尊は呆然と教室の中を観察する。何があってここまでの変化があったのか。だが表面上を見ただけでクラス内の変化の理由がわかるわけもなく、気づけば朱莉の姿を目で追っていた。クラスの誰とでも分け隔てなく話している朱莉は普段以上に楽しそうで、笑顔もなんだか幼さが覗く。
そしてまた男子生徒と自然に会話を始める。その際浮かべた笑顔に尊の胸が妙にざわついた。
「なんだろ……これ……」
初めての感情に尊は戸惑う。自分の感情の名前がわからず再び朱莉を見る。
朱莉が男子と話している……ただそれだけなのなぜか妙に落ち着かない。もしこの感情に名前を付けるとするなら……朧げに浮かび上がりかけた言葉が背後からの声で霧散する。
「あれ?尊じゃん。どうした?」
「――ッ!?」
尊は勢いよく振り返る。そこにはお茶のペットボトルを両手に抱えた奈月が立っていた。
尊の驚きぶりに目を丸くする奈月だったが次第にその目がジト目気味に細くなっていく。
「なに?覗き?流石にあたしもそれは引くなー」
「違えよ。いや、違くはないんだけど……ほら、鳴海クラスでうまくやってるか気になって」
いきなりの奈月の登場に驚きはしたが尊は何とか不審がられない程度に話を繋げる。
「あー、そういうこと。でも心配ないと思うよ。朱莉すごい頑張ってたんだから」
「見てればわかるよ。クラスの空気がまるで違うし」
尊は再び教室へと視線を向ける。楽しそうに他のクラスメイトとしゃべっている朱莉を見て自然と頬を緩める。先ほどまでの胸のざわめきは今は消えていた。
「本当に頑張ってたんだからね。尊ちゃんと朱莉を労ってあげないとだめだからね」
片手を腰に当て尊の顔を覗き込む奈月。妙な圧を感じ尊は後ずさる。
「労うって……まあ、頑張ってたのはわかるから褒めるくらいするけど」
「多分尊が思ってる以上に朱莉は頑張ってたから、だから尊は今自分が思ってる以上に朱莉を褒めないとだめだから」
尊が忘れないように用心深く繰り返す奈月。なぜかとても真剣な表情をしているので尊も黙ってそれに頷く。
「わかればよろしい」
奈月はそれで満足したのか尊の横を通り過ぎ教室へ入っていく。手に持ったペットボトルを机に置き作業に参加する。先ほどまでの真剣な表情も今は消えていた。
終始奈月のペースに飲まれて混乱気味だった尊も頭を掻きながら来た道を戻る。
「なんだかな……俺だけ逃げてるのはかっこ悪いな」
クラスメイトから逃げてきた尊は何とも後ろめたさを覚えていた。朱莉は正面からクラスメイトに向き合っているのに尊は先ほど最も簡単な逃げる道を選んだ。自分から朱莉にクラスメイトとの会話を要求したのにあまりにも自分に甘すぎる。
「このままじゃ情けなさ過ぎて朱莉の顔もまともに見れないな」
罪悪感で圧し潰されそうな気持ちを頭を振り薙ぎ払う。しっかりとクラスメイトと向き合うことを尊も決意し教室へと続く廊下をしっかりとした足取りで力強く踏み進んだ。




