39話 隣人の過去
昼休み。言われた通り尊は体育館裏に来ていた。
「鳴海遅いな」
昼休みになってもう二十分ほどが経過していた。
なにかあったかもしれないとスマホを取り出し連絡を入れようかと悩んでいると。
「ごめん、遅くなって」
朱莉が少し息を乱らせながら尊に駆け寄ってきた。
息を整えるように胸に手を当て深く息を吸う。
「いや、いいんだけど。何かあったのか?」
「あまり人と会わないようにしてきたから時間掛かっちゃって」
「ああ、そういうこと」
朱莉は目を引いて目立つからこういう時でも苦労するのかと同情する。
すると、息を整え終わった朱莉が真っ直ぐに尊に顔を向けた。
「多分そっちにも迷惑かけてるよね?」
迷惑というのが何を差しているのか尊でも理解できる。何もないと誤魔化しも効かなそうだしすぐバレるので正直に答える。
「まあ、朝からいろんなところから視線を感じるな」
「やっぱり、そうだよね……」
実際に尊の口から聞いて実感が湧いたのか、次第に朱莉の表情が暗くなる。
「ごめん……私が声かけたからこんなことに」
朱莉は両手を強く握り震えていた。
(やっぱりこうなるよな)
尊が思っていた通り朱莉は自分を責めていた。今の朱莉は学校で見せる堂々とした姿は欠片もない。触れると壊れてしまいそうな弱々しさを感じる。そんな朱莉の姿に胸が締め付けられる一方尊は怒りを覚えていた。
なぜ朱莉がここまで苦しまなくてはならないのか。人より優れた容姿が悪いのか。何でもそつなくこなす才能が悪いのか。他の人より多くのものを貰って生まれたからこれくらいの苦しみは当然なのか。――ただ友達と話をすることも許されないのか。
「……何回も言うけど朱莉が俺に話しかけるのがおかしいわけないよ」
「でももうそんなこと言ってる場合じゃないよ!」
喉が裂けんばかりに朱莉は声を上げる。朱莉がこんなに感情を表に出すのは初めてだ。瞳に涙が浮かぶ。
「これ以上はダメだよ。……もう平野君に迷惑はかけたくない」
「……俺は迷惑なんて思ってない」
「そんなわけないでしょ……今日だけでもいろんな人に見られるくらいみんなが平野君を意識し始めてる。意識してるだけならいい……もっとひどいことになるかもしれない」
ひどいことの部分を考えたのか、朱莉の顔が苦し気に歪む。
「覚えてる?私が雨に濡れてた日のこと」
「……覚えてるよ。あの日が初めてだったよな。鳴海とまともに話したのは」
唐突に話が逸れたが気にすることなく尊は答える。
瞳に憂いを宿しながら朱莉は言葉を紡ぐ。
「あの日ね。昔の友達に偶然会ったんだよね。多分向こうは会いたくなかっただろうし、私も合わないようにしてた」
小さく震える手を胸の前で握る。怯えるように――それでも朱莉は語り続ける。
「中学の時はね。私も男女関係なくよく話してたんだよ。今ほど異性とか気にしてなかったから。でも、私がこんな容姿だから……嫌でも男の人の視線を集めるから……ある日ね、友達が好きだった子に告白されたの……もちろん断ったんだけど――。そこから私の人間関係は壊れちゃった」
どんどん気持ちが沈んでいく朱莉の言葉を尊は唇を噛み締め黙って聞いていた。
「その子にはすごく怒られた。正直私は悪くないと思ってたけどやっぱり理屈じゃないんだよね。その後は周りの友達もその子に味方しだしたの。思えば前兆はあったのかな……男子によく好かれてた私は女子からしたら邪魔な存在だったんだと思う。それからはクラスでもずっと一人。目に見えて女子が避けるようになったから男子も声を掛けてくることがなくなった」
いわゆるいじめが始まったのだろう。全員で朱莉の存在を無視する。やってる側はどうってことないだろうが、無視され続ける側の苦痛は計り知れない。
「だから私は高校は中学の人達がいない離れたところを選んだ。学校でも会話するときは細心の注意を払うようになった。中学の時のことが起きないように。――でもなんなんだろうね。折角離れた高校選んで一人暮らしまで始めたのに、すぐにその子に会っちゃうなんて。あの時ばかりは流石に神様を呪ったかな。――それでもね。勇気を出して声を掛けたの……でも――」
昔の記憶を思い出す度に朱莉の表情が歪み、そして、苦しさをこらえるように胸の前の手を強く握りしめる。
「やっぱり駄目だった。“なに話しかけてるの”“その顔二度と見たくなかったのに”って……流石に心が折れたよ。いろいろとどうでもよくなって雨の中傘も差さずに帰って、そしたら今度は家の鍵無くしちゃってるし、もう笑っちゃうよ」
朱莉は口角を上げて笑うが不自然すぎるその笑顔は見ててとても痛々しい。
「その時だよ。平野君が声かけてくれたの」
不自然だった笑顔が少し柔らかいものに変わった。
「正直話しかけられたときは放っておいてほしいと思ったけど、話してるうちに心が落ち着いていくのがわかった。壊れた心が熱を取り戻してくように感じたの。――私はね、平野君。あの時あなたに救われたの」
瞳には未だに憂いが見え隠れしているが、朱莉が見せる笑顔は普段尊に見せるどんな笑顔より綺麗なものだった。心から尊に感謝しているのだと、その笑顔から感じることができる。
尊は茫然と朱莉の笑顔に見入ってしまい掛けるべき言葉が喉から出てこない。
「今度は私が助ける番」
朱莉がはっきりとした口調で言葉を続ける。
「……絶対に何とかするから。心配しないでって言っても無理だろうけど……それでも、信じて」
気丈に振る舞おうとしているが、無理しているのが透けてわかる。
表情は強張り、声は震え、目に涙を溜めている。
何をするのかは知らないが、朱莉にとっても望む結果にはならないだろう。朱莉のことだから自分が犠牲にできるものは何でも切り捨てるはずだ。そうなれば今までのような関係には戻れない。朱莉との関係はここで終わりだ。
(――いや、だめだろ)
尊は心に誓ったことがある。憂いを帯びた瞳を見てしまったとき――二度とあんな顔をさせないと。
朱莉が望まないままこの関係を終わらせるわけにはいかない。
朱莉のそんな姿を見て尊はもう黙ってはいられなかった。尊の中で覚悟が決まる。
「鳴海。一日待ってくれ」
「え?」
意表を突かれ顔を上げる朱莉。
尊は心配させないようにできる限りの笑顔を作る。
「やれるだけのことはやってみるから」
それだけ言うと尊は朱莉に背を向け、その場から立ち去る。
背中に朱莉の視線を感じたが今は無視して歩いた。




