38 逆戻り
船を押してアイコさんの許へと到着したオメガはそのまま犬かきで彼女へと近寄って行く。
「ワン!ワン!」
「オメガも来てくれたのね!」
「ク~ン。」
「それにあの騒ぎだとハルヤも来てるのね。」
「ワン!」
そして1人と1匹は通じているか分からない会話をしながらなんとか船に乗り込もうと四苦八苦しはじめた。
水に落ちてから一人で不安定な船に上がるのはかなり大変なので時間が掛かっているのだろう。
そして、どうにか船に上がれたようで後部に取り付けられているエンジンへと向かって行った。
「これなら船に追いつけるかもしれないわね。」
アイコさんは幾つかの操作をすると横にある握りを掴み力強く引き出してエンジンのセルを回した。
しかし何度引いてもエンジンが始動する気配はなく、彼女はオメガからライトを受け取り再びエンジンを触り始める。
「エア抜きの栓は空いてるし・・・、ガソリン供給のバルブも開いてる・・・。」
そして更にカバーを外すと燃料キャップを外して中を確認する。
「ガソリンが入ってないじゃない!」
ここに来て見事な程の凡ミスだ。
まさか燃料が入ってないとは俺も思わなかった。
でもガソリンなら確かオメガが持っているはずだ。
でもまさか船上での給油は考えていなかったのか持って来たのは200リットルのドラム缶だ。
あの船だと置いた途端に船底が破けるかもしれない。
それに俺達の乗っていた船は既にかなり遠くまで行ってしまっている。
向こうもかなりの速度で進んでいるのでこの船で波が高い外洋を進むのはちょっと厳しい。
それに既に船の光が地平線に隠れようとしている所を見ると10キロ近くは離れているはずだ。
それならまだ陸地に向かった方が良さそうだ。
そして、状況の確認を行っていると俺の足裏に伝わる感触が突然変化したのに気付いた。
感覚としては今までをソフトバレーボールとするなら、今はバスケットボールを蹴っている様な確かな手応えが返ってくる。
なんだか今なら水の上にも立ててしまえそうだ。
でもそれをやると瞬く間に鮫に群がられてしまうので検証は後回しだ。
ただステータスで確認するとスキルに水上移動と言うスキルが加わっていた。
恐らくはこれのおかげで水の上を移動するのが楽になったのだろう。
でもこのスキルがあれば、この場を切り抜けるのは簡単そうだ。
鮫はエネルギー消費の激しい生物らしく普段はあまり大胆には動かないらしい。
すなわち、チーターなどと同じスプリンタータイプと言う事で今の様に全開速度での運動は長続きしない。
それにアイコさんが船に乗り込んでいるので既に挑発は使っておらず、限界が来た奴らは諦めて散り始めている。
この調子ならもうじき全ての鮫が諦めて散っていくだろうから適当に減った所で少しスキルの検証をすれば良いだけだ。
逃げ回っているだけだと流石に格好悪いので奴らに仲間の肉でもプレゼントしてやろう。
「そろそろかな。」
俺は走る速度を緩めるとまずは水の上で停止してみる。
「おお!なんか変な気分だな。」
足元が揺れてグラグラしているのでロデオマシーンの上に立っている気分だ。
そして足場を確認していると諦めの悪い大型の鮫が俺の許へと向かって来た。
数は5匹の様で3匹は俺の周りをグルグルと周り1匹は真直ぐに向かって来る。
そしてもう1匹は真下から俺に向けて浮上しているようで偶然の一致だろうけどなかなかの連携攻撃だと感心する。
もし索敵のスキルが無ければ俺は海の中に再び引き摺り込まれていただろう。
まずはこちらに真っ直ぐに向かって来る鮫に駆け寄ると奴は体を捻り横向きになって海上に飛び出して来た。
それを右に躱すと剣を抜き、横びれと一緒に側面を大きく斬り裂いてそのまま走り抜ける。
すると下から次の鮫が姿を現し、俺を丸のみにしようと鋭い歯を剥いて飛び上って来た。
俺はその鮫の鼻先に足を掛けるとそのまま飛び上り膝をクッションにして横にそれる。
それによって背後に回り込むとその体を横に大きく斬り裂いてやった。
そして海面に着水すると水柱を上げて鮫は落下し、俺の前には2匹の巨大鮫が横たわっている。
見れば最初に倒した鮫には既に他の鮫が集まり始めているので、どうやら海は陸以上に弱肉強食の世界のようだ。
そして他の3匹は諦めたのか俺が戦っている内何処かへ泳ぎ去っている。
俺は息を吐くと周辺を警戒しながら今回の戦いを振り返った。
「戦闘はともかく水中では呼吸が出来ないな。生物としては当然だけど今後は気を付けよう。」
体力は高いので少し動いた程度では苦しくはならなかった。
それでも長時間は潜れないので今後は水中戦についても考えないといけない。
ダンジョン内に水のエリアが無いとは言い切れないので今後の事を考えればアイテムボックスは必要なスキルになりそうだ。
又はダンジョン内でそれに類するアイテムでも手に入れば良いんだけど、魔道具関係は期待が出来そうにない。
ただ、今はそれよりも優先させるべきものがあるので、どちらにしてもしばらくは先の事になりそうだ。
その後は海の上を走ってアイコさんの所へと到着するとようやく声を掛ける事が出来た。
「生きてて何よりだ。」
「ええ、来てくれて助かったわ。それよりもアナタのそれはどうなってるの?」
アイコさんは呆れた様な目をして俺の足元を指差している。
俺も水の上へ立てるようになるとは思っていなかったのでその気持ちは何となく分かる。
「海の上を走ってたらスキルを覚えたんだ。それよりもそのエンジンは動かせそうか?」
「駄目ね。これをオメガに持たせた奴は何をやってるのかしら。」
そう言って彼女はエンジンを殴りると力を入れ過ぎたようで「イタッ!」と言って手を擦っている。
おそらく、あちらもこういった緊急時での使用は想定してなかっただけだろうと胸の中でフォローを入れておく。
それに急な注文で準備した側もそこまで手が回っていなかったとも考えられる。
俺は仕方ないだろうと思いながらボートに乗り込むとオールを手に取って漕ぎ始めた。
「まずは陸に戻ってから決めようか。」
「・・・そうね。でも、なんだか嫌な風を感じるのよね。」
言われてみれば今日になって少し風が強くなり始めている気がする。
それに来た時と違い空に星はなく、どんよりと重い雲が立ち込めている。
これは陸に戻ったら情報を集めなくては今後の行動に影響しそうだ。
そして船を漕ぐこと1時間ほどで何とか町に戻って来る事が出来た。
「何とか到着したな。」
「ええ、最初はどうなるかと思ったけど問題は無さそうね。」
しかし俺は大きな変化を感じ取っていた。
昨日までは多くの兵士が歩き治安維持を行いながら目を光らせていたのに今ではそれをほとんど見かけない。
そしてヘリに乗った場所に行っても待機している物は一つも無く、閑散とした光景が広がっている。
この状況はどう見てもおかしく、魔物を倒してから3時間ほどしか経過してないのに軍の殆どが撤収してしまっている。
魔物の群れの脅威が一時的にとはいえ消えて余裕が出来たはずなので、もっと人が残っていてもおかしくない。
「そう言えば船も居なかったわね。町にはまだ数万人の人が残ってるって言ってたわよ。」
そう言えば船の出入りも無くなっているし先程から少しずつ風も強くなり湿度も上がってきている様な気がする。
海の波も目に見えて大きくなってきているので異常を上げればきりがない。
すると遠くからヘリの音が聞こえ俺達の上空を沖に向かって飛んで行くのが見えた。
どうやら、ここにヘリが居ないのは彼らを回収に向かったからのようだ。
しかし、ここに降りてこないと言う事は沖にいる空母かヘリポートのある船へと向かっているのだろう。
そして俺達が見上げていると見覚えのあるヘリが旋回し俺達の前に下りて来た。
するとそこから出て来たのはヘリを操縦していたアーロンで慌てたようにこちらへと駆け寄って来る。
「お前は日本に帰ったんじゃなかったのか!?」
「実はコイツが船から落ちてしまって回収していたんだ。」
「それならお前だけでも俺達と来い。もうじきこの町にハリケーンがやってくる。早くしないと脱出できなくなるぞ。」
どうやら、俺が知らない間に台風が接近中だったみたいだけど、この慌てようだとかなり勢力が強いのだろう。
でも1人だけで行く訳にはいかないので俺は首を横に振った。
「2人ならともかく俺だけだとここに来た意味が無いんだ。お前は気にせずに行ってくれ。こちらはどうにかしとくから。」
「馬鹿言うな!もう他のヘリも沖にある自分達の船に避難しているからこのヘリが最終便だ!それにしばらく他の船はここに接岸できなくなるから避難船も来ないぞ!」
「でも、その言い方だと一般人は乗せられないんだろ。」
するとアーロンはアイコさんを気にしながらもしっかりと頷いた。
「ならオメガはどうなんだ?」
「コイツなら何とか乗せられる。一応はステータスを持ってるからな。」
するとそれを聞いて横に居るアイコさんは表情を青ざめさせている。
こちらを見ているのは俺がどうするか気にしているんだろう。
もしかするとこの人の事だから自分を見捨てて俺だけ帰るように言い出すかもしれない。
俺はそんな二人の視線を受けながら溜息を零すと剣を走らせ一人の首を斬り落とした。
「え・・・」
すると俺の一瞬の行動にアイコさんは短い声を残してその場に倒れた。
そして突然の行動にアーロンは俺の襟を掴み顔を突き付けてくる。
「な!何やってやがる!?」
「最初からこうすれば問題なかったんだよな。」
今の速度なら痛みを感じる事なく死んでいるだろう。
そして俺の足元には首と胴が切り離されたアイコさんの死体が転がっている。
「お、お前。自分が何をしたか分かってるのか!?」
「ああ、オメガのアイテムボックスには死体なら入るからな。」
そしてオメガも吠えすらせずにアイコさんの体を回収して俺の許へとやって来た。
ちゃんと分かっているようなので後は任せても大丈夫だろう。
「それじゃあ、お前はちゃんと日本に帰れよ。」
「ワン!」
「・・・お、お前はどうするんだ?」
「やり残した仕事を片付ける。」
「ま、まさかお前!?」
「オメガを任せたからな絶対に日本に送り届けろよ。」
俺はトラブルメーカーの最後に残した大問題を処理するためにオメガを渡して背中を向けた。
そして、そのままアーロンの声を無視して町に向かって歩き出した。
すると少しも歩かない内に多くの人達とすれ違い町の状況を知る事が出来る。
どうやら取り残された彼らは自暴自棄になり、暴れたり、泣いたり、無気力にその場で座り込んでいる。
それにここまで逃げて来た彼らにはここから離れようと考える者も居ない様だ。
当然その中には多くの悲鳴、怒号なども含まれ、力のない子供たちは道の隅で蹲り、肩を寄せ合って震えている。
こうやって見ると人と獣にどれ程の違いがあると言うのだろうか。
それどころか野生の獣の方がずっと理性的に見える。
そんな事を考えながら邪魔する暴徒を殴り飛ばし、道を塞ぐ障害物を斬り裂きながら町の外へと歩いて行く。
そして町から出る頃には誰も俺に近づく者は居なくなっていた。
「さてと。久しぶりに単独行動だな。」
「ケッ、何言ってやがる!ここにもう1人居るだろうが!」
すると俺の後ろから予想外の声が掛かり、振り向くとそこにはアーロンの姿があった。
どうやらヘリはもう一人のパイロットに任せて付いて来てしまったみたいだが、ハッキリ言ってレベル1だと邪魔にしかならない。
それに今回はオメガも居ないのでリアムの様に魔石による強化も不可能だ。
それでも、もしかすると何かの役に立つかもしれないと思い同行を認める事にした。
「すぐに死ぬなよ。」
「へッ!素人が何言ってやがる。それとまずはこっちに来やがれ。お前は乗りもんの場所も知らねえだろうが。」
そう言ってアーロンは顎をしゃくると俺を誘導して歩き出した。
すると町のすぐ外にテントがありその前にジープが数台止まっている。
しかも放棄するつもりだったのか鍵も刺したままになっているのでアーロンはそれを回してエンジンを掛けると一番燃料がある車を探し、更にガソリンの入ったタンクを持って来た。
それで給油と予備の燃料を確保すると助手席を指差して顔を向けてくる。
「準備できたぞ。さあ、魔物狩りと行こうぜ。」
「お前が初めてまともな運転手に見えたぞ。」
「言ってろ!」
アーロンはそう言って視線を逸らすと俺を乗せて走り出した。
相手は今までで最も強い魔物で数も多い。
それなのにこちらの人数は2人と複数形でも最小単位だ。
生きて帰れる保証もなく、もうじき嵐が襲ってくるので最悪のコンディションと言っても良いだろう。
これで勝てたら本当に奇跡だなと他人事のように思えてしまう。
そして俺はアーロンの運転で先日バスで走った道を戻って行くのだった。




