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59話 隣人はご立腹らしい

 視線の先には想像通りの人物が立っていた。

 余所行きの笑顔を作り尊たちを見る朱莉が。


「鳴海……どうしたんだ……こんなところで」


「私がここに居たらおかしいのかな?」


「い、や……おかしくないけど」


 普通に話しているはずなのに尊はいやに緊張する。朱莉からずっと発せられている圧が尊を委縮させていた。


(これって怒ってるよな……なんで怒ってるかは相変わらずわからんが)


 尊は朱莉の顔を躊躇いがちに覗く。満面の笑みを作ってはいるが瞳の奥がやたらと暗く、ずっと見ていたら吸い込まれてしまいそうだ。尊はぞっと身体を走る寒気を感じ視線を外した。

 そんな尊の動揺を感じ取ったのか小野寺が話しかける。


「平野君?どうかした?」


「いや、なんでもないよ」


「そうなの?ならいいけど」


 にこにこと笑顔を向けてくる小野寺。尊が小野寺と少し話をしている最中も朱莉からの圧は増加していた。

 そして、朱莉は尊たちへとゆっくりと近づいていく。近づいてきたことによって尊からは朱莉の圧がさらに大きくなったように感じた。


「二人とも随分と仲がいいんだね。えーと……」


 朱莉はすーと視線を小野寺の方へ送る。


「あ、小野寺です。小野寺莉乃」


 視線で察したのか小野寺は自分の名前を口にした。


「ありがとう小野寺さん。私のことは……紹介はいらなかったかな」


 先日のやり取りで小野寺が鳴海の名前を呼んでたことから不要だと判断する。


「うん。鳴海さんは有名だから知ってるよ。……というよりその……」


 小野寺は鳴海と尊の顔を相互に見て口をもごもごと動かす。


「二人って仲がいいよね?……どんな関係なの?」


「どんなって……友達ってだけだけど……なあ?」


 小野寺の質問に戸惑いながら返答し、朱莉へ顔を向ける。

 朱莉の顔は相変わらず笑顔を崩しておらず、尊にもごく自然な感じに答える。


「ええ、友達よ。ただの友達よ」


 なぜか友達の部分を強調する。言葉には少し棘が混ざっているように感じた。

 一瞬朱莉が尊へ鋭い視線を飛ばしてきたが、気づけたのは尊だけで、冷や汗を背中に感じながらその視線を受け止める。


 朱莉の言葉を聞き小野寺は何かぶつぶつと呟く。


「友達か……。そうかそうか。友達か」


 呟くとなぜか嬉しそうに笑顔を作った小野寺が尊に声を掛ける。


「ねえ平野君。文化祭一緒に回ろうよ」


「は?いきなりどうした」


「ずっと考えてたんだよ。もしかしたら平野君と鳴海さん付き合ってるのかなって思ってたから言わなかったけど。友達ならいいよね」


 言うと小野寺はちらっと朱莉の方に牽制するような視線を向ける。

 その視線に朱莉の形のいい眉が片方ピクリと跳ねる。


 お互い無言ではあるが明確に臨戦態勢に入っていた。二人の間に火花が散る。

 この時ばかりは朱莉も学校での顔を忘れ小野寺に視線を返していた。理由はわからないがなぜか先ほどから無性にイライラとする相手の顔を見ながら朱莉は口を開く。


「小野寺さんとりあえず少し離れた方がいいんじゃないかな。そんなにくっ付いてたら平野君も困るだろうし」


「えー、平野君結構筋肉がしっかりついててくっ付いてると安心するんだよね。ねえ?だめ?平野君」


 上目遣いにそう言ってくるので尊としても対応に困る。実際くっ付き過ぎだとも思うし離れた方がいいと思うが、こんな顔をされては非常に言い出しにくい。


 だが、朱莉の刺すような視線を肌に感じ、尊は重い口を開く。


「まあ、そうだな。さっきも言ったけど少し離れた方がいいと思うぞ、流石に目立つし」


 尊は周りを見渡す。実際目立ってはいた。普段から人目を惹く朱莉に最近何かと注目が集まる尊。その尊に女子がくっついているのだ。見ようによってはちょっとした修羅場のような図が完成している。


 尊の言葉に不服そうな表情を作るが小野寺はゆっくりと身体を離す。


「平野君が言うならしょうがないね。それはそうと、文化祭一緒に回ってくれるの?」


 尊は頬をピクリと動かす。もしかしたら忘れてくれているかと期待したがそんなことは無かった。


 尊としては正直あまり乗り気ではない。小野寺が嫌というわけではないが流石に二人きりになるのは抵抗がある。

 だが、下手な断り方をして今後の関係に支障が出るのも困る。小野寺はクラスメイトだ、まだ夏休みが終わったばかりなので半年以上は一緒に教室で顔を合わせるのだから。


 尊が悩んでいる間も朱莉からの圧は依然として感じる。むしろ強まっていた。無言でジッと尊に視線を送っている。何かを訴える朱莉の視線の意図を読み取ったわけではないが尊は閉じていた口を開く。


「悪いな小野寺。当日は一緒に回れないんだ」


「え……。それはどうして?」


 見るからにショックを受けている小野寺に心が痛みながらも尊は言葉を続ける。


「中学時代の友人が来るんだよ。俺はそっちに付きっきりになるから」


「あ、あーそういうことか。うん。わかった!それなら仕方ないね!」


 暗かった表情も一瞬のことで小野寺はすぐに笑顔を取り戻す。すると何か気づいたようにおもむろにスマホを取り出す。スマホは通知を知らせるライトが点滅していた。


「誰からだろう?うわっ!――ごめん二人とも!ちょっと友達に呼ばれちゃったから教室戻るよ!」


 小野寺はスマホの画面を見ると嫌そうな顔を作り、尊と隼人へ胸の前で両手を合わせ謝罪する。


「ああ、了解だ。こっちは気にしなくていいから」


「うん!ありがとね!」


 手を振りながら去っていく小野寺を見送り、尊は小さく息を吐く。過剰なスキンシップをしてくる小野寺は尊にとって心臓に悪い。ようやく気が休まると尊は再び息を吐いた。


 だが、安心するのも束の間、冷たい空気を周囲にまき散らしている少女が尊へ声を掛ける。


「平野君。ちょっとこれから話せるかな?」


「………」


 有無を言わせぬ朱莉の迫力に尊は無言で頷いた。




 尊たちは人目のない空き教室へと入っていく。

 普段から使ってないからだろうか。少々埃っぽく空気が淀んでいる気がする。


「さっきの小野寺さん、あれは何だったの平野君?」


「何だったのって……何て言えばいいのか。俺にもよくわからんからな」


 今はいつものメンバーしかおらず朱莉も少し学校での仮面が剥がれているのか感情が少し表に出ている。


 急に始まった朱莉の尋問に尊は曖昧な返答をする。尊自身も本当によくわかっていないためこう言うしかなかった。

 そんな尊の返答に朱莉の眉が少しつり上がる。


「よくわからないなんてことある?仲もよさそうに見えたけど?」


「仲……はいいのかもしれないけど。それも最近からだしなんで絡んでくるようになったかわからないから」


「やっぱり仲いいんだね。あんなにくっ付くくらいだし」


「あれも小野寺が勝手にやったことで俺は関係ないぞ」


 ムスっとした顔で朱莉が不満を吐き出す。放っておけばいつまでも口から洩れてきそうだ。

 尊が内心でため息を吐く。


(なんでこいつはこんなに怒ってるんだ)


 尊がこの状況に困っていると見かねた奈月が口を開く。


「ちょーと朱莉?流石に尊がかわいそうだよ。そんなに怒ってると尊に嫌われるよ」


 奈月の言葉に朱莉はわかりやすく反応した。目を大きく開き顔を真っ赤にする。


「んなっ!?別に私は嫌われたって」


「えー?いいの?嫌われて?本当にいいの?」


 奈月が朱莉をおちょくるように言葉を掛ける。


 奈月の言葉に朱莉は少し落ち着きを取り戻す。奈月の言葉が朱莉の心になぜか引っかかるものを感じたからだ。尊に嫌われるということを想像すると心が痛くなった。どうしようもなく朱莉にはそれが苦痛に感じてしまった。一度こんなことを思ってしまったらもう怒る気にもなれなくなってしまう。頭が冷えると今度は疑問が残る。


(あれ?どうしてこんなに頭に来てたんだろう……)


 尊がどこで誰といようと朱莉には関係がない。それなのに小野寺莉乃が尊にくっ付いているのを見たとき心が締め付けられるような痛みを感じた。それで居ても立っても居られなくなり気づけば尊たちに話しかけていたのだ。


 朱莉はこの感情の意味が分からなかった。わからないが決して悪いものだとも思えなかった。多分この感情は自分にとって大事なものなのだろうと直感で朱莉は理解していた。


 とりあえず自分の気持ちに折り合いをつける。今するべきは他にあった。


「平野君ごめんなさい。つい熱くなって怒ったりして……本当にごめんなさい」


 朱莉は誠意を込めて頭を下げた。冷静になれば尊が悪くないことなどすぐにわかった。

 頭を下げられた尊は虚を突かれ反応が遅れてしまう。


「俺は気にしてないから。俺だってたまに鳴海のこと怒らせちゃうしな」


 だから頭を上げてほしい、と尊は困ったように頬を掻きながら朱莉にお願いする。

 そんな尊の言葉を聞いて朱莉はぎこちなくも頭を上げる。


 その際、尊と朱莉の視線が重なりしばらく見つめ合ってどちらからともなく笑った。

 先ほどの険悪な空気が一瞬にして払拭され、甘い空気が漂う。


 そんな二人の様子を友人たちは陰ながら見ていたが。


「ねえ隼人、あの二人っていつもあんな感じなの?」


「んー、まあ、鳴海さんがよく尊に絡んだりしてるかな」


「あー……そっちもなんだけど……いつもこんな空気なの?」


「いや、ここまで露骨なのは初めてだな。本当に仲がいいよ」


 隼人が苦笑し頭を掻く。


「まあ、とりあえずいいんじゃないのか。このままで」


「そうだね。私たちがとやかく言うことでもないし」


「うん。私も今の二人は見てて微笑ましいし」


 友人たちに温かく見守られる尊と朱莉。しばらくして二人が落ち着いたところで各々自分たちのクラスへ戻った。

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