82 バレンタインデー&ホワイトデー
実は今年に関して言えばバレンタインのイベントを行っていない。
それも学校や就職面接、ダンジョンの攻略など色々あったからだ。
例年ではアケミが気合の入り過ぎたチョコレート系の何かを作ってくれていたのだけど、アズサの提案でバレンタインデーとホワイトデーを一緒に行う事となった。
それも今にして思えば桜の木の下で行った告白の為の布石だったのだと思う。
それに俺とアズサが付き合い始めた事で互いに送る物の意味も変わり、その意味自体も明確になっている。
そして今日集まったのは皆でお菓子を作ってそれを食べようと言う事になったからだ。
まあ付き合いだしてからは初の共同作業と言った所だろう。
そのため今の俺はエプロン男子でお菓子職人だ。
今日は俺を含めた4人の他にも病院理事長であるオオサワさん・・・の孫であるマキちゃんも参加している。
確かまだ小学3年生だと聞いていたけど、手作りチョコを渡す相手が居るとは侮れん。
オオサワさんが知ったら嵐が吹き荒れるんじゃないだろうか。
そんな中でアケミがマキちゃんへと声を掛けた。
「マキちゃんは誰にチョコレートを贈るのかな?」
「パパとママ、それと大好きなお爺ちゃんです。」
それなら喜び過ぎたオオサワさんが暴れる事はあっても嫉妬による犠牲者は出ないだろう
どうやら覚醒者が起こす初の事件は無事に回避された様だ。
俺は頭の中だけでそっと胸を撫で下ろすとエプロンを付けて準備を行う。
材料は市販で売られている普通のチョコレートや小麦粉に卵。
グラニュー糖?に牛乳などだ。
ハッキリ言ってお菓子を作るのは初めてで、料理に関しては学校の実習以外ではインスタントラーメンくらいしか作った事がない。
出来る事と言えば卵を割ったりかき混ぜるくらいだろうか。
よく分からない道具もたくさんあるけど流石は食に関してはこの中で最も詳しいアズサだ。
道具も一式揃っていると言うだけあって俺には何に使うのかさえ分からない。
そして調理が開始されアズサが卵を割り始めた。
「それくらいなら俺がするぞ。」
そう声を掛けた時には既に10個以上の卵を割り終わっていた。
殻はゴミ入れに向かって宙を舞い、それを追う様に次の殻が飛んで行く。
「コイツ本当にステータスが無いんだろうな。」
「え?何か言った?」
「何でもないよ。それじゃあそれをかき混ぜようか。」
「あ、それは大丈夫。これがあるから。」
そう言ってアズサはスクリューの様な物が付いた道具を手にした。
そして、それをボールに入れると手元のスイッチをONにする。
するとモーター音が鳴り響き卵を容赦なくかき混ぜていく。
「俺ってここに居る意味あるのかな。」
「あ、そうだ。マキちゃんと一緒にチョコレートを湯煎で溶かしてくれない。」
「湯煎?」
「あ、そうだね。マキちゃん教えてあげて。」
「分かりました。ハルヤさん、こっちで一緒にチョコレートを溶かしましょ。」
そう言われて俺は小学3年生の女の子に手を引かれてキッチンへと向かって行った。
そして買って来た板チョコの包みを開いてそれを俎板の上へと出していく。
俺もそれに習って包みを開けるとチョコレートを俎板の上に綺麗に積み重ねた。
「一旦これ位ですね。後はこれを小さくしてから湯煎に掛けるだけです。ハルヤさんは鍋に水を入れて火にかけてください。」
「分かった。」
すると俺が鍋に火にかける間にマキちゃんは高速裁断機の様に手を動かして板チョコを刻んで小さくすると、それを事前に計量しておいたボールに入れてチョコレートの量を測る。
「アズサさん、これくらいで良いですか?」
「そうだね。これ位あったら大丈夫だよ。後でまた必要になるからその時はお願いね。」
「はい。」
そしてアズサの確認を終えたマキちゃんは踏み台を火にかけた鍋の前に置き、その上に乗ってからボールを入れてかき混ぜ始める。
すると熱によってチョコレートが軟化し始め、しばらくするとトロトロの状態に変わった。
「出来ました~。」
「ありがとう。こっちに持って来て。」
そう言ってマキちゃんは素手でボールを掴むとそれをアズサの許へと持って行く。
普通はそんな事をすれば火傷の可能性があるけど覚醒者であるマキちゃんなら問題ない。
アズサの方を見るとこちらはクッキングミトンを着けているのでやっぱり熱い事が分かる。
そして先に作っていた生地にチョコレートを少しづつ投入し、2つをかき混ぜて1つの生地にしていく。
それを溶かしたバターを塗った紙のカップに入れ、その上にチョコチップを振り掛けるとオーブンへと投入した。
「これで待ってればチョコマーフィンガ出来るね。後はチョコレートプリンとケーキだね。」
そう言って、アズサはアケミとユウナの作るケーキを手伝い始める。
そして俺は再びやる事が無くなり呆然と立ち尽くしてしまった。
さっきもマキちゃんが湯煎しているのを見ているだけだったので殆ど何もしていない。
まさか包丁と火を使うから見守るのが俺の仕事だったのだろうか?
どうやら女の戦場に男が立ち入る隙は無いようだな。
だからと言ってサボる訳にはいかないのでケーキが焼けるのを観察したり、皆の料理の手際を観察したりする。
ここでもアズサの動きが異常に早い時があるのでゾーンに入りかけているのかもしれない。
本当に食べる事になると人間を越えた動きをするよな。
「これで完成だよ。」
「今年は会心の出来です。」
「3人による愛の勝利ですね。」
「私も今年は色々作れたからまた来年もお願いします。」
「俺って邪魔にしかなってなく無かったか?」
「「「そんな事ないよ。」」」
俺は結局あれから殆どする事が無くて焼けたケーキを出したりとか、プリンを冷蔵庫に移したりしか出来なかった。
多くの作業を電動機械に奪われたり、アズサの常人を越えた様な動きに出来そうな仕事を全て奪われたからだ。
まあ、それも全ては俺の未熟さが招いた事なのでこれからはインスタント以外にも少しは料理を作れるようになろう。
そうしないとアズサが熱とかで寝込んでしまった時が大変そうだ。
それにしても何で3人による愛の勝利なんだろうか。
ユウナは時々、変わった事を言うよな。
「それじゃあ皆で今日の成果を頂きましょう。」
「そうだな。なんだか俺は貰ってばっかりな気がするけどな。」
「そう思うのなら、今度は別の所で返してね。」
「そうさせてもらうよ。」
そして俺達はテーブルに乗った山の様なお菓子に手を伸ばして食べ始める。
まるでメルヘンの世界にでも迷い込んだような圧巻な光景だけど甘い物は別腹と豪語するアズサが居れば大丈夫だろう。
ただし中央にあるケーキはどうやって焼いたんだろうか。
どう見てもオーブンよりも大きい気がするんだけどな。
もしかして俺が知らない間にオーバーテクノロジーを持ったカエルの軍人か、青い動物型ロボットが住み着いているんじゃあ・・・。
しかし気配を探っても俺達以外には誰も居ないのできっと大丈夫だろう。
そしてその後は楽しく会話を弾ませ、話題はアケミとユウナの卒業へと移って行った。
「2人もとうとう明日が卒業だな。」
「そうだね。お兄ちゃんも明日は来るんでしょ。」
「当然だな。開門前に並んで最前列に並ぶつもりだ。」
「そ、それはちょっと恥ずかしいです。」
するとユウナは顔を赤らめて俯き気味になってしまう。
しかし、そんな顔をしなくても大丈夫だ。
なにせ並ぶのは俺一人じゃないからな。
「でも、父さん達も俺と一緒に並ぶって言ってたぞ。」
「ああ、お父さんだったらやるだろうな~。」
「うちも同じです。」
父さんは俺よりも可愛い娘であるアケミを母さんの次に大事にしている。
それはユウナの父親であるリクさんも一緒で、こちらは一人娘なのでウチよりも凄いと言える。
明日の為にビデオカメラを2台も新調したらしく、1台は使い慣れるために練習用としてダンジョンに持ち込み教材用の映像を撮影している。
ちなみに編集は情報収集の一環としてアンドウさん達が受け持ってくれているので、それを使って俺達以外の教師が生徒たちに教育する時に使われる資料とするそうだ。
まあ話は逸れたけどリクさんの気合がどれ程かがヒシヒシと伝わってくる。
「だから二人とも諦めろ。俺達は最前列を取るために本気で行かせてもらう。」
そして話の流れ的に今度はマキちゃんの話へと移った。
この子は春から九十九学園に作られた特別教室に通う事になっている。
理由は覚醒したことで精神が少女から逸脱してしまい周りとの精神年齢差が開いてしまったからだ。
虐めには発展していないらしいけど、それも時間の問題だと言う事らしい。
幼い子供もだけど学校と言うのは平均的な生徒を扱えても異質な生徒を排除する事もある。
そのため政府が九十九学園に要請して今回の様な処置を取ったのだろう。
他にも数名が通う様になるけどその子達とは面識がない。
それに担当は父さん達なので俺には殆ど出番がないだろう。
「マキちゃんは友達と離れて不安じゃないの?」
「前からあまり友達は多くなかったから大丈夫です。お金持ちだと思って擦り寄って来る人は多かったけど、それが無くなるだけでも楽になります。」
何とも大人な意見が帰って来て周りからも苦笑が浮かぶ。
これは確かに先生から見ても教室で浮いていただろう。
まあ、あの学園の先生は優秀らしいので大丈夫だろうけど、いざとなれば俺も居るので武力が必要なら力になれる。
すると匂いにでも釣られたのか扉を開けてオメガが部屋へと現れた。
どうやってドアノブを回したのかは知らないけどオメガも覚醒者として力を持っている。
何らかの手段を持っていてもおかしくはない。
「ワウ!ワウ!」
「ハイハイ、分かりました。」
オメガが吠えると机の一角に置かれたクッキーを手に取った。
確かそれはオカラを使った物でチョコも砂糖も使用していない。
何のために作っているのかと思えばオメガの為だったようだ。
俺ですら3年ほどアズサの手料理を食べれなかったのに贅沢この上ない。
そしてオメガはオカラクッキーを咥えると傍に置かれている犬用のベッドへと入って美味しそうに食べ始めた。
するとそれを見てマキちゃんが目を輝かせてオメガへと駆け寄って行く。
「美味しい?」
「ワン。」
そう言って頷くとオメガは舌なめずりをしてマキちゃんを見詰めた。
するとそれを見たアズサがオカラクッキーを手にその横へと向かって行く。
「あげてみる?」
「良いの!」
すると子供の様な反応が返されアズサは笑顔で頷くとマキちゃんの手にクッキーを乗せた。
それを見てマキちゃんはパッと笑顔を作るとそれをそっとオメガへと差し出す。
するとオメガは端からサクサクとちょっとずつ食べて行き、次第に口が手元へと迫って行く。
そして最後は舐める様に食べ始めマキちゃんは堪らず声を上げた。
「オメガ、くすぐったいよ~。」
「ワウ!」
そして食べ切ったオメガはそのままマキちゃんに擦り寄って体を擦り付ける。
どうやら、この犬は愛嬌を振りまく達人の様でマキちゃんも嬉しそうにオメガを抱っこすると膝の上で優しく撫で始めた。
こうして見ると10歳の子供と変わらないけどそれは俺達だからだろう。
学園に通う事で少しは伸び伸びとした生活が送れれば良いんだけどな。
そして時間も夕方となり今日のイベントは終了となった。
マキちゃんは自分で作ったチョコレートマーフィンを持ち、迎えに来たオオサワさんと帰って行く。
きっと明日にでも感動を伝えに現れるだろう。
あの人は孫娘の事になると過剰な行動に出るからな。
もしかすると九十九学園に小学生と中学生の覚醒者を受け入れると決まったのもあの人の口添えかもしれない。
そしてアケミとユウナのおかげで片付けは簡単に終わり、そのまま俺の家へと向かって行く。
もはや歩いて1分と掛からないのであっと言う間に到着できる。
そして玄関で待ち構えていたリリーに袋に入ったオカラクッキーを渡すと家の中へと入って行った。
リリーはそれを父さんの前に座って渡すと袋から出してもらえたようで美味しそうに食べている。
さすがと言うか袋に入れたのはアズサのアイデアだ。
リリーにとってはああやって父さんに甘えながら食べるのが一番の味付けになる。
もし俺達がそのままあげたとしても、あそこまでは喜ばなかっただろう。
そして、その後は夕飯を食べ終わると明日に備えて早めに眠りについた。




